カワセミ側溝から (旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

笑いを求めているからこそ

2017-05-19 | ことば

 僕は基本的に絵文字を使わない。特に信念があってそうしているという意識は無い。しかし、今後もたぶん使わないと思う。使っている人を批判するつもりはないけれど、それはスタイルのようなものかもしれない。
 厳密には絵文字以前の問題だが、一時期、(笑)というのがついた文章がやたらに増えて、これは意味は分かるが、なんだろうという違和感が消えなかった。インタビュー文なんかが始まりだったと思うのだが、実際に受け答えのどちらかが笑ったという場合や、冗談で強く否定するような場合の語尾に(笑)がつけられている。漫才なんかの影響なのか、「何言うとんねん(笑)」というような文章がやたらに目につくようになった(中には(怒)というようなのもあるが、これもなんだかな)。紙面の字数制限でもあるんだろうか、などと最初は思っていたが、どうも違うらしく、そう表現しないと、冗談であることに気づかない人への配慮みたいな考えがあるらしいことも、薄々気づくようになった。ある意味で親切なのかもしれないが、人によってはおせっかいかもしれない。
 単なる保守的な感覚かもしれない。普通の文章にそれは無い方が自然じゃないか。しかし、それは思い込みのようなものかもしれないし、事実あるものを使えないのは不自由かもしれない。学術論文のようなところではあり得ないかもしれないが、論文を書いている訳では無い。特にブログの世界では、そのような自主規制なんて何の意味も無かろう。実際たまにコメントを下さる人の中には、(笑)のようなものが無いために文中の一部で冗談を理解せずにお怒りになる人もおられるようだ。よく読めば分かるはずだというのは書いているこちら側の思い込みで、単に分かりにくい配慮の足りない、さらに文章力が未熟なだけの誤りかもしれない。それでも改めないのであれば、単なる傲慢である可能性すらある。
 使わないと言いながら、今回は使っているじゃないか。本当は使いたかったんじゃないか、という意見もあるかもしれない。説明のためとはいえ、ルールは厳格じゃないし、簡単に破ってもいいものかもしれない。
 でも子供の頃に読んでいた北杜夫とか遠藤周作とか、あれはユーモア文という感じもあったけれど、そういうのを読んでクスクス笑っていたものである。文章を読んでいるというのは、(笑)が無くてもにじみ出てくるおかしみで十分なのではないか。さらに硬い文章のようでいて養老孟司のような人もいる。ツボにはまるとゲラゲラ笑いながら読んでしまうが、これが分からない人がいるらしいのも分からないではない。こういうのは分かるのが当たり前だと思うものの、(笑)が無いからこそ笑える名文なんだと思う。養老さん流に言うと、まさに他人の事など知ったことでは無いというべきか。
 という訳で、お笑い文を目指しているからこそ越えられない、一線のようなものなのかもしれない。
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