こしだのITジャーナル

IT関連の技術屋で、たまにアメニューに記事を投稿してます

●ニセ科学批判批判?に思うこと

2007-12-10 | アメーバニュース
今回は拠所なく、立場表明を少し。

ニセ科学というのは疑似科学のことらしいけれど、そのニセ科学を批判する人たちを批判する人たち、というのがいらっしゃるらしい。この人とかこの人とか。

この人たちに関連して、たまたまこちらのブログのことを知ったので、そのコメント欄をなにげに見たところ、色々あるんだなあと勉強になりました。

で何が勉強になったのかというと、ニセ科学批判批判の人たち(ニセ科学批判の人たちではない)には非常に申し訳のない話ながら、ニセ科学批判批判の人たち(ニセ科学批判の人たちではない)というのは、純粋に現行の科学に照らして云々というニセ科学批判の人たち(ニセ科学批判批判の人たちではない)が憎くて憎くてたまらない人たちなのではなかろうか、と思うわけです。

まずはっきりさせておかなければならないのは、それらニセ科学批判の人たち(ニセ科学批判批判の人たちではない)は現時点での科学にしたがえば半端におかしいではなく絶対におかしいということを素人判断ではなく専門家として実際に検証できるので批判をしているわけで、そんなことは第三者がちらっとだけ見てもさすがに分かります。

本当はそれでFAになるはずなのに、そうはならないのはなぜかを見ていくと、どうやらニセ科学批判批判の人たちの論拠というのはこんな感じのように思う。

・それはまだ実証されていない(本当は実証されているところまでしか論議していないのにその先まで含めて全部をそういうことにするのはどうかと思うのですがorz)

・実証されていないこちらの事象はどうなるのか(実証されていないことは論議のしようがないしあちらの方々はそもそも関心がないのでは?)

・あなた方が公器である大学の関連サイト等から虎の威を借る暴挙をするのは許せない(いや大学関係者なのにわざわざ個人ブログで単なる私見ではないものを私見、という方がよほどおかしいです。。。)

これでは無限ループではないのかと、第三者ながら正直心配になる。こんな興味深いことがありました、いやそれは現時点での科学というものさしを当てると長さが足りませんよ、でなぜ終わりにならないのだろう。

最初僕はそう感じたものの、そんなことを実際に書くとニセ科学批判批判の人たちから噛み付かれてしまうだろうし、それはライターとしての僕の取材活動の妨げにもなりかねないなどと思って、正直、「色々あるんだなあと勉強になりました」で終わりにしたかった。

その後、こちらのブログ主の方とも色々とやり取りがあったのですが、いやよく読んでいただければ分かるが、炎上ではなくにぎやかな人が約一名云々、とのこと。

ええ。よく読んでいなかった、というかよく読んで自分の立ち位置表明みたいなことをあまりしたくない雰囲気、というかこちらで正確にそのいきさつを分析してニセ科学批判批判の方々に噛み付かれてもお相手をする時間は云々、という感じの安直なエントリーだったわけです最初は。反省。

しかしニセ科学批判の側の方々から「だから炎上でないものを炎上というのは如何なものか」というご指摘をいただき、ことによると炎上でないものを炎上みたいに書き立ててバラエティー記事でも書くつもりなのでは、という非常に不本意な方向に話が進んでしまうと困るので、今回は少し立場表明をさせていただいています。

ところで、このエントリーには実はこんな成立過程がありまして。。。

・某所で某氏がニセ科学関連の記事を準備中らしい

・それに対し某所で某氏が「くれぐれも火の取り扱いにはご注意を」と書いていた

・ん?火の取り扱い?そんなに大層な事なのか?

・だんだんそんな気がしてくる。やはりそうかそうなのか。。。

・ニセ科学批判批判派の、にぎやかな人約一名を発見←いまここ

 ***

ところで話は変わるけれど、火の取り扱いというとやはり炎上のことが気になってしまう。

思うに、炎上というのは起きるべくして起きるのであって、それが故意であれ偶然であれ、炎上しようがないものはどうやったって炎上しないし、炎上してしまうものというのは遅かれ早かれ炎上することになっているのではないかと思う。

そう考えると「炎上=故意の叩き」論はやはり当たらないと思い始める。叩く側が制御できるのはせいぜい叩く強度や叩き方であって、仮にその人たち全員が叩くのをその場でやめても、いずれ他の人たちがそれを見つければ叩きは再開されるような気がする。

つまり「可燃物」であればいつでも燃える可能性があるし、「強然性」「発火性」のあるものは厳重に管理でもしない限りいつか必ず火がついてしまう。

で結論は何かというと、ニセ科学もニセ科学批判もニセ科学批判批判も、どう考えても「強然性」あるいは「発火性」の「可燃物」なんだと思う。

では、ニセ科学やニセ科学批判やニセ科学批判批判のどこが一体「強然性」「発火性」の「可燃物」なのかについては、そうですね。また今度ということにしたかったのだけれど、はっきり言って「強然性」「発火性」の「可燃物」とはニセ科学批判批判の人たちではなかろうか、というのが現時点での僕の個人的結論です。うん。

#もっとも僕は最初、正直なところ、ああ科学者の先生たちも人間で熱くなることもあるんだなとも少し感じました。しかしそれはかの人々の職業的思考法のいわば延長線上からくるものであって、科学のものさしで測ってこれこれの長さでした、ということを科学以外のものを持ち出されて足蹴にされてしまえば、それは熱くなって当たり前だろうなと思い直しています。

#この点、コメント欄で紹介のある津村先生のスタンスは僕的にはよく理解できます。ただそれはニセ科学批判を科学者として行なっている他の人々からすれば、だったらニセ科学批判批判の人たちを喜ばせるようなことをせず、お望み通りに粛々とご自分の専門分野のことだけをされていればいいのに、と言われてしまうだろうとも思う。

#ここまで話が進んだのであえて正確に述べると
 ニセ科学−「強然性」の「可燃物」。突っ込まれても仕方がないという意味で。
 ニセ科学批判−「可燃物」。ニセ科学批判批判の人が黙っていないので。
 ニセ科学批判批判−「強然性」の「可燃物」。突っ込まれても仕方がないという意味で。
 ニセ科学批判派の方々−「可燃物」。職業柄、応じないわけにはいかないので。
 ニセ科学批判批判派の方々−「強然性」「発火性」の「可燃物」。つまりすべての火元。
 この場合の私的な炎上の定義−ニセ科学批判批判派の方々が本来不要な発言を始めた時点から。
 炎上の例外−当事者の目から見た実情としては炎上ではなく「にぎやかな人約一名」。

#通常の炎上の定義であれば「投稿者の数」という要素は無視できないのでは、というご指摘もいただき、これには同意せざるを得ません。この点からすれば、上記炎上はすべて炎上ではありません。加えて「言葉遣い」「論理性」という要素についてのご指摘もあり、これは数量化がどだい不可能なので、炎上という現象の明確な定義の難しさを改めて感じさせられます。。。

というわけで、ニセ科学批判の皆様も、ニセ科学批判批判の皆様も、皆様本当にお疲れ様です。。。 もっとも願わくは、ニセ科学批判批判の皆様は、ニセ科学批判の皆様の土俵に最初から上る気がないのであればご自分のブログで別土俵の話をのたまわれるか、やはり科学者となって大学関連のサイトあたりから同じ土俵でそれをするといいのではとも思います。いや皮肉ではなく。

僕もこの立場表明で時間やエネルギーが奪われ少しだけ疲れたものの、後悔はないしむしろ良かったような気がしています。もっとも、僕は科学者ではなくてライターなので、ニセ科学批判批判という社会現象とそれを行なう人々とそれを行なわせている背景には大いに関心を寄せていたりするのですが。

いや、「越田」の名前ではその手の記事が載ることはないでしょう。アメニューはそういう媒体ではないのです。その点はご了承いただきたく。:)
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78 コメント

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こちらもどうぞ。 (ゆかりたん♪)
2007-12-10 23:19:08
技術系サラリーマンの交差点
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_a5a6.html
責任…。 (というか)
2007-12-11 10:38:18
炎上はもともと失火責任も何もないのではないかと。
自己責任はあるでしょうけど…
OMNねたですが (monkey)
2007-12-12 22:01:30
産婦人科医師不足、医学生はどう見る?
横浜市大生がアンケート、臨床実習を境に違い
軸丸 靖子(2007-12-09 14:10)
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071208/18277

