千の天使がバスケットボールする

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「続・ウィーン愛憎」ヨーロッパ、家族、そして私

2005-06-03 00:22:30 | Book
怒れる哲学者、中島義道先生が妻とおなかに宿る赤ちゃんを伴って、悲喜こもごもの闘いすんでウィーンを飛び立ち帰国したのが1984年。それが「ウィーン愛憎物語」だった。
それから10年後、ウィーンで再び夏を過ごし、崩壊しつつある家族の修復のために日本学術振興会の長期在外研究員という、今度はりっぱなお国の身分をゲットし、半移住するためにこの地にやってきた。その後のウィーンは、どう変貌し、どこへ向かっているのか、家族をもってしまった哲学者の正直な苦悩とともに、生身のウィーンを一刀両断に斬っているのが、続編である。

「ヨーロッパには沈んでいく二つの都市がある。ベネチアとウィーンだ。しかし少なくとも前者は沈んでいく方向は見えている」
そんな風刺を当のウィーンッ子が笑うくらい、その誇り高く高貴で頑固、格式と伝統を重んじた老貴婦人は凋落していたのである。街中、日本に負けないくらいの騒音、お年寄りに席を譲らない若者、次々と建つ安っぽく没個性の住居、そして日本風レストラン。かってマクドナルドがウィーンに進出してきたときの話題は、はるかかなたの”事件”として風化していたのだ。なにしろ移民が押しかけ、労働している姿があちこちにみかけられるくらいだ。
あんなに蔑視し、ウィーンのシステムに疎いだけで野蛮人扱いしていた日本人だったのに、今や日本語学科は大繁盛、優秀な学生が集まっているという。世界の文化の中心はヨーロッパという概念は、もはや”ダサイ”のである。いまどきの若者は「禅」や東洋思想を嬉々として学んでいる。(この辺の事情は、韓国映画『春夏秋冬』がドイツで大好評だったことからも想像がつく)中島先生はその変調を寂しくも残念でもなく、醒めた目で「ウィーンの進化」と批評する。

そしてこの国での米国人、一部大使館、国連職員、大企業の駐在家族の日本人は、あいかわらず自国の者と自国流の優雅な生活を送り、ウィーン文化の上澄みだけを掠め取ろうとしている・・・らしい。

何度も妻から離婚を懇願され、息子には避けられる中島氏。哲学者と生活をともにするのは難しい、この本を読んで多くの女性は感じるであろう。(余談だが、高校時代の同級生で中島氏と同じ大学に進学し、同じドイツ哲学カントを専攻し、某私大の教壇にたっているものがいる。彼に学者の生活を尋ねたら、「学者は霞をくっていきている」とのこと。ちなみに彼はまだ独身。なるほど、やっぱり。)けれども正直な彼は何故自分が家族からここまで嫌われるのかわからず悩みつつ、市電に轢かれそうにもなった。

今、妻はカトリック洗礼を受け、ご子息は東京都心の大学生。あの20年前息もたえだえにウィーンにたどりつき、格闘し疲労困憊した日々は、はるかかなた忘却の夕日に沈みつつある。なんとか家族というかたちを残しつつ、その夕日を眺めてみれば、私の人生は終わった、ウィーンが与えてくれた20年間の「邯鄲の夢」から覚めたというつぶやきが、聞こえてくるのである。

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