「なずなちゃんの笑顔」

絵本「なずなちゃんの笑顔」を通して
人と人が出会う場所です。

ようこそ、いらっしゃいませ。はじめに読んでね。

2007-11-24 21:51:09 | いろいろ
ようこそ、「なずなちゃんの笑顔」のページに
いらっしゃいませ。

このページはつねにトップに位置していますので、
記事の更新は二つ目からです。
どうぞ続けて下をごらんください。


このブログは絵本「なずなちゃんの笑顔」に関係して
感想や出来事やいろいろをアップしていこうと思っています。

絵本はこのページで全文を読むことができます。
カテゴリーの「おはなし」を選択していただきますと
1ページから順番にお読みいただくことができます。

2006年7月に完成したこの絵本も
第2刷も完売し、注文くださる方の声に支えられて
第3刷を迎えることになりました。

もしも、絵本の形で注文したいと思ってくださる方は
コメントでお知らせくださいね。

また、この記事はトップページですので
以下二つ目の記事から新しい記事が更新されています。
ごらんください。

このお話しをたくさんの方にひろめてくださるのは
とても嬉しいです。
しかし、商用に無断で転記されますことは
固くお断り申し上げますので、よろしくお願い致します。

*画像をクリックして頂くと大きくなります。

2006-12-16 22:37:37 | つながり
「なずなちゃんの笑顔」第3刷ができあがりました。
みなさん、本当にありがとうございます。

昨日は私の誕生日、38回目の大切な命の始まりの日でした。
そんな時に合わせるように、「なずなちゃんの笑顔」
第3刷ができあがってきました。

たくさんの方から
「お誕生日おめでとう」のお知らせが届く中で
今年とりわけ嬉しかったのは
元生徒の女の子からのものでした。

女の子って失礼ね、ある女性に訂正(笑)

中学生とずっと過ごす私にとって
時には、私の思いが伝わらずにむなしい思いをすることが
あります。
いえ、正直に言うと時にはというより
そういうことが多々あります。
そんな時に、自分に言い聞かせていることは

「この中の一人でもいいから、それが10年後でもいいから
 私と過ごしたこの瞬間を思い出してくれる人がいるならば
 私は、この仕事を続けていける」

ということです。

そして、現実にこの彼女のように
忘れずに私のことを思い出してくれて
大人になった今、私を捜し出してくれたのです。

どうやって結婚して、引っ越しもして電話もメルアドも
かわってしまった私の元に来てくれたの?と聞くと
「なずなちゃんの笑顔」が公共図書館に入っていて
それで私のことが分かったって・・・。

「あ~なずなちゃんが、絆を結んでくれた」って
また、私に大切な絆出会いをくれたと思いました。

なずなちゃんは、私に一体どれだけのプレゼントを
残してくれているのでしょう。

何度か「なずなちゃん」のお話しをする機会がある中で
「うちの子が障害を持って生まれなくてよかった」
というような言葉がありました。

確かにそうかもしれないけれど、
「大変そう」とか「かわいそう」なだけの人生ではなかったのよ。

私たちにいったいどれだけのプレゼントを残していってくれたのかを
一人でも多く、一緒に感じてほしいと思っています。

自分も含めて今ある命を精一杯きらめかせて
そして、いつかその時がきてなずなちゃんに会った時に
たくさんお礼を言いたいと思います。

世の中で言う、すごい業績や良い学校や良い会社に入る人だけが
がんばっているのではない!!
「一生懸命生きている」そのこと自体が
とってもすごくて大切なことなんだなあとつくづく感じています。




なずちゃんの前で

2006-12-02 17:55:56 | つながり
お引っ越しをしたなずなちゃんの家に
娘ひろっちと二人で遊びに行きました。

先日のりょうちゃんのお通夜の時に場所だけは
教えてもらったはずなのに
またまた迷子の私・・・。

無事になずちゃんの家につき
大好きなお花屋さんカリテスさんが
なずちゃんを思って
花言葉が「感謝」の白いレースフラワーを
たっぷりあしらったかわいいお花を
お供えして、
いろいろのご報告をなずちゃんの前でしました。

