ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

反故紙垂れ流し

2016年10月18日 22時24分00秒 | Weblog
絵を描くに当たり、自身の関心が強く向くところをつい執拗に
追いかけてしまい、全体的に見た時のバランスが崩れたり、印象が
くどくなってしまうことが未だにままあり、未熟さを実感する。

『浦沢直樹の漫勉』でも浦沢氏本人が語っていたように、変に構えると
ダメになるとか、普段のお絵描きをする調子で描かないと堅苦しくなる
というのは、少なくとも絵描きの世界で、絵をより良く描こうとした
際に立ちはだかる共通の問題なのだろう。

以前にも書いたかも知れないが、予備校に通っていた時の先生の言葉で
未だに残っているものに『人間はリラックスしている時に真価を発揮
できる。練習を重ねるのは、リラックス時に己の技術をより良く馴染ま
せるためである(大意)』というのがある。
ここで暗に語られているのは、人間準備も練習もなしにちょっと頑張った
程度では大したパフォーマンスは出ないということと、リラックス状態で
揮われる技術こそ真に身に付いたものであるということであろう。

身の丈に合わないデザインの服をいきなり着たところで、それがどんなに
高級で優れたものであったとしても、結局馴染まずに服に着られている
ような状態では、着こなしているとか似合っているとは言い難く、例える
ならばそんな感じと言えよう。

だからと言って敬遠していても待っていても、知識ばかりを蓄積して
いっても、一向に馴染まない状態はそのまま変わらない。
結局やらなければ身に付かないし、馴染んでもいかない。いきおいその
途中には夥しい数の反故紙が積み上がっているはずで、多くの絵描きは
そんなことをおくびにも出さないが、それはつまり、努力と言うにも
値しないごく当たり前のことと認識しているからに他ならない。

若いのに上手い他人の作品を見て、打ちのめされることもあるだろうが、
それで嘆いている暇があったら手を動かして、何なら模写でもして反故紙を
とにかく増やす時間に費やした方がいい。デジタルだったら嵩や重量、
コストを考える必要もあるまい。すぐにあっさり身に付けられると思わず、
手癖になるまでしつこく手に覚えさせるまで描くのがいい。

腱鞘炎は怖いが、筋肉痛くらいなら訳はない。
好きなものをより良く描けるようになるために、忘れるくらい描きまくるのだ。
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