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元SEALDs 諏訪原健「僕の奨学金記事へのご批判に対し、思うこと」 〔dot. 2017.5.9〕

2017-05-15 13:10:23 | 教育 教科書

dot. https://dot.asahi.com/dot/2017050600020.htmlより転載

元SEALDs 諏訪原健「僕の奨学金記事へのご批判に対し、思うこと」

20代の処方箋

(更新 2017/5/ 9 07:00)
 

 奨学金借金約1千万円を抱えながら、SEALDsのメンバーとして政治的活動をしていた諏訪原健君がdot.で書いた「奨学金借金1千万円の僕が嫌悪する安倍首相のキラキラ貧困対策」(4月7日付)というコラムが大きな反響を呼んだ。とりわけ金銭的な苦労を重ねてきた人たちから寄せられた厳しい批判を読んだ諏訪原君は涙し、「なぜ貧しい者同士で叩き合わなければならないのか」と思ったという。

***

 ここ2週間ほど、ずっと悶々とした気持ちを抱えている。きっかけは、4月7日に書いた奨学金に関する記事に対し、ネット上で寄せられたコメントを読んだことだ。ネットのコメントといえば、「荒れる」イメージが強いが、僕の記事も案の定そうだった。

 ある媒体では、僕が見た段階で、2800件近くのコメントが寄せられていたが、そのうち1千件近くが、利用規約に反しているとされて非表示になっていた。さらによく見ていくと、記事の公開から5分以内にコメントが来ているものも多くあった。記事は2千字以上あるから、きちんと読んでコメントしているようにも思えない。

 非表示になっていない1800件ほどのコメントに全て目を通してみた。

なかには「この人、生まれてこなければよかったのに」なんて書いている人もいて、正直、読むだけでだいぶ気が滅入る。

 でもそれ以上にきつかったのは、教育のために金銭的な苦労を重ねてきた人たちから、否定的な言葉が数多く寄せられていたことだった。

「私は高校出て働いて、いろいろあって、今、自分の貯金で、大学に行っています。同級生でも、学費不足だからと1年休学して、めちゃくちゃ働いて、お金貯めて復学した人いますよ。借金前提の人生は、私は、怖くて出来ない。あまり、国や人のせいにしない方がいい」

「私は貧しかったので、授業料免除を受けて、バイトと奨学金で大学を出ました。わずかですが、親にも仕送りをしてました。いろいろご不満がおありのようですが、全部、自分のために借金をして、親に仕送りもできないやつに、偉そうに言って欲しくないね」

「こういう意見は、正直、ヘドが出る。私は、新聞配達と学業を両立した。そして二つの専門学校に行った。それで、奨学金の借金もなし、卒業時には10万ほどのボーナスと配達で貯めたお金10万ほど手元に残った。同期には4年で4、500万貯めて、二つめの大学に行ったやつもいる。そういうのを見ているとこいつの意見は、すさまじくあまっちょろいし、国から金もらってなにさらしてんじゃいと言いたい」

「働きながら大学に行っている人たちはいっぱいいます。私も働きながら大学を卒業しました。4年間の学費は借金もせずに自分で働いたお金で支払いました。そんな人たちは私の大学の友人の中にはたくさんいます。自分が努力もせず政治の責任にするこいつらはいったいなんなんですか」

 非難されているのに、なぜか読んでいて涙が出た。僕のような人間が煩わしい気持ちもよく分かる。でも僕は決して彼らと対立したいのではない。

 僕だってこれから先、20年ほどかけて奨学金を返していく。今だって時間を見つけては少しでも稼いで、できるだけ早く完済できるように準備を進めている。返済する気がないと思っている人もいるようだが、全くそんなことはない。借りたものは返す。当然だ。

 あくまで僕が問題にしているのは、この日本社会において、教育の機会をもっと開かれたものにしていく必要があるのではないか、ということだ。

 僕が奨学金を返したくないとか、返済が不安とかそういう話ではなく、この社会のあり方について問うているのだ。

 問題を客観的に見るために、教育の機会均等を達成しようという国際的な動きと、日本の状況を照らし合わせてみたいと思う。国際人権規約・A規約の第13条2項(c)には次のように書かれている。

「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」

 国際人権規約が採択されたのは、今から半世紀以上も前、1966年の国連総会だ。日本も1979年に批准したが、中等・高等教育の段階的な無償化については長らく留保してきた。その方針を2012年9月に撤回し、高等教育まで含めて、教育の機会を開かれたものにしていくことを国際社会に示した。

 それからすでに5年近くが経とうとしている。この間、それぞれの大学で授業料免除のあり方が見直されたり、給付型奨学金が創設されたりと、前向きな取り組みが進められている。しかし現状は依然として厳しいままだ。

 安倍総理は、憲法改正の文脈の中で、高等教育の無償化に積極的な姿勢を見せている。先日5月3日には、2020年に憲法改正を実現させたいとする意向を示すとともに、「高等教育についても全ての国民に真に開かれたものとしなければならない」と述べている。

 高等教育無償化のために憲法改正が必要だとは思えない。憲法26条には「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とあり、2項では「義務教育は、これを無償とする」とされている。政府はこの2項が高等教育無償化に差し障りがあると考えているようだが、民主党政権は憲法改正をせずに、公立高校の授業料無償化を実現した。真の目的を高等教育無償化に置くならば、憲法改正に莫大な時間的、金銭的コストをかけるよりも、法案を作ることに注力した方が合理的だ。

 いずれにしても、議論の土俵は、どのようにして高等教育まで含めた教育機会の均等を実現していくかという水準にある。そのような中、貧しい者同士で、どっちのほうが苦労しているとか、どっちのほうが努力しているとか、そういうことで争っていても仕方ないのではないかと思う。

 

諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

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