言葉のかけら

エルヴィスのレパートリーを日本人の視点から読み取る訳詞プロジェクト「言葉のかけら」

「Tupelo Welcomes Elvis Presley Home」5−5

2010-05-22 23:00:00 | ライナーノーツ翻訳
1956年テュペロのエルヴィス − 如何にしてコンサートとインタビューはロン・ブランドンにより録音されたか (終)

あっという間に時は進み今は2009年5月。インターネット上にはエルヴィス関連の話や書籍、記事、関連サイト等が溢れかえっています。
しかし、コンサートの音声が発表されてから随分と経ち、私とは関わりのないところでフィルム映像と同期させるなどされてきましたが、この録音が如何にしてもたらされたかの物語は語られてきませんでした。

飛躍的に発展したインターネットを使うと、今度はチャーリー・ワッツを探し出すのにそれほど時間は掛かりませんでした。
彼は元気で、退職後は南部の州で暮らしていました。我々は互いのその後の人生を思う存分語り合い、53年間の空白を埋めて再開の時を心の底から楽しみました。
チャーリーは、インタビュー・テープのコピーは確かに持っているけれど、コンサート・テープのコピーは手にしたことがないと語り、(私の)話を裏付けました。つまり、エルヴィスに贈ったコピーを除けば、コンサートを収めたテープは私のテープだけなのです。
これで、(ニューヨークで会った)RCA関係者の話が本当であり、テープはずっとグレースランドで保管されていたことが証明されたのです。

私は更に、1956年のコンサート映像とRCAの音声を同期させたDVD「Tupelo's Own Elvis Presley」の注文もしました。(イギリスに注文しなければなりませんでしたが)
DVDの映像を注意深く見てもらうと、「RCA 44」型マイクがホーン・スピーカーの前で不安定に掲げられている場面が何度も出てくるのがすぐに分かりますよ。私は一つか二つの場面に自分の姿を見つけられますが、ほとんどの場面はエルヴィスやジョーダネアーズの陰に隠れているんです。
私が映っているのですからチャーリーも映っているはずなのですが、53年前のことなので、その日、チャーリーがどんな恰好をしていたのか覚えていないのです。

エルヴィスの初期コンサートの録音が世に出るまでにはそんな物語があったのです。
他の多くの重要なイベントと同じ様に、録音した時点では、そのテープが将来貴重なものになるなんて私は考えもしませんでした。
RCAが発見したテープが発表され、大勢のエルヴィス・ファンがそれを手に取ってくれたことが私は嬉しい。
その録音は、エルヴィスが幼少期を過ごした場所からさほど遠くないミシシッピ州ニュー・アルバニー近郊で育ち、後にメンフィスで暮らし、毎晩WHBQで放送されていたデューイ・フィリップスの番組を聞いていた私が、エルヴィスに初めて遭遇した記録なのです。
そしてその記憶こそが私にとって特別な意味を持っているのです。

 翻訳5-1 翻訳5-2 翻訳5-3 翻訳5-4 翻訳5-5(終)

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エルヴィス メンフィス フィリップス ミシシッピ州 グレースランド ブランドン ニューヨーク
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記憶の辿り方 (バークレー)
2010-05-23 21:30:16
>あっという間に時は進み今は2009年5月

この証言からライナーノーツは、2009年5月の時点で思い出していた記憶に基づいて書かれていることになりますので、(おそらくその後に)「elvisinfonet.com」からインタビューを受けた時点では、更に細かい話を思い出していたかも知れませんね。
http://www.elvisinfonet.com/interview_ron_brandon.html

【ロンの認識05】
1984年頃にRCAの関係者から「テープはグレースランドで見つかった」と聞かされてから、インターネットで更なる情報を得るまでの間に、ロンは自分の記憶を辿ってこのふたつを思い出したようなのですが・・・

