今私はこの原稿を書きながら午後の窓を眺めている。フェルトの赤は開け放たれ、ロンドンらしい曇天の空が織りなす灰色の風景が広がっている。向かいの窓ガラスは暗く空を反射せず、おそらく空はどこまでも灰色に伸びているのだろう。少し前まで、私がこの椅子(いす)に腰を下ろしたその時はまだ時折風が灰色を追い払い、太陽とまではいかないが、出張 アロマエステ霞掛かった淡い陽光を映して、私の部屋に心地良い光を分けてくれていたのだが。
私はこの窓の風景を写真に収めたいと何度か試みたのだが上手(うま)くいかない。このところ写真を撮る度に、私は写真を撮っているのか、あるいはこの写真を撮るという行為で記憶に留めようとしているのか、という考えに取り付かれる。もし後者だとしたら私はカメラを置いてしっかり生の目で見つめるべきなのではないか。そういう事を考えている輩(やから)に良い写真は撮れる筈(はず)もなく、しかし私は「カメラでは収め切れぬのだ」と愛用のリコーを見つめる。










