千の天使がバスケットボールする

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ハーバード大学の実力

2005-07-03 21:54:35 | Nonsense
ビデオ時代に体験した1973年製作「ペーパー・チェイス」は、もう一度観たい映画だ。
ひと言で言ってしまえば、ハーバード大学法学部に通うハート(ティモシー・ボトムズ)がエリートコースをめざして猛勉強しながら、冷徹な難関教授の娘スーザン(リンゼイ・ワグナー)との愛と出会う典型的な青春映画だ。ボストン郊外の豊かな自然と全寮制の大学設備にため息をつきながらも、日本のおおかたの大学生活とはあきらかに異なる過酷な試験とプレッシャーが、この映画のもうひとつの重要な背景だった。

さて、先ごろ高等教育の評論誌イギリスの「ザ・タイムス・ハイヤー・エデュケーション・サプルメント」で世界の大学ランキングで、ダントツ1位と評価されたのが、ハーバード大学である。情報誌「選択」によると評価項目は、識者の評価(1000点)、(研究成果400点)、学生と教員の比率(400点)、外国人留学生の比率(100点)、外国人教員の比率(100点)で評価されている。

ハーバード大学には毎年2万人以上が応募し、入学が認められるのは1割に満たない。学部学生は、寮費と食費で約8900$、授業料3万$とかなり高額な費用を覚悟しなければならない。しかし充分に投資しただけのサービスは、この大学にはある。約700名の学部専任教員が6600人の学生を指導するから、1教員あたりの学生数は10名以下、おまけに講義と連動しているゼミにはアシスタント(大学院生)がつくので、殆どマンツーマンの指導が受けられる。おまえけに全寮制だからサボれない。

カリキュラムはコア方式とよばれて、学部学生は専攻分野(コンセントレーション)を選択しつつ、一般教養として最低7つのコア科目が必修になっている。最先端の研究設備に学部学生も呼び込み、研究最前線にたちあわせながら文学・芸術・社会分析、歴史、、、等々幅広い教養も同時に身につけさせる。こんな学問の理想に応えるためには、学生の元々もっている資質とその後の努力は必要だ。

なんと積み上げると50センチを超す参考書を課題にあげさせ、1週間で速読することを求められる。寝ないでも読みきれない分量を承知で、斜め読みして要点をつかみ、授業で討論できるようにしていく。それはやがて多くの案件をすばやく把握して、決断するリーダーとなるための養成目的でもある。映画のなかでも、過酷な課題についていけず、ドロップアウトしてノイローゼになる学生もいた。

こうした熾烈な学生時代を卒業すると彼らは「ハーヴァーディアン(略称ハーヴ)」という人格がそなわる。強烈なエリート意識をもち、ノーブレス・オブリッジ(責任と特権)を胸に社会にはばたいていく。

日本の大学は、東京大学が善戦しているが、12位。京都大学が29位、東工大が51位。入学するにあたり、難関であることは世界のランキング上位の大学とあまり変わらないのではないか。学生の質もそれほど開きがあるとは思えない。それでは、なにが不足しているのか。日本には寄付金に制約もあるし、経済的な理由だろうか。ちなみにハーバードでは、政府からの補助金が4億$、授業料収入が2億$、不足分はハーバード・マネージメント・カンパニーの基金と運用益でまかなっている。国際化が遅れているからだろうか。今後グローバライゼーションの荒波を生き残るためにも外国人講師だけでなく、留学生を多く迎えなければならない。米国では教授でも実績をきちんと説明できないと大学にも残れないが、日本では自分の書いたテキストで、毎年同じような授業をくりかえしても安泰である。そして海外在住の若い優秀な研究者も、帰国しても助手しか職がないことから帰りたがらない。

アメリカ流がすべてよいとは思わない。またランキングの評価方式にも疑問が残る。けれども資源の乏しい日本において、頭脳は大事な財産である。特権もないけれど責任もない、それものんきでいいとかまえる鈍才者の戯言かもしれないが、優秀な人材をもっと活かすために大学も衣替えした方がよいのではないか。

