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保守派の大重鎮・西尾幹二氏「鬼気迫る安倍批判」の真意 ~ 掲載されたのは産経新聞(8月18日付)〔週刊ポスト2017年9月8日号〕

2017-08-28 20:52:35 | ネトウヨ、右翼、国家主義

NEWSポストセブンhttps://www.news-postseven.com/archives/20170828_607610.htmlより転載

保守派の大重鎮・西尾幹二氏「鬼気迫る安倍批判」の真意

2017.08.28 16:00

保守派の大重鎮・西尾幹二氏が安倍批判(写真・時事通信フォト)

 

 もともと相容れぬ敵から太刀を浴びせられるより、一度は信じた相手から裏切られたほうが、傷口は深い。ついに始まった保守論客による安倍批判は、まさにそれだ。安倍政権を信じて支え、挙げ句に裏切られたことのショックは、これまでにない強烈な批判に転じ

 もともと相容れぬ敵から太刀を浴びせられるより、一度は信じた相手から裏切られたほうが、傷口は深い。ついに始まった保守論客による安倍批判は、まさにそれだ。安倍政権を信じて支え、挙げ句に裏切られたことのショックは、これまでにない強烈な批判に転じて、首相に襲いかかろうとしている。

〈憲法改正をやるやると言っては出したり引っ込めたりしてきた首相に国民はすでに手抜きと保身、臆病風、闘争心の欠如を見ている。外国人も見ている。それなのに憲法改正は結局、やれそうもないという最近の党内の新たな空気の変化と首相の及び腰は、国民に対する裏切りともいうべき一大問題になり始めている〉

 保身、臆病風、及び腰、裏切り……激しい言葉が並んだ痛烈な安倍批判を書いたのは、保守論客として知られる西尾幹二氏で、掲載されたのは産経新聞(8月18日付)である。

 安倍首相を応援してきた保守派から批判が上がるなど、これまでなら考えられなかった。まして「新しい歴史教科書をつくる会」初代会長を務めた保守派の大重鎮である西尾氏は、かつて安倍首相に大きな期待を寄せ、5年前の第二次政権発足後には月刊誌『WiLL』に「安倍内閣の世界史的使命」という大型論文でエールを送った人物である。

 その西尾氏が、「民族の生存懸けた政治議論を」と題した痛烈な安倍批判を、保守系メディアの本流である産経新聞に掲載した。

 思い起こされるのは、戦後の保守論壇を率いた故・江藤淳氏が、1997年、小沢一郎氏に向けて「小沢君、水沢に帰りたまえ」と呼びかけた産経のコラムである。江藤氏は政治家としての小沢氏を高く評価していた。それゆえに党首を務めていた新進党が分裂危機を迎えた小沢氏の苦境を憂え、地元である岩手県の水沢に帰って他日を期すべきだ、と説いた。

 しかし、同じ産経を舞台にした政治家への呼びかけであっても、西尾氏の筆致は箴言の域を越え、「見限った」と断じるレベルにある。

 さらに西尾氏はこの9月、『保守の真贋──保守の立場から安倍信仰を否定する』(徳間書店)という著書を上梓する予定だ。そこではさらに過激な安倍政権批判が展開されている。冒頭から、北朝鮮拉致問題に対する安倍首相の姿勢をこう斬って捨てる。

〈拉致のこの悲劇を徹底的に繰り返し利用してきた政治家は安倍晋三氏だった。(中略)主役がいい格好したいばかりに舞台にあがり、巧言令色、美辞麗句を並べ、俺がやってみせると言い、いいとこ取りをして自己宣伝し、拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない。政治家の虚言不実行がそれまで燃え上がっていた国民感情に水をかけ、やる気をなくさせ、運動をつぶしてしまった一例である〉

 憲法改正、皇室問題、国土防衛など、その後もテーマを移しながら安倍批判は続く。その表現は鬼気せまるものがある。

〈ウラが簡単に見抜かれてしまう逃げ腰の小手先戦術は、臆病なこの人の体質からきている〉
〈いつもいいとこ取りをし、ウロウロ横見ばかりして最適の選択肢を逃げる〉

 そしてこう断言する。

〈安倍氏、ないし自民党は「保守」とはまったくいえない勢力だ〉

◆みんな愛想を尽かしている

 西尾氏に真意を訊ねた。帰ってきた言葉は、文章以上に辛辣だった。

「私は安倍氏については、第一次安倍内閣の頃から、おしゃべりはうまいが、口が軽い、人間が軽いと思っていました。ただ、第二次政権発足時はメディアの“安倍叩き”が凄まじかったので、彼を守ろうとする意識で抑制していたし、期待もしていたんです。

