ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

万事に反作用あり

2017年09月19日 23時36分33秒 | Weblog
往々にして他者から夢見がちだと指摘される、『夢見がちな考え』の多くは、
ものの働きにおける"反作用"的な部分を考慮していないと考える。

その昔、自分の座る座布団の端を持ち上げて空を飛べないのはなぜかと問うた時に、
世の中には作用と反作用というものがあってだな…と説いたのは我が兄であったが、
つまりはそれに類することで、力に限らず多くの現象や事象はそこから突然
生じるものではなく、生じるにあたっての土台や前提があり、さらに生じた分だけ
反対側に何かが起きていて、大体差し引きゼロ(もしくはちょっとマイナス)に
なるというのが、世の理という話である。

そんな理から外れたり、無視したような空想や思想、行動は漫画やフィクションの
世界ではむしろ普通に見られさえするが、これを現実の、等身大の世界に持ち込んだ
ならば、それは夢見がちだと窘められて当然と言えよう。

物理法則然とした理を越えるものとして、人の希望であるとか意志の力であるとか、
そういうものを掲げて夢に現実味を持たせようとする手合いがいるが、希望や意志も
反作用的なものはあり、いきなり何かすごいことを何も代償にせずやれてしまう
ような魔法のエネルギーではない。それこそ漫画の読み過ぎだと言われて然るべきである。

人の情や信愛などはかなり魔法めいた、理を超えた働きを見せるが、多くはその人が
それまで他人から受けてきたものを返していることが殆どで、そうでない場合でも
余程の背景がなければ差し引きゼロ以上の働きをもたらすことは出来ないと考える。
思うに、人はされたようにしか人に為すことが出来ないではなかろうか。

とは言え、一目惚れであるとか宿業的な趣味であるとか、理で測り切れなさそうな案件も
ざっと考えた限りでいくつかあるので、絶対的な法則というような類のものではなかろう。
基本は理にそっていて、所々ちょっぴり個人レベル、もしくは10年に一人の天才レベルで
例外がある、くらいに考えておくのが無難か。
コメント
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