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11 コメント

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ノブレスオブレージ (ペトロニウス)
2005-07-07 00:53:45
日本のエリート教育に足りないのは、なんといっても①動機と②価値中立的な伝統だと思います。



①動機



これは、旧制中学時代の国民の0.01%?に満たないスーパーエリートを貧乏(所得)に関係なくペーパードラフトで選抜するという科挙制度にもなしえなかった制度を背景にします。貧乏だった下層武士が起こした革命である明治維新の根幹を成すウルトラ平等主義の倫理が支えになってできた、物凄い革命的なエリート選抜システムで、当時のアジア的極貧の極みにいるド田舎から、村と村の未来を一心に背負い、田舎のド貧乏大秀才たちが、食費や生活費を村から出してもらい、旧制高校に入学しました。ここから、郷土への信じられない恩義への意識。自らの命や肉体も省みないほどの愛国心(=郷土愛)に支えられたパブリックサーバント意識が発生しました。この欧米の貴族に生まれるノブリスオブレージの代替機能の動機・倫理こそ旧制高校と戦前の日本近代化を支えたエリート達の正体です。



そうした、個人の欲望を超える、気高き倫理発生するところに、真のエリート・・・・社会への指導の権利と義務を有する人材が生まれます。



この倫理抜きのエリートなぞ、ただのゴミ、と僕は感じます。ペーパーチェイスに代表される米国の選抜制度は、欲望を根幹としているので僕は単純に称揚できません。とはいえ、欧米には、貴族の伝統とノブリスオブレージの伝統が、『これとは別に』あるので、よくまわるのです。



日本は、この倫理が消えてしまいました。。。。



・・・少し長くなったので、続きはまた今度書きます(笑)。

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続きも待ってます (樹衣子)
2005-07-07 23:07:34
映画「ペパーチェイス」が製作された1973年の、学生運動、ベトナム戦争の残影を残したアイビールックの行儀のよい学生たちが学んだ(競争)時よりも、世界の情勢は市場化=moneyへより大きく変化しています。そういう意味では、ペトロニウスさまのおっしゃる”欲望”は、実在的なカタチとなってエリートの目の前にぶらさっがっているのかもしれません。



日本に足りないエリート教育の動機とは、国が与えるものでなく、個人が自発的にもつべきものなのだと私は考えます。

>村と村の未来を一心に背負い、田舎のド貧乏大秀才たち

瀬島龍三さんもそうでしたよね。当時は個人の欲望を超えて、国家に尽くす純な動機が確かにありました。そしてその動機が、日本の近代化と産業の発展に貢献しました。

現在、ある中高一貫教育の私立男子校(カソリック系)では、能力のある者がそれを自分のために活かすのは当り前、社会や人々のために活かすことを考えなさいと教育しているそうです。まさにエリート教育だと思いました。行過ぎたエリート養成も、階級格差、過度な国粋主義をうみそうですが、正しいエリートも必要です。

このような視点が欠落して、東大を頂点とした一部の難関大学に進学をすることが、教育の一番の目標になってしまっていたとしたら、今のまるでたががはずれたような社会もうなづけます。



>日本は、この倫理が消えてしまいました

寂しいことです。
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続き (ペトロニウス)
2005-07-09 02:02:13
②価値中立的な伝統



本当は、ブログで書きたいくらい濃い内容です(笑)。ああ・・こういう会話って、大学卒業後、皆無になってしまいました。日本社会の社会人というのは、本当に知的に貧しい生活をしていて、寂しくなります。。。



さて、エリート・・・・社会を指導し、公を設計をするには、高い倫理を背景にした動機が必要で、全世界のアメリカ化は、それを市場(=ようは金!)に選別させるようになりました。これは・・・やっぱり限界があると思います。欧米にも、キリスト教による厚い宗教心と貴族の伝統、ノブレスオブレージがあるからこそ、「まわっている」のであって、市場のようなものでは、限界があると僕は思います。



