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寺院西0013-1 浄住寺  黄檗宗 

2016年02月06日 11時21分10秒 | 寺院

 

 

平成27年12月13日 撮影

浄住寺

浄住寺は、弘長年間(1261〜64)に西大寺の叡尊を請じて創建した律宗の寺院と伝える。応仁の乱後衰微したが、元禄2年(1689)に鉄牛禅師が堂舎を整備し、このとき黄檗宗に改められた。現存の本堂は、この時期のもので、その後方中軸上に位牌堂、開山堂、寿塔が一列に並んでいる。本堂は、元禄10年(1697)の造営になり、黄檗宗の特色をもちながらも和様の要素も色濃く見られる。また、内部両側に板敷の床を張って修業の場としており、法堂と僧堂の機能を兼ね備えたものになっている。

一番後方の寿塔は、方2間、宝形造の小規模なもので、正面のみに設けられた2段の基壇上に建つ。造営年代は、本堂と同じ元禄10年である。また、位牌堂、開山堂は江戸時代中期の再建と考えられる。本堂以下これら一連の建物は、京都市内における数少ない黄檗宗寺院を代表するものとして貴重であり、なかでも開山堂と寿塔は、黄檗宗寺院の特色をよく残しており、昭和59年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。また、本堂への参道は、途中に石段が設けられたり、両側に樹木か生い茂ったりして、その構成に特色がみられる。当境内、この参道を中心として、建物、石段、樹木等周辺の自然と一体となって優れた景観を形成しており、本堂以下の建物の指定と同時に、京都市文化財環境保全地区に指定された。京都市

 

葉室山浄住寺

810年に開創された嵯峨天皇の勅願寺で、当時は「常住寺」と称した。「太平記」によると、捷疾鬼という鬼神に奪われた釈尊の1本の歯が中国から日本に渡り、嵯峨天皇により当寺の石窟に安置されたと伝えられる。開山は慈覚大師円仁(天台宗)である。1261年、葉室定嗣により中興されて「浄住寺」と改められた。中興開山は興正菩薩叡尊(律宗)で、叡尊自叙伝の古写本である「感身覚正記」に当寺が律宗寺院であったことが記されている。

1567年に炎上するが、1687年、葉室頼孝により再興され、黄檗宗(禅宗)となって現在に至っている。再興開山は大慈普応禅師鉄牛道機(黄檗宗)である。釈迦牟尼佛坐像を本尊とし、諸宇堂が整って黄檗宗の有力寺院となった。方丈は伊達綱村の幼少時の遺館であり、現存する寿塔、開山堂、祠堂、本堂兼善堂は京都市指定有形文化財である。また、境内は自然が多く、京都市指定環境保全地区にも指定されている。寺宝として、後水尾帝御宸翰、興正菩薩再建古伽藍図、開山鉄牛禅師語録、鑑真律師伝来飛行鉢のほか多数の幅物、巻物、器物及び仏像を蔵する。京都市

 

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