先週末、3日間にわたって車で道東をまわった。観光旅行ではなく、おもに人と会ったり、畑をみたり、漁場をみてきた。
国道沿い、数百メートル毎に点在する民家。どんな地方に行っても当然のことながらその民家は絶えない。どこにでも人は住んでいる。都市に住むことになれている人間から見れば、どうしようもなく不便であろう土地にも人は住んでいる。
白滝村の奥に廃校を利用したパン屋さんがあるというので向かった先は、聞けば70歳過ぎの老人しか住んでいない古い家がならぶ10数軒の集落だった。手入れされた庭のきれいに咲いた花だけが「住んでいます」のサインだった。車も運転できないだろう老人が、商店のある集落まで10数㌔もある土地になぜ住み続けるのか。
サロマ湖とオホーツク海が合流するその北側の突端に三里浜キャンプ場があり、そのすぐ近くにも集落がある。ほぼ全ての家が漁業や水産加工を生業としているが、ここにもスーパーはおろか小さな商店も見当たらない。
「こんな不便な場所には住めない」都市に住む人間は簡単にそう言いとばすだろう。
確かにそうかもしれない。恐らくは月に数回、車で数十㌔離れたスーパーで買った食料品や日用品で一週間以上は過ごしているだろう。テレビの世界は現実とはまったく異世界のファンタジーなのかもしれない。もちろん、都会への憧れを持つ若者もいることだろう。「ここは何もない町」と卑下する者もいるかもしれない。中央の政治家が地方の知事に対して上から目線でいられる構図と一緒だ。現実にこの構図を打ち破るのはとても難しい。
しかし、私はこういった土地でプライドを持って生きている気高い人たちに会うことができた。彼らは賢い上に一様にしあわせを謳歌していた。地域と一緒に、自分の(あるいは家族の)歴史を紡ぐことの大切さを知っていた。
安易に「地方の活性化に北海道経済の活路」なんてことは言えないし言うつもりもない。「田舎に住もう」なんてことも言わない。ただ、「田舎に住んでいる人の日々のくらし」について関心を持つことは、自分の人生を豊かにできるかどうか、の上でとても参考になることだと思う。
旅の途中、夕方になると道路脇に点在する家にも灯がともる。おかあさんが夕食の準備をしている家もあれば、子どもがテレビを見ている家もあるだろう。おばあちゃんが1人で食事をとっている家もあるかもしれない。一軒、一軒の生の営みがある。うまく説明できないが、それはすべて、同様に尊い。











夏はキャンプ!
夏は北見で遊ぼうね♡