クグロフトの趣味

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江戸時代に喫煙率を求めた真面目な三河屋

2016-09-18 18:04:27 | 煙草

江戸時代のたばこの耕作面積や喫煙率を具体的に述べた記録では、
元飯田町中坂下のたばこ屋三河屋弥平次と言う方が著した「狂歌たばこ百撞」の付録であった。
話はそれるが 「三河屋 おぬしもわるよのう」と言うセリフがあるように
三河屋と言う屋号は豪商が多かった。
主にこれは江戸時代の十組問屋というシステムに由来する。
味噌、お酒等の醸造関係が三河地方 現在の愛知 岡崎、刈谷、安城、豊田市、から豊橋に至る地域出身が多かった為
三河屋と言う屋号があちこちに乱立した事で三河屋と言えば酒、味噌関係であった。
話は戻すが
「狂歌煙草百首」には、元禄時代1688~1704年末のたばこの耕作地と生産量の統計及び喫煙率推定で記録がしてあったのだ。
また話はそれるが、日本の識字率は当時トップクラスで 寺子屋システムがそれを助けていたが読み書きそろばんを教えており
商人ならなおさら読み書きそろばんができていたのでこれくらいの事は出来たのだろうと思う。
当時お米よりお金になると言う事で百姓がお米の田んぼを減らしてたばこを作ってしまう事を恐れて
たばこを禁止した時代があった為 新しい耕作地を開拓してたばこ畑を作っていった。
元禄十五年1702年 天領、大名領、旗本領の領地問わづ 全国で一斉にたばこ耕作地調査が行われた。
そしてこれを半減せよと厳命がくだった。現在でもこの記録は残っており耕作者名まで載っている。
三河屋弥平次の「狂歌煙草百首」が完成したのは、文政三年1820年で この一斉調査を元に
耕作地面積と生産量を算出したのであろうと言われている。
つまり江戸時代 西欧文化に遅れているとはいえある意味秀でたのですね。
この時の面積の詳細は、常陸:面積1158ヘクタール、1038トン 下野:315ヘクタール、282トン 
紀伊・伊勢:852ヘクタール、762トン  摂津服部:2ヘクタール、2.6トン 
尾張:153ヘクタール、12トン  美濃:123ヘクタール、12トン
近江:1ヘクタール、1.62トン  肥後:1ヘクタール、1.26トンと記録されている。
常陸とは現在の茨城県のあたりです。
弥平次は、以下のように推定して喫煙率を算出した。
江戸に入るたばこの量を4400トン/年と計算し江戸の人口を110万人と推定。
消費を3.6キロ/人・年と仮定した結果 喫煙率は98%とあろうと推定している。
まあ数字の信憑性は、ともかく喫煙率をこの時代に出したという事が大事で 西欧に先駆けて
調査したというところが日本人の素晴らしさが出ていると思います。
三河屋は真面目というという事です。
2016年現時点の喫煙率は20~30%くらいですよね。


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-09-19 12:45:38
>喫煙率は98%とあろうと推定している

な、なんという喫煙率……
どうも (クグロフト)
2016-09-19 21:21:10
こんばんわ
出し方が正しかったのかわかりませんが
98%は凄いですね。
ただ以前かきましたが キセルは
一人前の男のしるしなのでほぼ全員が持っていた
可能性があるので98%あながち間違いじゃないかも
です。

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