そのそばでは、妹美和ちゃんとひろっちが
遊んでいました。

帰りに今日は「なずちゃんもいたかな?」と
ひろっちに聞いてみたけども
「今日はいなかったみた~い」だそうです。

なずちゃんの家に寄る前に
入院中のゆいちゃんとまゆさんを訪ねました。
11月に17才になったゆいちゃんに
会いたくて
まゆさんの顔がみたくて出かけました。

それに、絵本を描いた三人娘がゆいちゃんへの
バースディメッセージを書いてくれたので
「やっぱり手渡したいな」と思って
出かけたのです。
まゆさんといろんなことをお話しして
帰った後
ゆいちゃんは涙を流したのだそうです。

私とひろっちが会いに来たことを
心で感じてくれているようだとのまゆさんからの
メールで知りました。
ゆいちゃん、ありがとう。
今、ここにいてくれてありがとう。

写真は、なずちゃんの前で母二人を
ひろっちが(美しく撮って!)の注文に応えて
撮ってくれました。

第2回 お話会がありました

2006-11-25 19:42:00 | つながり
11月19日(日)の午後
第2回のお話会をカフェエンジェルという
ログハウス調のお店でしました。

8月に友達が出版のお祝いだよって
リードさんという本屋さんで第一回目を開いてくれたのが
8月23日の夜だった。
約3ヶ月を経て、絵本の表紙もお色直しをして
「もう一度しようよ」の声に支えられて
この日を迎えることができました。

集まってくださった方は約25名。
この日は、なずなちゃんファミリーもはるばる
かけつけてくださり、大切な気持ちを聞かせてくださいました。

細かいお話しはおいおいアップできたらなあって
考えています。
後半の1時間半は本当に生きていく勇気と元気を
たっぷり充電したような素敵な時間でした。

そしてこの日の模様を
愛すべき友人mizuhoさんが取材をしてくださり
心をこめて丁寧に番組にしあげてくださり
11月22日(水)の夕方放送になりました。
本当は3分枠の番組を4分以上に拡大して
伝えて下さったのです。

いろんな方に感謝感謝のお話会でした。

はじめに

2006-11-10 07:04:46 | おはなし
平成17年9月
ある小さなパパとママの元に
大切な「命の灯」がともりました。

愛する我が子が風になったパパとママの元に
風にのって新しい「命」がやってくることがわかったのです。

このお話は「なずな」という
かわいい笑顔と愛くるしい表情
そして何よりたくましい生命力で
たくさんの人に
元気と勇気を運ぶ風になた女の子の物語です。

誕生

2006-11-10 07:00:53 | おはなし
平成14年9月30日 月のきれいな夜 なずなちゃんは生まれました。
体重2890g 身長48cmのごく普通の大きさの赤ちゃんです。

なずなちゃんに会う前に、ママの千なみさんは長くて苦しい何時間もの陣痛を迎えました。
皆さん、陣痛って知っていますか?

ママは、「もうすぐ会える!あなたに早く会いたい!!」と自分で自分を勇気づけ
そして、この世で一番安心できるパートナーであるパパに見守られて
この長くてつらい時間のトンネルをくぐり抜けました。
そして、「生まれた!」と喜びいっぱい手をとりあった二人でした。

ところが、生まれたばかりのなずなちゃんは
生きていくために必要な「産声」をあげることができなかったのです。
なずなちゃんはすぐに、大きな町の病院へ
生まれてたった一人で運ばれていきました。
ママもパパもそしてなずなちゃんも身体の一部が切り離されたかのように
つらくて寂しい思いをがまんしなくてはならなかったのです。
それでも、そうしなければなずなちゃんの小さな命の灯は消えてしまうということを
お医者さんだけではなくて、みんながうっすらと気がついていたのでした。

妊娠中のこと

2006-11-10 06:43:35 | おはなし
千なみママのお腹にいるときのなずなちゃんは
ママがそーっと手を当てるだけで、それがママの優しい手だと分かるのか
お腹の中からトントンとノックして返事をしてくる赤ちゃんでした。
ママはそれが嬉しくて嬉しくて
いつこの手の中に、この赤ちゃんを抱くことができるのかと夢みながら
毎日のように、そーーーっとお腹に手を当てて
二人のコミュニケーションを楽しんでいました。
パパもそんな二人のことが、うらやましくもあり、まぶしくもあり、
もうすぐ会えるなずなちゃんを抱く日のことを楽しみに待っていました。

