f-kafkappaの日記2  ~ 緑と青の風に乗って~

放置していた「弧愁庵人の逆襲」を再開します。
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日本に原発は要らない!!

アーカイヴ・・消えた5年間のブログからバックアップされていた写真

2017年03月15日 20時24分48秒 | Weblog
巨大な松が7万本もあったんだ。
私はこの公園内にあるサッカー場で試合をしたことがあった。

高田松原


ふるさとは今もかわらず(シンフォニックVer.) / 新沼謙治


2010年から2015年までハテナというところでブログをやっていました。
肺炎を患っていた時期、震災が起き、母が亡くなり、反原発デモに夢中になって駆け付けていた、東北の被災地を暇を見つけては駆け回っていた時期のブログであり、それなりに閲覧もあって愛着を持っていました。
反原発デモにはほとんど出かけていたし、記事にも書いていました。
 ある時ハテナ事務局から
「著作権の問題があるので至急削除してください」
という連絡が入り、あわててそこを開いてみても該当するものはありませんでした。私はブログ記事にYOUTUBEの映像を多用するのでそういった関連だと思います。ただし、連絡あったところにはそんなものは無い。文面には何日までに削除しなければ法的手段に出ると書かれていました。
「あ~これは相当マークされて圧力かけてきたな」
と直感しました。
デモはほとんど参加してるし、経産省前の反原発テントにも顔を出してるし、向こうは名前も住所もすべて調べはついてるんだろうし。
実際に反原発テントの監視カメラと収音マイクは高性能で、ここに座っていた公務員の女性がそれを理由に首になったこともあります。
デモ隊の向こうには公安が撮影を続けているのですが、その数たるや10人や20人じゃないんですね。とんでもない数のカメラで参加者を隠し撮っているんです。私はそんなもの承知だからわざわざそういった人たちをコッチカラ写真に撮っていたわけです。
 こんな普通の市民がたかがブログで吠えたって何ら世間には影響力も無いのになぁ、、、と考えながらも、裁判で負けるのは必至だし、損害賠償などと金の話になるのは貧乏人の私にとっては致命傷だから結局ブログを閉鎖しました。退会するとすべての記事が消えるんですね。
数日前にも書きましたが、ちょうどブログの閲覧記録が100万を超えるかどうかの時期でした。そのあたりの数字が当局にとっては目安なのかなぁ??などと考えたりもしています。
いずれにしろ、私なんぞのブログが世間に与える影響など0ですからそんなにシャカリキになってもらっても困るなぁ、、、という感じですね。
今やっているGOOブログは比較的自由に書かせてもらえるのかな?写真の容量とか画面編集がいまいち何ですが結構気に入ってます。始めたのは10年以上前かな?ただし、ハテナブログやっているときには5年間放置でしたから、こんなに長くやっているといってもようやく100万PV。世の中にあってはどうでもいい霞のようなブログです。

そんな中で、ハテナに載せていた写真を偶然バックアップしていたフロッピーがありますので、それをGOOブログにも時々載せて記録として残したいと思います。

今日は2012年 9月大船渡・陸前高田・気仙沼の写真を
写真に出てくる奇跡の一本松は後に切り倒されサイボーグ化してまた現地に復元されましたが、これは震災から1年半を経て塩害で枯れてしまったその時のものです。当時はこれの修復にかける1000万円があれば復興費に回せ、、、というような議論もあったと聞きます。
それから間もなく、例の世界一長く巨大なベルトコンベアーが建設されて、山を切り崩し、その土でかさ上げが行われました。
その巨大さと、目のくらむような広い土地をかさ上げするという巨大事業。部外者の私は、このプロジェクトはゼネコンの儲けだけが目的じゃないかとすら感じたものですが、地元の期待はいかほどのものかは知りません。ただただ広大な市街地。そこがすべて消えてしまったわけです。
そこを全部かさ上げするというプロジェクト。完成までに何年かかるのか?完成した後、果たしてここにどれほどの人が戻ってきて街が再生されるのか、、、これは何十年後にならねばわかりません。住民は減り続けているのです。

 それから気仙沼鹿折地区に打ち上げられた大きな船。ここも街全部が流されたところです。船は5軒の地権者の上に乗っかったまま。これを震災の記録として残すかどうかも相当議論が重ねられましたが、やはり撤去されました。行くたびに船体がバーナーで切り取られて小さくなり、そこに全国からやってきた観光客?もすっかり姿を消しました。
その近くの復興商店街は土地のかさ上げのたびに移転し都合4度動いたと思います。訪問するたびに同じ店で食事をしました。海の街ですからお刺身定食がおいしいのです。

それから、一本松のそばにあった気仙中学校は廃校となったわけで、廃校が決まった後は校舎脇に「お別れボード」が置かれ、在校生、OB 、地元の方たち、全国から駆け付けた関係者の方たちのメッセージが書かれていました。涙が止まらなかったのを覚えています。このボードも数年後には無くなってしまいました。

大船渡では、一面、草におおわれた宅地跡を撮影中、そこで鎮魂の祈りを捧げる方に出会いました。
今もしかしてこの私が立っているところで亡くなられた方がいるのかもしれない。
この場所で、ほんの少し前まで様々な人たちの生活の営みが行われていたはずだ、、、そう考えると、部外者の私なぞがこうやって訪れたり、写真を撮ったりしていいものかどうか、、、、当時は相当悩んだものです。
 



































HATENAブログはある意味写真ブログのようなところで、サイズ規制がなかったので一眼レフでとったものが画面いっぱい、何枚も載せることだ出来ました。gooは会員数も巨大なところですから写真などに関してはオートマチックに縮小されるみたいです。迫力という点では劣りますが仕方ないですね。贅沢は言えません。
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2 コメント

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Unknown (マジョ)
2017-03-16 21:18:21
ふるさとは今も変わらずという曲は 曲が発表されてから少しして
私はオカリナで吹きました。
仲間に陸前高田の親族6人?くらい亡くした友がいたからです
楽譜も手に入りました
その後3年目に被災地の旅へ行った時に
ベルトコンベアーの巨体な工事を目の当たりにして
意味が解りませんでしたが、後にかさ上げと知りました
今もあの時の陸前高田の様子が目に浮かびます
私は支援した醤油屋さんがあり、そこの出店でお茶しました
モニュメントのような建物は無かったと思います
グーで大きな写真扱えるのがうらやましいです
こちらは縮小ばかりで、動画もリンクばかりです
majyo様どうも (kappa)
2017-03-16 22:12:08
モニュメントのような建物は大船渡です。
一本松の近くにコンテナ形式でお休み所を作って休憩所を営業していたのはお醤油さんでしたね。
姉が買った古民家の側のシダレ桜を見に4月後半帰郷するつもりです。大船渡、高田、気仙沼、南三陸をまた回ってきたいのですが休みがとれるかどうか、、、、、。

写真はHATENAが一番でした。
Gooには月200円か300円か支払っています。多分、、、。
何処のブログもグレードアップするといろいろな機能が使えると思うんだけれども、、、、。ま、私はこの程度も使いきれていないんですがね~。

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