AERAdot. https://dot.asahi.com/dot/2017071100013.html?page=1
元SEALDs諏訪原健「潮目が変わり、『こんな人たち』が肯定されている」
20代の処方箋
東京都議選の結果、政局の「潮目が変わった」と言われている。具体的に何が変わったのか、正直私にはよくわからない。しかし少なくとも政権を批判することに対する人々の受け止め方は、着実に変わっているように感じている。
7月9日に新宿で開催された「MARCH for TRUTH」というデモに対する反応をみて、「潮目が変わった」という実感を覚えた。
17時過ぎ、集合地点からほど近い都庁前駅A5出口を出ると、デモに参加する人が溢れかえっている。参加者の多さにまず驚いた。しかもプラカードひとつ見てみても、参加している人々はかなり多様だ。中には「こんな人たち」と書かれたプラカードを持っている人もいる。
これは都議選の最終日の7月1日、聴衆から「やめろ」「帰れ」とコールを浴びた安倍首相が発した「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という発言に対する抗議でもある。
その映像を初めて見た時、私は正直言って、批判の矛先は「安倍やめろ」と声を発した人々に対して向くのではないかと思った。あるいは「非難しあっているのだから、どっちもどっちだ」といった論理に回収されるのが関の山ではないかと考えていた。そのため、「こんな人たち」発言の問題性を指摘する原稿を用意したほどだった。
しかし、そんな考えは杞憂に終わった。マスメディアの報道や、SNS上での反応を見ると、首相発言に対して批判的な意見が多くを占めていた。それどころか、自民党議員からも批判的な声が上がる始末だ。大学院の友人の反応も、「あの発言はありえないよね」といったものが多かった。いつもは政権に対してあまり否定的ではない人も含めて、そういう反応だったから、何だか拍子抜けしてしまった。
9日にデモ行進をしながら、さらなる変化を感じた。沿道の人々に目を向けてみると、デモ隊を見つめる人が数多く見受けられる。歩道橋の上をランニングしている人が、わざわざ足踏みをしながらこちらを見つめている。自転車に乗った通行人が、デモを見ていた人に「これ、すごいね」と話しかけている。通行人が立ち止まって携帯のカメラで写真や動画を撮っている。
どこか周囲の反応がいつもと違う気がした。デモ隊が近くを通れば、目を向けるくらいのことは当たり前かもしれない。しかし、これまでであれば、立ち止まってまで見物する人はこんなに多くなかったように思う。しかも意外なほどに迷惑そうな表情の人はあまり見当たらない。なぜこんなに好意的な雰囲気が漂っているのか、不思議で仕方なかった。
もしかすると「潮目が変わった」というのはこういうことなのかなんて考えているうちに、新宿駅南口あたりまで進んでいた。駅から出てくる人々はどんな反応を示すのかと気になって、南口の前を何度か往復してみる。
通行人のほとんどは、何が起こっているのかと、まずはデモ隊に目を凝らす。その後は、何事もなかったかのように、通り過ぎていく人もいる。しかし一部に気になる反応を示す人々がいた。目を凝らした後、何を思ったのか、ふと微笑むのだ。しかも一人、二人ではない。数十人はそういう人がいた。デモ隊を見て微笑むというのは、私にとっては非常に新鮮だった。むしろ逆に違和感を覚えたほどだった。
彼らがどうして微笑んだのかはわからない。しかしその表情には、無言の肯定感が漂っているように見えた。あるいは「こんな人たち」が声を上げる場面に出くわしたことによるある種の愉快さの表れなのかもしれない。いずれにしても、政権を批判することがより許容されるようになっているのだとしたら、そのことの意味は大きいと思う。
私は正直、政権に批判的な意見をすることにいつも息苦しさを感じている。ネット上はもちろん、日常の中でも、特別視され、否定的な意見を投げかけられることも少なくない。何でわざわざこんなことしているのかと思ってしまう時もある。
しかし考えてみれば、これだけ多様化が進んだ社会なのだから、政権が自分たちを代表してくれているという感覚を得られない人々が多くいるのは必然だ。それなのに政権を批判することが否定的に捉えられるというのは、民主主義社会としては不健全だ。政権を批判するくらいのことは当たり前だという感覚が共有されているほうが望ましい。
さらに言えば、これまでであれば、「与党もダメだが、野党もダメだ」といった論法で、現政権への評価を留意するような人々もかなり多かったと思う。
残念ながら、依然として国政レベルで、他の受け皿が現れているとは言えない。それでも政権に対してダメなものはダメだと言うことが、当たり前になりつつあるとしたら、それは民主主義社会として望ましい変化だと思う。
他に頼るべき勢力がないからといって、現政権にフリーハンドを与えるとしたら、それでは政治は良くなりようがない。問題があれば適宜指摘して、改善を求めていく、そのほうがずっとポジティブな政治参加のあり方だと思う。
政局の「潮目が変わった」ことが、民主主義社会にとってもいい方向への転換に繋がっていくことに期待したい。