だからこそ、目の前の小さな命の灯は何としても守らなければ!
ママのこともしっかり支えなくては!!
なずなちゃんが救急車で運ばれていくのを見つめながら
パパは心の中はそんな思いでいっぱいになっていました。

ところで、ママって誰でも
赤ちゃんがお腹にいる時って、自分が赤ちゃんを守っているという
とても不思議な力がわいてきます。
そして、生まれた瞬間にうれしさは何倍にもふくらみます。
だけど同時にこの手の中から
自分の中から赤ちゃんが離れていってしまったんだなあという
これも又、不思議な寂しさを味わいます。
どんなママでも、嬉しくて寂しいそんな時、
目の前から愛する我が子を連れて行かれてしまった
千なみママは、どれだけつらくて苦しい思いをしたのでしょうか。

闘病

2006-11-09 22:10:02 | おはなし
ここは大きな病院です。
なずなちゃんの命を守るために
小さな身体にたくさんのチューブが取りつけられました。
お薬や栄養や・・・・どれも生きていくためにはどうしても必要なものでした。

パパとママがなずなちゃんに会うことができたのは
生まれてしばらくたってからのことでした。
そしてその時パパとママは
なずなちゃんは目が見えず、耳も聞こえないかもしれないという事実を知らされました。
しかも、もっと重大なことは手術しなければならないほどの大きな障害を
この小さな心臓が抱えているということでした。

なずなちゃんの初めての手術は生まれて10日目のことでした。
小さな命を守ろうとお医者さんも看護師さんも必死の思いでした。
手術後はままでさえもほとんど入ることのできない病室で
なずなちゃんは必死に生きることに挑戦し続けたのです。

私たちが想像もできないくらいの大変な状況を
なずなちゃんはにっこりと笑顔でのりこえていきました。
何度も繰り返される手術
思うように動くことのできない病院生活の中で
それでも1日1日なずなちゃんは成長していきました。
もちろん、そばにはいつでも大好きなパパとママが
よりそってくれていました。

穏やかな日々

2006-11-09 21:54:53 | おはなし
お医者さんがこんなことを言っています。
「大人だったらこうはいかないな・・・。」
それは、どんなに体調が悪くても高い熱があっても
なずなちゃんは遊ぼうとするのです。
そばによりそって、励ましているはずのママの方が
そんななずなちゃんからたくさんのパワーをもらっていたのですね。

ママはこのなずなちゃんとの生活から
大切な大切なことをたくさん知り、
大切な大切な仲間とたくさん出会いました。
うわべだけのママ友ではなくて
心の真ん中でつながることのできる仲間達と・・・・。

何度目かの手術の後に、なずなちゃんは家でパパとママと三人で暮らし始めました。
ママは三人でお布団を並べて寝られることが嬉しくて
当たり前のことがなんて幸せなんだろうと
毎日の生活を愛おしむように送りました。

たくさんの人の中にはつれていけないなずなちゃん。
だからこそ、海や山や自然の中へ
三人でよく出かけました。
こすもす畑の中で三人でにっこり微笑んでいたのは
つい最近のできごとのように覚えています。

旅立ち

2006-11-08 22:04:59 | おはなし
そんな穏やかな生活を送っていたある日
検査の結果が二人に知らされました。
なずなちゃんが7度目の手術をしなくて「命の灯が消えてしまう」そんなお知らせでした。
ママは、「このまま一緒にいたい」と思いましたが
パパの「僕たちには、なずなの死の選択はできないよ」という
生きることに前向きな言葉に支えられて
大切な大切ななずなちゃんをお医者さん達の手に祈るような気持ちで渡しました。

長い長い1日でした。
パパとママが、なずなちゃんの元に運ばれたのはもう夜になってからでした。
なずなちゃんをお医者さんに渡してから何時間が経過したでしょうか。
手術は終わっていたのですが、なずなちゃんの小さな心臓が悲鳴をあげていました。
あふれる血を止めることができませんでした。
それは、なずなちゃんが天国へ旅立つことを意味していました。

機会に囲まれた部屋で
ママの手の中になずなちゃんは戻ってきました。
温かいぬくもりのある体でした。
ママは大切な我が子を離すまいとしっかりと抱きしめていました。
それでも、ママの手の中でなずなちゃんは天国へと旅だっていったのです。
そばには、パパがじっと二人を見守っていました。