発毛治験報告書

あれから5年。ついに「禿」として生きていく覚悟を固めた不惑男の徒然。

情けは人のためならず

2012年05月16日 | 起業ドキュメント

 人に情けをかけるのは、その人のためになるからではなく、巡り巡って自分に返ってくることだからとても大切なことなんだよ。という解釈が正しい、らしい。「情け」をかけることに対してネガティブな解釈をするよりは、ちょっと意外性のあるポジティブな解釈の方が含蓄があって説得力に富む、ようだ。

 しかし、私はそのような考え方が嫌いだ。計算して人に親切するという行為が気持ち悪い。人に親切をするのは、その瞬間に感じた自分自身の義務感や使命感に基づくべきだと思う。それは自分自身の利益とは何の関係もない。

 日本で、ある程度の教育を受け、家庭や社会で育てられた人間であれば、困った人や苦しむ人、助けが必要な人と出会った時にある種の義務を感じるはずだ。程度の差はありこそすれ、必ずあるべきなのだ。その義務感を、「めんどくさい」「はずかしい」「自分の時間や労力をかけたくない」などの理由で反故にすることがあまりにも多い。我欲が優先し、易き方に流される。多くの人間がそうであるように、自分も同様に、その義務感なり使命感から目をそらしてしまっている。そこはもっと自分自身、律していかなければいかんなぁ、とカントを読むたびに思うのだが、なかなか実践するのは難しい。

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むき出し

2012年05月15日 | 薄毛以外の話

机の上に置いた一本の差し歯。

 グロテスクで汚らしいこの物体が、歯茎にしっかり収まるとたちまち普段のよそいきの表情を取り戻す。爪だってそうだ、生爪をはがしてしまった時、机の上に置いた左足の親指の爪の気味の悪さといったら、想像するだに吐き気を催す。おまけにクサい。しかし、体の一部として然るべき場所に収まっていればその嫌悪感はなくなる。よくよく考えると人間の体など嫌悪感の集合体でしかないのに、その生理的な嫌悪の集合体に向かって、好きとか嫌いとか、胸をときめかせるとかするのだから、人間は本質的に汚くて気持ち悪いものが好きなのだろう。子どもが「ウンコ」に執着するのはそのためだ。よく考えるがいい。ウンコのことをみんな毛嫌いするが、実際、今を生きている人間のほぼ全員の体の中にウンコが飼われているのだ。製造段階によってそのサイズはまちまちだが、女性に多い便秘症なら、相当なボリュームのウンコが体の中にいる。それなのに、何食わぬ顔で平気で町を歩いている。汚い核心の部分に惹かれている自分を無意識で覆いながらキレイ好きなフリして生きている。

 なんだか支離滅裂な文章になってしまったが、それは私がウンコを我慢しながら投稿しているからである。まさに、尻滅裂である。汚いことばかり、と言うなかれ。汚い自分から目をそらしてはいけない。自分のウンコは流す前に凝視して、健康チェックするべし。

 人間の体の内部なんて外見ほどにキレイなものではない。異性を好きになった時に、そのキレイではない内部のことをもっと知りたいと思うのは極めて自然なことだ。体の内部が外部に向かってむき出しになっている唯一の部分「クチビル」に執着し、そのクチビルを重ねたいと思うのは、根源的な生理的欲求なのだろう。「キスは美しいもの」なんて勘違いしてはいけない。人の小汚いものを独占しようとする小汚い人間の性欲に過ぎないのだ!じゃ、ウンコしてこよう。

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はずれ刑事純情派通勤篇

2012年05月15日 | ルックスネタ

今回が初のスマホによる投稿となる。そうなのだ。それほどまでに、感情が高ぶり、ハゲしく揺さぶられる出来事がたった今起こったのである。地下鉄大谷地駅の長い階段をくだる途中で、私の大切な前歯、もちろん差し歯、がはずれポロリとそのまま無情に落下したのだ。落下傘部隊のようにその瞬間はスロー再生され、朝の雑踏の中、私の頭の中で響き渡るカランコロンという無機質な音。す地下鉄に揺られながらこんな投稿してると気持ち悪くなる。もうバスセンター前だからやめよう。

