千の天使がバスケットボールする

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『怒りの葡萄』

2009-01-14 17:49:25 | Movie
今から70年前の1939年、こんな映画が製作された。

砂嵐が吹き荒ぶオクラホマ州の国道、トム・ジョード(ヘンリー・フォンダ)は4年ぶりに我家に向かっていた。彼は、刑務所から出所したばかりだった。
ところが、ようやくたどり着いた家は真っ暗で、誰もいない。やがて大型トラクターの導入が小作民にとってかわり、不要になった地域民は土地の所有会社によって強制的に立ち退きされ、一家はジョン伯父とともに中古のトラックでカリフォルニアに向かう計画であることを知る。祖父母、両親、身重の妹とその夫、まだ幼い妹と弟や叔父の家族、そして説教師のケーシー(ジョン・キャラダイン)とともにぼろぼろのトラックに家財道具を積んで、彼らは求人募集のたった1枚のチラシを頼りに南のカルフォルニアに向かう。道中、祖父が亡くなり、カルフォルニアにようやくたどり着けば祖母も亡くなり、困窮のあまりに義弟は逃げ出した。土地を失い、人間としての尊厳すらも失いかけた彼らが、生活するため、食べるために、生きるためにやってきたはずの新天地カルフォルニアで待っていたのは、更に過酷な暮らしだった。。。

後にアメリカを代表する名優、ヘンリー・フォンダが原作を読んで、トム役を熱望した『怒りの葡萄』である。
当時のアメリカは大恐慌だった。土地を失った小作民が、職を求めて南をめざしていた時代だ。貧しい家財道具をびっしり積んだトラックが、砂漠をよろよろと走る場面は、彼らのぎりぎりの暮らしぶりと、対照的に一台のトラックに寄り添う運命共同体である家族の愛情を描いている。人を愛し、土地を愛し、懸命に働いてきた彼らの最後の道のりが、人間扱いをされていない低賃金の職探し。そして大土地を所有する資本家は、そんな彼らを集めて弱みにつけこんであばら家を提供して、食べていけないような賃金で働かせていた。老人は勿論、こどもたちもバケツをもって桃の収穫作業をする。最初は、5セント。やがて、2.5セントに賃金カット。不満がある者は解雇。かわりの労働者は、いくらでもやってくる。また壊れかけたトラックに家財と家族を積んで。映画は静かに当時のアメリカ社会を告発する。

最後にめざめたトムは、家族に別れをつげて地下活動に入っていくことから政治的とされているが、それだけではなく家族の愛情と人間の尊厳を描いた優れた映画でもあることを実感する。いかにも生活に困窮している彼ら”オーキー”に対する人々の反応も様々で、蔑む者、同情する者、利用する者、助ける者、そんな人々の視線から誇りを失わずやっていけるのも家族の互いへの愛が支えているからだ。こんな昔の映画なのだが、今回改めて再鑑賞して現代の日本という社会を考えさせてくれた。時代は進み、社会制度も整い、こどもが労働して餓死をすることはありえない平和な日本。しかし、真面目に懸命に働いても、100年の1度の不景気となれば企業の都合により住居と職を失った派遣労働者はどこへ行くのだろうか。故郷に帰っても仕事はない、頼る家族も年金暮らしの老いた母だけ。映画で描かれた家族がオーキーの現実だったとしたら、主人公のトムの決断には誰もが共感するのではないだろうか。派遣労働法の改悪に唯一反対したのは日本共産党だったことから、最近、共産党に入党する派遣社員が増えているそうだ。

映画の中盤、ジョード一家は国営の農務省のキャンプ場にたどり着く。そこには、水道があり清潔なシャワーが整備されていてこどもの就学相談員もいてようやく一家は人間らしい暮らしを思い出す。ところがまともな賃金を支払うその国営農場に反感を感じる地元のボスたちは、低賃金で労働者を働かせられないことに不満を抱いていて、暴力団を雇って騒動をおこしてキャンプ場を焼き払うことを画策する。キャンプの自治委員たちも説教師たちも、飢えから逃れるために団結するとたちまち「アカ」とレッテルをはられて迫害されていく。原作が出版された当時は、全米で論争をよんだそうだ。ここに描かれている豊かな大国アメリカと全く異なる別の姿には、少々驚かされる。保守層から社会主義小説と批判されたのは、資本家に雇われた警備員に労働者の一致団結を計画した友人の説教師が撲殺されるショッキングな場面からも想像される。しかし、社会主義小説の枠におさまらない素晴らしい作品であることは、後に作家のジョン・スタインベックがノーベル賞を受賞してアメリカを代表する名作になったことからもわかる。

その後、ニューディル政策によって未曾有の大恐慌の危機から脱却したアメリカ。我が国も、ヘリコプターからお札がばらまかれるのかどうか、今後の展開を見守りたいのだが、この映画で同時に描かれているのは、いかんせん悲しいまでの個人の力の限界でもある。

監督:ジョン・フォード
1939年米国製作


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