小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

五月二十二日

2017-07-16 | 嘉永四年 辛亥日記
五月二十二日 
快晴。
今日と明日は勉強会が休みなり。
この頃は学校がひどく衰退してきているのが嘆かわしいものだ。
頑張っている山本に不幸があり
。誠に気性の良い人なのでこの先の学校を引き立てていくことと頼みに思っていた省太郞主が病死したため、当然ながら山本督学がすっかり力を落とされている。
伊藤泰蔵殿も昨年の秋から食べ物が胸につまるらしいが、具合の良いときもあってなるようにしかならないと言う。
よもやそうはないだろうと思っていたのに、この14日に法事を勤め、15日には弁書調べが貴志であっておおいにご馳走がでたというのに督学は省太郎が薬も飯も食べぬからと早くに帰られた。ゆえに主人は山本に見舞いに行った。
伊藤泰蔵殿は来られず寝ているとのことだった。
岩橋藤助主もこの頃は勝手元の具合が悪く難渋しており引きこもっていて来ない。
元気なのは浅之助・馬助・玄助・岸ら誠に頼りにならない者たちばかりなり。
しかし、浅之助はこの方頼りに思え会は誠に衰ええていくようで是も時節を待つべしか。
和佐の森右衛門が雉子を1羽送ってきた。

風呂を焚く。
夕方から山本督学宅へ見回りに行く。
九右衛門殿が2時前にこられた。最近は酒を吞まないとのこと、菜めしを炊き中くらいの鯛を取り寄せて食事に出す。しばらくしてから帰られた。
夕方、安兵衞を雇いにやる。明晩の明かり出しだ。
岩一郎は深津の弥一郎が脚気というので見回りに行く。
到来の雉子を持参し岸へ先日の礼に回った。
帰宅したらまだ九右衛門殿が話していた。
鈴木氏の使いの者がシデコブシの花を貰いにきた。




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