子育て堂

おとうちゃん劇団員、おかあちゃん保育士
高校生・中学生・2歳児・ワンちゃん
小さな我が家は子育て堂(^^)

夢に近づく秘訣

2006年04月30日 06時56分37秒 | メッセージ
夢に近づきたいのなら
夢が心にあるのなら

夢ばかりを追い求めるのではなくて

生活をする中で
仕事をする中で

夢のためにできることをちょっとずつやっていくことです。
こつこつと積み重ねることで夢が叶うというならば、それは現実の中から始めなくては。

生活に不平不満を言っていたり
仕事に不平不満を言っていたり
夢が叶わないのをそれらのせいにしていては

やっぱり夢はただの夢で終わってしまうもの。
せっかくだから価値ある夢にしたいもの。

その夢のために何ができるか。
今の自分に何ができるか。
それを見つけて、こつこつとやっていくことです。

夢にばかり固執しないこと。

それが夢に近づく秘訣です。

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昨日はとても楽しいお茶会に参加してきました。ありがとうございます。
恒吉彩矢子さんと吉野奏美さんの「ハートフルスピリチュアルお茶会」

お二方の出版記念もかねて♪

【お薦め本】

「夢をかなえる魔法ブック きっと見つかる幸せの階段」
吉野奏美 著 ゴマブックス

「ツキに愛されるハッピー・プログラム」
恒吉彩矢子 著 ゴマブックス

とっても素敵な姉妹本♪

4月も終わりですね

2006年04月28日 08時56分34秒 | 親と子のコラム
入学・進級して4月も終わりになってきました。

このひと月、心身共にお疲れのことと思います。
本当に毎日のこと、特に小学校1年生の親御さんはそうだと思います。
幼稚園や保育園の時のように園にいる子供の姿を目の当たりにする機会が減り、
学校までの行き帰りが無事でありますように
学校でお友達とうまくやってくれますように
学校で授業についていけますように
今日は忘れ物はなかったかしら?
泣いたりしてはいないかしら?

・・・心配事を挙げ始めればきりなく出てきますね。

そして同じくらいに
もうすこし何でも自分からお支度できるようにならないかしら
もうすこししゃきっとしてくれないかしら
もうすこしだらだらしないでほしいのだけど
もうすこしいろんなこと話して欲しいのだけど

・・・要求も出てきますね。

今のこの時期に
「最近朝家でだらだらしちゃって、出るのが遅くなりがちで」とか
「家に帰ってくるとむすっとしてなんにもしゃべってくれなくて」とか
「だらだらごろごろしているんですよね」
そんな声がたくさん聞かれます。

4月のこの時期は疲れの出る頃です。
子供達、お母さん、お父さん、社会の人みんなみんな。

マラソンのスタートに例えてみますと
「パーン!」勢いよくスタートを切りました。
団子状にみんなもそもそ走り始めます。
自分のとなりにいる人は誰なんだろう。
後ろには誰がいるんだろう。
キョロキョロしながら、とりあえず走り続けます。

走り続けると息切れがしてきますよね。
スタートの緊張感をそのまま引きずって走っているのですから。

今、その状態。
だから大丈夫。

長距離を走っていると途中必ず苦しくなりますね。
でもゴールが見えてくるとなんだか足も軽やかになってまた走り出せたりして。

子供達は疲れ始めていますから
だらだらしていたら、そっとそばにいて背中でもさすってあげてください。
その小さな背中のあたたかさを感じてみてください。

大人もそう。
いろいろな気苦労で、また大人は大人の新しい環境で
出会いや学びがあったとしても、心と体が悲鳴をあげているかもしれません。
どうぞゆっくり休んだり、
そうそう、自分へのご褒美なんかいかがですか?
自分自身に「よくがんばったね」と言ってあげることができたとき、
子供や家族にも「よくがんばってるね。元気でいてくれてありがとうね。」と
素直に言えるかもしれません。

おうちのお掃除、プチ模様替えも案外気持ちがすっきりします。
子供達の身の回りの整理、お部屋の片付けも一緒にやってみるといいかもしれません。
おうちの中がきれいになることは心にも体にも優しいことです。

そして家族で外食したり、ビデオを借りに行ったり、も いいですし、

心の中に「ゆとり」の居場所を作ってあげて
気持ちよくリフレッシュしてきてくださいね。

いってらっしゃーい!

