続・中岳龍頭望

脱力系から熱血系へ。ま、志はということで…

オリンピックに国旗や国歌は不必要?

2016-10-20 | culture

 パオロ・マッツァリーノ氏のブログで、スポーツの前に国家や国旗の掲揚をする意味が分からない、というようなことが書いてあった。さらに1960年には既にオリンピック員会の会長から、将来的にオリンピックから国歌斉唱や国旗掲揚は止めさせたいという発言があったことなど紹介されていた。まあ、そういうリベラルみたいな考えがあることは分かるけど、スポーツというのは純粋に国家や政治と色濃く絡んでいるのが普通だと思っていたから、特に違和感がある。だから僕はオリンピックには興味が無いんだけどな。結局否決はされたらしいが、現在に至るまで繰り返しこのような考えや発言は繰り返されているらしい。切っても切れないものを切ろうとしても、平和になんかならないとは思うけど。さらに国家はもちろんだけど、人の興味というのは、自分の近い地域なんかとも関係があるわけで、選手のための表彰という側面に、国家などの枠が外れたとして、果たしてどれほどの名誉のようなことになるのか、という感じもする。要するに個人の後ろ盾という欲求とも合致したものなのではなかろうか。
 個人の表彰でいいというのは、ちょっと突きどころとしてはありうるように見えるけれど、勝ち上がる上で、どこの地域の代表なのか、というのが先にあるわけで、それが無くて個人で参加できる大会ということであれば、そういう議論もあるかな、という気もする。東京マラソンとかボストン・マラソンとか、そういう大会に個人で出場するのとは、やはり意味が違うんではないだろうか。結局国が争っているような過剰さを揶揄しているという意味はあるのかもしれないけれど、それ以上には賢くない偏狭な考えのようにも思う。まあ、オリンピック委員会ほど、内情が汚れているような感じの組織もそう他にはない訳で(いや、結構あるのかな)、それでも便宜上そういう組織をもって大会を開催するより無い現状を前に、国家で個人等を顕彰するようなことが、大会より上位の名誉であることは間違いないのではないだろうか。
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