のコメント欄 #8
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071208/18277/comment/8
kosuke 12/10 18:42
>「たらい回し」の単語は、学生たちが迷いながら、
>「世間の耳目が集まるなら、扇情的でも使った方がいい」と判断、
>産婦人科講座の講師も同意したと話していました。

なども「炎上」ネライ?と、気になったり。
このコメントへの理解を示しているのであれば、記事中に明記しておけばよかったのに…。または(アナウンスをキチントすることが前提だけど)、記事を更新するとか。
ちょっと違う。 (えーと。)
2007-12-13 06:42:08
「科学でない。科学的に正しくない」と指摘することを問題にしている訳ではない。
さらには、世の中の主張のほとんどは「科学でない。科学的に正しくない」訳です。

【批判】と言う語は「科学である。科学的に正しい」と【誤解】されていることに起因する。
ところが、【誤解】されているという部分を科学的に検証しようという試みがなされているように見えない。
そうであるなら、【誤解】されているという認識は科学的な主張ではなく、その科学的でない認識が批判の根拠になっている。

「批判の論拠が科学的なものではない」ということがもし隠されてしまうなら、ニセ科学批判はニセ科学であると言うのです。
追記です (えーと。)
2007-12-13 06:57:46
「あるものを科学的でないと指摘する」だけならニセ科学批判ではない、と思います。
ある科学的でないものが【科学的であると誤解されている】ということが、批判の前提なのです。

【誤解されている】ということを科学的に検証することがニセ科学批判なのだ、と言うのならば、ニセ科学批判は科学的な営みであると言えます。
しかし、多くのニセ科学批判はそのようなものではなく、科学の営みから逸脱しています。

私の主張の大きな部分は、ニセ科学批判(=科学の営みから逸脱しているもの)が科学的な営みであると誤解されるなら、それはニセ科学であるということです。
原罪ですかorz (えーと)
2007-12-13 10:43:42
原罪=必謬性=現代科学はすべて間違い、という話であればそれは原罪という言葉の誤用ではないかと。ご自分で原典に当たればこんな誤用は出てこないと思われ。

まずは「罪」に当たる原語の意味を調べてから引用されたらいいですよ。示唆されているのはせいぜい、神の基準に達しない、ということだけで、いつも必ず間違う、という話とは全然違います。

もし科学ではなく宗教?をよりどころにされたいなら、もう少し宗教を勉強した方がいいかもです。
Unknown (apj)
2007-12-13 10:59:30
>ところが、【誤解】されているという部分を科学的に検証しようという試みがなされているように見えない。

 そりゃ当たり前。その「誤解」自体は科学の枠組みに入るような代物ではなく、「夢見てないで教科書読んで勉強しろ」で終わるような話だから。
追記ですw (えーと)
2007-12-13 11:48:43
原罪論からすれば、だから人はやはり神に従う必要がある、とか、だから人の救いには神の力が必要、というのが結論であって、人間のくせに人間を批判するな、というのは気を付けて使った方がよいですよ。神ならともかく。

神は罪人であるすべての人間を叱責?しているのであって、ニセ科学批判の人々をのみ叱責しているわけではないという。お互いに神から叱責されないように気を付けましょう。

もし神に代わって自分が叱責、ということであれば、まずは原典に当たらなくては。
APJ様 (エート.)
2007-12-13 12:24:03
完全な誤読ですね。

ある特定の科学ではないもの(=例えば、血液型性格判断)が「科学であると社会的に誤解されている」という状況にあるのか?、どうか?を社会科学的に検証していますか?、という話ですよ。

主流はあくまで「話のネタ」や「占い」として広まっているのであって、真面目な科学的な議論と受け止められて広まっているのでない、と【私】は思います。

「話のネタ」に対し、それが科学的でないことを指摘するのは別に構いませんが、科学的でないと非難することは不適切である、という訳です。
APJ様―その2 (エート.)
2007-12-13 12:48:03
あるものを【科学的でないと指摘する】ことがメインである限りは、その活動は科学的営みです。

しかし、【科学でないものを科学であると誤解させて騙している】という主張(批判の前提)は、
(その事実を社会科学的に検証するといった活動でない以上は、)科学の営みを逸脱しています。

ニセ科学批判が科学の営みではないということ自体は、特に問題でありません。
しかし、ニセ科学批判が科学的営みであると誤解をさせるのなら、ニセ科学批判はニセ科学です。
MIYADAI.com Blog (えーとす)
2007-12-13 13:51:05
本質論的には「分別の恣意性」や「人知を超えた摂理」即ち原罪論ゆえに、高々人為に過ぎぬ宗教的世直し(怒れる神父)を教会は正当化できない。世俗の知恵的には、体制反体制を問わず特定の政治勢力への加担は、社会の変転で教会の存続を危うくする。だから宗教的世直しに乗り出す「怒れる神父」は、異端審問を通じて教会から放逐される以外ない。
バカがいた? (ニュース性皆無)
2007-12-13 14:09:07
普通の科学者を代表して、おバカなニセ科学論者を叱責しているんだろう
普通の宗教家が、おバカな宗教家を叱責するのと同じ話ということも読めませんでしたか
Unknown (apj)
2007-12-13 18:01:48
>【科学でないものを科学であると

 ニセ科学であるかどうかを考えるときに問題にするのはこの部分だけ。

>誤解させて

 誤解させているかどうかは問題にしていない。結果として誤解する人が居るかもしれないが、ある言説をニセ科学ではないかと指摘することとは直接の関係がない。

>騙している】

 結果として騙される人が居るかもしれないが、これも、ある言説をニセ科学ではないかと指摘することとは無関係。「騙している」というには少なくとも故意が必要だが、ある言説がニセ科学かどうかを議論するときに、故意か過失かなどそもそも問題にしていない。


>という主張(批判の前提)は、

 仰ったことの半分以上が前提ではないので同意できません。
ってか、勝手に前提を作るのはやめてください。

>(その事実を社会科学的に検証するといった活動でない以上は、)科学の営みを逸脱しています。

 前提が半分以上違っているので、この結論はあてになりません。
Unknown (apj)
2007-12-13 18:11:50
>科学的でないと非難することは不適切である、という訳です。

 科学的でないと非難している例はありますか?「科学的であるという外見を装っているが、それは実は違う」とか、「統計処理の意味やらやり方を間違っているので結論に意味がない」といった指摘なら山ほどありましたが。

 ニセ科学批判(と括っていいかどうかはさておき)の一部を実行している者としては、「科学的でないと非難する」ことはしていないので、何とも答えようがありません。少なくとも私はやっていません。「それは科学ではない」「科学であると誤解しないように」とは言い続けていますが。
 なお、それなりの外見を備えた話(統計処理やら実験やらが混じっている)を科学であると誤解する人は必ず出てきます。わかり切った話に対してニセ科学だよと指摘することは、「野暮」ではあるかもしれませんが、社会科学的に検証云々とは結びつきません。よくわかっている人が「野暮だなあ」と苦笑していれば済む話です。
「APJ」chanさんへ (エート.)
2007-12-13 21:48:26
科学でないというだけのことなら、【ニセ科学】ではなくて、【非科学】ではないのですか?
ニセ科学と言う場合、それは(非科学であるにも拘らず)「科学と誤解させる」ということでしょう。

日常的な場面では、発言のほとんどは非科学的発言です。
あるものがニセ科学であるという主張(批判の前提)は、「科学ではない」というよりも、「科学と誤解させる」という部分にこそ重要なポイントがあります。
そのポイントが(社会)科学的な認識ではない場合には、批判の重要な前提が科学的でないものに基づいている、ということです。
そのこと自体は構わないのです。問題は、ニセ科学批判が「科学の営みである」ともし誤解されるとするのなら、それは問題であると言うわけです。

以上が誤解であると言うのなら、「ニセ科学」等という呼称は引っ込めては如何でしょう?批判という言葉も誤解を招きそうですね。

追記:ところで、科学でないと指摘しているだけのようには見えないんですけど…
> ダウンの人々が法律を遵守したまともな宣伝をすることなんざ期待できない
http://www.i-foe.org/h19wa1493/suitor/k04.html
ahopajさんの主張 (石田)
2007-12-14 09:17:54
これのどこが、【科学でないと指摘しているだけ】なんでしょうねえ?