【お話】ろばのひとりごと

2006年04月24日 08時57分49秒 | お話
「ああ、うまそうな空だ。」

ろばは 農機具をひく足を止めて、
まじまじと空を見つめた。

光が織り込まれてできたさわやかな青は
そう、神様にしか作り出せない。
それに、あの雲。
ほわほわと今にも私を包んでくれそうじゃないか。

ろばは ゆっくりと大きく息を吸い、
そしてそれよりもゆっくりと息を吐き出すと、

「さて。」

と、実にあっさりと、ふたたび農機具を引きはじめた。
けり出される土がなぜかサワッサワッと先程より歯切れよい。

ごらん。
ろばの姿をよぉくごらん。

ろばの茶色の毛皮がくるんでいるあたたかい体内を
透き通らせてしまうほどの視線をそそいでごらん。

ほら。
今見たまんまのぬくぬくとした青い空が見えるじゃないか。

ああ きれいだ。
とても きれいだ。

*おしまい*

(C)tukkin/Kiyoko Kishino/Umako Mononobe 2006.1.31

「いただきます」「ごちそうさま」

2006年04月23日 12時13分51秒 | 親と子のコラム
「学校給食で給食費を払っているから『いただきます』と言わせないで欲しい。」論争。
ご多分に漏れず、なんじゃそら?な反応しか示せませんでした。

「いただきます」
命をいただきます。
食材だけでなくて、それに関わった全ての人・物すべてに感謝を込めての言葉。

「ごちそうさま」
馳走:走り回る、という意味。
走り回って食材を運び、料理してくださったこと、
そして生きる力にさせていただいたことに対する感謝の言葉。

お金で代替えしているからいいでしょう?とはやっぱり思えないです。
お金も大切だけど、それだけでは片手落ち。
心も大切だけど、それだけも片手落ち。
世の中、お金も心も大切なものですから、
美しい布を紡ぎ出すように織りあわせていかなくては。

気持ちの美しい娘がかったんこっとん機織りをして
若者はそれを町へ売りにゆく。
昔話の何気ない一場面は奥深かったりするものだなぁと感じます。

「いただきます」を言わせないで欲しいと願う人に支払われたお金がかわいそう。

「いただきます」「ごちそうさま」
ちょんっと手を合わせる男の子がいます。
ご家庭に流れる空気の美しさを感じます。
別に手をあわさなくてもいいけれど、さりげない動きが美しいのです。
美しいものは見る人の心も美しくしてくれます。ありがたいことです。

ところで、給食費についてそれ以前の話の方が私には問題だと思われます。
「給食費を払わない。」

毎年毎年かなりの件数があるようです。
それで、給食がまずいだのもっといいもの食べさせろだの、言えないって。
先立つものがないのだから。払ってもらえないのだから。
でも、子供達が学校へ行っている限り、食べさせているんでしょ?
それって、それって
ただの「食い逃げ」じゃん?
それ、子供にさせちゃうんだ・・・。

学校だから?学校や行政なんかはちょろまかしても平気なのかなぁ。

大人がそれではその子供はどうなるんだろうね。
人なんかちょろっとごまかしてしまえばいいや、
そんな心を簡単に植え付けてしまって何とも思わないの・・・だろうね。
権利ばかり主張して、文句ばかり言う人は
ただ文句を言いたいだけの人ですからと自ら証明しているだけのこと。

給食費を払うのもままならない家庭の事情などもあります。
それにはちゃんと市役所などへ行けば教育費援助制度などもあります。
調べもしないで、書類を書くこともしないで、
請求されたら文句だけは立派に言うでは、恥ずかしいだけですよねぇ。