 1.エルヴィスにテープを贈ったのはグラディスが亡くなったとき
 2.それはエルヴィスと両親が親密な関係にあったから

・・・エルヴィスにテープを贈ったことを思い出したあとに、
エルヴィスからのお礼状に同封されていたサイン付き写真を、
自分の番組のリスナーにプレゼントしたことを思い出していたのなら
先に思い出したのは「1.グラディスが亡くなったとき」の「タイミング」に思え、
LP「A Golden Celebration」でエルヴィスの両親へのインタビューを久々に聞いて
「仲の良さそうな親子」を思い出したのであれば、
先に思い出していたのは「2.親密な関係にあったから」の「理由」だったように思えます。

【ロンの認識06】
ネットを使ってチャーリーに贈ったのはインタビューのテープだけだったことを確認して、

  やはりLP「A Golden Celebration」で発表されたのは、
  自分がエルヴィスに贈ったテープだったのだ
  自分の記憶通りに、ショーのテープはエルヴィスに贈った分と
  (現在行方不明だけれども)自分のテープの合計2本だったのだ

と、「認識」していますけど・・・
ロンはエルヴィスに贈ったことも(ほぼ)忘れていたのですから
LP「A Golden Celebration」で発表されたのがエルヴィスに贈ったテープであったとしても
どこかに3本目のテープを贈ったことを忘れている可能性は否定できないのですよね。

「ロンの認識」に関する「私の認識」はこれでおしまいです。

>私は更に、1956年のコンサート映像とRCAの音声を同期させたDVD「Tupelo's Own Elvis Presley」の注文もしました。


「イギリスに注文しなければなりませんでした」との証言から、DVD「Tupelo's Own Elvis Presley」の発売時には、Memphis Recording Service からも何も受け取っていなかったようですね。また、最後に「その記憶こそが私にとって特別な意味を持っているのです」と言っているところから、CD「Tupelo Welcomes Elvis Presley Home」の発売には関わったものの、(証言をしたことに対する)対価を受け取っていないようにも見えます。


>私が映っているのですからチャーリーも映っているはずなのですが、
>53年前のことなので、その日、チャーリーがどんな恰好をしていたのか覚えていないのです。

司会者のジム・リースはDVD「Tupelo's Own」で姿が確認できますが
「チャーリーがどんな恰好をしていたのか覚えていない」との証言からすれば
インタビュアーのチャーリー・ワッツはフィルム映像どころか
写真さえも残っていないのでしょうか。
1956年秋頃にはロックンロールをオミットしていたライバル局WELOは
翌1957年の同ショーにインタビュアーを送り込んでおり、
「elvisinfonet.com」にはエルヴィスにマイクを向けている「Jack Crystal」の姿が見えます。
半世紀という時間 (エルヴィスママ)
2010-05-24 18:41:25
>どこかに3本目のテープを贈ったことを忘れている可能性は否定できないのですよね

ロンは「エルヴィスにテープを贈った時に自分用のコピーを取った」と証言していますが、
彼がオリジナル・テープを持っていたとすれば、コピーを取る必要は無いわけですから
このテープが「3本目のテープ」である可能性はありますよね。

>DVD「Tupelo's Own Elvis Presley」の発売時には、
>Memphis Recording Service からも何も受け取っていなかったようですね

Memphis Recording Service はDVD「Tupelo's Own Elvis Presley」の発売時には
ロンの存在を知らなかったのでしょうか?

>(証言をしたことに対する)対価を受け取っていないようにも見えます。

普通は証言者に対して何がしかの謝礼を払いますよね。
それを受け取れなかったのは何故なのでしょう?
安売りしない戦略 (バークレー)
2010-05-24 21:51:00
>Memphis Recording Service はDVD「Tupelo's Own Elvis Presley」の発売時には
>ロンの存在を知らなかったのでしょうか?

