瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第37話―

2007年08月18日 21時50分33秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
関東では漸く雨が降って、気温が少し下がったね。
冷房無しで過せるのは久し振りだ。
しかしこういう、気温が大幅に変る時というのは、体調を崩し易い。
お互い注意した方がいいだろう。

所で日本には誠に多くの怪談が有る。
集めれば百と言わず、千も万も語る事が出来るだろう。
そしてその多くは、日本原産のものではない。
では何処の産かと問われれば…無論断定は出来かねるが、しかし実は殆どが中国伝来のものだそうで。
怪談だけでなく、実在上の人物伝にまで、中国発の物語は影響を及ぼしている。
その事実を強く言及したのは、明治~昭和初期に活躍した作家、岡本綺堂。
『半七捕物帳』、『修禅寺物語』の作者と紹介すれば、ああ知っていると頷かれる人は多いだろう。
氏は無類の怪談好きとしても有名で、数多く怪奇作品を著しても居る。
そして日本文学に多大なる影響を与えた中国怪奇小説を蒐集、選択し、後の世まで残した。

…前置きが長くて済まない。
今夜は岡本綺堂が残した中国怪奇小説の中から、1篇を紹介しよう。



昔中国汴(べん)州の西に「板橋(はんきょう)店」と言うのが在った。
店の女主人の名は「三娘子(さんじょうし)」――素性の知れない、三十歳あまりの独り者で、他には身内も奉公人も居ない様だった。
そんな事情に似合わず、家は甚だ富裕で在るらしく、ロバの類を多く飼っていて、往来の役人や旅人の車が故障した時等、それを牽く馬を廉く売ってやるので、世間でも感心な女だと評判だった。
主に食い物を売り、店内は幾間か設えられていた。
そんな訳で旅人の多くが此処で休んだり、泊ったりしたので、店は一層繁盛した。

或る時、許(きょ)州の「趙季和(ちょうきわ)」と言う旅客が、都へ行く途中、此処に宿を求めた。
趙よりも先に着いた客が六、七人、何れも榻(とう…寝台の意味)に腰を掛けて居たので、後から来た彼は一番奥の方の榻に就いた。
その隣は主人で在る、三娘子の居間で在った。
三娘子は客を手厚くもてなし、夜更けには酒を勧めて来たので、人々は喜んで呑んだ。
しかし趙は元来酒が呑めない性質だったので、酔いも無く騒ぐ事も無く、行儀良く控えていた。

夜の九~十一頃になると、皆は酔い疲れて眠りに就いてしまった。
三娘子も灯りを消すと、扉を閉じ、居間へ帰った。


他の客が皆熟睡して居る中、趙一人は眠られず、幾度か寝返りして居る内に――ふと主人の居る居間の方から、何かごそごそいう音が聞えて来た。

それは生物が動く様な音で、不審を感じた趙は、起上がり、隙間から伺った。

すると居間では、主人の三娘子が一枚の器を取出し、蝋燭の火で照らし視ている。

更に手箱の中から極小さな一具の鋤鍬と、極小さな一頭の木牛と、極小さな一個の木人形とを取出した。

それらをかまどの前に置き、水を含んで吹き掛けた途端、何と六、七寸程の木人形が動き出し、木牛を牽いて、鋤鍬でもって床の前の狭い地面を耕し始めた。

三娘子は更にまた、一袋の蕎麦の種を取出して木人形に与えると、彼はそれを地面に蒔いた。

するとその種は見る見る内に生長して花を着け、実を結んだ。

木人形はそれを刈って踏んで、忽ちに七、八升の蕎麦粉にした。

三娘子は更に極小さい臼を持出すと、木人形はそれを搗いて麺を作った。

作り終えると、彼女は木人形等を元の箱に収め、麺でもって焼餅(しょうべい)数枚を作った。


暫くして鶏の声が聞えると、他の客も起き出した。
三娘子は先に起きていて、灯を点すと、かの焼餅を朝の点心として、客に勧めた。
しかし趙は昨夜の事を思い起して不安を感じた為、何も食わず早々に出発しようとした。

彼が表へ出た振りして、戸の隙から窺っていると――他の客は焼餅を食い終らない内に、一斉に地を蹴っていなないた。


彼等は皆ロバに変ってしまったのである。


三娘子はそのロバを駆って家の後ろへ追い込み、彼等の路銀や荷物を悉く巻上げてしまった。

趙はそれを見て驚いたが、誰にも秘して洩らさなかった。


それから一月余の後、彼は都から帰る途中、再びこの板橋店へ差し掛かった。


実は此処へ着く前に、彼は予め蕎麦粉の焼餅を用意していた。
その大きさは、この店で出されて見た物と同様にしておいた。


趙が何気無い振りを装い店に入ると、三娘子は相変らず彼を歓待した。
その晩は他に客も居なかったので、主人はいよいよ彼を丁寧に取り扱った。

夜が更けてから、何か御用は無いかと尋ねられたので、趙は言った。

「明日の朝出発の時に、点心を頼みます……。」

「はい、はい。
 間違い無く……。
 どうぞごゆるりとお休み下さい。」

こう言うと、彼女は居間に引っ込んだ。

夜中に趙がそっと窺うと、彼女は先夜と同じ事を繰り返していた。


夜が明けると、彼女は果物と、焼餅数枚を皿に盛って、持って来た。

それから何かを取りに行った隙を見て――趙は自分の用意して来た焼餅を一枚取り出し、皿に有る焼餅一枚とすり替えて置いた。

そうして、三娘子を油断させる為に、自分の焼餅を食って見せたのである。


いざ出発という時に、彼は三娘子に言った。

「実は私も焼餅を持っています。
 一つ食べてみませんか?」

取出したのは、先だってすり替えて置いた、三娘子の餅である。


彼女は礼を言って口に入れると――忽ちにいなないてロバに変じた。


それは中々壮健な馬であったので、趙はそれに乗って出発した。

ついでにかの木人形と木牛も取って来たが、術を知らなかったので、それは用いる事が出来なかった。


趙はそのロバに乗って、四方を遍歴した。
馬は一度も誤り無く、一日に百里を歩んだ。


四年の後…彼が関に入り、華岳廟(かがくびょう)の東、五、六里の所まで来た時だ。

路端に立った一人の老人が、馬に乗った彼を目にした途端、手を打って笑った。

「板橋の三娘子、そんな姿になったか!」

老人は更に趙に向って言った。

「これにも罪は有りますが、貴方に逢っては堪らない。
 あまり可哀想ですから、もう赦してやって下さい。」

老人が両手でロバの口と鼻の辺りを開くと、三娘子は忽ち元の人の姿に戻った。

そして彼女は老人に向い拝んだ後、何処へか走り去ったのだった。



…これは唐の時代の書物、『幻異志(げんいし)』から採った話だそうだが、九州地方の昔話の中にも同様の話が在る。
また、『千夜一夜物語』の中にも、似た様な展開が出て来る。

人が動物に変化する…有得なくても不思議に妖しい話と思わないかい?


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

夜道を通る折には、絶対に後ろを振り返らないように…。
家に帰ってから深夜、鏡を覗いたりもしないように…。

それでは御機嫌よう。
また次の晩に来られるのを、楽しみにしているからね…。



『中国怪奇小説集(岡本綺堂 著、光文社時代小説文庫 刊)』より。

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