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石仏山009  泉水町の三尊石仏

2016年11月17日 15時43分34秒 | 石仏

 

四ノ宮泉水町広場

御足摺池  仁明天皇第4皇子人康親王が28歳で目をわずらい山科に住んだとき、悔しくて悲しくて涙ながらに足をこすったところ、泉が湧いたと伝わり、泉水町の名の由来になっています。

        

 

 

 

四ノ宮泉水町広場

四宮大明神 人康親王をお祀りする本広場は町内はじめ有志の方々のご尽力により美しく整備されてきました。この度歴史と由緒ある地の信仰と景観を守り伝えるために法縁深い当山が寄進を受け飛び地境内地として末永くお守りしていく次第となりました。参詣の皆さまには一層のご理解とご支援をお願い致します。平成27年1月吉日

 

 

行者神変大菩薩

人康親王の時代の園城寺(三井寺)再興者、智証大師円珍さんが慕われ信仰された大峰山修験道の祖として知られる役行者さんの石像が安置されています。

 

琵琶琴元祖 四ノ宮大明神

琵琶法師さんたちが神様として祀った人康親王(天世命)をはじめ、琵琶法師さんたち(月世命)や稲荷大明神の三柱がお祀りされています。

 

不動明王・大日如来・地蔵尊

一番右側が不動尊とされています。高さは83cm。古い看板に「弘法大師不動尊」と書かれていましたが、おそらく円珍派が受け継いだ三井寺金色不動明王(黄不動尊)信仰のの流れと思われます。

中央の三体石仏は大日如来と伝わり、右の不動明王が大日如来の化身とされることからも、対で祀られたものと思われます。石仏は専門家の所見により、鎌倉時代と伝わっています。

徳林庵お茶所の四尊石仏と同じころに造られている。弥陀の念佛を唱えて敬虔に祈った当時の人々の信仰の様子がわかる。

一番左は地蔵尊。平安の昔から開けた街道、東海道隣接地の信仰の場として多くの人々から愛された石仏群です。

 

 

御足摺池  仁明天皇第4皇子人康親王が28歳で目をわずらい山科に住んだとき、悔しくて悲しくて涙ながらに足をこすったところ、泉が湧いたと伝わり、泉水町の名の由来になっています。

 

明治41年3月吉日  と書かれています

 

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石仏 前回の記事 ➡ 石仏左008  蹴上 大日堂 阿弥陀石仏

川柳

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