「払ってなんかやらなかったの!」と大いばりしてたりしてね。┐( -"-)┌

「いただきます」「ごちそうさま」
伝え続けていきたい美しい言葉です。

私が尊敬してやまない
ディジュリドゥ奏者のToshi小島さんの歌「いただきます」ご紹介します。


「いただきます」作詞・作曲:Toshi小島

私を今日一日生かすために
かけがえのない いのちを与えてくれた
物言わぬあなたたちに
私を今ここに生かすために
繋ぎ伝えた いのちを与えてくれた
縁深きあなたたちに
私を明日からも生かすために
汗に変えたる いのちを与えてくれた
名も知らぬあなたたちに
こころから感謝を込めて
いただきます

(2005年発売アルバム「空(くう)」より)

Toshi兄、全国各地でこの歌と「ごちそうさま」の歌を歌い続けてくださいね。
どうぞ体にお気をつけてね。
Toshi小島さんのライブ情報などはこちら。
喜楽堂
http://www.kirakudo.com

思いやりの種

2006年04月22日 14時06分10秒 | 親と子のコラム
最近はすてきな名前のお子さんがたくさんいて、
古風な名前の私はうらやましいなと思ってしまいます。
みんなセンスあるなぁ、うらやましいなぁ。

ところで、
人のお子さんを呼び捨てにされる方がいらっしゃるのですが
やっぱり時と場合をきちんとふまえて欲しいなと思うのです。
どれだけ仲がよかろうと
どれだけ普段よく接していて本人を呼び捨てで呼んでいようと

学校の先生や保育士さんとの会話にお友達のお子さんが登場する場合、
当の本人がいてもいなくても
当の本人の親御さんがいてもいなくても
呼び捨てになさっているのを聞くと、とても残念な気分になるのです。

いろんなお子さんやその保護者の方ととっても仲良しで
お互いわかりあっているのかもしれません。
けれど、そういう場面での呼び捨ては
本当に相手を大切に想っているとはみえないのです。
そして、
この方はTPOをわきまえていないのでは?とか、
うわさ好きかも=要注意というチェックが入ります。
たったそれだけなのですけど、これは事実なのです。

先日テレビで私立幼稚園のお受験事情をやっておりましたが、
その面接試験の主たる観点は「親」で、普段気にも留めない立ち居振る舞いから
すごくいろんなことが見えてくるそうです。
相手はプロだからね。

お受験をしないからいい、というのではなくて
相手を本当に思いやって発言するとなれば
当然、自然と「**ちゃん(さん)、**くん」と付くと思うのですがいかがでしょう。

いただきます、や ごちそうさまの場面でお友達同士注意し合うときもそうなんですけど
「康太、美咲。静かにしてください。」

「康太くん、美咲ちゃん。静かにしてください。」
では、
名前を呼ばれた側も受け取り方が全然ちがうと思いませんか?
後者の方が断然「おっとっと、ちゃんとしよう。」とすんなり思えるものなのです。

名前を呼ぶ方も実はそこに込められるニュアンスが全然ちがってきます。
呼び捨てだとストレートに
「んっもぅ!ほんとにさっさとちゃんとしなよっ。」

「くん」「さん」が付くと「ん」の効果で一呼吸おくことができますから
ニュアンス的には「ちゃんとやってね、よろしくね。」と柔らかくすることができます。

こんなふうに些細な違いだけど大きな違いを産むのです。

思いやりのある人を育てたければ
自分も思いやりのある人でなければなりません。
思いやりの種は実はこんなにもちっちゃくてささいなものなんです。

小さな小さな種ですけれど、
大事に大事に育ててください。
その花は多くの人の心を和ませる素敵な花を咲かせるでしょう。

友達になるということ

2006年04月02日 19時38分27秒 | 日常のヒトコマ
息子を少林寺拳法の道場へ連れていくとき、
息子の同級生も一緒に車に乗せていくのですが、

その子が息子に話していた何気ない話がとても心に残りました。

「ちがうクラスでボクが友達になったのはカケだけだなー。
帰る方向が同じでね、いつも会うからちょっと話して、
それから帰りに会ったら話して話して話して、それで友達になったんだ。」

話して話して話して、友達になった。
友達作りの基本ですね。

話して話して話して、友達になった。
言葉を交わさなければ、だれとも友達にはなれませんものね。

話して話して話して、友達になった。
相手のことを大事に思えるって素敵なことだね。
君達の友情に乾杯!