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やり過ぎ感

2012年04月30日 | 薄毛以外の話

過ぎたるは及ばざるがごとし。

そうなのだ、ブログ更新し過ぎなのだ。でも今週は更新できないことを予めことわっておく。なぜなら明日から出張だし、このGWが正念場的なことになっているので「ブログなんて描いてるヒマねーぜ」って状況だし、もし一緒に仕事している人がこのブログを見たら、「お前そんな時間あんのか」とドヤされる状況なのだ。

これも自業自得。1人で事務所で仕事していると、なんだかんだでダレちゃう。YOUTUBEは特に危険で、最近は保守論客の弁論を観まくって気がついたら夜中になっていたとか、とにかく自由な状況にいると、自己制御を失ってしまいがちである。もっと自律しなければならない。ふとした隙にカントを読んでそんなことを考えているヒマがあったら仕事しろ、オレ。

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組織編成

2012年04月27日 | 起業ドキュメント

新しい会社を作るにあたり最も重要な問題は社長をどうするかということだ。

新会社は、私も含め何人かの個人事業主と会社役員が今の仕事を継続しながら立ち上げる会社なので登記の上でもいろいろと条件が制約される。専任で何名かの雇用をする予定だ。発起人の我々が兼業で社長をやるより、雇用する専任の人間に最低限の出資をしてもらい、社長として迎えよう!その方が、モチベーションもあがるし責任感を持って取組んでもらえる。現場の地べたを這う代表取締役だ。

 しかし、ひとつ懸念材料がある。その雇われ社長が図に乗るとマズイ。「俺は社長なんだから、おまえら言うこと聞きやがれ!」その昔、Appleのスティーブ・ジョブスが経営立て直しのために自ら招聘したジョンスカリーに結果的に会社を追われたような、下克上にあっては堪らん。まぁ、その社長候補はそんな人間ではないのだが、名刺の肩書きをどうするかは慎重に検討した。

いよいよ来週、その名刺が刷り上がる。彼の名前の下には最も適切な漢字8文字の役職が刻まれているはずだ。「代表取締役販売員」と。
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ジェンダー

2012年04月26日 | 薄毛以外の話

ヒトは生まれてから2.3年は赤ちゃんと云う。

そのうち、強くて早くて大きなものに興奮するタイプと、キレイで可愛くて小さなものに惹かれるタイプの2種類に分かれてくる。前者は少年と呼ばれ、彼らは赤ちゃんの要素を十分に備えつつ、その排他的な性質から「幼さや女々しさを毛嫌いする自分」を周囲にアピールする。それは、後天的というよりは先天的に組み込まれたプログラムに基づいている。ほとんどの「少年」には男性器がついており、ほとんどの少女には女性器がついている。だいたい一致している。だが、ごく稀に一致していない方がいる。

「女らしい男」と「男らしい女」、恋愛の対象としてどちらをとるかという話。私は即答する。「女らしい男」だ。乳房や女性器が好きなのではない。女らしさが好きなのだ。では「女らしさ」とはどのように定義づけるのか?そこが重要だが、今日は忙しくて面倒なのでやめておく。ブログは、面倒でも、完結しなくても、続けることに意義があると思い始めたのだ。

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離れた場所にいる人と連絡をとる方法

2012年04月25日 | 治験ドキュメント

20年以上前は、電話か手紙しかなかった。

即時に連絡をとりたいという需要が圧倒的に多いことから、離れた場所にいる人と連絡をとる方法はほぼ電話が主流だった。当時、大学の先生がこんなことを言っていたのを今でも覚えている。「電話なんて失礼なものはオレは好かん。人の都合もへったくれもない。電話のベルがなるだけで不愉快だ。」当時、そんなことを聞いて「ふ〜ん、そんなものか。失礼な手段て、なんか斬新な捉え方だなぁ」と思ったものだ。しかし、今の時代にそのような話を聞くと「そんなん、あたりまえでしょ。」と同意する人がほとんどだろう。時代とともにコミュニケーションのあり方が変わった証左だ。

