千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「船に乗れ! Ⅰ合奏と協奏」藤谷治著

2010-10-23 22:02:46 | Book
全国書店員が選んだ一番売りたい本!「本屋大賞」なんて、私の読書の森散策には、全く参考にならないと思っていた。おもしろくって感動して泣ける!それで何かっ???
という私が、2010年度惜しくも7位だったが、入賞して話題となった本「船に乗れ!」を読んでしまったのだ。しかもヤングアダルト向け!(・・・でもえっちじゃないよ。)どうもとても評判がいいらしい、というよりも、主人公が音楽高校でチェロを習っている男子高校生という設定にひかれて手にとった本。そもそも女子ならまだしも、高校の音楽科もしくは音楽高校に通学する男子はきわめて少ない。生物学的多様性で言えば、永遠の絶滅種に近い生き物だからだ。読んでいるうちにわかったのは、この本が単なる青春ものでもなければ、私が期待した音楽小説でもなかったことだ。期待をはるかにこえて、こんなに熱くなって、ページをくるのが惜しく、眠るが惜しい本に出会ったのは、本当に何年ぶりだろうか。

主人公の津島サトルの母方のお祖父様は、音大の学長でお祖母さまは海外への留学経験もあるえらいピアノ講師。叔父さんは、ドイツを本拠地に活躍するピアニスト、と音楽一家の中で唯一ふつうに丸の内でタイピストをしていた母親と、そこで知り合ったサラリーマンと結婚して生まれたのが、サトルだった。幼い頃になんとなくピアノを習っていたサトルだが、チェロと出会って音楽家をめざすようになる。しかし、受験した藝高は、実技では合格したのに学力検査であえなく敗退。そのサトルが進学したのは、おじいさまが学長を務める三流の新生学園大学附属高校音楽科だった。そこで出会ったのが、ヴァイオリン専攻の元気のよい女子、鮎川やフルートを吹く色白の美少年の伊藤、哲学を論じる金窪先生。そして、ヴァイオリンでは学年の首席をめざすちょっと性格きつめのきれいな南枝里子に、サトルは初めて恋をする。高校生活は、夏休みのオーケストラの合宿、文化祭、南とピアノの先生の北島先生とトリオをくんでホームコンサートとあっというまに過ぎていくのだったが。。。

本書は作者の自叙伝にも近いと思われる現代のサトルによる回想録という形式になっている。現在進行形の青春ものではなく、今ではすっかりオトナになってしまった僕が、過去の自分と決着するために書かれているという設定が、考えればとてもさえていて重みを与えている。著者の藤田治氏は、1963年生まれで、洗足学園高校音楽家から日大芸術学部、但し、映画学科を卒業されている。はるかかなた遠くまで歩いて人生の折り返し地点を過ぎたサトルが、おそらく今は音楽家にはなっていないと思われる彼が、振り返る音楽とともに生きた我が青春時代!

音楽一家に育ちながら、音楽家にならなかったサトルのお母さんが素敵だ。彼女は音楽が人生を豊かにし、楽しく、幸福にするものであることを知っている。そのうえお母さんは、川上監督のジャイアンツも愛しているようだ。カラヤンが秋のシーズンで指揮をする曲と、ジャイアンツの選手のことをよく知っている人間に対して、人は驚嘆の念をもつ。現代では、野球とクラシック音楽の両方に詳しい女子は、自分の身内にもいる。さすがに珍しがられるようだが、驚嘆するほどではない。しかし、30年ほど昔のお母さんだったら、それはやっぱりサトルのいうように驚きものの自慢ママだろう。音楽的な環境にはとても恵まれた一族のお坊ちゃまでありながら、この母とやっぱりふつうのサラリーマンのお父さんに育てられた絶妙な家庭環境というバックボーンは、サトルに哲学書を読むような少々自意識過剰で傲慢だが、主役にふさわしい魅力をそなえた男の子にしている。おまけにチェロもうまければ、美人の南にも気に入られるわけだ。そして、音楽とともに仲間と交流して、サトルが人間としても成長していく点も読みどころである。

私がとりわけ気に入ったのは、失恋したかもしれない失意のサトルの前で、伊藤がバッハのロ短調のフルート・ソナタを吹く場面だ。その美しい音の美しさ、音楽そのものを聴きながら、サトルは僕たちの人生の主役は音楽で、音楽の絶対的な美しさの前では、喜怒哀楽もほとんど意味がないことを悟っていく。だいたい、普通の中学で対等に音楽の話ができる相手にめぐりあうことは、まずない。おとなになって、カイシャに入って、職場でもまず出会えない。実際、100人ほど同じフロアに勤務している人がいる中で、韓流ファン、熱心なジャニーズ・ファンはいるが、クラシックになるとゼロである。音楽を愛する者は、その点でけっこう孤独だったりする。だから、音高に行って同じ道をめざす仲間やライバルに出会ったサトルの高揚感がよくわかる。けれども、romaniさまのように楽器演奏ができると、高校や大学で学生オケに入って生涯の音友ができる。それこそ、大酒呑みながら、野球の話とブラームスやカラヤン、イツァーク・パールマンの話がいくらでもできる仲間に出会える。本書を読んで、何か楽器をちゃんと学んでおけばよかったと、おそろしく後悔してしまった。

そんな個人的な感想はともかく、軽快なテンポで、ユーモラスに溌剌と展開する物語には、何故か暗い雲がただよっているのが、とても気になる。今のオトナになったサトルは、昔のあのサトルから逃げていたらしい。それはいったいどういうことなのか。このあたり、読者の関心のひっぱり方もうまい。オルハン・パムク氏によると小説は西洋文明最大の発明品でおもちゃとなるが、このおもちゃは”ヤングアダルト”ながらも、むしろいい年をしてもおもちゃを一生手離せないオトナ向け。続きとなる「2」が待ち遠しい。

*後半、サトル(Vc)は南(Vn)、北島先生(P)とピアノ・トリオを組んで、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲を演奏する。サトルによるとこの音楽は互いの音に競り合っていくような、緊迫した音の劇なのだそうだ。今夜は、久しぶりにこの曲を聴きたくなった。我家にあるCDは「マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト」で、アルゲリッチとカプソン兄弟による生きのよい演奏。

ブラームス:2つのピアノのためのソナタ へ短調
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番二短調*
(ライヴ・フロム・ルガノ・フェスティヴァル)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、リリア・ジルバースタイン(ピアノ)
*ルノー・カプソン(ヴァイオリン)、ゴーティエ・カプソン(チェロ)



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2 コメント

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一楽章でケンカして、二楽章で仲直りしましょう (木曽のあばら屋)
2010-10-25 18:06:27
こんにちは。
HPにご訪問ありがとうございました。
メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲は、
私はスターン/ローズ/イストミンのトリオによる録音(SONY)が好きです。
スターンの自己主張の強い、鋭いヴァイオリンの音が
この小説のヒロインを彷彿とさせます。
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船に乗れ! (樹衣子)
2010-10-25 23:00:27
コメントをありがとうございます。

>私はスターン/ローズ/イストミンのトリオによる録音(SONY)が好きです

この組み合わせは渋くて素敵ですね。そういえば、アイザック・スターンのヴァイオリンを最近、聴いていませんでした。

>甘くもなく、爽やかでもなく、むしろ人生の厳しさをひしひしと感じさせる結末

そうですか、、、続きが益々楽しみになりました。それにあらゆるものが音楽なのですね!
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