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南スーダンPKO、「駆けつけ警護」任務付与へ~戦後初めて、自衛隊が海外での戦闘に参加可能となる。/駆けつけ警護とは

2016-08-09 21:17:57 | 平和 戦争 自衛隊

戦後初めて、自衛隊が海外での戦闘に参加可能となります。これは日本国民が選択したのです。民間人や隊員に犠牲者が出た時、その責任は、あなたにあります。知らないでは済みません!!...
昭和おやじ 【打倒安倍政権】 @syouwaoyaji

 

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160806-OYT1T50115.htmlより転載

南スーダンPKO、「駆けつけ警護」任務付与へ

2016年08月07日 12時33分

 政府は6日、11月に南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣する陸上自衛隊の部隊に、3月に施行された安全保障関連法で実施可能になった「駆けつけ警護」と「宿営地の共同警護」の任務を付与する方針を固めた。

 複数の政府関係者が明らかにした。近く、新任務実施のための訓練開始を正式に発表する方向だ。

 安保関連法の施行により、現地で国連職員や民間人、他国軍兵士らが武装集団などに襲われた場合に陸自部隊が救援に行く「駆けつけ警護」ができるようになったほか、宿営地を他国軍と共同で警護することが可能となった。だが、政府は、7月の参院選で争点化されるのを避けるため、新任務を実施する上で必要な訓練をこれまで行わず、武器使用の範囲などを定める部隊行動基準といった内部規則の作成やその周知徹底などにとどめてきた。

 

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駆けつけ警護とは

 国連平和維持活動(PKO)など国連やNGO職員、及び他国の軍隊などが攻撃にさらされた時、地理的に離れた地域で共通の作戦に携わる部隊が駆けつけて実施する救援活動。政府は、16年夏の参議院選挙以降にPKOに派遣する部隊について、これを任務に追加する方針。実現すれば、自衛隊の活動に安全保障関連法制(安保法)を適用する初の事例となる。
駆けつけ警護」は、日本の安全保障を巡る独特の概念である。日本以外の軍隊では、作戦上の任務の一環と見なされ、特別な作戦行動当たらないため「駆けつけ警護」に相当する、特別な作戦運用用語はない。しかしながら、日本の自衛隊は軍隊ではないという建前があることから、その是非について論議されてきた。それは、警護という名ではあるが、実質的には武力を行使する救援作戦に従事することとなるからである。第三国の文民や部隊が武力攻撃にさらされている場合、当然にこれを攻撃している武装勢力がある。したがって、警護任務にあっては、現に攻撃を行っている反政府勢力など、国家に準ずる組織との戦闘行為が想定される。それは、武力行使に当たると考えられ、憲法9条に抵触する。日本が武力攻撃を受けたわけではないので、自衛権の範囲も明らかに逸脱している。これに対して、国連は任務遂行に当たって、「要員を防護するための武器使用」(Aタイプ)や、「国連PKOの任務遂行に対する妨害を排除するための武器使用」(Bタイプ)を認めている。日本がPKOなどへの協力を求められる中で、この齟齬(そご)を埋めるものとして、武力行使と武器使用をあえて分離し、「自己保存のための自然権的権利」として武器使用を合法化した。この論拠によって、PKO協力法(1992年)、テロ特別措置法(2001年)、イラク復興支援特別措置法などは、武器使用を限定し、歴代の内閣や内閣法制局も、基本的には「駆けつけ警護」は認められないとの立場に立っていた。しかしながら、そのような特殊な問題の立て方をすることは、諸外国の理解を得にくく、また心情的な見解や功利的発想などから、任務遂行においても武器使用や武力行使を容認すべきであると主張する政治家や言論人もあった。軍事的分担を日本に求める米国の意向などを背景に、集団的安全保障を自らの政治課題とする安倍総理も、かねてからこの問題について、「仲間を見殺しにしていいのか」などという主張をしばしば繰り返してきた。
15年9月に成立した安保法の一つである改正PKO協力法により、任務として定められれば、現場指揮官が駆けつけ警護の可否を判断できるようになる。日本政府は15年現在、アフリカ南スーダンのPKO国連平和維持活動陸上自衛隊を派遣している。当初は、16年5月の部隊交代に合わせて、実施計画を閣議決定し、駆けつけ警護を任務として追加するとしていたが、夏の参院選以降に先送りされることになった。任務実施について反対意見が根強くあるため、世論の注目による参院選への影響を避けることが狙いとみられる。

(金谷俊秀 ライター/2015年)

 -知恵蔵2015の解説より https://kotobank.jp/word/%E9%A7%86%E3%81%91%E3%81%A4%E3%81%91%E8%AD%A6%E8%AD%B7-882628

