瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第31話―

2007年08月12日 21時08分45秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
待ちかねていたよ。
さあ、直ぐに席に着いてくれ給え。
今、冷たい煎茶を入れよう。

強い思いは執念と化し、それは死んだ後でも残ると、人は信じた。
…昨夜はそんな話をしたね。

死後まで残る程強い念だ。
きっと常軌を逸した力を、持っているに違いない。
並大抵の力では敵わないだろう。

…人が霊を恐れるのは、そういった理由からかも知れない。

さて今夜お話するのは、恐ろしい執念を、己の機知で上手くはぐらかした男の物語だ。
地獄の釜が開く盆を前に、是非参考にするといいだろう。



屋敷の庭で手討を執り行う事になり、一人の罪人が庭に引き出された。
そして、今でも日本風の庭造りに見受けられる様な、飛石が一列に横切った広い砂地に坐らせられた。
両腕は、後ろに括られていた。
家来達は、手桶の水と、小石を詰めた俵を運んだ。
そしてその俵を、坐っている罪人の周りにぎっしり詰込んで、身動きが出来ないように楔止めした。

主人がやって来て、準備の様子を見た。
別に申し分が無いので、何も言わなかった。
ふいに罪人が、主人に向って叫び出した。

「殿様、私がその為に、お手討を受ける事になりました罪というのは、わざと犯したものでは御座いません。
 こんな間違いを引起しましたのは、ひとえに私の酷い間抜けさからで御座います。
 前世の宿縁で愚か者に生まれつきましたんで、何時も間違いを仕出かさずには済みませんでした。
 しかし、愚か者だからといって、人を殺すのは無法です。
 そんな無法な仕打ちには、報いが有ります。
 どうあっても殿様が私をお殺しなさるなら、私もきっと殿様に仕返しします。

 ――貴方が、人に怨みを抱かせる様な事を為されるから、仕返しされるのです。

 悪には悪をもって、報いられるのです……」

どんな者でも酷い怨みを抱いている間に殺されると、その人の霊魂は殺した者に仕返しする事が出来る。

この事は、主人も知っていた。

彼は大変穏やかに――殆ど、労わる様に答えた。

「お前が死んだ後で、幾らでも好きなだけ、我々を脅かすがよかろう。
 だが、お前が本気でそんな事を言ってるとは、信じられん。
 酷い怨みを抱いているという何かの証拠を、首を刎ねられた後で見せられるか?」

「きっと、お見せしましょう」と、罪人は答えた。

「よし」と、主人は長い刀を引抜きながら言った。

「さあ、首を刎ねるぞ。
 お前の真ん前に、飛石が有る。
 首を刎ねられてから、その飛石に噛み付いてみろ。
 お前が、怒った魂の助けでそうやれたら、我々の中にも、怖気を振るう者が在るかもしれん。
 ……さあ、石に噛み付いてみるか?」

「噛み付きますとも!」と、罪人は大変怒って叫んだ。

「噛み付きますとも!――噛み付き……」


刀が閃き、シュウッと空を斬って鳴り、ガリガリ、ドサッという音がした。

縛られた体は、俵の上に、うつ伏した。


――二筋の長い血飛沫が、斬られた首から、さっとばかり迸り出た。

――首は砂の上に転げ落ち、重々しく飛石の方へ転がって行ったが、ふいに飛上ると石の上端に噛付いた。


そして一瞬の間、死に物狂いに食い付いていた後、力無くがくりと落ちたのだった。


誰一人口を開く者も無く、家来達は慄きながら、主人をじっと見た。

所が、彼はまるで気に止めていないようだった。

ただ、一番近くに居る家来の方に、刀を差し出しただけである。

するとその家来は、木の柄杓で柄から切先まで水を注ぎ、柔らかい紙で幾度も念入りに刀を拭った。


……こうして、手討の儀は、型通り終ったのである。


それから数ヶ月の間、家来と召使達は、幽霊が出はせぬかと、絶えず怯えながら暮した。
彼等の内一人として、罪人が誓った仕返しを遣り通す事を、疑う者は無かった。
そして絶えず恐怖に駆られている為に、有りもしない物を、あれこれと見たり聞いたりした。
誰も、竹の間を渡る風の音を恐れ、庭の影の動きにさえ、慄く様になった。
とうとう皆で相談した後、執念深い怨霊の為に、施餓鬼供養をして貰うよう、主人に願い出る事に決めた。


「全く無用だ。」


主だった家来が皆の願いを申し出た時、主人は言った。


「死に掛けている者が復讐したいと願う最後の一念が、恐怖の元になる事は、わしも承知している。
 しかし、この場合は何も恐れる事は無いのだ。」

家来は嘆願する様に主人を見たが、この驚き入った自信の訳を尋ねるのは、流石に躊躇った。

「いや、その訳は、極めて簡単だ」と主人は、家来が口に出して言えずに居る疑念を察して、自分の方から話した。

「ただ、あいつの断末魔の意趣だけが、まあ危険だったのだ。
 証拠を見せるように挑んだ時、実はあいつの心を、復讐の念から逸らしてしまったのだ。
 あいつは、飛石に噛付こうという一念を抱いたまま、死んだんだ。
 そして、その一念は遂げられたのだが、それでお終いさ。
 その他の事は、すっかり忘れたに違いない。
 ……だから、この事については、もうこれ以上、何も心配するには及ばないのだ。」


――果たして、死んだ罪人は、それ以上何の祟りもしなかった。


全く、何事も起らなかった。



…実に上手いはぐらかし方だと思わないかい?
人の心理を読む事に長けている主人だなと、自分は聞いてて感心してしまったね。

「祟りを為す程の恐ろしい力を持っているなら、宥めておだてて利用してやろう。」

所謂「祟り神信仰」と言うのは、日本独自の信仰で、キリスト教圏では、非常に奇異な考え方に映るらしい。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、何時もの様に、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

また1つ…明りが消えたね。

では飲み終わったグラスはそのままに置いて、家路につかれるといい。

…くれぐれも…帰る途中で後ろを振り返らないように。
深夜、鏡を覗いてもいけないよ。

それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。



『怪談・奇談(小泉八雲 著、田代三千稔 訳、角川文庫 刊)』より

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