> 私は、これまで、主に水関連を中心にして、怪しい宣伝の批判活動をやってきました。
> 個別の事例に踏み込めば、必然的に誰かの商売に差し障ることになります。
> ・ニセ科学宣伝を信じて物を買うことで消費者が被害を受ける
> ・事業者の開発が間違った方に進んだり止まったりすると、いい製品が出てこなくなり、間接的に消費者も損をする。(社会全体としての損)
> 他人を騙す宣伝で商品の差別化をした(ように見せかけた)時点で、社会的な規範からは外れています。
> 私は、被害防止(これは、消費者と研究者と社会的なものも含んだ被害防止です)活動のためにニセ科学批判をやってみたら、同じニセ科学の内容を信じる人が多数居る上に、新しいニセ科学もどんどん出てくるという現実に直面したわけです。
> 実体があやふやなものに対し「これは科学である」というレッテルが先に貼られているという現実があるんですね。
> やって(社会的)意味のある批判は、法的紛争に直結していますので、最後は法廷に出て訴訟に対応する覚悟のある人しかやっちゃいけないんです。

Posted by: apj | 2007.08.26 at 05:31 PM
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_05f4.html#comment-15176263
関連エントリー:
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7140
MIYADAI.com Blog? (えーと)
2007-12-14 13:43:45
怒れる神父ですか。確かにいまどき流行りませんね。まだそういう方々がいらっしゃるのは存じていますが。ところでここ数十年の解放の神学関連の経緯等、ご存知で引用しておられましたか?

どちらにしてもやり過ぎです。原典に当たれば明らか。そんなことはカルバンの実験でとうに答えが出ているのでは。

というか科学のお話でしたよね?
誰かいましたか? (ニュース性皆無?)
2007-12-14 14:04:31
タイトルは良識ある皆さんの発言にふさわしくないようですので訂正しました。失礼。

> 普通の宗教家が、お○○な宗教家を叱責
分かってお使いになっておられるのか少し不安です。カルトを叱責、というと分かりやすいですが、ルターにすれば当時の教皇は叱責に値し、教皇側にすればルターは叱責に値しましたが、どちらが普通の宗教家だとお考えでしょう? いや、答えを求めてお尋ねしているのではないですよもちろん。むしろ、不用意に答えを出さない方がよろしいでしょうという。

もっとも原典に当たれば、誰が正しいかは第三者でも明らかになりますが。

どちらにしても、もっと別のものを拠り所にされた方がいいような。宗教、ことにある程度確立された宗教を引き合いにして無関係な自身の主張を強化し相手を糾弾しようとすると、こういった反応にまた直面してしまうかもです。どうぞご注意あれ。
バカがいた? (MIYADAI.com Blog)
2007-12-14 16:41:06
チャーチのテレビ牧師が祭壇上のビンラディンやフセインの肖像をさして「これが悪魔なのです」と絶叫して信者が号泣するといった光景。日本や欧州ではあり得ません。悪を遠ざけ善を行なえと諭しても、何が善で何が悪かを、神父や牧師が具体的に指さすことはありません。
また誤解ですか? (比ヤング)
2007-12-14 16:59:34
>というか科学のお話でしたよね?

いいえ。それが全くの誤解なのです。
ニセ科学批判は科学ではありません。
もちろん、ニセ科学やニセ科学批判批判は科学ではありません。

しかし、科学ではないことは問題ではありません。
科学である、という誤解を問題にしているのです。
バカの主張… (比ヤングはバカw)
2007-12-14 17:11:53
バカの主張を要約すると…

1.血液型性格診断は科学ではない。もしもそれが科学であると誤解されるならば、【血液型性格診断】はニセ科学である

2.ニセ科学批判は科学ではない。もしもそれが科学であると誤解されるならば、【ニセ科学批判】はニセ科学である
念のため (比ヤング)
2007-12-14 17:24:35
ニセ科学批判の活動が無意味だと言っているわけではない

ニセ科学批判は科学ではない。もしもニセ科学批判が科学だと誤解されるなら、『逆にニセ科学を生産してしまう』ことになる

だから、ニセ科学批判は自らが科学だと誤解されることがないように行う必要がある
にぎやかですね (石田剛)
2007-12-14 18:45:20
「石田のヲモツタコト」の中の人してる石田剛です。
こしださんのこのブログは、増田美智子さんのエントリ以来、ときどき読ませていただいてました。
http://blog.goo.ne.jp/koshidasui/e/6210c5b17bc1269bbb506562e88fdd3c

2007-12-14 09:17:54 の書き込みをされた「石田」と名乗ってる方は、 URL に id:muroikensuke さんのブログの URL を入れていますね。
この方が id:muroikensuke さんご本人であっても、本名が「石田」なのであっても、このようなことをするのは不適切だと石田は考えます。

あと、他人のハンドルネームを改変して侮辱するなんてのは、子供のすることですね。みっともないからおやめになられた方がよいと思いますよ。

石田はこんな一意性の低い名前でやってるものですから、よそのブログにコメントするときは、(うっかりしてない限り)フルネームと URL を書いとくようにしています。
そうでないものは別人とご判断いただければ、石田としては好都合です。
仮名です (石田剛)
2007-12-14 19:44:50
「石田剛」というハンドルネームを使っていますが、これは私の実名ではありません。
誤解なきようにお願いいたします。

また、ご本名が「石田剛」様、もおられるやも知れません。
上記のハンドルネーム「石田剛」様がそうなのかどうかは私は一切、存じ上げません。
TAKESAN経由。 (比ヤングはバカw)
2007-12-14 20:08:35
TAKESAN(http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_5b9d.html)のところからです。

>産地や賞味期限を偽った企業の罪は、いくら糾弾してもしすぎることはない。
>五感の衰えは、本物とニセモノを見分ける力の低下につながっている。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/071214/trd0712140228001-n1.htm

こしださんは、こういった論調(?)・風潮(?)をどのようにお感じになられますか?
APJ様 (比ヤング)
2007-12-15 00:24:09
マグローブ社(マイナスイオン水磁気活水器)の吉岡英介さんはニセ科学批判批判の人じゃなくて、(APJさんによれば)ニセ科学の人でなかったんでしょうか?
少なくともニセ科学批判の人に「ニセ科学だ!」と批判されて、反批判を始めただけの方ですよね。
むしろ、この事案は「ニセ科学 v.s. ニセ科学批判」のひとつの典型的一事例なんだと思いますね。
だから、ニセ科学批判はダメだということでは全然ないのです。ただ、それは科学じゃないですよ。

>怪しい宣伝の批判、誰かの商売に差し障る、被害防止、法的紛争に直結
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_05f4.html#comment-15176263
説明 (比ヤング)
2007-12-15 00:53:13
一つ説明を思いつきました

「科学」と「科学行政」はもちろん関係ありますが、それらは別物です。社会科学として【科学行政を科学する】ことは可能でしょう。しかし、行政学(?)と行政はもちろん関係はありますが、別物です

「科学と関係があるもの」を「科学」と短絡することはニセ科学に共通する重要な問題点であると感じます
MIYADAI.com Blog? (誰かいましたか?)
2007-12-15 01:15:27
今度はテレビ牧師ですかorz 話題が古過ぎですw 日本ではそうではないかもしれませんが。あのスキャンダルではもう大勢の人々の支持はとうてい集められないでしょう。したがって例えとしても不適切です。

むしろ巨大教会の話でもされるのかと思いました。関心はありませんでしたか? ないのかもしれませんね。

宗教家か哲学者の方かと思ったのですが、そうではなさそうなので失礼します。

でも老婆心ながら最後に少しだけ書いていきます。

原語に自ら当たることなく原語の定義を受け売りで、しかも無関係なことに当てはめない方がいいですよ。

宗教上の紛争も同じ。お時間がおありであればせめてアメリカの宗教史を少しでもご自分でお調べください。その極めて特異な背景から生じている状況の一場面だけを無関係な事象の例として持ち出して比較するのは逆効果です。

ニセ科学批判が科学ではない、というお考えは理解しました。ですがこのままでは、ニセ科学の側の人々にも宗教・哲学の側の人々にも受け入れ難いのでは。元エントリーにある表現を借りれば、どちらの物差しにも合わないような。

むしろ「だが自分は信じる」とか「未解明の不思議なことはたくさんある」とか「既存の宗教や哲学を超えたこと」というスタンス(つまり神秘主義)でいけば誰も文句を言わない(言えない)でしょう。では。
MIYADAI.com Blog? (誰かいましたか?)
2007-12-15 01:50:00
少し訂正しますorz

×ニセ科学の側の人々にも宗教・哲学の側の人々にも

○ニセ科学批判の側の人々にも宗教・哲学の側の人々にも

余談ですが、ニセ科学の側の人々のスタンスはおおむね神秘主義のようなので、同じスタンスでいいのでは? 

