千の天使がバスケットボールする

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「夜の記憶」澤田愛子著

2005-09-14 23:09:04 | Book
「日本人が聴いたホロコースト生還者の証言」
まずこのサブタイトルを読んだ時、世界唯一の被爆国としてかって日本人によるホロコースト・サバイバーへのインタビューによる著書がなかったことに、意外な感じがした。それは別の意味で、唯一の被爆国だからこそ、むしろこのような視点での著書をおこす関心が少なかったのかもしれない。それに、多くの良質の映画が、ホロコーストの史実を脚色して、我々日本人に考える機会を与えてくれる。
しかし、この著書を読んでみようと思った動機を自分に尋ねれば、次のようなことにある。

①世界的なネオナチズムの台頭
②ホロコーストはなかったとする「ホロコースト修正主義」の存在
③ホロコーストとは何か

①に関しては、スキンヘッドでハードなファッションに身を包む若者の姿の記憶が浮かぶ。ただの様式化したファッションに過ぎないのかもしれないが、外国人労働者への暴行事件をみると、かってのナチズムの排他的な思想が生き残っている印象がする。彼らは、ことがおこればなんのためらいもなく、同じ過ちを犯すであろう。

②この件に関しては、ウィキペディアに詳細な説明が載っているので、参照していただきたい。

これには、ナチシンパやユダヤ人を憎む人が使う手口として、似非科学とハートフルース(或る事象について、部分的な事実をもって基本事実を否定しようとする基本操作)という方法があり、その思惑に簡単に陥りやすい危険性がある。1995年マルコポーロ事件をご記憶の方で、”ホロコーストはなかった”とする記事の存在自体で、そしてそのような議論が存在することから、もしかしたら本当にホロコーストはあったのだろうか、と疑問に感じた方はいないだろうか。もしほんのわずかでも、そのような疑問符が芽生えたとしたら、彼らの術中に見事にはまってしまったといえよう。
歴史は必ずしも科学的な真実の集積ではない。様々な事実のかけらに、世界的な、あるいは国内の歴史学者によるコンセンサスのもとに、編まれた叙事詩的な側面もなきにしもあらずである。後年の学者や特殊な力によって、ゆがめることも可能である。また時代とともに、風化するという運命にもある。そこに著者の澤田愛子さんを、ホロコースト・サバイバーの「証言」を残すことによって、人類最大の負の記憶を、若い世代をはじめ後世の人々へ語り継がせたい目的のもとに、怪我をおしての困難な聞き取りに歩かせたのである。
ホロコーストは本当はなかったのか。
12人の生還者たちの記憶はまるで虚構の映画のような驚く展開ばかりではあるが、証言のひとつひとつの何気ない会話、記憶には事実の重みが伴う。その信憑性こそが、改めて読むものに、大量虐殺の事実の凄まじさと悲劇がおしよせる。この筆舌に尽くし難い体験を否定する人々の心理と目的を理解することはできない。

そして最後に③だが、ホロコースト(Holocaust)は、ギリシャ語からきた言葉で、聖書では「丸焼きにして神に捧げるいけにえ」という意味がある。その後ナチによるヨーロッパ・ユダヤ人の大量虐殺を示す言葉として一般化されたが、現在では宗教的美化するものとして、ヘブライ語の「絶滅」を意味する「ショアー」を用いる。但し本著では、日本人に理解しやすいホロ・コーストという言葉を使用している。
インタビューを通して感じたのだが、生還者に共通するキーワードがいくつかある。
まず生還したのが、奇跡の連続のような運のよさである。これは、奇跡のような幸運が続かないと生き残れない、つまりいかにそれだけ大量の人々が虐殺されたかを思い起こさせる。
そして必ず自分は生き延びるという強烈な意志。また過酷な状況を乗り越えられた体力と、解放後人生をやり直せるだけの若さがあった。さらに生き延びて収容所で起きた恐ろしい出来事を、必ず語り伝えなけらばという使命感もあったという。文章化するにもはばかれるナチ親衛隊による残虐な行為にも、彼らには乗り越えられる運命と不屈な意志の強さが彼らを生き延びさせた。人間の信じられない残酷な悪と同時に、やはり人間の光る強さを見るのも不思議な感じがする。