 

 

 

 

 

 

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【戦争を知らないあなたへ】身重で避難した東京大空襲 辺り一面が火の海、死体の山 〔週刊女性 2016.8.16号〕

2016-08-09 19:06:07 | 平和 戦争 自衛隊

週刊女性PRIMEhttp://www.jprime.jp/articles/-/7883より転載

【戦争を知らないあなたへ】身重で避難した東京大空襲 辺り一面が火の海、死体の山

 

「私ね、のんきというか、苦労を苦労と思わないのよ。嫌な思い出はすぐ忘れちゃう。でも戦争は……、戦争だけはもうたくさん。毎日のように空襲に襲われ、大好きな踊りの場も奪われてしまって。あの苦しい思いだけはね、今もずっと消えないままですよ」

 凛とした瞳の奥が一瞬曇った。ゆう子さんは13歳で家族と離れ、浅草の芸者置屋『新菊の家』に住み込みの奉公へ。唄や踊りから三味線、太鼓、笛まで3年間、稽古と個人練習をみっちり積んだ。その合間に先輩芸者の下駄を洗ったり、掃除をしたりする毎日だったが、「踊りを好きな気持ちが勝って、ちっとも苦しくなかった」とほほ笑む。

 そして1939年、16歳で芸者デビューを果たした。

「当時は芸者が300人、(料亭や待合などの)“お出先”は250軒ほどありました。それが終戦のころには10分の1まで減り、今では浅草で戦前を知る芸者は私ひとり」

 '41年に太平洋戦争が始まってからも、軍人を相手に営業を続けた。だが、戦禍が激しくなり、'44年には150年続いた花街が閉鎖に。

「ただ唄って踊って、三味線が弾けたら幸せだったのに、寂しくてしょうがなかったね。食料が配給制になり、B29が頻繁に上空を飛ぶようになってからは、街じゅうが暗い顔をしていました」

 東京大空襲の悪夢は、今も脳裏に焼きついて離れない。

「辺り一面が火の海、死体の山。もう2度と、あんな光景は冗談じゃないですよ」

 当時、長男を身ごもっていたゆう子さんは、母と在宅中に激しい爆撃音に襲われて、着の身着のまま外に飛び出した。目の前に焼け野原が広がるなか、先輩芸者から贈られた化粧鏡が頭をよぎった。

「“大事なものを置いてきちゃった”と母に言い残し、草履のまま2階に駆け上がりました。鏡を胸に抱いて一目散に外に出て、振り向いたら、家がメラメラと燃えていた。

 母と避難した小学校までの道のりには血が流れた死体、黒く焦げた死体……、見渡す限り死体が転がっていて。爆弾を受けて熱かったのか、井戸の桶に頭をつっこんで絶命している人もいました」

 容赦なく降りかかる火の粉をよけるのが精いっぱい。死体を片づける暇はなかった。

「“かわいそうに”“どうか安らかに”って思いながら、素通りするしかできなくて、本当にふがいなかったね」

 家を焼失したゆう子さんは広島に住んでいた姉夫婦の家に疎開した。乗ろうとした汽車はごった返していて、乗り口から入り込む隙間はない。

「日本の兵隊さん2人が窓から私と母を引っ張り上げてくれたの。姉夫婦もやさしくしてくれたけれど、原爆でお義兄さんが亡くなって。乳飲み子の息子と母を連れて、東京に戻ったのが終戦の日よ」

 三味線や着物などを預けていた質屋の蔵が無事で、終戦の翌年に花街が再開されると、すぐ仕事に復帰できた。

「もう70年たつのね。周りの方々に恵まれ、なんとかやってこられました。おかげで今も、お客さんとお話しするのが何より楽しいのよ。絶対に100歳まで続けたい」

 そう意気込むゆう子さんには、座右の銘がある。

「“人生うまくいくかは、自分の気の持ちよう”。でもね、戦争だけはどうしようもない。みんな苦労ばっかりして、誰も幸せになんてならない。何の罪もない人が死ぬのは言い表せないくらいのつらさがある。

 周りのみんなと笑い合って過ごせる幸せを、もう捨ててはいけません」

 

 

 

 

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【原爆・長崎】「平和への誓い」被爆者代表として井原東洋一さん(80)は安保関連法を「憲法に反する」と批判し、廃止を求めた。/ 長崎平和宣言 / 『原爆を許すまじ』 歌詞つき

2016-08-09 18:24:34 | 原爆 核問題 

 

 

被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた長崎県被爆者手帳友の会会長の井原さん(80)は、安保関連法を「憲法に反する」と批判し、廃止を求めた。

安全保障関連法を廃止することと、アメリカの核の傘下に頼らない平和を目指すことを求め、核廃絶への強い思いを宣言!