今後は中途半端に既存宗教のことを持ち出さない方がいいですよ。そうでなくとも賛否両論が渦巻いているのですから。正義の味方か悪者かは人間が判断している限り容易に移り変わるからです。これは親身な忠告です。
だから。 (あほが…)
2007-12-15 02:31:19
ニセ科学批判とか、ニセ科学批判批判が宗教な訳ないだろが。

科学でないものが科学に受け入れられなきゃいけないのか?それこそニセ科学だ。
宗教でないものが宗教に受け入れられなきゃいけないのか?

宗教用語が使われているから宗教的な議論だ、と短絡するのは、血液型が医学用語だから血液型性格診断を科学的議論、と短絡するのと大して違わないようだ。

そういうことを問題にしていることが分からんのか…
脱力 (です)
2007-12-15 02:42:57
ニセ科学批判(&ニセ科学)のバカ連中達に、なんで受け入れられなきゃいかんのよ

もうアホ過ぎるわ…

いや、すべてのニセ科学批判の人達がバカなんでなくてね。ニセ科学批判を科学の営みだ、と思っている極一部のニセ科学批判の人がおバカなだけなんだけどさ
脱力 (−2)
2007-12-15 02:51:34
あ、それから、「宗教」と「宗教を社会的に分析すること」は違いますよ。後者が宗教的である必要はない

そういう短絡が問題なんだよ

俺の目的は「宗教を社会的に分析すること」では別にないから誤解なきように
ネットはおとなひとといっしょにしようね (石田剛)
2007-12-15 05:41:27
「仮名です (石田剛) 2007-12-14 19:44:50」を書いた方へ
こういうことをしてると、きみが大人になったとき、後悔(こうかい)することになりますよ。
ネットになにか書きこみたいときは、大人の人といっしょにしようね。

「石田のヲモツタコト」の中の人してる石田剛より。
上記の「石田剛」様へ (石田剛)
2007-12-15 08:10:20
私のハンドルネーム「石田剛」は仮名ですが、貴方のハンドルネーム「石田剛」様はご本名ですか?
「石田剛」さんは何人…? (石田豪)
2007-12-15 08:54:44
「>ニセ科学批判」をなさっている方へ
こういうことをしてると、きみが大人になったとき、後悔(こうかい)することになりますよ。
ネットになにか書きこみたいときは、大人の人といっしょにしようね。

仮名の「ハンドルネーム」石田豪より



>こんな、日本語も不自由な人間が社長を務めているのでしたら、
>上場どころではなく、近々、倒産するような気がします。
http://www.i-foe.org/h19wa1493/bbs/tree.php?all=227
ニセ科学批判を応援します (石井剛)
2007-12-15 09:15:17
ハンドルネーム「石田剛」さんの中にはあのニセ科学批判の石田さんもいらっしゃいますでしょうか。
もしいっらしゃいましたら、ニセ科学批判を是非とも頑張って下さい。ニセ科学の悪い人達から私達の社会を守って下さい。陰ながら、応援をしています。

仮名の「ハンドルネーム」石井剛より。
http://www.i-foe.org/h19wa1493/bbs/tree.php?mode=tree
また来てしまいましたがw (だからorz)
2007-12-15 09:49:03
せっかくだから訂正しておきますorz

△親身な忠告

○真摯な忠告

#敵でない人かどうかをよく見極めた方がいいのでは。これも真摯な忠告ですが。

付け焼刃で宗教用語を自身の考えの裏付けに用いようとすると墓穴を掘りますよ。もともと違う意味の言葉なので。

宗教は人を神に従わせるための体系ですので。人(あるいは教会)が人を従わせるためとか、人が人を叩くためとか、「お互い謙虚に行きましょうよ」と相手を諭すためには、この体系は所詮使えないのです。これは歴史をご存知であればすぐに同意なさるはず。

その太刀筋のままでは宗教家や哲学者だけでなく、もしかしたら自己啓発関連の専門家あたりからも率直、冷笑されてしまうかもしれません。使い方がフライングなのです。

どうしてもお使いになりたければ、方向性や理念を一部使うのであって、用語を使ったり引用したりして他の事に当てはめようとしたりするならその時点で失敗です。笠に着ているつもりが、そちら関係の人からすると失笑物でしょう。

どちらにしも、宗教学にも関心のない方のご様子ですので、神秘主義も承服できないのかもしれませんね。では科学一本槍でそちらの文献に当たってそちらの用語を使うか、超科学者、でも名乗られるしかないと思います。

最後に真摯な忠告を繰り返させてください。敵かどうかの判断を誤らないほうがいいです。宗教用語や純宗教的文献からの引用は科学を擁護ないしは攻撃するためには使えません。

もう一つ、言葉遣いをお考えになった方がいい。これも真摯な忠告です。
普通の科学者の気持ちを代弁すると… (石井剛)
2007-12-15 12:40:45
敵とか敵でないとか、そんなことはどうでもいい

【科学の議論の中でしか、科学用語を使うべきでない】とか、【宗教の議論の中でしか、宗教用語を使うべきでない】とか、そういった短絡が問題の一つなんだよ。
宗教の体系を使ってもいなければ、科学の体系を使ってもいない。そんなものを使うつもりはない(いや、仕事場では「ある科学の体系」を問題にするんだが…)。
「用語」を使うことと「体系」を使うこととは、全く別のことだ。

>笠に着ているつもりが、そちら関係の人からすると失笑物でしょう。
「宗教」を笠に着ている訳がない。せいぜい「宗教にまつわる社会的分析」を笠に着ているだけだろう。一体、どういう短絡なんだ?それくらい区別したら、どう?

>宗教は人を神に従わせるための体系ですので。
>宗教は人を神に従わせるための体系ですので。
>宗教は人を神に従わせるための体系ですので。
ふーん…

http://d.hatena.ne.jp/muroikensuke/20071024/1193233009
過剰反応 (石田強)
2007-12-15 12:57:49
「A型は神経質だ」という発言を受けて、A型という医学用語に過剰反応する結果、医学の議論だと短絡することが「ニセ科学(?)」の問題の一つ
そういうアホが一部にいることは事実なんだろうが、あくまで、そういうバカは少数派だろうけどな
田崎さんも、大野さんも、何やってんだか… (比ヤング)
2007-12-15 13:18:19
> 数学らしき記号の羅列は、数学者でなくとも自然科学の高等教育を受けた者なら、それがいいかげんであることはすぐに見抜けるお粗末なもの
もともとバレバレなんだよ。そんなんで数学(の体系)を真面目に使っていると【勝手に誤解】する方がどうかしている。
山形は誤解したみたいだが。そういうバカもいるというのは愉快なんだか、不愉快なんだか。ま、俺の場合、不愉快の方が先に立ってしまうな。
幸い、そういうバカは、ごく少数だけどな。