私は初回限定版写真集付き「Tupelo's Own Elvis Presley」を持っていませんので
MRSの認識については分かりませんけど、ロンの方からすれば無視されたように受け取っているのでしょうね。
・・・よく考えてみたら、グレースランドでテープが見つけられたときに
贈り主がロン・ブランドンであると証明できる手紙だとか
テープボックスに書かれた文字の筆跡だとか
少しぐらい残っていそうなものなんですけど、ロンはそこをつつき損ねたのでしょうか。


>普通は証言者に対して何がしかの謝礼を払いますよね。
>それを受け取れなかったのは何故なのでしょう?

いや、ほんの少しは受け取っていて、それは自分が残した功績(録音)に見合わない額であると考えて
「そしてその記憶こそが私にとって特別な意味を持っているのです」の発言になっている可能性もありますよね。
また、ほんの少しの額を受け取らずに発言した可能性もあります。
まあ、テュペロ出身の「いいひと」なんですから、最初から不思議な話では無いのかも。

・・・どこかで読んだ記憶がありますが、
確かロンはテュペロで催されるエルヴィス関連イベントにゲストで呼ばれるとか・・・
まあ、功績と「Fame and Fortune」がだんだん見合っていくのもよろしいのではないかと(笑)
遅ればせの調べ物 (エルヴィスママ)
2010-06-04 14:48:06
>1956年秋頃にはロックンロールをオミットしていたライバル局WELOは
>翌1957年の同ショーにインタビュアーを送り込んでおり、
>「elvisinfonet.com」にはエルヴィスにマイクを向けている「Jack Crystal」の姿が見えます

この写真は1956年のものではないかと。

『エルヴィス登場!!』によると
WELOの総支配人 Ernest Bowen はJack Crystalを連れてショー会場に来ていて
会見を申し込もうとテントの前をウロウロしていたら
それを見つけたヴァーノンがErnest Bowenに声を掛け、二人を中に入れたということです。
Ernest Bowenは以前、食料品と雑貨の店を開いていたことがあり
その頃食料雑貨卸売業の会社で働いていたヴァーノンが彼の店に品物を配達していたので
二人は顔見知りだったのです。
『エルヴィス登場!!』には、その場に大佐が居たかどうかは書かれていませんが、
居たとしたら二人が中に入れたとは思えませんから
舞台の準備などをしていて居なかったのだろうと思います。

エルヴィスの服装を見ると「Tupelo Welcomes 〜」と同じに思えますし、この写真はテントの中で撮られたものではないかなと。
(このシャツは、ナタリー・ウッドがくれた厚手のビロードシャツだそうです)

それから、チャーリー・ワッツが行ったインタビューは
エルヴィスと両親が揃い大佐も同席していた、非公式の記者会見で行われていたことが分かりました。
この会見には地元紙「テューペロウ・デイリー・ジャーナル」なども居ました。
『エルヴィス登場!!』にはWTUPの名は出てきませんが
「ラジオ局の会見担当者が両親に、好きなレコードはどれですかと尋ねた」
と書かれていますので、この「ラジオ局の会見担当者」というのがチャーリー・ワッツだと思います。

おお、進展が見られましたね (バークレー)
2010-06-05 14:45:12
CD「Tupelo Welcomes Elvis Presley Home」に収録されているWELOのインタビューは、
1957年のものだけど、「elvisinfonet.com」の写真は、1956年のものなのですね。

ロン・ブランドンが、これらの情報をどれほど知っているかどうか分かりませんけど
ここを読んでいるファンは、それなりに認識を深めたであろうと。
メデタシ、メデタシ。
ロンが「事情通」なところを見せていますが (バークレー)
2010-07-17 20:15:39
私は「Mystery Kisser」を正面から見たくは無かったぞと

http://www.elvisinfonet.com/spotlight_elvis_mystery_kisser.html
ジェファーソンホテルの女性 (エルヴィスママ)
2010-07-17 23:56:29
>私は「Mystery Kisser」を正面から見たくは無かったぞと

この写真は「エルヴィス・プレスリー 21歳の肖像」の中の一枚ですね。
この写真集には、エルヴィスと彼女のkissの場面を撮ったときの様子が
ワートハイマー自身の手によって綴られています。

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