2016/8/9 「平和への誓い」長崎県被爆者手帳友の会会長・井原東洋一(とよかず 80)長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

以下、毎日新聞の記事から
式典には、核拡散防止条約NPT加盟の核保有国では露英仏の3カ国の代表が出席
NPTに加盟せず、核兵器を保有しているとされるインド、パキスタン、イスラエルの代表も参列http://mainichi.jp/articles/20160803/...
「平和への誓い」被爆者人選、突然の変更 毎日新聞2016年2月13日
 「平和への誓い」を巡っては、昨年の代表者だった長崎原爆被災者協議会(被災協)会長の谷口稜曄(すみてる)さん(87)が、安倍晋三首相も式典に参列する中、当時国会で審議中だった安全保障関連法に強く反対の意思を表明。2014年は集団的自衛権の行使容認、13年は核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で核兵器の不使用を訴える共同声明に日本政府が賛同しなかったことを、各年の代表者が厳しく批判したhttp://mainichi.jp/articles/20160213/...

 

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 我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。

http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html

平成28年 長崎平和宣言

 

長 崎 平 和 宣 言

 

 核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。

 1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、 長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。

 原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そのために引き起こされる病気や障害は、辛うじて生き残った人たちを今も苦しめています。

 核兵器は人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。

 今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。大統領は、その行動によって、自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示しました。

 核兵器保有国をはじめとする各国のリーダーの皆さん、そして世界中の皆さん。長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです。

 

 今年、ジュネーブの国連欧州本部で、核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて話し合う会議が開かれています。法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。しかし、まもなく結果がまとめられるこの会議に、核兵器保有国は出席していません。そして、会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との対立が続いています。このままでは、核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、会議が閉会してしまいます。

 核兵器保有国のリーダーの皆さん、今からでも遅くはありません。この会議に出席し、議論に参加してください。

 国連、各国政府及び国会、NGOを含む市民社会に訴えます。核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を決して絶やしてはなりません。今年秋の国連総会で、核兵器のない世界の実現に向けた法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。そして、人類社会の一員として、解決策を見出す努力を続けてください。

 核兵器保有国では、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。

 今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集してください。

 日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英知」を行動に移すリーダーシップを発揮してください。

 

 核兵器の歴史は、不信感の歴史です。

 国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。

 この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。

 我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。

 市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。

 

 被爆から71年がたち、被爆者の平均年齢は80歳を越えました。世界が「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。

 若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。

 戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度耳を傾けてみてください。つらい経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。

 長崎では、被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています。焼け残った城山小学校の校舎などを国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。

 若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。

 

 福島での原発事故から5年が経過しました。長崎は、放射能による苦しみを体験したまちとして、福島を応援し続けます。

 日本政府には、今なお原爆の後遺症に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、被爆地域の拡大をはじめとする被爆体験者の一日も早い救済を強く求めます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、世界の人々とともに、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くすことをここに宣言します。

                

2016年(平成28年)8月9日

長崎市長  田上 富久

 

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原爆を許すまじ (No A Bomb)

 

『原爆を許すまじ』歌詞

ふるさとの町焼かれ 身寄りの骨埋めし焼け土に 今は白い花咲く

ああ許すまじ原爆を

三度許すまじ原爆を

我らの町に


ふるさとの海荒れて 黒き雨喜びの日は無く 今は船に人も無し

ああ許すまじ原爆を

三度許すまじ原爆を

我らの海に


ふるさとの空重く 黒き雲今日も大地覆い 今は空に陽も差さず

ああ許すまじ原爆を

三度許すまじ原爆を

我らの空に


同胞の絶え間なき 労働に築き上ぐ富と幸 今はすべて潰え去らん

ああ許すまじ原爆を

三度許すまじ原爆を

世界の上に


(作詞:浅田石二 作曲:木下航二 出典:『原爆を許すまじ』 http://www.youtube.com/watch?v=zq9pXGShrHk

 

 

 

 

 

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トークイベントで、吉永小百合「戦後が続いてほしい」平和への思い語る (日刊スポーツ 2016.8.8)

2016-08-09 13:54:53 | 原爆 核問題 


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 日刊スポーツ・ロゴhttp://www.nikkansports.com/entertainment/news/1691000.htmlより転載

吉永小百合「戦後が続いてほしい」平和への思い語る

[2016年8月7日18時27分]