『「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用』田崎晴明、大野克嗣、堀茂樹訳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
【関連】塩川伸明「読書ノート」
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/sokal.htm
要するに (石田)
2007-12-15 14:53:49
【宗教を装ってもいない】ものをニセ宗教と批判するアホが出た訳だが、
【科学を装ってもいない】ものをニセ科学と批判するアホ連中ともども、
本当にこいつらどうにかならんのか?まったく…
津村さんとこ (石田)
2007-12-15 17:14:06
> 「学会をバイパスして世に広まった科学のようなもの」に学会として発言することがあるとすれば、「うちがバイパスされた」と考える学会が行うのでしょうね。しかし学会内での合意作りは、一般論としてはかなりたいへんそうに思います。
> ところで、お互い科学の専門家として話しているので、どう考えるかという話よりも、自分が何をしてきたか、相手が何をしてきたかという話のほうがずっと面白いと思います。

Posted by: ここの管理人 | 2007.12.15 at 10:00 AM
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_a5a6.html#comment-16729169
ニセ科学入門 (基本)
2007-12-16 11:33:52
菊池誠:『ニセ科学入門』より

オカルト・心霊などはそもそも「科学的」な外観を持たないので、ニセ科学とは呼ばない。オカルト信者自身、オカルトを「科学」とは考えていないだろう。つまり、ここでは「ニセ科学」という言葉を”見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの”に限定して使う

「ニセ科学」と呼ぶのは、文脈によっては「疑似科学」という言葉が褒め言葉になるからである。具体的にはSF小説やファンタジー小説の批評などで”よくできた疑似科学的説明”などという表現が使われる。「疑似」という言葉には価値判断が含まれないということであろう。「ニセ」という言葉は否定的な意味合いを強く含む

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html
Unknown (apj)
2007-12-16 20:38:06
>科学でないというだけのことなら、【ニセ科学】ではなくて、【非科学】ではないのですか?
>ニセ科学と言う場合、それは(非科学であるにも拘らず)「科学と誤解させる」ということでしょう。

 違います。
まず、線引きは無理だとしても、「科学」「非科学」「未科学」くらいに大きく分けて考えています。
・「非科学」で、かつ外見が「非科学」→非科学
・「非科学」で、かつ外見が「科学」→ニセ科学
・「未科学(まだ確定していない)」で、かつ外見が「科学(既に確定済み)」→ニセ科学

です。これはいろんなところで書いてきたことです。

ちょっと遅れましたが…… (apj)
2007-12-16 21:04:19
1つだけ答えるのを忘れていました。

>しかし、ニセ科学批判が科学的営みであると誤解をさせるのなら、ニセ科学批判はニセ科学です。

 あなたの「科学的営み」の定義をはっきりさせてください。

 ニセ科学批判をする時には、「科学はどうやってものごとを確定しているのか」「科学で今までに確定したのはどこまでか」ということを同時に提示しています。ですから教育的営みではある。

 それでは、「科学的営み」の範囲をどう定めるかです。
 通常の、学会発表→論文投稿→追試、といったルートをたどるもののみを科学的営みであると定義するなら、今のニセ科学批判はこのルートにははいらないでしょう。

 ところで、ニセ科学批判の実態を考えると、本来なら「学会発表→論文投稿→追試(手続きがそれぞれ妥当であるとする)」といったルートをたどる中で専門家の批判と議論をクリアしたものを公表すべきであったにも関わらず、正規のルートを敢えて無視し批判と議論をすっ飛ばしていきなり一般に公表されて広まってしまったものに対して、「学会発表→論文投稿→追試」のルートをたどれば当然突っ込まれて主張は認められないだろうといった議論を、(既にルートから外れているので)場外乱闘(ネットなど)で行っていたりするわけです。

 なお、ニセ科学批判の社会的意味云々を、社会科学のテーマとして考えるのはいっこうに構わないわけです。一つの批判活動に対し、科学的な立場の議論と社会科学的な立場の議論の両方があってもかまわないので。ただし、これは、批判する側の仕事ではないです。観察対象が観察者を兼ねるのは無理なので。
APJ様 (お答え、ありがとうございます。)
2007-12-16 21:51:59
>・「非科学」で、かつ外見が「非科学」→非科学
>・「非科学」で、かつ外見が「科学」→ニセ科学

まず、この定義は論理的におかしいです。上の「非科学の定義」を下の「非科学」に【代入】すると…

・「「非科学」で、かつ外見が「非科学」」かつ外見が「科学」→ニセ科学

が得られます。【外見が「非科学」であり、かつ、外見が「科学」である】というのは矛盾した要請であり、そのような対象は存在しないことになってしまいます。そこで、一番目の自己撞着的な定義を捨てて、

・「非科学」で、かつ外見が「科学」→ニセ科学
・「未科学(まだ確定していない)」で、かつ外見が「科学(既に確定済み)」→ニセ科学

の二つを残すべきです。さて、「科学か?、非科学か?」を判断する営みは科学的な営みと言えますが、
「外見が科学か?、外見が非科学か?」を判断することは(自然)科学の営みでないことは明らかです。
【科学的営みとしてのニセ科学批判】は、社会科学の範疇に属するはずです。APJさんによる批判は
そのようなものではないので、すなわち、「科学の営みではない」ということになります。

「外見が非科学である」という点に関して社会科学的な検証の上で、ニセ科学という結論を出している
のでしたら、これは私の単なる事実誤認でありまして、不明をお詫び致します。

自然科学の範疇では「(自然)科学か?、非(自然)科学か?」の判断までしかできません。それ以上の「ニセ科学である」という判断は自然科学を逸脱するものです。もちろん、逸脱そのものは何ら問題ではなく、「ニセ科学である」と判断することが自然科学の営みだ、ともし誤解がなされるのならば、ニセ科学批判はまさしくニセ科学である、というわけですが。
訂正 (お答え、ありがとうございます。)
2007-12-16 21:59:49
ミスしました。訂正します。

「外見が科学である」という点に関して社会科学的な検証の上で、ニセ科学であるという結論を出している
のでしたら、これは私の単なる事実誤認でありまして不明をお詫び致します。
普通の科学者ですかorz (もう一人の石田さんへ)
2007-12-17 02:23:58
> 【宗教の議論の中でしか、宗教用語を使うべきでない】とか、そういった短絡が問題

いや、お使いになるのは全く構わないのですが、それは科学者の方々には訴えず、宗教家や哲学者の方々からすれば失笑物だという。失礼。真摯な忠告を繰り返します。

> せいぜい「宗教にまつわる社会的分析」を笠に着ているだけ
それがフライングなのです。もう一度発言をよく読んでいただければご理解いただけると思いますが。

そんな暇はない、と仰るかもしれないので簡潔に申し上げると、確立された既存宗教はその宗教の利便や目的のために特化しているため、そこで生じている事象のほとんどはただ宗教のためだけの特異な事象なのです。簡単に言えば、俗界とは全く異質の大義のための内輪もめというか喧嘩というか。

#そういうものが無関係な宗教上の内輪もめや喧嘩も確かにありますがw

結果として社会通念や個人的感情等の物差しを宗教に当てることはできても、その逆にそうした宗教的な特異な事象という物差しを無関係な事柄を測る(たとえば正否を決定する)ためには使えません。

#より正確には、宗教は宗教という物差しでのみ互いを測ることがある程度可能になるという点で特異なのですが。

普通の方は「おお、似ている!」と思われるかもしれませんが、その内側で渦巻いているあるいはその要因となっている複雑な事情はその事象のみにしか恐らく当てはまりません。あるいは「おお、この対立の構図は使える!」と一瞬思われたのであれば、実際にどんなことが生じたのかお調べになるといい。大抵、余りにも特殊な事例で一般例としては到底使えません。

> 【宗教を装ってもいない】ものをニセ宗教と批判
そんなつもりもありませんでした。批判というか真摯な忠告は、そんな付け焼刃の「宗教にまつわる社会的分析」の直接の引用文の提示だけや原典ないしは原語の曲解では誰も納得しませんよ、という話です。失礼。真摯な忠告です。

そこへいくと宮台さんはそれなり調べてレポートを提出している。現代社会の中で宗教が演じてきた役割、それ以上に宗教界でそれぞれの宗教家ないしは教派が演じてきた役割を一般の人に紹介する点で成功しているようです。

原罪についても「ユダヤ人の原罪論的な必謬性観念」と前置きをしているから説得力がある。つまりこの原罪論は原典に基づく普遍的用法として提出されているのではなく、ユダヤ教の一教派的解釈として提出されているので全然問題がないのです。

