続・中岳龍頭望

脱力系から熱血系へ。ま、志はということで…

昔の男の声を聞きたいか?   アーティスト

2017-05-20 | 映画

アーティスト/ミシェル・アザナヴィシウス監督

 モノクロ。それに大部分がサイレント。しかし2011年作。仏映画。ただし役者さんはハリウッドの人も多いし、舞台もハリウッド。時代設定はおおむね1930年前後。サイレント映画からトーキー映画へ移行する、まさに過渡期の時代らしい。
 サイレント映画の俳優バレンティンは、飛ぶ鳥を落とす勢いの大スターだ。街角で記者に囲まれて映画の宣伝をしている時に、一人の客に紛れた女優志望のファンと会話する。そのことから知り合いになり、二人はほのかな恋心を抱くようになる。ヴァレンティンは主役、ペピーは端役で共演したりする。
 その後時代は急速にサイレントからトーキーへと映画作りそのものが変わっていく。サイレントスターのヴァレンティンは、どうしてもサイレント映画にこだわり、トーキーには未来は無いと言い放ち、渾身のサイレント作品を主演監督とこなし世に問う。一方ペピーの方は、エキストラ、踊り子役の端役、ウェイトレスなど、ほんの些細な役から徐々にスターの階段を上り、ついにはヴァレンティンの自信作にぶつけられる対抗馬の映画の主役にまで抜擢される。新旧の時代の象徴的な出来事と、個人の思いの皮肉なぶつかり合いになるのだった。
 基本的に非常によくできた現代映画。昔の映画であるというのを、改めて俯瞰して眺めることができるし、その当時の時代の思いというのも、概略して見て取れる。サイレントとトーキーの音の使い方を感情表現も上手くいっている。さらに犬の演技も見もので、これが無ければもっと暗く分かりにくい内容かもしれない。
 ただし、僕は主人公のかたくなな悲しみについては、ほとんど共感できないタイプの人間だ。病気なら仕方ないが、要するに駄々をこねて甘えているだけのように見える。火事にしても放火だし、とことん自己中心的で救いが無い。批判する相手のこともよく理解してないし、勝手に自分についてくる人間がいると決めてかかっている。自分が攻撃を受けている訳でもないのに、相手には攻撃を仕掛ける。これが無ければ映画的には盛り上がらないというのは、演出的に分かるとはいえ、これが引っ張られ過ぎて、後半ギリギリまで、かなり精神的に冷めてしまった。こういうところは、西洋人はしつこいところがある。もっとも日本だったら、とっくに死んでたかもしれないけど。
 そういう嫌な部分はあるにせよ、恐らく一般的な人にとっては、充分に楽しめる傑作だろう。英語中心の映画であるが、英語圏以外の人間でもこんな映画を作ることができるという、まったく見事な作品であった。
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