くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

山梨の偉人たち パート2

2016年10月12日 | 甲府城日記
山梨の偉人たち パート2は、野口正章(のぐち まさあきら)さんをご紹介します
山梨の偉人たち パート1(2016.9.27)


野口 正章氏(1849年~1921年)

明治初期、外国から輸入された、ビールにいち早く着目し、甲府でビール醸造に取り組んだ野口正章さん。
莫大な私財を投じて、設備を整え研究を重ね、苦心の末東日本初の日本人による国産ビール「三ツ鱗ビール」を世に送り出した方です
野口正章さんは、1849年、現・滋賀県近江市に近江商人・野口正忠の嫡男として生まれました。
野口家は全国に11の支店を有し、「十一屋」を屋号とし、甲府には、1704年(宝永元年)に進出しました。
正章さんは、支店のある甲府に移住して、酒造業等を営業しました。
明治3年にアメリカ人のウイリアム・コープランドが、横浜居留置で日本初のビールの醸造を始めた頃、正章さんもビールの研究を始めていました。
その後、県内の殖産興業と西洋化を進めた県令・藤村紫朗の後押しもあり、正章さんは、本格的にビール醸造に着手しました。醸造器具は、横浜で新調し、富士川舟運で甲府へ運びました。しかし、6尺の大釜は運ぶことができず、現地で売却して甲府で改めて鋳造しました。瓶は横浜でビールの空き瓶を集め、真鶴から箱根山を越え、芦ノ湖を渡り、御坂峠を経由して甲府へ運びました途中、未整備の区域については、私財を投じて新たに道を切り開いたといいます。
技術は、横浜からコープランドとその弟子を招き、正章さん自ら1年にわたり指導を受けました  
大麦は山梨県産を確保。ホップは笹子峠付近に自生していた野生の物を使用したこともありましたが、ビールが腐敗してしまった為、高価なドイツ産を使用せざるを得ませんでした


こうして数々の苦難を乗り越え、東日本初の日本人の手によるビールが誕生しました
「三ツ鱗ビール」と名付けられました。皆さんも聞いたことがあると思います。みつうろこ
その後も正章さんは、研究を重ね、明治8年の京都府博覧会では、銅メダルを獲得し、製品が世間に認められたことを跳びあがって喜んだそうです
このように、野口正章さんは、国産ビールの発展の礎を築いた、先駆者として名を残しています。 
 
(わ)
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