日本は、どう動機を調達させるべきか・・・。宗教や貴族の伝統のない日本社会では、僕は個人が自発的にパブリック意識を持つことはまず不可能と思っています。近代化には、A)極貧という経験とB)天皇制という仕組みを必要としました。多分それに、下級武士たちの武士的な倫理観が混ざったのだと思います。



けど、その装置的前提は、いまの日本にはありません。立ちすくみますね。。。



さて話がずれましたが、価値中立的とは、欧米的な「神に捧げるための心理追求を旨とする組織」としての大学機関という意味です。これなくしては、ただ区はただの企業に人材を送り出すため、産業技術を支えるための訓練機関になってしまいます。いまの日本の大学教育のリベラルアーツのレベルの低さや知的好奇心を育てるという意味での学問の貧しさは、この市場化以外の価値を追求する「価値中立的な独立意識」がないためです。いつから日本は、福沢諭吉が唱えた、自主独立という気概を失ってしまったのだろうか・・・。



なんて、少し偉そうに語ってしまいました。。。。(汗)









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やっぱり自発的パブリック精神は無理ですか (樹衣子)
2005-07-09 12:25:57
ペトロニウスさまのおっしゃるように、モノ、moneyには結局満足度に限界があります。やはり人間は精神的な動物ですから。ただ、近頃は、本来ノブレスオブレージがはじめにくる意識であってほしいのに、或る程度の”ゆとり”ができた御仁が老後、最後に考えることのようです。極端な例ですが有名なヘッジ・ファンドのジョージ・ソロスのように。

だから市場優先主義のアメリカ化を危惧しています。

>厚い宗教心と貴族の伝統

それにかわる高潔な価値基準を今のこの国で育てるのは、、、かなり難しいと思います。不景気で就職するための専門学校化している大学にも、本来の高い教養を身につける役割が失せています。一般教養は非常に大事です。(もっとも教養は一生をかけて身につけるものという考えもありますが)高い教養は、真のエリート精神に不可欠ですから。そのためにも大学には、個人の自発的パブリック精神を滋養する場としての役割も求めたいのです。



>日本社会の社会人というのは、本当に知的に貧しい生活をしていて、寂しくなります

”知的に貧しい生活”←鋭く、はっきり言ってしまいましたね、ハハハ。
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知的に貧しい今日この頃 (ペトロニウス)
2005-07-09 21:35:05
ブログは、とても良い発散の場になっています。僕は、シゴトは大好きですが、シゴトは狭い世界観の中で完結しやすく、やはり教養の幅を持って世界を眺めないと、タコツボ化した井の中の蛙になってしまうと思うのです。



世界って、こんなにも矛盾に満ちて、豊かで、ワクワクして、キレイなのに、どうして受け取る側の僕たちは、目を塞いでばかりいるのでしょうか?。



悲しくなる、今日この頃です。



象牙の塔にばかり籠もっている学者もイヤで実務家を目指した方向は正しかったと思っていますが、にしてもなーこの抽象思考のなさ、教養の低さには、涙が出ます。なんのために、がんばって大学でリベラルアーツを勉強したのか、、、、。



まぁこういう社会広範囲を見渡す知的さや教養とは、「世界を見通そうという気概を持つモチヴェーション」に支えられないと、生まれないものですから、一億総オタク化社会の昨今では、難しいかもしれません。相対主義の信仰による価値観の島宇宙化ですね~。まさに。



でも、別に「社会を良くしよう!」なんて気概がなくとも、教養があったほうが、世界はワクワク面白いのになぁ。。。
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リベラルアーツですか(ため息) (樹衣子)
2005-07-10 22:34:18
遅くなりましたが、事後承諾になってしまったのに当ブログでのペトロニウスさまのブログ紹介の件、こころよくご了承してくださりありがとうございました。



>世界って、こんなにも矛盾に満ちて、豊かで、ワクワクして、キレイ



そうなのですよね。戦争、虐殺、いまだに解決が遠い民族紛争や貧困、そんなカオスも世界はやっぱり圧倒的に美しく豊かだと思う今日このごろです。そう思えるのも、生きているという実感を感じるからでしょうか。