メールがテレコミュニケーション(遠隔連絡)の手段として優位性を持っているのは「手紙ではライムラグが大きすぎる」「電話では失礼すぎる」という2大手段の大きな課題を見事にクリアしたからである。決して進化したコミュニケーションのカタチなのではなく、空気を読むことを大事にする遠慮がちな日本人にはとりわけフィットするコミュニケーションなのだろう。コミュニケーションのメインストリームがメールという手段に切り替わることによって「電話は失礼な手段」ということが顕在化したわけだが、それ以外にもコミュニケーションのカタチには大きな変化が起こった。

◯自分の伝えたいことをまとめるのは上手だが、対話が苦手。

ほかにもいろいろあるだろうが、この対話下手な人が増えたのは間違いない。友達の心の中に積極的に踏み込んでいくことを恐れる表面的な付き合いは、あたかも電話をかけるのを恐れて空気を読みながらメールを送る行為にリンクする。今「長電話」をする人間など絶滅危惧種といってもよい。

桃屋のCM「長電話、聞こえるように邪魔をする、ごはんですよ!」のコピーが懐かしい。

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宣戦布告

2012年04月24日 | 薄毛以外の話

少し体重が増えたので、減量しよう。ダイエットなんて簡単だ。食わなきゃ減る。物理的な問題だ。

そういう考え方で、実際に一週間で3㌔程度なら簡単に落とすことができた。つい2,3年前までの話である。しかし、昨年秋から一方的に体重が増えている。食わなきゃ減るダイエットでは減量が進まなくなった。新陳代謝の悪さはもはや死体レベル。

自転車を奪われ、サッカーをする時間も奪われ、ジョギングする自由も奪われ、腹筋や腕立てをする意欲も奪われてしまった。怠惰という怪物になにもかも奪われてしまった私の体重は77㌔までに膨れ上がり、何をするにも「めんどくせぇ〜」と思ってしまう本格派デブの仲間入りをすることになった。

もうこのブログで減量宣言するのはやめよう。しかし、このデブの門を叩き、今の体型にあった春夏モノの服を購入することだけは避けたい。今回ばかりは本気でやらなければ。食事内容と摂取量および摂取時間の制限、有酸素運動と筋力トレーニング、そしてそれを記録してメンタル面も管理。これだけの複合的な取組みが必要だ。勝てるかどうかはわからないし、自信もないが、最強の宿敵(とも)である怠惰という怪物に宣戦布告だけはしてみる。

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清掃のおばさん

2012年04月20日 | 薄毛以外の話

男子トイレでたまに出くわす清掃のおばちゃん。

このマスクをした腰の曲がったおばちゃん、メガネをかけて、頭巾を被って、疲れた表情と見え隠れする白髪を、私は見るでもなく、なんとなく感じ取り、何の躊躇もなく男子小用の便器の前に立つ。便器にたたきつける放尿の無遠慮な音が響く。その瞬間、そのおばちゃんの背筋がピンと伸び、頭巾とメガネとマスクを同時にはぎ取ったそのベールの中に、絶世の美女が登場する。そしてその美女(おばちゃん)は言うのだ。

「実はそのおしっこの音を間近で聞きたくて、わざわざこんなカッコしてたのよ。びっくりさせてごめんなさい。」

茶目っ気たっぷりに舌を出し、ペコリと一礼をする。

そんな夢を見て、余韻に浸っている暇はない。

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情報は雲の上

2012年04月19日 | 薄毛以外の話

小学校の時は、ジャンプ・マガジン・サンデーを毎週購読していた。中学校に入り、幅が広くなり、そこにアニメディア、アニメージュ、マイアニメ、FMファン、タングルドアップインブルーという音楽雑誌が加わり、私の小遣いやお年玉はほぼ100%雑誌とレコードに費やされるようになった。小説や批評本なども読むには読むが、それは家にあるものをなんとなく手にする程度で、自分がお金を出すのはほぼ雑誌だった。高校に入るとアニメ雑誌に替わり、ポパイ、ブルータスなどのファッション雑誌が加わった。そういう10代を送ったものだから、時代に取り残されることに常に恐怖心を抱くようになり、新しい情報に対し常に渇望状態にあった。「情報は手間とお金を使って自分から取りに行かなければ得ることができない」そんな時代だった。手間とお金をかけて得た情報には価値がある。その情報は自分の頭に深く刻み込まれ、自分の血となり肉となった。