 ところが、彼はそうした保守派の過度な応援に甘え、憲法にしても拉致にしても皇室の皇統問題にしても、保守であればしっかり取り組むべき課題を何もやろうとしなかった。

 5月3日の憲法改正案の発表には決定的に失望しました。戦力の保持を認めない9条2項をそのままにして3項で自衛隊を再定義する。これは明らかに矛盾しています。しかもその改憲すら、やれない状況になりつつある。困難というべき逼迫した軍事情勢にあり、国会でも3分の2という議席を有する今の状況で改憲をあきらめたりすれば、改憲のチャンスは半永久的に失われてしまいます。こんな事態を招いた安倍首相は万死に値する」

 西尾氏の矛先は、これまで安倍批判を封じてきた保守派にも向かう。

「保守系のメディアはまったく安倍批判を載せようとしない。干されるのを恐れているのか、評論家たちもおかしいと分かっていながら批判してこなかった。しかし、本来なら保守の立場こそ、偽りの保守を名乗る安倍政権を批判しなければいけないのです。私の論文はもう保守系雑誌には載りませんが、何も恐れてなどいない。覚悟を決めて声を上げるべきなんです。

 ただ、徐々にではあるが変化の兆しは生まれています。産経新聞はこの原稿を掲載しましたし、保守派の人たちが産経に載った論考を読んで“よくぞ言ってくれた”と私に率直な感想を伝えてくる。本物の保守はみな、安倍氏に愛想を尽かしています」

◆人間性に呆れている

西尾論考の波紋はまだまだ広がりそうだ。ベテランの政治部記者は言う。

「森友・加計問題で逆風が吹き荒れる中、それでも安倍政権の支持率は30~40%台に踏みとどまっていた。安倍首相は支持率を下支えしているのが、コアな保守層だと信じている。だからこそ、保守系のメディアや評論家、ネット上で安倍支持を訴える人たちの評価を一番気にしているし、保守派からの批判を一番気にしている」

その恐れている事態が現実となりつつある。安倍政権に期待が強かった分、裏切られたと感じた人たちは強力な反安倍に回る。支持基盤である保守層が離反していけば、文字通り政権の“底が抜ける”ことになってしまう。

 江藤淳氏による小沢一郎氏への檄文は言葉こそ厳しかったが、それは期待の裏返しだった。現在の保守論客による安倍批判も、本音はそうではないのか。西尾氏にこう向けたところ、一笑に付された。

小沢一郎氏への檄文は言葉こそ厳しかったが、それは期待の裏返しだった。現在の保守論客による安倍批判も、本音はそうではないのか。西尾氏にこう向けたところ、一笑に付された。

「いや、私には江藤さんのように叱咤激励するつもりはないですよ。単純に安倍首相の人間性に呆れ、失望しただけです」

※週刊ポスト2017年9月8日号

 

 

 


【筆洗】「みんな、こいつを生かしておくと・・・」「そうだ、やられる前にやってしまった方がいい。やっちまえ」〔東京新聞 2017.8.27〕

2017-08-28 00:14:49 | 命 人権 差別

東京新聞 TOKYO Webhttp://www.tokyo-np.co.jp/…/…/hissen/CK2017082702000141.html

筆洗  2017年8月27日 

 「みんな、こいつを生かしておくとなにをしでかすかわかンねエぞ、なんしろ、宇宙人だ」「そうだ、やられる前にやってしまった方がいい」「やっちまえ」-。ト書きはこう続く。(集団の暴徒になっている)


▼一九七一年放映の「帰ってきたウルトラマン」の「キミがめざす遠い星」。テレビ放映時のタイトルである「怪獣使いと少年」の方がなじみが深いか。ただ自分の星へ帰ることだけを願う宇宙人と、それを手助けする少年にデマに扇動された一般市民が襲いかかる

脚本は上原正三さん。一つの事件を題材にしている。一九二三(大正十二)年の関東大震災の朝鮮人虐殺である。「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマにあおられた人々によって朝鮮人らが殺された。差別、人間の集団心理の恐ろしさを沖縄出身者として、この作品で描きたかった

