コンロッド函館@函館山SP

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スズライトキャリー

2017年05月16日 | 風景
いや古いね。

多分初期型だよな。



1950年代後期の鈴木自動車工業は、オートバイ市場で成功する一方、軽乗用車からライトバンに発展した「スズライト・フロンテ」で4輪軽自動車市場の一角を占めつつあったが、市場のニーズに沿った営業上、当時ブームであった軽オート三輪トラックに比肩するようなタイプの商用車が求められたことから、フロンテよりもより本格的な商用車として開発された。社長の鈴木三郎は商機を逸するべきでないと考え、技術陣に「1年間で開発を済ませろ」と命じた。

スズライトなどの開発にも携わった稲川誠一が担当の設計課長となった。稲川らは、1年という短期間での急造では、試作を繰り返しての凝った設計を用いる余裕はない、と割り切り、シャーシは普通トラックに倣って、前後輪ともリーフスプリング支持固定軸の単純頑強な構造を採用する力技でトラブルを回避した。専用の空冷直列2気筒2ストロークエンジンも開発を先行させ、2輪車用の単気筒エンジンを2個つなげたような作りでシリンダごとの独立キャブレターを与え、高回転で出力を稼げる構造で完成させた(21ps/5,500rpm)。そのうえで、トラックとしての全体スペックが決定した時点で、トランスミッション内の減速ギアで実用向けな回転数に落とすやり方で帳尻を合わせた。当然燃費は悪くなったが、実用面での動力性能が高かったことから、大きな問題にはされなかった。ギアボックスは時流に合わせて1速以外シンクロナイザー付の4速コラムシフトをおごり、運転しやすくした。

一方、スズライト(横置きエンジン、前輪駆動)ではまだ導入されていなかったスパイラルベベルギア用の刃切り機導入(スイス・エリコン社製およびアメリカ・グリーソン社製)が実現したため、差動装置については自社で後輪駆動車用の歯車生産が可能となった。スタイルはセミ・キャブオーバーだが、エンジンはフロントシート下に配置するアンダーフロア型としている。

並行して、軽トラック専用の製造工場も愛知県豊川市に突貫工事で建設されることになった。建設の指揮を命じられたのは、銀行員から鈴木三郎の娘婿となり、1958年に鈴木自動車に入社していた鈴木修(のちスズキ社長・会長)で、会社中枢である企画部との対立を抱えながらの(社内失脚の危険含みの)特命であった。修は現場での陣頭指揮に立って、職人たち相手の膝詰めの交渉などにも懸命に取り組み、わずか9ヶ月で豊川工場を完成させた。しかも建設予算3億円に対して最終費用は2億7千万円に抑え、3千万円を企画部に突き返した。豊川工場建設の実績は、鈴木修がスズキ社内での実力を認められるきっかけになった。

豊川工場のラインで量産が開始された初代キャリイ「FB型」は、単純堅実で信頼性の高い作りと、30万円弱の低価格とが功を奏して商業的成功を収め、スズキの商用軽四輪車市場での地歩を確固たるものとした。

ウィキペディア参照。

スズライトキャリー。

1950年代に出ていたんだな。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-05-16 20:33:40
スズライト!!欲しい!
後期ならkonrodさんに場所聞いて間違いなく交渉に行く!
って、これもイイなぁ、、。
Re:Unknown (konrodhakodate)
2017-05-17 07:02:30
どうもどうも( ̄^ ̄)ゞ
北海道では2回で2台みただけです。
そうそうあるもんじゃないですよね。
この逸材は今回のGWに発見したものです。

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