当時と今では、世の中に流通する情報量はおそらく3桁ちがう。情報は、手間もお金もかけることなく目の前に転がっており、いつでも取り出すことができる。重要なのは頭に刻み込むことではなく、大量の情報からその時にもっとも必要な情報を「選択する」ことである。つまり、自分の頭の中に「引き出し」は必要ない世の中になっている。世界中どこにいっても、情報を取り出す引き出しがある。記憶装置をもたないシンクライアントのPCでもクラウドコンピューティングの時代はそれで十分であるかのごとくに。

例えば電話番号。携帯電話のない時代、誰でも頭の中に知り合いの電話番号の20件や30件はインプットされていたはずだ。今、そんな人間はほとんどいない。

「昔はよかった」なんていうつもりは毛頭ないが、選択ばかりする人間は「選択肢をつきつけられない限り自ら考えることをしない」のではないだろうか?批判精神は大切だが、独創や実践がまったくともなわずに根拠のない自信で批判ばかりしている若者が少し目立っている気がするのは、こうした時代背景が少なからず影響しているように思う。

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トーチソングトリロジー的な

2012年04月18日 | 薄毛以外の話

 世の中、イケメンが増殖中である。かつてのイケメンである私の価値は相対的に下がり、もはや「一生モテキ」宣言を撤回しなければならない状況に陥っている。まぁ、そんな宣言してないけど。

 今朝、地下鉄に乗り合わせた私の正面に座った20才そこそこの少年が、空前絶後のイケメンであった。あまりにも美しかったのでどうしても目がいってしまう。これは異性も同性も関係ない。特筆すべき一面を持っている対象には好奇心の赴くまま視線を当ててしまう私の癖は治らないし、治すつもりもない。いやー、なんか、友達になりたいなぁ。そんなことすら思ってしまう。

 その少年とは、やたらと目が合う。2度、3度、どころではない。4度、5度。いや、もっと。しかも、私の視線に応えるように合わせてくるだけではない。もともと私が外した視線を彼に合わせた瞬間、すでに彼は私を見つめているのだ。これは、もしや、と思った。

 20年前、卒論のテーマとしてとりあげた「同性愛」。私はこのテーマに対する人類学的なアプローチのためにフィールドワークといって、1ヶ月ほど同性愛者と寝食をともにしたことがある。この現場で学んだことだが、同性愛社は好みのタイプを絞り込む傾向にある。「デブセン」「フケセン」などという言葉はそれぞれ「デブ専門」とか「フケた人専門」という対象の絞り込みを意味する。

 この絶世の美少年、20年前の経験を思いだし、ほぼ間違いなく彼は同性愛者であると私は確信した。そして、ほぼ間違いなく「ハゲセン」であるとも。久々にドキドキさせてくれたが、残念ながら私にその気はなかった。

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打倒ホ◯◯ン!

2012年04月17日 | 薄毛以外の話

もちろん、内蔵が憎いという理由で、打倒ホルモン!と言っているわけではない。

桐灰のカイロが大好きだからという理由で、打倒ホカロン!と言ってるわけでもない。

6月から旧体制に風穴をかけるべく、新しい事業に挑む。

もちろん、巨象にとって今の私などチンカス以下の存在でしかない。

しかしチンカスも、本気を出せば巨象に一泡ふかすことくらいはできるのだということを証明してやろうではないか。

強烈な臭いを蓄えて巨象の鼻を曲げるくらいのことはしてみせよう。

と熱く意気込んでみたが、別にそんな気負いがあるわけでもない。

なんか面白くて、人の役に立つことをしてみたいと思っていたら、然るべき出会いがあって、そんな挑戦をすることになった。

6月〜7月の開始に向けて動き出している。6月くらいになったら詳細を伝える予定。

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酒と涙とブログとSNS

2012年03月01日 | 薄毛以外の話

閉鎖しようかと考えている。とかなんとか言って、半年以上ぶりに投稿している自分。フェイスブックとかツィッターやミクシィなんかのSNSがブログの代替として機能するだろうと思って、ブログはまぁもういいかな、と思っていた。