世の中には、実に多くの現象が溢れています。そんなものにほんの一瞬ふれる喜びは、生きている喜びに繋がります。だから貪欲に、探求していきたいです。



>相対主義の信仰による価値観の島宇宙化



お仕事の方も大変お忙しいでしょうが、ブログの更新を楽しみにしております。体調に無理されないように、、、といってもすでに「楽しみにしています♪」というのが矛盾したプレッシャーかもしれませんが。

人生の主役は自分です。絶対的価値を考えるペトロニウスさまは、相対主義に流されないでしょうね。
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人生の主役は自分以外ではありえない (ペトロニウス)
2005-07-13 01:25:09
弊ブログへのコメントとても、とてもうれしかったです。ありがとうございました。いや、マジで、ほんとに、すごく、めちゃめちゃうれしかったです(笑)。



社会人になると、「こういった会話」は、まったく皆無で、マンガのオタク会話すらありません。まぁ、会社では、おくびにも出さないので、自分でシャットアウトしている面もあるのかもしれないですが・・・・いや、べつに隠しているわけではないのですが(笑)。だから、僕の「こういった部分」を肯定されると、すごくうれしいです。



子供の頃から、理屈っぽいとか(笑)、考えすぎ(笑)とか、意味がわからない(笑)とか、さらにはそこまで複雑だといっていることの意味が伝わらないなどなど、言われ続けているので、いやーうれしいっす。



世界は美しいですよ。残酷さも、その矛盾さも、また。汚れがあって始めて、無垢が価値を持つし。僕は、『紅の豚』という宮崎駿監督の映画で、少女が



「世界ってホントキレイ・・・」



とつぶやくシーンがいつも頭を離れません。あれが見たくてパイロットの免許を取得したようなもんですから。自然の圧倒的なエネルギーを目の当たりにすると、その凄まじいキレイさに、衝撃を受けます。いった、心が開かれれば、雨上がりの空気の透明さでも感動しますけれどね。



まぁ、なかなか都市生活者をしていると、心や視界が『開く』ことは、少なくなります。ただ、世界の美しさを感じ取れる感受性は、無くさないでいたいな、と思う今日この頃です。

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公開メル便みたいですね^^ (樹衣子)
2005-07-13 23:38:30
いつもえらそうなことばかりほざいていますが、私も職場では理屈っぽいハナシはしませんね。相手に迷惑かもしれませんし。けれども実際ブログをはじめたら、自分と似たようにいろいろなことを考えている同好の士(変人?)にお会いできるのが嬉しいし、また楽しみです。

ペトロニウスさまのブログを拝見していて、自分に欠けているのは分析力だと気がつきました。



>世界の美しさを感じ取れる感受性は、無くさないでいたいな

なにをもってして「美しい」と感じるかは、ひとそれぞれでしょう。けれども感受性は、備わっているか、もともとないかだと思います。

今後とも宜しくお願いします。
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公開メル便② (ペトロニウス)
2005-07-17 16:17:38
そうですね、この話は、お互い喰いつきがよかったですね(笑)。実際この映画は僕はとても好きなのです。印象的だったので。



ブログというかインターネットの可能性の一つですね。これまでならば淘汰されるはずだったマイナーな価値観が、生き残ってしまうのわ。



・・・・・・美の基準は、人それぞれですが、感受する力は、「ない」か「ある」なんですよね、見ていると。「ある」人でありたいなと思います。
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ペトロニウスさまへ (樹衣子)
2005-07-17 16:32:50
違うアドレスの方は削除して、改めて移しました。

当方でも心配したのですが、ちゃんと「物語三昧」のブログに入れたので、対応が遅くなり申し訳ございませんでした。



ペトロニウスさまも「ペーパーチェイス」が好きなのですね。それはおもいっきりお互い寄寓というものです。映画の存在すら殆ど知られていませんもの。

「感受する力」の泉に水をそそいでくれるものが豊富でありがたいです。

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