女優吉永小百合(71)が7日、東京・東池袋の新文芸坐で行われた「第五回新藤兼人平和映画祭 映画が描いた原爆の悲劇」でトークイベントを行った。

 この日は広島を舞台に原爆を描き、吉永と渡哲也(74)が主演した映画「愛と死の記録」(66年)と、原爆が投下された長崎を舞台に描き、昨年公開された主演映画「母と暮せば」が上映され、吉永が広島と長崎の原爆や戦争について思いを語った。

 吉永はトークの中で、オバマ米大統領が5月に広島を訪問し、原爆資料館を訪れたことについて触れた。「オバマさんがいらして、たくさんの人が史料館に行くようになったとニュースでも見ました。本当の意味で、核兵器がなくなる日を、みんなで作り上げていきたいと思っています」と訴えた。

 オバマ大統領は原爆資料館で自ら希望し、展示された1羽の折り鶴を身をかがめて観察したという。その折り鶴は、広島で被爆して白血病を発症後、病床で8カ月間折り続け、55年に12歳で亡くなった、佐々木禎子さんのものだった。

 吉永も、佐々木禎子さんとは深い縁があった。81年のNHKドラマ「夢千代日記」で原爆症を発症した夢千代を演じた際、被爆者団体の人から原爆詩の朗読の依頼があり、86年に東京で開かれた平和集会で朗読して以来、ライフワークとして続けている。

 その朗読を97年に「第二楽章」(広島編)としてCD化したきっかけになったのが、米のピアニスト・ジョージ・ウィンストンがギターを演奏し、佐々木禎子さんの詩を英語で紹介した米国のCDだった。「詩に寄り添うように音楽を奏でた、本当にすばらしい作品。声高じゃなくて、本当に命と平和の大切さを訴えるものができないだろうか、という思いに駆られて『第二楽章』を作った」と明かした。

 吉永が「第二楽章」を作るきっかけとなった、佐々木禎子さんの折り鶴を、「第二楽章」のリリースから約20年後、オバマ大統領が広島を訪れた際、自ら希望して見学した。

 吉永は「禎子さんが、もし生きていらしたら私より2歳上。私たちの心にいつまでも残っていますし、オバマさんの胸にも世界中の子どもの胸にも残る人だと思います」と語った。

 吉永はトークイベントの最後に、戦後71年目の夏を迎え、戦後という言葉が薄れている現状を憂え、原爆投下と終戦と同じ1945年(昭20)に生まれた人間として、戦争の悲惨さを語り継いでいくと誓った。

 「自分の年って、言いたくないですよね。だけど、45年に生まれたということで、私の年が『戦後何年』という年になっているというのは、とっても大切なことだと思っているんですね。ですから、私が幾つまで元気でいられるか分かりませんけれど、80になった時には戦後80年、90になったら戦後90年、100になったら…分かんないんですけれど、戦後100年と戦後(という言葉)が続いてほしい。そのためには、私たちが、やっぱり『戦争は、嫌だ!!』ということを、しっかり言わないといけない。思っている方たちは声に出して…と願っています」

 吉永が約40分のトークイベントを終えて外に出ると、劇場前には道路を埋め尽くすほどのファンが待ち構えており、池袋の街は一時、騒然となった。

 

 

 

 

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天皇が「お気持ち」で生前退位に反対する安倍政権や日本会議へ反論! 象徴天皇を強調して戦前回帰けん制も〔リテラ 2016.8.8〕

2016-08-09 00:15:13 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

リテラ http://lite-ra.com/2016/08/post-2481.htmlより転載

天皇が「お気持ち」で生前退位に反対する安倍政権や日本会議へ反論! 象徴天皇を強調して戦前回帰けん制も

2016.08.08
kunaichou_160808.jpg
宮内庁「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」より


 本日、公表された天皇自身の「お気持ち」を表したビデオメッセージだが、その中身は予想以上に踏み込んだものとなった。

 たんに高齢で天皇としての務めが十分に果たせなくなる懸念を表明しただけでなく、各地に出かけ国民の傍に寄り添うことこそが象徴天皇の役割であり、単純に公務を縮小するのは「無理があろう」と明言。「摂政」をおくという措置に対しても違和感を表明した。また、昭和天皇の崩御のときに起きた自粛が再現されることへの懸念を示し、大々的な葬儀についても「避けることは出来ないものか」とはっきり意思を表した。