一方で、全く無関係の世俗の営みに関連して「原罪」とは「必謬性」で云々、というのがどれだけ的外れな話だか、お分かりいただけますか? 当のユダヤ人の大多数でさえ、科学的探究など必謬性からすればすべて無意味、などと思っているはずがない。

いや、実は思っている人も中にはいるでしょうが、その比較的少数の人たちがそう思っているのだから云々、という主張をされてもですねorz

#敵ではないので真摯な忠告をしているのですがw このままではもしかしたら、宮台氏からさえ失笑されてしまうかもです。これも真摯な忠告です。聞きたくないとは思いますが。
普通の科学者らしい方がいいです (もう一人の石田さんへ)
2007-12-17 02:57:37
せっかくだから最後の一文を訂正しておこう。

△聞きたくないとは思いますが。

○聞いていただけるときっと助けになると思いますが。

最初、宮台さんご自身かと思ったので、普通の人にとっては少し意地悪に思えるかもしれない反応をしたことをどうか不快に思わないでください。普通の科学者の方?であることがよく分かりました。

普通の科学者らしい方がいいですよ。査読の通った関連文献ならいくらでもおありでしょうし。

#もし心配なら、宮台さんに私のこの太刀筋について尋ねてみるといいです。なまくらなのかどうかすぐに分かるでしょう。彼とやりあうつもりは毛頭ありませんが。一方で石田さん?はどうぞ自信を持って科学者でいてください。お願いします。
Unknown (もう一人の石田。)
2007-12-17 09:02:40
言いたいことは、何となく分かった気はします。

>原罪論は原典に基づく普遍的用法として提出されているのではなく

私も原典に基づいて提出したつもりは一切ないですよ。【宮台に基づいて】提出しただけです。だから、せいぜい「宮台の文章の文脈」の中で受け取る程度の言葉なのです。「原典に基づけ」と言うのは、貴方が勝手に言い始めたことです。

多分、貴方はこれを「科学に対する普遍的な否定」の論拠か何かと【最初】は受け取られたのではないでしょうか?要するに脊髄反射です。というより、正直に言えば、そのための釣りという面がもともとあるわけですが。一見、「科学に対して否定的な感情を抱いている人間だ」と勘違いさせるためにあえて置いている面もあるのです。文脈を考えればそうではないことが分かるはずです。例えば、宮台の話の中では、たった一言程度ですが、必謬性を意識することは、むしろ、科学的生産性を高めるものとしても捕らえられています。いずれにせよ、宗教用語を、せいぜい比喩として使っているだけです。

>当のユダヤ人の大多数でさえ、科学的探究など必謬性からすればすべて無意味、などと思っているはずがない。

私がいつ「科学的探究など必謬性からすればすべて無意味」なんて言いましたか?貴方が勝手に脊髄反射で誤解しただけでしょう。
Unknown (もう一人の石田。)
2007-12-17 09:13:44
>普通の科学者らしい方がいいですよ。査読の通った関連文献ならいくらでもおありでしょうし。

「私の書いた査読論文」は日常的な場面に【素で】適用できるものではありません。比喩としてなら使えるかもしれませんが、それには芸が必要ですね。多くの科学論文はそのようなものだと私は思います。

>普通の科学者らしい方がいいですよ。査読の通った関連文献ならいくらでもおありでしょうし。

科学者は、科学以外の場でも科学的に思考しなければならないのですか?まさに私はそういった意見に反対している訳ですよ。
Unknown (Unknown)
2007-12-17 09:17:58
>普通の方は「おお、似ている!」と思われるかもしれません

比喩ですから、それで充分なのです。
脊髄反射ですかorz (もう一人の石田さんへ)
2007-12-17 10:29:46
#釣り宣言があったと聞いて飛んできました。嘘です。

比喩だった、宮台氏に基づいてい提出した、という点は理解できました。なるほど。

ただ、釣りだったのであればもう釣れたからいいと思いますよ。もし仮にリンク先の室井健亮様ご自身であれば、なおさらです。

#でもこれは室井氏には悪いですが、「これはニセ科学論者達への叱責である」と書いてしまうと(下のトラックバックをご覧ください)やはり誤解されますよ。これ、つまり引き合いに出されているその事例は有効な叱責とは無関係なので。

#宮台氏が述べる状況下での唯一の有効な叱責は、彼らが共通に寄って立つ原典からの叱責です。簡単に説明すると「怒れる神父」も「テレビ牧師」も原典からだけでなく世俗的観点から見てアウトなのですが、大教会が厳かにアウトと言ったところで、俗に言う、お前が言うな、というのが実際なので。

#宗教の特異性が少しお分かりになられましたか? 宗教的権威からの叱責というのは原典なり教理なりに寄って立ってはじめて有効で、しかも叱責を与える側がその原典なり教理によって逆に叱責されてしまう危険が常にあります。

こんな特異な状況は比喩としても使わない方がよろしいかと。おっと、これも真摯な忠告です。

> 私がいつ「科学的探究など必謬性からすればすべて無意味」なんて言いましたか?
そうそう、その線がいいです。必謬性は科学的探究云々とは無関係な論議なので。

> 科学者は、科学以外の場でも科学的に思考しなければならないのですか?

これはどうなんでしょう? そうしたい方々はそれでいいような。そうしたくない石田さん?やおそらくは室井氏はそうしなければいいのでは。
科学者の皆さんへ (科学者ではない人)
2007-12-17 11:03:23
最後に、せっかくだから皆さんに聞いてみましょうか。

これまでの論議をご覧になっているかもしれない科学者の皆さんへ:
「科学者は、科学以外の場でも科学的に思考しなければならないのですか?」という質問にどうお答えになりますか? 石田さん?や室井氏は「普通の科学者の気持ちを代弁」しているそうですが、どう思われましたか?

#科学者でない皆さんのご感想もお聞きしたいですね。私の感想? 絶対的権威としての原典も教理もなさそうだし、お互いしたいようにすればいいような。
Unknown (Unknown)
2007-12-17 21:06:36
>「怒れる神父」も「テレビ牧師」も原典からだけでなく世俗的観点から見てアウト

>宗教的権威からの叱責というのは原典なり教理なりに寄って立ってはじめて有効

もともと世俗的立場に立っています。宗教用語も宗教的に使用している訳でなく(宗教側から見れば曲解であろうが、なかろうが、私としてはどうでもいい。)私の世俗的な立場を説明する比喩として勝手に使っているだけのことですね。つまり、宗教的な権威からの叱責どころの話ではありません。せいぜいが【宮台の権威】からの叱責です。そんな権威が成立するのか、とても怪しいのですが。

>特異な状況は比喩としても使わない方がよろしい

それには全く同意し兼ねますね。

>>普通の方は「おお、似ている!」と思われるかもしれません
>比喩ですから、それで充分なのです。

>そうしたい方々はそれでいいような。そうしたくない石田さん?やおそらくは室井氏はそうしなければいいのでは。

私もそう思いますね。要するに前言を撤回されると。

>普通の科学者らしい方がいいですよ。査読の通った関連文献ならいくらでもおありでしょうし。
追加 (Unknown)
2007-12-17 21:10:12
>> 科学者は、科学以外の場でも科学的に思考しなければならないのですか?
>そうしたい方々はそれでいいような。そうしたくない石田さん?やおそらくは室井氏はそうしなければいいのでは。

私もそう思いますね。要するに前言を撤回されると。

>普通の科学者らしい方がいいですよ。査読の通った関連文献ならいくらでもおありでしょうし。
お答えします (>apj様へ)
2007-12-18 00:16:18
>apj様へ

問:ニセ科学批判にどうしろと言うのか?

