宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

シュメール文明の夜明け

2010年01月17日 | シュメール神話 アヌンナキ

 
↑シュメール(イラク南部)に林立していた、古代の都市国家  
 
ゼカリア・シッチン氏の代表作「人類を創成した宇宙人」は、マジメな歴史学的考察と、トンデモない(失礼・・・)宇宙人アヌンナキのストーリーが同時進行する、奇妙な書物だ。だが、これは世界的なベストセラーになり、いまや精神世界ジャンルに確固たる位置を占めている。良くも悪くも、旧約聖書やギリシャ神話に比べて、あまりにもマイナーだった「シュメール神話」の知名度が、劇的に向上したのは確かだ。
  
精神世界ファンにアリガチなパターンとして、筆者も古代文明への憧れが、幼少期から人一倍、強かった。「四大河文明」はもちろん、それ以前の実在が不明な「超古代文明」のことなども、小学生の頃からよく知っていた。自慢するわけではないのだが(いや、やっぱり単なる自慢話でしょうな・・・)、そのおかげで、高校生の頃には、世界史が非常に得意になっていた。全国トップクラスの秀才連中からも、「ほかの科目はともかく、国語と世界史の論述答案に関しては、誰にもマネできない文章だ」と言われたものだ。全国100万人の受験生の頂点に位置する彼らにとってさえ、一種の「超えられない壁」と化していたほど、筆者の文系論述答案には定評があった。要は、「この、ワケワカメな文章を読んで、著者が何を言いたかったのかを代わりに説明せよ。300字以内で」というようなジャンルに、滅法強かったのだ。それというのも、世間の一般人には大半がおよそ意味不明と思われる、精神世界本をせっせと読み込んできたおかげ。ありがたや・・・・合掌。
  
それはさておき、古代シュメール文明は、本当に凄かった。春秋戦国時代の中国や、お釈迦さまの時代のインドの話を聞いても、われわれにとっては大変な大昔に思えるのだが、シュメールの都市国家が繁栄していたのは、それよりもさらに2千年や3千年も前からのこと。気の遠くなる大昔だ。

近代に入って、イラクの各地を発掘調査した西洋の考古学者たちは、巨大な神殿(ジッグラト)の遺跡に驚倒した。エジプトのピラミッドも不思議だが、こちらは建築のプロセスが不明なのに対して、メソポタミアのジッグラトは、建築設計図の一部が残っているという。七階建ての複雑な建築物。まぎれもなく、当時の人々が高度な技術によって建築したものだ。
 
 

 
↑ウルのジッグラトの復元図CG


ゼカリア・シッチンいわく、

>われわれは、戦争が科学の進歩につながることを知っているが、古代シュメールにおいては、神殿の建設が、技術の進歩につながった。計画どおりに巨大な建設作業を実行する能力、大きな労働力を組織して養う能力、土地を平らにして丘を形成する能力、レンガを形作って石を輸送する能力、珍しい金属とその他の原料を遠くからもたらす能力、金属を鋳造して装飾品と用具をつくる能力。これらすべてが、紀元前3000年に高度な文明が全盛期を迎えていたことを物語っている。

しかも、シュメール人は、「くさび型文字」と呼ばれる文字を発明した。湿原地帯だけに、粘土が豊富に取れる。粘土を固めて、干してつくった粘土板に、文章を書きつけていた。しかも、原始的な「活字」まで発明した。活字というより、「ハンコ」というべきモノだが、実際に活字として使われていた。

これは、後にイラクの地を発掘調査した西洋人の学者たちを、「われわれにとって、中世ヨーロッパのことより、古代メソポタミアの方が、よほど事情がよく分かるようになってしまった」と言って嘆かせることになる。というのも、中世のヨーロッパでは、文字を読み書きできる人が本当に少なかった。世間の一般人は、まず文字が読めない。知識人を養成しているはずの修道院でさえ、書物は手で数えられるほどしかなかったと言われている。大量の粘土板文書を残した古代メソポタミアとは、情報量が大違いだ。この驚くほど高度な文化水準のおかげで、古代メソポタミアの実情は、現代のわれわれにも、意外とよく分かっているのである。
 
