続・中岳龍頭望

脱力系から熱血系へ。ま、志はということで…

終戦の日とはいつか   八月十五日の神話

2016-10-13 | 読書

八月十五日の神話/佐藤卓己著(ちくま学芸文庫)

 先の戦争での日本の終戦日はいつか? そう問われると「?!」とたじろぐ人は多いのではないか。この本を手にしたきっかけは、僕も同じ思いだったからだ。さらに神話といわれても、意味が分からない。どうして終戦記念日の八月十五日が神話なのか。天皇の玉音放送が行われたのは8月15日で間違いなさそうだ。ただしかし、この放送を聞いて泣き崩れる国民というのは実態に合っていたのか。ラジオの音声の悪さもあってだろう、さらにその特殊な言葉づかいによって、意味を正確に理解した人はごく少なかったというのは聞いたことはあった。実際にこの放送前に敗戦の報を先に聞かされていた人はそれなりに居て、それで改めて敗戦なのだと理解した人はいたようだ。後に左翼的知識人が、この玉音放送を聞いて歓喜し、たしなめられたというような後付けの記憶を語ることが流行する。左翼も右翼もこの日を特別視したい思惑があった。さらに日本の古くからの風習のお盆と戦没者慰霊の感覚が重なる。戦後しばらく時間を置いて、さらに終戦の記憶は書き換えられて、八月十五日は特別な日として定着していくのだった。
 メディアによって書き換えられていく日本の記憶の日を巡って、さまざまな視点で終戦の意味を解き崩していく。もともと生まれる前の過去ではあるが、しかし近代史においてもっとも大きな出来事であった上に、現代の日本の形としても最も影響のあっただろう先の戦争の終戦という姿が、いかにあいまいで恣意的なものだったのかというのは、まさに驚きの事実である。先の問いの答えを遅ればせながら明かすと、国際的に合意のある終戦の日は9月2日で定着している(日本の教科書にも実はその記述はちゃんとある)。それにもかかわらず日本の国内世論と、東アジア情勢に絡んだ国々の思惑は、どうしても8月15日を特別視するのである。
 現代世論の論点としては、八月十五日である前提が右にとっても左にとっても、ある種都合が良い。しかしながらそのために、議論は空転し、解決への模索の邪魔をしているようにも見える。靖国問題しかり、北方領土問題しかり。まさに戦中世代を超えて、いまだに日本の戦後は終わってさえいない。戦後を忘れない姿勢のすべてが悪いものばかりではないにせよ、前を向けない姿勢の先に、本当に明るい解決の道があるのだろうか。物事は単純に進まないことは当然ある事ではあるが、このような問題に拘泥してしまう偽りの終戦の日を見つめることで、問題の根本を洗い出すこともできるのではないだろうか。まったく驚くべきメディア史研究の本ではないだろうか。
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