有限会社アズモードの宮脇睦氏による「オーマイニュースが教えてくれる素人の限界」という記事を読んで、なるほどなとは思いつつも、少し違うような気がする部分があった。
なるほどなという部分は「路上ミュージシャンも詩人も絵描きも料理人も、商品価値を持つ存在は「プロ」になっていく」というくだりで、そういう記者をうまく育て上げられなかったからオーマイニュースは失敗した、というのはよく分かる。
しかし宮脇氏はこの記事の最後の部分で、わざとなのか、切れのいい結論を出していない。
「プロにはプロたる理由があり、一方では素人だからできることもあります。そしてネットで素人とプロを隔離することはナンセンスです。それはネットが「ボーダーラインを曖昧にする」ことに長けており、素人だけ、プロだけと区切ることが「古い」と考えるからです。たとえば産経新聞の「イザ!」や、本サイトのように「読者投稿」と、プロの書き手との混在がサイトの活力を生み出すようにです」
「素人だからできること」はせいぜい「サイトの活力を生み出す」ことだけなので、プロがいなければ成功しないというのは分からないでもない。
しかし、だからオーマイニュースの失敗は「素人ビジネスの限界」の好例、というのは少し違うような気がする。
ガ島通信の藤代裕之氏が「オーマイニュースはなぜ失敗したか」で既に1年近く前に指摘しているけれど、韓国オーマイニュースの呉氏は単に、韓国での成功を日本でもと願っていたに過ぎない。
呉氏にとって最重要だったのは、オーマイニュースの名のもとに親韓路線と日韓の市民運動の共同戦線めいたものを日本のネット上で大々的に展開するという自分の夢を実現させることだった。そしてこの試みがすんなり日本のネットユーザーに受け入れられるものだと、本気で信じてもいたのだろう。
つまりオーマイニュースの失敗は、なによりも日本のネット界に対する呉氏の無理解に端を発している。
これは素人記者の起用以前の問題で、仮に凄腕のプロの書き手だけを寄せ集めて日本のネット上に呉氏にとって理想的な親韓メディアを再度立ち上げたところで、それが商業的な成功に繋がるとはとても思えない。
むしろこの事例では、成功のカギを握っていたのはプロの書き手ではなく、「サイトの活力を生み出す」ただの素人に過ぎない大衆つまりユーザーだった。
そして彼らからのある程度の同意や賛同を得るには、まず「嫌韓」の徹底的な認知と理解から始めなければならなかったはずなのに、残念ながら呉氏は日本のユーザーからの敬意や信頼よりも自身の思い込みを優先してしまった。
*****
とはいえ、オーマイニュースの失敗すべてを呉氏のせいにするのは当たらない。編集部にしろ市民記者にしろ、呉氏と同様、自分自身の夢や思い込みを最優先する人々がなぜか集まってしまった結果そうなった、と言って差し支えないと思う。
ではそれらの人は皆、宮脇氏の言う素人だったのか。そう言っても差支えない。ある人はオーマイニュース編集部を「「素人を俺達プロが導けばいいのさヒャッハア」なプロ意識が無い人たち」と評していた。
だから「オーマイニュースが教えてくれる素人の限界」という宮脇氏の記事の主題そのものは全く正しい。ただし、オーマイニュースは市民記者だけでなく、皆が皆「プロ意識が無い人たち」だったので失敗した。呉氏は韓国市民メディア内ではプロだったから成功したのだろうが、日本のネット界への理解という点ではずぶの素人だったので失敗した。
いや呉氏だけではない。ニュースの職人を自任していても、ネット上の実名匿名の意味するところを見誤るならそれはやはり素人判断だし、紙メディアでの成功という肩書や手法があっても、自分の目の前にいるネットユーザーのニーズや皮膚感覚を無視すれば素人同様に結果を出すことはできない。
そう考えると「自分は素人ではない」と自負する素人ほど怖いものはない。そして自分はその分野では素人だから失敗したのだと途中で気付いてきちんと軌道修正ができないというのが、素人の限界なのだろう。オーマイニュースはそういう素人が集まり過ぎたために失敗した。
思うに、せめて上層部にすべてをコントロールできるだけのプロがいたなら、素人であるネットユーザーのニーズをきちんと見極めつつ、素人の市民記者の中からプロになれそうな人材を見つけ出して育て上げられたのかもしれない。
このオーマイニュースの失敗から何を学べるだろう? ガ島通信の藤代氏によれば、ネットでは今後、プロとして「ユーザーの時間を獲得する」までになるにはどうすればいいのかというのが課題となる。
しかし僕も含め、ネットメディア関係者はまず最初に、自分が恐らくは素人だという自覚から始めるのが無難なようだ。
なるほどなという部分は「路上ミュージシャンも詩人も絵描きも料理人も、商品価値を持つ存在は「プロ」になっていく」というくだりで、そういう記者をうまく育て上げられなかったからオーマイニュースは失敗した、というのはよく分かる。
