KOSHIRO'S NOTEBOOK
小四郎の襤褸具
凧揚げの記憶

白川公園で見掛けた幼稚園児たちの凧揚げ会の光景。
元気に駆け回る子供たちを見ていて子供の頃を思い出した。
この子たちと同じように幼稚園に通った頃、
年の離れた兄が作ったグライダーの模型を家に近い
小学校の校庭で揚げた。
言われるままグライダーを頭の上に掲げ合図と共に手を放す。
兄が糸を持ち走った。
何度も高く揚がるグライダーが滑空し舞い降りる度に拍手をし
繰り返すうちに手違いが生じた。
自分の身体に糸を引っ掛けグライダーが壊れてしまった。
終戦直後の物不足の時代、苦労し作り上げた模型だったのだろう。
大声で兄に叱られた。
泣いたかどうかまでは憶えていないが悲しかった。

写真の凧はビニール製。
半世紀以上も前の凧は竹ヒゴの骨を組み紙張りで
オヤジの手作り品だった。
小さな弓を取り付けた凧は唸りながら空に舞った。
小学校も高学年になるとオヤジを見よう見真似で自作。
尾を何本付けようか。長くしようか短くしようか。
3本付けて1本は長くしようか等と自分で工夫しながら
作ったものだ。
遠い空まで揚げようと糸巻きに釣具のリールを流用した。
自作の凧が大空に揚がった時の感動は未だ記憶の片隅にある。

| 前の記事へ | 次の記事へ |


小さい頃はやったものです。
最近ではこうした光景を見かけることもあまりないですね。
それだけ凧を揚げれる場所が少なくなったということなのでしょうか。
凧も最近はビニール製のものが多くで昔ながらの凧は少ないみたいですね。
でもイベント会場とかへ行くとよく凧作りとかをやっているのを見かけます。
明日もサンテパルク田原へ行けば凧作り体験ができるみたいです。
凧揚げはオノコの遊びじゃなかったっけ?
オナゴは羽根つき。
昔は、なんとなく分けられていたね。
羽根つきもバトミントンに食われるように見掛けなくなった。
>それだけ凧を揚げれる場所が少なくなったということなのでしょうか。
建物が増え、送電線も増えたしね。
>イベント会場とかへ行くとよく凧作りとかをやっているのを見かけます。
>明日もサンテパルク田原へ行けば凧作り体験ができるみたいです。
家庭で親から教わる機会が減り、イベント化。
親が多忙になったのか、親は親で別の遊びに忙しいのか。
近頃、親の有りようも一考が必要だと思うことが多い。
浜松程ではないにしても田原の凧揚げ祭のことを聞くように
なったのは、そんなに古いことでもないね。
しかし、情報発信が少なかっただけの事で地元では盛んだった
ようですな。
昔から三河も凧揚げが盛んな所で
子供の頃、通学の途中に雨天以外は毎日のように大凧を揚げていた
家があって通学路に沿った窓格子に太い糸が括り付けてあった
もんです。
今でも凧に描かれていた紋章が記憶にあるんだよね。
朝出掛ける時に見て下校時にも見たから条件さえ良ければ
一日中揚がってたってことですな。