数学も発達した。土地の測量や、建築のために数学が不可欠だったのだ。シュメール人が用いた「60進法」のおかげで、今でも1時間は60分、1分は60秒だ。(ついでに、1週間が7日というのも、シュメール人が決めた)。
 
シュメール人は、石油や金属の使い方も知っていた。石油が地表に染み出てくる土地柄だけに、瀝青(れきせい)やアスファルトといった石油製品が使われていた。金属の精錬も始まっていたという。金・銀・銅はもちろん、青銅の合金も作られ始めた。

石油製品を使っていたおかげで、化学が発達し、さらには医学が発達した。ヨーロッパ人が、数千年後の中世にいたっても、まだ病気といえば魔法や呪術に頼っていたことを思えば、雲泥の差があったと言える。

>メソポタミアの墓から発掘された頭蓋骨のいくつかには、脳手術の明白な跡があった。部分的に失われた医学文書は、「人の目を覆っている影」(白内障)の外科的な除去について述べている。・・・いくつかの円筒印や粘土平板には、医療チームに囲まれ、手術台の上に横たわる患者の姿が描かれている。

羊毛の毛織物は、紀元前3800年ごろにシュメールで織られ始めたという。玉ネギ、きゅうり、キャベツ、レタスなど、今日のわれわれの食生活にも欠かせない野菜や果物の多くも、シュメールから世界に広がったのだ。シッチンは、「古代シュメール人の食生活がいかに豊かだったかを示す詩」を引用している。


 ワインとオイルで
 香りづけした水の中で
 私が、この鳥を料理した
 そして、私は食事をした


昔の歴史教科書には、「世界最古の法律は、紀元前1800年頃のハンムラビ法典」と書かれていた。でも、今ではさらに古い法律が発見されている。紀元前2350年ごろの、ウルナンム法典だ。ハンムラビ法典が「目には目を、歯には歯を」という復讐法で知られているのに対し、ウルナンム法典は「損害賠償」に重点が置かれていたという。
 
そんなこんなで、シッチンは、古代シュメール文明のすごさを、これでもかとばかりに力説する。たしかに、すごいのは事実だ・・・。では、「なぜ、古代シュメール人は、そんなに進んでいたのか?」ということになるだろう。
 
中東の現地事情に詳しい人の話によると、イラクはとにかく暑いらしい。夏は、インド人でさえ、避暑のためインドに里帰りするほどだという(笑)。海岸に出ても、誰も海水浴などしていない。海岸が暑すぎて、それどころじゃないのである。そのくらい、イラクは暑い。なんで、こんなに暑いところが、「文明の故郷」になったのか。
 
それは、「氷河期」と関係があると考えられている。1万2000年ほど前から、地球で最後の氷河期が終わり、氷河が溶けてきた。北の方の地域が、まだ氷河に覆われていた頃、この暑い地域で、いち早く農耕文明の萌芽が見られたのは、自然なことといえる。
  
シッチンによれば、シュメール人に文明を教えた宇宙人たちは、宇宙船に乗って氷河期の地球にやってきた。氷河期だけに、当時の地球は寒い。見渡す限り、真っ白な雪と氷の大地が広がっている。そんな真っ白な大地の上を、宇宙船は滑るように飛んでいった・・・。
 
暖かい南国を探して飛行していた彼らの目に、突出して峻険な山岳が飛び込んできた。アララト山だ。かの有名な「ノアの箱舟」が、大洪水のときに漂着したとされる険しい山。この地域では、飛びぬけて目立つランドマークだ。峻険なるアララト山のふもとからは、暖かい南国の大河が流れ出していた。チグリス・ユーフラテス川だ。かくして、大河の流れに導かれ、河口の地・シュメールに着陸することにした宇宙人・・・。

ゼカリア・シッチンの宇宙人ストーリーは、ここから始まる。
  

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