▼その朝鮮人犠牲者の追悼式。小池百合子東京都知事は歴代知事が応じてきた追悼文の送付を今年は断った。突然の方針転換である

▼都慰霊協会主催の大法要ですべての犠牲者に哀悼の意を表しているためとは説明になっていない。「虐殺の事実を否定するもの」と批判されても仕方があるまい

▼その追悼文は日本人にとっての「お守り」だったかもしれぬ。それが失われ、かつての過ちを忘れたとき、「やっちまえ」のあの怪物がこの世に再び現れまいか。それを恐れる。

 

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【9/1関東大震災】「朝鮮人殺害はなかった」はなぜデタラメかー朝鮮人虐殺を否定するネット上の流言を検証する

2017-08-28 00:14:26 | 命 人権 差別

【関東大震災】
1923年(大正12)9月1日正午直前、関東全域と静岡県・山梨県の一部を襲った大地震による災害。震源地は相模湾。マグニチュード7.9。死者・行方不明一四万、家屋焼失四五万、全壊一三万。混乱下に、社会主義者や朝鮮人などへの不法逮捕・虐殺事件が起きた。大辞林 第三版の解説より)

 

http://01sep1923.tokyo/lies-in-20min/%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AB%E5%BF%99%E3%81%97%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB5%E5%88%86%E3%81%A7%E8%AA%AC%E6%98%8E/

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−関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定するネット上の流言を検証する−

20分でわかる「虐殺否定論」のウソ

All the lies in “denial of massacre” revealed in just 20 minutes.

はじめに忙しい人のためにかいつまんで説明


1923年(大正12年)9月の関東大震災時、混乱のなかで流れたデマによって人々が自警団を結成し、軍や警察も関与する形で、朝鮮人を無差別に虐殺するという事件が関東各地で起こりました。この出来事は、歴史の常識として中学の教科書にも載っていますが、最近、「朝鮮人虐殺などなかった」と否定する人々がいます。しかしこうした主張は荒唐無稽であり、史実・論理・常識に照らして、全く成り立つ余地がありません。そのうえ、こうした考えが広がることは、私たちの社会にとって現実的な危険をはらんでさえいます。それはなぜでしょうか。忙しい人のために、かいつまんで説明しましょう。

◉関東大震災時の朝鮮人虐殺とは?

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生。昼前という時間と強風の日であったことから火災が拡大し、東京や横浜を中心に10万5000人以上が亡くなりました。

このとき、思いがけない災害を目の当たりにした人々の間で「火災の拡大は朝鮮人が爆弾を投げたからだ」「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「朝鮮人が暴動を起こしている」といった悪質なデマが広がったのです。

デマを信じ込んだ人々は各地で武装して「自警団」を結成。朝鮮人や、朝鮮人と誤認された日本人や中国人を殺害しました。警察も数日の間、流言を信じ込んで拡散に加担してしまい、戒厳令で出動した軍もまた、殺害に手を染めました。

殺された朝鮮人の数は不明ですが、数千人に上るともいわれます。

◉関東大震災時の朝鮮人虐殺は「なかった」という人々

ところが最近、インターネット上には「朝鮮人暴動は流言ではなく事実」「暴徒への反撃だから虐殺ではない。つまり朝鮮人虐殺はなかった」と主張する人々がいます。そうした書籍も出ています。彼らが根拠とするのは、震災直後の新聞記事です。確かにそこには「朝鮮人が放火してまわる」「朝鮮人1000名と軍が戦闘/1個小隊が全滅」といった見出しが躍っています。ここにしっかりと書いてあるじゃないかというわけです。

確かにこの時期にはそうした記事が無数に書かれているのは事実です。しかし、これらの記事の存在を「証拠」として「朝鮮人暴動が本当にあった」とする主張は成立しません。

◉「デマによる朝鮮人虐殺」は歴史学の常識

まず、歴史学においては、「朝鮮人暴動というデマによって多くの朝鮮人が虐殺された」ということは、学問的には動かしようがない定説であり、明らかな史実と認識されていることを押える必要があります。日本女子大の成田龍一教授のようなリベラル派から東京大学の北岡伸一名誉教授のような保守派に至るまで、まともな歴史学者でこれを否定する人は一人もいません。保守系の育鵬社も含め、ほとんどの中学の教科書にも書かれています。

 

2008年、自民党政権下で、内閣府中央防災会議の専門調査会が作成した『1923関東大震災報告書第2編』でも、流言の拡大と朝鮮人虐殺についてくわしく書かれています。そこでは「震災直後の殺傷事件で中心をなしたのは朝鮮人への迫害であった」「軍、警察、市民ともに例外的とは言い切れない規模で武力や暴力を行使した」「日本の災害史上、最悪の事態」だったとまとめています。