ところがである。ブログとフェイスブックは全然違うメディアであるということに最近気がついた。

フェイスブックで顔見知りの人が多い私はどんどん友達が増えてしまい300人を超えるようになってしまうともはや自分のウォールですら「自己主張」ができなくなるのだ。もちろん「キワドい」発言など絶対にタブーだし、ハゲネタですら躊躇してしまう。空気を読む日本人的感性を持つ私にとってはどうにもピッタリとは馴染まない。

そんなわけで、フェイスブックでは当たり障りのない食べ物中心の投稿。こちらのブログはどちらかというとホームグラウンドでなんでもぶっちゃける的な投稿、ということで細々と続けて行こうかな。

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そろそろ

2011年07月30日 | 読者へ

このブログは閉鎖しようかと考えている。

このブログを始めて6年がたち、更新頻度も極端に少ない割に100名近い読者が毎日のようにチェックいただいているのは恐縮至極で、閉鎖宣言をするのは大変忍びないのだが、日々の徒然や思いつきをしたためるよりも、もっとしっかりとした考え方のもとにテーマ性を持った情報発信をしたいと考えた。

第一、治験などブログを始めて半年で終了しているくせに発毛治験などというタイトルで6年もひっぱっているなど、正気の沙汰ではない。

そんなわけで少し時間をおいて新たに発表の場を設けようと思案中。詳細は近日中にここで報告します。

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今の時代に足りないもの

2011年07月18日 | 薄毛以外の話

 産まれた時からテレビアニメを見続けて40年。昔は平日休日問わずプライムタイムの19時からの1時間は毎日人気アニメが放映されていて、毎晩本当に楽しみにしていたものだ。今はもうプライムタイムにアニメを観る機会などなくなってしまった。いつのまにかアニメは小さな子どもと一部のマニアのためのコンテンツに成り下がってしまった。

 銀河鉄道999、ど根性ガエル、あしたのジョー、タイガーマスク。だれもが知っている国民的なアニメ作品には意外な共通項がある。がんばれ元気、一休さん、ドカベン、キャンディキャンディ。これらにも共通している。わかりやすいところでは、てんとう虫のうた、みなしごハッチ。そうなのだ、片親もしくは両親がいないこどもたちが主人公なのだ。

 どうしてなのだろう。昔といえども片親がマジョリティーだったとは思えないのに、なぜこうも人気アニメは「生まれながらに不幸を背負ったこどもたち」たちばかりなのだろう。

「人の不幸は蜜の味だから」

そう思う人もいることだろう。しかし、僕たちはそんな上目線でそれらのアニメを楽しんでいたわけではない。ジョーだって、タイガーマスクだって、純粋にカッコ良くて憧れの存在だった。作品の作り手も決してそんなずる賢いマーケター的な厭らしさで作ったのでは決してない。

当時の私たちこどもには気がつかなかったが、そこにはきっと作り手と受け手である大人たちの間に「逆境にあるこどもたちを元気づけよう」という共同意識があったのではないだろうか。それは気負いのない日常生活のなかで文化として根付いていたのではないか。そういう社会の雰囲気や価値観が、あの頃は確かにあったような、そんな気がしてならないのだ。こどもは社会が育てる。それは育てようとして育つものではなく、社会の雰囲気や価値観が育てていく。片親の子どもたちが、上を向いて希望を抱いて生きて行ける社会がきっとあったのだと思う。

今も確実にたくさんの片親の子たちがいる。彼らや彼女たちの心の肥やしになれるものって、今の時代はどんなものなんだろうか。まぁ、そんなコンテンツが本当に少なくなってしまったからこそ、ワンピースが大ヒットしてしまうのだろうが。

 

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