しかし宮脇氏はこの記事の最後の部分で、わざとなのか、切れのいい結論を出していない。
「プロにはプロたる理由があり、一方では素人だからできることもあります。そしてネットで素人とプロを隔離することはナンセンスです。それはネットが「ボーダーラインを曖昧にする」ことに長けており、素人だけ、プロだけと区切ることが「古い」と考えるからです。たとえば産経新聞の「イザ!」や、本サイトのように「読者投稿」と、プロの書き手との混在がサイトの活力を生み出すようにです」
「素人だからできること」はせいぜい「サイトの活力を生み出す」ことだけなので、プロがいなければ成功しないというのは分からないでもない。
しかし、だからオーマイニュースの失敗は「素人ビジネスの限界」の好例、というのは少し違うような気がする。
ガ島通信の藤代裕之氏が「オーマイニュースはなぜ失敗したか」で既に1年近く前に指摘しているけれど、韓国オーマイニュースの呉氏は単に、韓国での成功を日本でもと願っていたに過ぎない。
呉氏にとって最重要だったのは、オーマイニュースの名のもとに親韓路線と日韓の市民運動の共同戦線めいたものを日本のネット上で大々的に展開するという自分の夢を実現させることだった。そしてこの試みがすんなり日本のネットユーザーに受け入れられるものだと、本気で信じてもいたのだろう。
つまりオーマイニュースの失敗は、なによりも日本のネット界に対する呉氏の無理解に端を発している。
これは素人記者の起用以前の問題で、仮に凄腕のプロの書き手だけを寄せ集めて日本のネット上に呉氏にとって理想的な親韓メディアを再度立ち上げたところで、それが商業的な成功に繋がるとはとても思えない。
むしろこの事例では、成功のカギを握っていたのはプロの書き手ではなく、「サイトの活力を生み出す」ただの素人に過ぎない大衆つまりユーザーだった。
そして彼らからのある程度の同意や賛同を得るには、まず「嫌韓」の徹底的な認知と理解から始めなければならなかったはずなのに、残念ながら呉氏は日本のユーザーからの敬意や信頼よりも自身の思い込みを優先してしまった。
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とはいえ、オーマイニュースの失敗すべてを呉氏のせいにするのは当たらない。編集部にしろ市民記者にしろ、呉氏と同様、自分自身の夢や思い込みを最優先する人々がなぜか集まってしまった結果そうなった、と言って差し支えないと思う。
ではそれらの人は皆、宮脇氏の言う素人だったのか。そう言っても差支えない。ある人はオーマイニュース編集部を「「素人を俺達プロが導けばいいのさヒャッハア」なプロ意識が無い人たち」と評していた。
だから「オーマイニュースが教えてくれる素人の限界」という宮脇氏の記事の主題そのものは全く正しい。ただし、オーマイニュースは市民記者だけでなく、皆が皆「プロ意識が無い人たち」だったので失敗した。呉氏は韓国市民メディア内ではプロだったから成功したのだろうが、日本のネット界への理解という点ではずぶの素人だったので失敗した。
いや呉氏だけではない。ニュースの職人を自任していても、ネット上の実名匿名の意味するところを見誤るならそれはやはり素人判断だし、紙メディアでの成功という肩書や手法があっても、自分の目の前にいるネットユーザーのニーズや皮膚感覚を無視すれば素人同様に結果を出すことはできない。
そう考えると「自分は素人ではない」と自負する素人ほど怖いものはない。そして自分はその分野では素人だから失敗したのだと途中で気付いてきちんと軌道修正ができないというのが、素人の限界なのだろう。オーマイニュースはそういう素人が集まり過ぎたために失敗した。
思うに、せめて上層部にすべてをコントロールできるだけのプロがいたなら、素人であるネットユーザーのニーズをきちんと見極めつつ、素人の市民記者の中からプロになれそうな人材を見つけ出して育て上げられたのかもしれない。
このオーマイニュースの失敗から何を学べるだろう? ガ島通信の藤代氏によれば、ネットでは今後、プロとして「ユーザーの時間を獲得する」までになるにはどうすればいいのかというのが課題となる。
しかし僕も含め、ネットメディア関係者はまず最初に、自分が恐らくは素人だという自覚から始めるのが無難なようだ。










ネットには評論家は存在し得ない。参加者が全てでそれ以外に無い。そのことを編集長とか肩書きで乗り越えようとした素人が自爆したのがオーマイニュースでしょう。
「誰が書いたかでは無くて何を書いたか」がネットの掟。それを上から目線で制御(編集)できると信じた輩の末路がオーマイの終演でしょう。
#端数の原稿料で酒買って弔いしてやったわぁ(笑い)