内閣府中央防災会議専門調査会『1923関東大震災報告書第2編』→リンク。とくに同報告書の第4章「混乱の拡大」、同第2節「殺傷事件の発生」→PDFを参照のこと。

 

この報告は歴史学者、社会学者によって書かれていますが、こうした専門家たちは当然、最近のネット上で「朝鮮人暴動の証拠」として騒がれている当時の記事を読み込んでいるはずです。そもそもこうした記事は、どこかにひた隠しにされていた古新聞がネットに流出したのではなく、専門家が縮刷版にまとめ、専門家が研究のために読み込んでいるものです。にもかかわらず、これらの専門家たちはそうした記事を暴動の証拠として読むことはないわけです。なぜでしょうか。

◉デマが横行した震災直後の新聞

震災直後、東京では通信・交通機能が崩壊しました。東京にあった十数社の新聞社のうち、焼け残ったのは3社のみ。この3社も、取材や新聞発行はなかなかままならない状況でした。地方紙は、壊滅した東京の状況を避難民からの聞き取り取材で知ろうとしました。こうして、裏もとらずに伝聞を書く記事が氾濫してしまいます。「伊豆諸島すべて沈没」「富士山爆発」「品川が津波で壊滅」「名古屋も全滅」「首相暗殺」等です。流言をそのまま書いているのです。見てきたような朝鮮人暴動記事も、こうした流言記事の一つでした。

◉誰も朝鮮人暴徒を見なかった

1~2ヶ月して落ち着いてみれば、名古屋が全滅していないことや、富士山が爆発していないこと、首相が殺されていないことは誰の目にも明らかでしたので、これらの記事は当然、「デマだった」ということになりました。

 

「朝鮮人1000名が軍と戦闘」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった類の流言やそれを書きとめた流言記事も同じです。落ち着いてみれば、朝鮮人暴徒を「この目で」見たという人は一人もおらず、毒が検出された井戸もありませんでした。爆弾をもっているとして朝鮮人を捕らえてみれば、それはパイナップルの缶詰にすぎなかった―といった話がたくさんあります。こうして数ヵ月後には、「朝鮮人暴動」の流言や流言記事を、事実と受け止める人はほとんどいなくなったのです。関東大震災の回想の類は、有名人から無名人まで大量にありますが、90年後の今に至るまで、「数百人の朝鮮人暴徒が進撃するのを見た」とか、「井戸に入れられた毒で死ぬ人を見た」といった証言は一つもありません(一方で朝鮮人虐殺の目撃証言はたくさんあります)。そんなものは、震災直後のデマ記事のなかにしかないのです。

◉当時の公式記録もメディアも「虐殺」を記録

世の中が落ち着いてきて、一体何が起きていたのかが見えてくると、ほとんどの人が、朝鮮人暴動が存在しなかったこと、逆に罪のない朝鮮人が多く虐殺されていたことを理解します。戦前の代表的保守派ジャーナリストの徳富蘇峰は、震災火災に匹敵したのが朝鮮人大陰謀という流言飛語災だったと書き、作家の田中貢太郎は「鮮人暴動の流言に血迷った自警団の鮮人および鮮人と誤った内地人に対する虐殺事件」について記述しています。これが、震災から1~2ヵ月後の世の中の常識なのです。ある新聞関係者は、だいぶ後になって、震災直後の「朝鮮人暴動」などのデマ記事横行について、「数えるだに苦悩を覚える」と振り返っています。

 

行政当局も同じです。震災から数日間は流言を真に受ける部分もあった行政当局も、しばらく経つとそれが事実でないことを理解します。司法省の報告書は、組織的な「不逞計画」(暴動やテロのこと)は存在しなかったと書いていますし、警視庁は、民衆が朝鮮人に「猛烈なる迫害」を加え、殺傷にさえ至ったことを「一大恨事」だと報告しています。結局、残ったのは、根拠のない流言によって多くの朝鮮人が殺されてしまったという事実でした。先に紹介した内閣府中央防災会議専門調査会の報告書は、朝鮮人と、朝鮮人と誤認されて殺された日本人、そして中国人の被殺者数を、震災の死者(10万5000人)の1%~数%に上ると推測しています。

◉震災直後の記事は朝鮮人暴動の証拠になりえない

以上の事実経過を踏まえれば、ネット上に震災直後の新聞記事を貼り付けては「ここに書いてあるから実際に暴動はあったんだ」と主張する人々がいかに馬鹿げているか、分かってもらえるかと思います。