いろんな人間関係で疲れてたところでしたので、
とても大事なことを教わった気がしました。

あなたはあなたのままでいい。
わかってくれる人は、ちゃんといます。

習い事について

2006年04月02日 07時35分46秒 | 親と子のコラム
私は、基本的に習い事っていいなと思います。

習字なら習字、拳法なら拳法などその世界を知ることができるから。
教わるということの姿勢を学んできたりもするわけです。
そしてその世界に関わる人との出会いがまた成長に繋がる。
すばらしいな、と思います。

私の子供達も娘はピアノと習字を息子は少林寺拳法と習字を習っています。

子供達にしてみれば、面倒くさかったりするし、
厳しいことを先生から言われたら嫌になっちゃうし、練習なんてつまんないし、
でもそこへ行けばなんだか楽しいし、というところでしょうか。
習い初めの数年はおそらくそんなもんなんじゃないでしょうか。

習い事を始めさせるということは、私は親もそこに入ることだと思います。
続けるということは大変なことです。
でも何ごとも続けてみなければ、
本当のおもしろさ、その世界の深さを知ることはできません。
続けるには、親も努力しなくてはなりません。
とにかく連れていく、先生に「よろしくお願いします。」と言う、先生と話をしてみる、
そういうことを親もしていかなければ続けるということは難しいと感じます。
誰だって、楽な方がいいもの。
その時間そこに行ってくれりゃ安心でいいや、という考えは先生に失礼なことです。
保育所じゃないのだから。

習い事の先生というのは、やる気のあるなしを見極めています。プロですから。
子供のではない。親の。
親の態度、姿勢は子供に如実に出ますから。
うわべだけのものはあっさり見抜かれます。
子供自身のはっきりとした「自分の意志」が出てくるのはそのあとです。
先生は子供のやる気に応じてどんどんいろんなことを教えてくれます。
やる気のない子にはそれなり、です。
どんな世界も厳しい世界です。

私はその道の先生ではありませんから、
先生に子供が直接言われたことを私が再び言ったりはしません。
わからなければ、聞いてみようよ、と言うだけです。
最初は一緒に立ち会うこともありましたが、今はもうそんなことはありません。

私自身はピアノのレッスンも少林寺拳法の稽古も毎回ではありませんが
見させてもらっています。
そこで、私自身もいろんなことを学ぶことができます。
特に少林寺拳法は未知の世界でしたから、
あら、護身術に使えるわ、とか、先生とお話しすることで先生の魅力に気づき、
この先生のもとで学べるってありがたい、そんな気持ちを持ったりします。
道場に通っている人と顔見知りになることで、ずいぶんおもしろい思いもさせてもらっています。

続けることでいろいろなことを乗り越えて
子供自身の力で「これをもっと続けてみよう。」という気になれば、
あとは子供に任せればよいだけです。

そういう意味では、娘は私の手を離れました。
自分の意志で音楽を続けています。
私にはピアノがある、ということが自分自身の拠にもなっているようです。
これしかない、という思いではなくさらに幅広げたいようです。
多くの苦労・挫折も経験してきたから少々のことではめげないでしょう。
ここまでくれば、これからのことは自分で決めればいいのです。

だから、子供の習い事って親もしっかり関わるから本当は結構大変なことなんです。
それなりの覚悟が必要なんです。きっかけはなんだっていいのだけどね。
それから、
言わずもがな、向き・不向き、先生との相性などの見極めはねぇ。
あくまでも親のちっぽけな夢や理想を子供に押しつけないように。
それはエゴだから。