答:【非科学であるという判断】とは違って、【ニセ科学であるという判断】は科学的な判断ではない、ということを明確にしておくべきである。

理由:ニセ科学であるという判断は科学的な判断ではないが、それが科学的な判断であると誤解されると、ニセ科学批判自体がニセ科学になってしまうからである。

確認:【ニセ科学】=【非科学であるにも拘わらず、「科学である」と誤解させる事柄】

主張:【非科学であるという判断】とは違い、【ニセ科学であるという判断】は科学的判断ではないので、誤解がないように注意しておく。
Unknown (Unknown)
2007-12-18 04:51:54
> そんな権威が成立するのか、とても怪しい
そうですよね。安心しました。

> それには全く同意し兼ねますね
ええ、お使いになられたければ、いいのでは。

> 要するに前言を撤回されると
撤回しましょうか。

普通の科学者らしい方がいいですよ、とか、査読の通った関連文献を使ったらいいのでは、と私が言うのは余計なお世話、ということでしょうか。

そうでしたら撤回しましょう。そうしないのもまたご自由ですから。どうぞお忘れください。

もっとも今回、私は文章の最後を「お願いします」と結んで、要求としてではなく、良かれと思ってご提案をしました。あちらの方々に訴えていないだけでなく、もしかしたら誰にも訴えていないのではないかと本気で思ったからです。どうぞ悪く思わないでください。

#宮台氏のエントリーの引用がない方が訴えるような気が、、、いやなんでもありません。

もう真摯な忠告は何もありません。どうぞお元気で。


ところで誰も来ないですね。私たちはそれなりにお互いを認知し合えたようなのに。

というか、もしかしたらあの質問を色々なところで繰り返しているので答えは出ているんでしょうか。

あるいは、これも自由だから仕方がないということなのでしょう。では。
ダメ押し的に (ハスミン)
2007-12-18 10:18:20
どうも。まあ、来なくてもいいです。来た方が面白いですけど。
来なくても、気にしてはいるようなので。同意の直接的な表明が得られる必要はないですから。



>ニセ科学批判する(特に「専門家」の)皆さんへ

ニセ科学の重要なポイントは、「一般の人が科学であると見ているか?」です。
「一般の人がどう見ているのか?」を専門の人が決定することは、捻じれがあるのです。
その捻じれに、自覚的になって頂ければそれでよろしい。

一般の人が科学用語を(曲解して)使うのは、必ずしも権威を笠に着ている訳ではなく、
単純に「面白いから」ということもあると思いますよ。
コピペ。 (久保)
2007-12-20 00:00:55
>一般的視点でやっているのでなければ、ニセ科学という判断までしてもかまわないことになりますね。それならば問題ない。

もしも「ニセ科学は悪いものである」という一般的な含意がなければ、「ニセ科学である」という指摘だけでは否定の意図はないことになりますから、仮に「ニセ科学である」という判断が不適切であったとしても、一般的にはさしたる問題はなかろうと思います。
ということで、確認します。【ニセ科学は、必ずしも悪いものであるとは限らない】ということでいいのですね。少なくとも「ニセ科学は悪いものであるという一般的な認識は持っていない」ということでよろしいですね。(その場合には、ニセ科学批判という呼称がミスリーディングであるという印象はあります。)

水伝授業について言えば、【生徒が信じない配慮がなされている】ような場合については、それはニセ科学とは言えないということです。そのような配慮がある場合でも問題があるのだ、という主張については興味は特にありません。しかし、少なくとも「ニセ科学である」という批判は不適切です。



dlitさま:
>ニセ科学批判をする方々が「これはニセ科学だね」と言うのは、批判そのものではなくて分類、あるいは名づけ、だと思いますよ。

それなら、了解です。ただ、繰り返しますが、そうであるのなら、「ニセ科学批判」という呼称はミスリーディングである、と思います。少なくとも、【ニセ科学一般を、悪いものであるとは考えてはいない。】ということを繰り返し言っていかないと誤解が付き纏うでしょう。
コピペ。 (神戸)
2007-12-22 00:35:57
そう言えば、津村さん(http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_a5a6.html)が

【ニセ科学であるかもしれないもの】について、それが科学的なものではないということを説明・広報したことがある

というような感じの言い回しをどこかでしていましたね。
これは、「科学的なものでない」という判断の正確性と「科学であると誤解されている」という判断の正確性の違いをよく自覚した言い回しなのですね。
参考です (堂本)
2007-12-26 00:10:16
ニセ科学批判に関する個人的な考察
http://jackalright.seesaa.net/article/74206707.html

ニセ科学の定義と判定について考える
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7215
サイエンス・フィクション (ぶりぶり)
2008-01-08 20:02:57
また、本来、「オカルト」等に分類すべき対象を疑似科学に分類すべきではない。迷信やオカルトは、それが科学であると誤解されるような要因を持ち合わせない。
サイエンス・フィクション(SF)は科学風の表現を多用する非科学的な言説である。その内容がオカルト等と同じく科学的と誤解されることがなければ疑似科学ではないのだが、
少年や青年の一部にSF作品中の理論づけなどをてっきり本物の科学的な説明だと誤解する者がごく稀に存在することもあるため、疑似科学に分類される。
デマ (ヒックス)
2008-01-10 13:06:36
裁判用掲示板:『【弁護士の見解】法的責任は教員にある』より
http://www.i-foe.org/h19wa1493/bbs/tree.php?n=347

>「大学に責任有り」というデマを振りまいていますので、もし可能でしたら、「大学に責任があるという意見はデマであり、プロの法律家の見解とは異なる」という情報を広めていただけるとありがたく思います

「ネットに詳しい弁護士さんのコメント」をまとめます。

1.教員が作ったウェブサイトの法的責任は大学ではなく教員にあると考えるのが普通の弁護士の考え方だ
2.大学が被告なので大変奇妙な裁判だ
3.責任者の所属と氏名がトップページに明記されている場合は、その責任者が訴えられるものである
4.「大学に責任がある」という主張は、プロの法律家の目から見てもおかしい
5.山形大学の総務部が回答した「教員が開設した研究室のページなどの法的責任は、最終的に教員個人が負う」という見解は法的に妥当なものである
6.「大学に責任有り」というデマを振りまいています
7.大学に責任があるという意見はデマであり、プロの法律家の見解とは異なる

【補足】「デマの源泉」がどこかは、以下により明白です:
室井健亮氏と天羽優子氏との議論
http://www.minusionwater.com/muroiamo.htm
被告=お茶の水女子大学へ
http://d.hatena.ne.jp/muroikensuke/20071118/1195360549
疑似科学:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (黒猫亭から。)
2008-01-14 13:48:12
> ソーカルの批判の対象となった人々も、根っこのところでは学際の知見の融合とか、人文科学に自然科学の方法論を採り入れたいというようなことを真摯に考えていた

それが誤解な訳。
要するに「科学を取り入れた」と言っても、その「取り入れる」というのは、あくまで【SFが科学を取り入れるのと同じ】ようなレベルな訳ですよ。

投稿 だから、 2008年1月14日 (月曜日) 午後 01時13分



別に自然科学の方法を取り入れた訳ではないだろう。
一部の「おっちょこちょい」(山形浩生とかw)が取り入れていると誤解しただけであってね。
まあ、「誤解を放置するのはいかがなものか?」という問題提起はあるだろうねえ。ただ、「創造的誤読を称揚する」という(ポモ的な?)【価値観】では、むしろ放置しましょうということになりがちであった、ということだと思われ。「そういう価値観を是とするか、否か」というイデオロギーレベルの対立である訳だが。

投稿 ソーカル事件 2008年1月14日 (月曜日) 午後 01時05分
午後 06時08分 (黒猫亭から。)
2008-01-14 19:32:33
>オレは非専門家でapj さんは専門家という条件になります

こんな話に専門も糞もあるかよ。
専門があると誤解させているなら、それこそニセ科学だな。

黒猫亭日乗: 心の外
http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_323c.html#comment-17104048
えーと。 (tokunaga)
2008-01-16 02:17:27
> 科学者であるapj さんを「科学の」専門家と表現した

はあ〜。件の話は「その専門分野」の話でしたか?
それとも「科学全般の専門家」なるものがあると?

まあ、科学行政の専門家とか、科学哲学の専門家とかならあるかなあ。
ダメですね。 (radio.)
2008-01-16 20:16:40
>「自然科学の方法論の専門家」という意味になると思います
何ですか、それ? 「科学哲学の専門家」とかのことか?

>自然科学一般に共有されている方法論を解説する
やっぱり、科学哲学の話か?

何か【宗教と科学】について対話をしていたように見えたが、違ったのかな?

