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太閤地蔵 とか 子安観世音  これは大きい

2015年08月26日 09時51分53秒 | 地蔵尊

太閤地蔵

像の高さは2メートル、花崗岩製、火災にかかったようで表面が磨滅し、

首が取れたのを継いだためやや不釣り合いな形になっている。

近年、顔の部分を彫りなおした、地蔵なのか阿弥陀像なのかよくわからない。

書物には「石地蔵」と明記されている。地域では「子安観音」として親しまれている。

この石地蔵はひとりでに動き出すという稀代の霊仏であるといわれた。

太閤(豊臣秀吉)が「それは珍しいことだ。

是非、己が屋敷(聚楽第)の庭内に移したいものだ。」といって、

北白川から屋敷へ移すことになった。ところが、夜中になると、

この石仏は無気味なうめき声を出し、「白川へ帰りたい」としきりに鳴動するので、

さすがの太閤も困り果てて、「仏には勝てぬ」といって、ついに元の場所に返したという。

他の古文書にも、「希代の大像にして、いずれの代の作といふ事を知らず云々」

と記されている。しかし、鎌倉時代の作であることには間違いない。

子安観世音

ここは昔から白川の村の入り口に当たり、東は山を越えて近江へ向かい、

洛中へは斜めに荒神口に通じていた。

また、出町から百万遍を経て浄土寺へ向かう細道との交差点でもあった。

この堂々たる鎌倉期の石仏は「拾遺都名所図会」に希代の大像として

描かれている阿弥陀像であるが長い年月の間にかなりの風化が見られる。

古来、子安観世音として町の人々の信仰があつく今も白川女は必ずここに花を供えて商いに出る。

御詠歌

みちばたの 川にはさまれ 東むき あさひをうける 子安観音

 

 

 

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