 これは、明らかに安倍政権の周辺から出てきている「生前退位反対論」を牽制する意図があってのものだろう。

 実は7月にNHKが「生前退位ご希望」の第一報を打った際、菅義偉官房長官は報道に激怒し、そのあとも政府関係者からは「生前退位は難しい」という慎重論ばかりが聞こえてきていた。「国務を減らせば済む話」「摂政で十分対応できる」、さらに「天皇が勝手に生前退位の希望を口にするのは、憲法違反だ」という声も上がっていた。

 また、安倍政権を支える「日本会議」などの保守勢力からはもっと激しい反発が起こっていた。たとえば、日本会議副会長の小堀桂一郎氏は産経新聞で「生前退位は国体の破壊に繋がる」との激烈な批判の言葉を発している。

「何よりも、天皇の生前御退位を可とする如き前例を今敢えて作る事は、事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻である。全てを考慮した結果、この事態は摂政の冊立(さくりつ)を以て切り抜けるのが最善だ、との結論になる」(産経新聞7月16日付)

 安倍政権の御用憲法学者で、日本会議理事でもある百地章・日本大学教授も朝日新聞にこう語っていた。

「明治の皇室典範をつくるときにこれまでの皇室のことを詳しく調べ、生前退位のメリット、デメリットを熟考したうえで最終的に生前譲位の否定となった。その判断は重い。生前譲位を否定した代わりに摂政の制度をより重要なものに位置づけた。そうした明治以降の伝統を尊重すれば譲位ではなくて摂政をおくことが、陛下のお気持ちも大切にするし、今考えられる一番いい方法ではないか」(朝日新聞7月14日付)

 安倍首相の周辺や日本会議が生前退位をヒステリックに否定したがるのは、それが彼らの極右思想の根幹と真っ向から対立するものだからだ。

 そもそも生前退位というのは、江戸時代後期以前の皇室では、しばしば行われていた。ところが、明治になって、天皇を頂点とする国家神道を国民支配のイデオロギー装置にしようと考えた政府は、大日本帝國憲法と皇室典範によって、この生前退位を否定、天皇を終身制にした。「万世一系」の男性血統を国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、途中で降りるなどということを許すわけにはいかない。終身制であることは不可欠だった。

 それは、この大日本帝國憲法の復活を最終目標にしている安倍首相と日本会議も同様だ。周知のように、自民党の憲法改正草案でも、日本会議の「新憲法の大綱」でも、天皇は「国家元首」と規定されている。彼らが天皇を神話的な存在に戻し、国民支配の装置として再び政治利用しようという意図をもっているのは明らかであり、生前退位を認めるというのは、その目論見が水泡に帰すこととイコールなのだ。

 しかし、天皇は今回のメッセージで、こうした日本会議や安倍首相が狙う戦前的な天皇制復活、天皇の国家元首化をきっぱりと否定した。

 それはたんに生前退位を示唆しただけではない。天皇はメッセージの間、何度も「憲法」「象徴」という言葉を口にした。

「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」

 さらに、天皇は「天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には」と、天皇を「機能」という言葉で説明した。

 つまり、「象徴天皇」があくまで国民の総意にもとづく「役割」であり、国民の声を聞き寄り添う「機能」を有している必要がある、と語ったのだ。そして、その“日本国憲法下の象徴としての天皇”のあり方を守るために、生前退位の必要性を示唆したのである。

 これは天皇を「国家元首」とする改憲をめざし、「万世一系、男系男子」にこだわる安倍首相や日本会議にとっては、ありえない言葉だっただろう。

 実際、この「お気持ち」表明の後、異常な早口で通り一遍のコメントを読み上げる安倍首相の様子は、明らかに不本意なときに安倍首相が見せるいつものパターンだった。

「安倍首相やその周辺の右翼連中はもともと、天皇陛下のことを『ヴァイニング夫人に洗脳されている、国体の破壊者だ』と言っていたくらいで、天皇陛下のお気持ちなんて一顧だにしていなかった。生前退位や女性宮家の問題もずっと裏で要望を出されていたのに無視されていた。それが今回、天皇に『国民へのメッセージ』というかたちで、問題を顕在化されてしまったうえ、憲法と象徴天皇制のありようまで語られてしまったわけですからね。いまごろ、はらわたが煮えくりかえってるんじゃないでしょうか」(ベテラン皇室記者)

 天皇が今回、この「お気持ち」を公表した裏には、単純に高齢化への不安から生前退位を実現したいという以上に、天皇という存在が皇太子の代になっても政治利用されないよう「日本国憲法における象徴としての天皇のありかた」を伝えておきたいという気持ちがあったと言われている。

 戦前回帰を企図する安倍政権がすんなりと生前退位を認めるとは思えないが、少なくとも国民にはその思いは伝わったのではないだろうか。
エンジョウトオル

 

 

 

 

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