 

ちょっとたとえ話で説明してみましょう。

 

1994年、松本サリン事件がおきました。このとき、「ガレージに農薬があったからあやしい」といった理由で、会社員の河野義行さんが警察に犯人扱いされ、メディアもこれに便乗して、プライバシーまで含めて、あることないことを大量に書き、河野さんの一家を苦しめました。しかし結局、警察は彼を逮捕できず、翌年には地下鉄サリン事件が起こったことで、真犯人はオウム真理教の教団であることが分かりました。結局、河野さんへの人権侵害によって、捜査機関やメディアは深刻な反省を求めらることなったのです。

 

ところが、もし誰かが、2014年のいま、松本サリン事件直後の新聞や雑誌をコピーしてネットに貼り付け、「これを見ろ、ここに『この会社員が怪しい』とはっきり報道されているじゃないか。我々はこれまで、サリン事件の犯人はオウム真理教だという俗説にだまされてきたのだ」と主張したらどうでしょうか。

 

彼が本当に、誠実に、「サリン事件の真相を知りたい」と思うのであれば、事件直後の誤った報道、誤りであったことが明らかになっている報道に執着するのではなく、その後の事実経過を含めて検証するべきです。もしサリン事件の犯人について新説を主張したいのであれば、これまでの定説、証拠の山を否定するに足るそれなりの論証を行わなくてはならないはずです(そんなことは不可能でしょうけど)。

 

ネット上で、あるいは書籍で「朝鮮人暴動はあった」「その証拠に記事があるじゃないか」という人々が行っているのはこういうことです。彼らは「書いてあるから事実」と繰り返すだけで、震災直後の新聞がどういう状況にあったのか、そして朝鮮人虐殺問題をめぐる「その後」、落ち着いて以降の時期の行政の記録やメディアの報道、90年間に書き残された様々な証言に目を向けることは、全くしないのです。

 

そもそも、関東大震災時に朝鮮人や、朝鮮人と誤認して日本人や中国人を殺傷した事件で起訴された日本人の数は566人に上ります。一方で殺人や放火の罪で起訴された朝鮮人は1人もいません。もし虐殺否定論者が言うように、自警団が朝鮮人暴徒と戦ったのであれば、同数か、せめて半分くらいの人数の朝鮮人が起訴されてもよさそうなものです。また、朝鮮人が竹ヤリや日本刀で殺されているのを目撃した証言は無数にあるのに、朝鮮人が竹ヤリや日本刀で日本人を襲っているのを見たという証言は、震災直後のデマ記事以外にはありません。これだけでも答えははっきりしているのではないでしょうか。

◉虐殺否定論は社会にとって現実的に危険

以上見てきたように、関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する論は非常に浅はかなものですが、笑ってみすごすわけにはいかない問題性があります。ひとつは、言うまでもなく、いわれなく殺された90年前の犠牲者たちに濡れ衣を着せ、被害者を加害者に仕立てるという、非道徳的な行為であることです。

 

もうひとつは、現代の社会に危険な影響を与えるということです。災害時には、外国人や他民族、マイノリティを危険視する流言がしばしば流れます。そしてそうした差別的な流言が悲劇につながってしまう事例も、古今東西に見られます。

 

関東大震災の時に、朝鮮人が地震に乗じて暴動を起こしたのだ―というトンデモ歴史観を持つ人は、今後、大きな災害が起こった場合にも、真っ先に「外国人が暴動を起こすに違いない」と考えることでしょう。そうした流言を拡散するかもしれないし、とんでもなく誤った判断を選択するかもしれません。こうした人が増えてしまったら、社会におよぼす危険性はさらに高まります。

 

虐殺否定論の言説が広がることで、ごく普通の人々は「歴史学には『虐殺はあった』派と『虐殺はなかった』派の対立がある、真実はきっとその中間にあるのだろう」などと思うようになるかもしれません。それだけでも、結局は先に書いたような危険性に行き着くでしょう。外国人が暴動を起こすといった流言をわずかでも信じてしまう可能性があるからです。実際には、歴史学に「虐殺はなかった」などという言説の居場所はありません。虐殺否定論は、ホロコースト否定論(ナチスドイツがガス室でユダヤ人を虐殺したなんてウソだというトンデモ歴史観)と同レベルに荒唐無稽であり、同レベルに危険なのです。

 

さて、「はじめに」はこれで終わります。

「もっと詳しく話を聞きたい」という方は、次の文章へと進んでいただければと思います。

 

 

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