> この対話においてオレは非専門家でapj さんは専門家という条件になりますから、非専門家が専門家と対話する場合の手続として
> 「そういう理解でよろしいですね?」というニュアンスで確認を求める

http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_323c.html#comment-17104048
http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_323c.html#comment-17123767
http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_323c.html#comment-17126922
塩川伸明「読書ノート」 ((宮台真司への)絶望から始めよう)
2008-01-18 15:16:08
新・後藤和智事務所 〜若者報道から見た日本〜: (宮台真司への)絶望から始めよう――「現代の理論」発刊に寄せて
http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2008/01/post_fe9b.html
> 『終わりなき日常を生きろ』で採り上げられている事例も、実のところ実証性というものはなく、ただ自分の身の回りのインタヴューくらいでいろいろと妄想を構築している
> 宮台の言説は実証性をかなぐり捨て、若年層に対する突飛なイメージをひたすら煽り続けるようなもの
> 宮台の言説がいかに実証性に欠けているものであるか、ということを証明している
> 宮台はこのようなことを示すデータを一つも示していない
> 「人間力」などという(客観的な評価が不可能故に判断基準にするには極めて問題の多い)言葉を安易に用いている
> 言説のレヴェルはたかが知れている
> 宮台のいっていることはいわゆる「ニセ科学」に他ならない
> 「ニセ科学」というと自然科学系のものを我々は想起しがちだが、宮台のような社会科学系のものにも注意を支払う必要がある
> 嗤うべきところは他にも多数ある
> 宮台こそが若年層に対する不安を煽り続け、そして統計やデータ、及び科学的な検証によらない青少年言説を発信し続けてきた

塩川伸明「読書ノート」
ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/sokal.htm
> 著者たちは次のようにいうのだが、これはいかにも安易な印象を受ける。
> 
>「二つのタイプの難しさを見分けるために役立つ判断基準はいくつかあるようにみえる。第一に、もし難しさが本物ならば、その理論がどのような現象を扱っていて、主要な結果が何であって、それを支える最良の論拠は何かといった点を、ある程度初等的なレベルでわかりやすい言葉を使って説明できるのが普通である。〔中略〕。第二に、難しさが本物ならば、そのテーマについてより深い知識を身につけるためのはっきりとした道が――長い道のりかもしれないが――用意されている」(二四七‐二四八頁)。
> 
> 前の方の文章の末尾にある「普通である」という言葉はくせ者である。あるいは、自然科学では――そしてまた社会科学でも、一部の分野で「科学化」が進んでいる場合には――それが「普通」なのかもしれない。つまり、ディシプリンが確立していて、クーン流にいえば「通常科学」の土俵の上で「パズル解き」がなされているときには、その「パズル」がいくら難問であっても、そのテーマ・論点・結果・論拠等々については共通了解があり、それを明確に説明することが可能だろう。だが、ディシプリンそのものが未確立だったり、動揺したりしている場合(同じことだが、パラダイムが未確立だったり、動揺したりしている場合)、「どのような現象を扱って」いるのかということを明らかにすること自体が難しい――何をとりあげ、それをどのような現象と捉えるかということ自体が争点であり、論争当事者間で共通了解がないために、言葉もなかなか通じない――ということが珍しくない。第二の、「そのテーマについてより深い知識を身につけるためのはっきりとした道が用意されている」というのも、既に確立した学問分野において、「初等編」「中等編」「高等編」といった教科書があるような場合には当てはまるが、その分野そのものが開拓途上の場合には、そうした「道」は決して「用意されて」などいない。むしろ、「道なき道」を自ら切り拓きながら――ということは、どこかで泥沼に足を取られて、完全に方向を見失ってしまうという危険性をも敢えて冒しながら――進むほかないという場合もあるのである。
これぞ、ニセ科学批判 (ぷーさん)
2008-01-18 18:58:06
THE ニセ科学批判  現るw

> 医療過誤が発生した場合、お医者さんは法で裁かれることもあります。
> ご自分も同じ立場に立っていることを、はっきりと認識してください。
by pooh (2008-01-17 23:27)
あなたの力と、あなたの思い
http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-17
脳内藁人形批判者 (takesane)
2008-01-24 10:59:34
ホメオパシーを科学とする関係者はいないし、それで騙すこともないということです。非科学ですけどそれでもいいですかと説明して、納得してやるものです
Y形大学さんに楯突くなんて、恐ろしい、怖いもの知らず、なんていってしまう環境にいつまでもどっぷり浸って、さぞ居心地がよかったことでしょう

日和見追随者と風のゆくへ アルバトロス海溝  D島改
http://similar.blog60.fc2.com/blog-entry-96.html

Interdisciplinary: 脳内藁人形批判者
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_0888.html#comment-22410495
ニセ科学ではない (たけさん)
2008-01-25 12:15:24
ぶいっちゃん氏の現在の態度はつまりこういうことである。

 「『水伝』は科学ではなく、科学の名を騙るインチキであることを認める」
 「だがそれは『どちらでもいい』ことだ」
 「『水伝』に共感し、肯定的に伝えるのは良いことだ」

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-24-1
http://blog.goo.ne.
jp/kurokuragawa/e/7957449b130ac5b9d28bf7afe3d80357
Commented by ぷーさん at 2008-01-25 12:04 x
良い悪いはともかく

それはニセ科学ではない
論考 (TAKESANE)
2008-01-25 19:04:49
昨今の疑似科学批判ってなんか浅薄だなと思う。水が語るわけないし、進化の過程に神が介在するわけじゃん。
世の中そういう人はいるし、そういう人だってまっとうに生きているかもだから、そんなのほっとけというか、
悪徳ビジネスとかいうなら、消費者問題として区別すればいいんで、スジが違うように思う。

なんというか - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080124/1201132364
ちょっとどうしようもないですね (FMAP)
2008-01-27 14:12:39
室井健亮氏を騙っていると当方が判断した同一IPアドレスによるスパムコメントを全削除しました。どうぞご了承ください。
室井健亮様:貴殿の名を所々で使いながら、なおかつ「非ヤング」や「ふま」といったハンドルを使っていた人物は、当方が責任をもって確認し、アクセス禁止にしました。
どうぞご安心ください。この人物は同一IPアドレスでのWikipediaの編集等により、ニセ科学批判に関する情報操作をしようとした疑いがあります。
http://tomihito.exblog.jp/8081661/

というか、ニセ科学が情報操作(の試み)だというのは、まあいいとして
ニセ科学批判も情報操作の試みだということに思い至らないその浅薄さが
何とも言い難いです
http://d.hatena.ne.jp/muroikensuke/20010101
ホメオパシー (TAKESANE)
2008-01-27 16:07:11
お前はそれでニセ科学を批判しているつもりなんだろうが、
何も分かっていないんだよ。

例えば、「科学用語」(←科学周辺の科学ならざる物)と
「科学そのもの」を同一視するところからニセ科学は産ま
れる。それが分からんようじゃ、何を批判したって無駄。


20 :あるケミストさん :2008/01/25(金) 23:01:12
>>19
>例えば、「科学用語」(←科学周辺の科学ならざる物)と
>「科学そのもの」を同一視するところからニセ科学は産ま
>れる。それが分からんようじゃ、何を批判したって無駄。

他にも、「科学技術を使った工業製品」(←科学周辺の科学
ならざる物)と「科学そのもの」を混同するとか、「科学の
教科書」を「科学そのもの」だと思い込むとかな。

それらに科学者が関るのは、とても自然なことだ。だからと
言って、それらが科学ではないということに変わりはない。
正確無比 (にゃーん)
2008-01-29 22:58:57
「確かに、科学じゃない。科学かどうかなんて、そんなのも興味がないし、どうでもいい。ただ、自分の信じてる現象を語るために、科学っぽいレトリックを借用しただけだ」 というのが、彼らの心情だ
http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/01/post_3ed2.html
狼少年だったで終了 (狼少年だったで終了)
2009-06-16 00:40:10
ニセ科学批判って狼少年だったんだねで終了
Unknown (うーん)
2009-07-26 19:00:13
論理学を早めに学校でおしえないから
〜で終了とかわけのわからない勝利宣言を
はずかしいと自覚できない輩がでてくるのかな?

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