そしてそもそもこのような人類最大の汚点ともいえるホロコーストを引き起こしたのは、あの戦争だったのかもしれない。勿論いかなる場合において、戦争は絶対にさけるべきではある。けれどもまえがきで滝川義人氏も述べているように、「だから戦争はいけない」「戦争は恐ろしい」というホロコーストと戦争を混同して考えていては、本質を見抜けない。
特定の民族、人種への差別や偏見は、今でもないとは決していえない。当時のドイツ軍の殺人のカテゴリーは、まず個人を相手に殺し、次に集団で殺していく。こういった憎しみの感情には終わりがない。ユダヤ人がおわったら、次はジプシー、さらに弱いポーランド人へと、人を殺害する教育を受けた者は、心も体も感情に支配されていく。歴史は繰り返される。だから私たちは、彼らの証言に耳を傾け、こころにとめる必要があるのだ。
あるサバイバーの言葉が、今でも聞こえる。
「ひとりの人間が、民全体をどんな道へも導くことができる。いいことでも、ナチのような悪の道でも、デモクラシーという名がついても、やっている内容が悪いなら本質は同じこと。
大切なのは教育である。」

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3 コメント

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歴史の捏造 (ペトロニウス)
2005-09-18 04:21:07
>似非科学とハートフルース(或る事象について、部分的な事実をもって基本事実を否定しようとする基本操作)という方法



ああ、これは有名ですよね。日本の南京大虐殺や従軍慰安婦問題とも似ています。「なかった」と「あった」の狭間で、わけがわからなくなり、事実が軽視される手法ですね。



ただ、まともな証拠がほとんどな日本の問題と違って、さすがにユダヤ人虐殺はそんなことできっこないと思いましたが、これもかなりユーロッパの若い世代には広まったそうですね。。。すごいことです。



ことの是非はともかくとして、歴史というのは、そもそも「現実に見ることができない」ものなので、こういうロジックに騙されてしまいやすいのですよね。



すぐイデオロギーや政治的状況に、事実は埋もれて生きやすいのです。



・・・・すごいですねぇ。



でも僕らは、何を正しいと考えて生きていけばいいのでしょうか?わかりません。
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教科書問題も (樹衣子)
2005-09-18 13:13:03
>事実が軽視される手法ですね



そうなのです。あの「マルコポーロ事件」では、危うくこの私もその手法にはまりそうでした。

今から思うと「表現の自由」というお決まりのマスコミの論調が流れたことから、ふと立ち止まり考えて、これはおかしいぞという疑問がわいてきて難を逃れたのですが。



彼らの論旨は巧妙です。

そのような前科がある者は、国内の立ち入りを禁止している国もあります。けれども、元々民族主義の意識をもつ若者が、閉塞感の漂う社会でそのワナにはまるのは、簡単です。



>すぐイデオロギーや政治的状況に、事実は埋もれて生きやすい



やはり常々、物事の本質をみきわめる目と智恵が重要だと思うのです。

マスコミの論調、有識者の発言、これはあくまでも参考資料として、小さい頃から自分の頭で考える習慣を身につけるべきでしょう。感性の豊かさもあわせて。

私はそこから正しいこと、本当のことをとらえて生きたいと反省をこめて考えていますが。

何を正しいと考えて生きるべきか、”何が正しい”かは与えられるものでなく、自分で見つけるものだとも思うのです。
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気象現象も捏造しちゃう (樹衣子)
2005-09-19 17:03:03
重要な追伸を忘れておりました。



貴ブログで拝見しておりましたこの「カトリーナはヤクザの仕事」という記事

http://ameblo.jp/petronius/entry-10004378134.html

(リンクを↑はりつけさせていただきました)



何度読んでも目が点になります。

米国の白か黒か、2極化する単純な感受性を微笑ましく?思うときもありますが、

このような幼稚な思考は、本当に理解に苦しみます。

「TIME」がどのような内容でこの”アグレッシブ”な記事を

掲載したのか詳細はわかりませんし、「病めるアメリカ」という観点では、

何も申しません。



・・・が、このような事態は、似非科学とハートフールの手法に近いと思います。

パニックにおちた無教養な人からはじまったただの風説なのか、

或いは意図的なものなのか。

いずれしにろ、ブッシュ政権への批判から、米国民の関心は多少焦点がずれます。

日本のやくざも出世したものです。
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