コトノハコウタ

総合芸術至上主義。
80年代中心に洋楽の和訳をしてます。
和訳一覧は「索引」カテゴリへどうぞ。

「私にしか出来ない」の実体は

2016-11-26 11:25:29 | 雑感
モノも情報も手にしきれないぐらい溢れ返っている今の世の中で、
「無い」を選ぶのは最大の贅沢のような気がする。

だからミニマリストが流行り、
また効果を実感する人も多いんでしょう。



もはや私のどん底が始まっていた二ヶ月前、
連休を使って兄B(ドラクエ風表記)が遊びに来ました。

その頃の私の部屋の状態はひどいもんで。
マットレスをフローリングに敷いてそのまま寝てるんですけど、
それを島として、常に周りに物が散乱してる状態。
その二週間前には友達が泊まりに来ていて、
さすがにその時は片付けたにも関わらずです。
でも本当に元気が無くて、どうにもなりませんでした。
部屋の状態は心の状態を表すとは
よく言ったもんで、まさにその通りです。

その様子を見て、「小唄大変そうだなあ…可哀想に…」って
しきりに兄Bは言っていました。
自分も大変なのに、優しい兄です。


あの頃はただ安易な快楽を求めて、
スマホを深夜2時3時まで見てから寝ていました。
もちろん次の日も出勤で、普通に考えれば寝るべきなのに。
さらには昼食のついでに、
必ずお菓子を買って帰らないとダメだったな。
夕方に甘いもの押し込めないと、やってられなかった。
そんぐらいストレスを抱えてて、
何とか補おうとするその行動でさらに駄目になっていく。
完全なる負のループでした。

本当に何もやる気が起きなかったですね。
仕事休むようになってもしばらく状態は変わりませんでしたが、
見兼ねて兄Bとは別方面から喝を入れてもらったお陰で、
今はこうして大分立ち直れました。
いつもありがとう。
私に一番効く言い方をピンポイントで
突いてくるもんだから恐ろしいよ。



実は私にとって部屋の整理というのは
一番苦手なくらいの事なんですけれども、
そっから取りかかったお陰で、
最近は生活がガラリと変わってきた感覚があります。

第一にフットワークが軽くなった。
何か作業してても、
あれまだこれしか時間経ってないって思う事が多くなった。
効率良く動けてる証拠です。
そして今は、さて次へ向けてどうしようかと
改めて考えさせられてる状態です。



「私にしか出来ない事」
今まで探し求めていたそれは、
そんなものは実は、幻想に近いのだと思う。
こんな23歳の若造に出来る事なんか限られてる。
私が出来るんだから、大概他の人だって出来る。

そうなってくると、「自分にしか出来ない事」の実体は
私がこうして書く文章であったり、
他に訳す人がいても私なりに表現した訳詞であったり、
私自身が考えるその内容であったり、

究極的に言えば「私」を生きる事なんじゃないかと思う。

文章を書く事は誰にでも出来るけど、
「私の文章」を書けるのは私だけ。


生きる目的は、「生きる」ことそのもの。
大学の倫理学の授業でそう教えてもらったことがあります。
その意味が徐々に、自分の中で体感として輪郭を伴ってきました。

自分の専攻以外では、あの授業が
一番受けて良かったなあと思ってるし、
また聴いてみたいと思ってる。


他の人でも出来ることを知っていてもなお、
その中から私は何を選んで何をしていきたいんだろう。



結局何が言いたいかというと、
自分からだけは永遠に逃げられないということ。
他の誰でもなく自分として、
持ち札を使って生きていくしかないということ。
諦めのニュアンスではなく、
それが次へ進むにあたって大事な様な気がする。

モノを持たないミニマリストが豊かなのは、
余分なモノを最大限に無くしていった結果、
自分だけが残るからだと思う。

自分と向き合って、対話せざるを得なくなるから。
ポジティブな言い方をすれば、外部に振り回されること無く、
自分との時間を思う存分取ることができるから。


私も少しスマホを置いといて、
ぼーっと自分を知る時間を取ろうと思うのです。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 記憶の固執 | トップ | ご覧いただきまして誠にあり... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。