定年退職からの楽しき日々♪♪

六十歳で定年退職し、テニス・ピアノ・料理などの趣味にいそしんでいます。折にふれてエッセイを書いています。

自由が丘

2016-05-17 21:20:07 | 散策
 今年のゴールデンウィークは5月5日、淡路島に医師の大鐘稔彦さんを訪ね、翌日、大阪梅田で学友の金澤秀郎さんと2年振りに旧交を温めた。大鐘さんは長編小説を出版したばかりで開放感に満ち、元高校校長の金澤さんは教え子達との交友などで充実した日々を送っている。愉快で楽しい2泊3日の小旅行だった。

 大鐘さんとの食事会の折、ふとしたことから、2008年に幻冬舎文庫として出版され、10万部のベストセラーとなった小説『緋色のメス』が話題になった。面白い小説であったがストーリーの流れのなかに、少し現実離れしていると感じたところがあった。フィクションである以上やむをえないことだ。ところが今回、この作品は今から半世紀前、京大医学部を卒業して病院勤務を始めたばかりの大鐘さんの実体験をもとにしているときき、いささか驚いた。

 連休明けの週、テニス肘の診察とリハビリの予定が入っていた。午前11時少し前、横浜から相模鉄道と東横線を乗り継いで自由が丘に向かう。キャリーバッグには外出用の小型パソコンに加え、緋色のメスを入れてきた。電車が動き出すと本を開く。一度読んでいるのでストーリーはおおむね頭に残っている。そのため、冒頭のシーンから話がすーっと入ってくる。たちまち物語の世界にいざなわれる。

 正午過ぎ特急電車は静かに自由が丘駅に停車した。昼飯にしようと北口を出て飲食店がひしめく小路を歩く。一分ほど歩いたところで手書きの立て看板が目に入った。さば味噌定食が750円という値段に惹かれた。行きつけの「つばき食堂」だと983円なのだ。価格差につられて「学」と書かれた暖簾をくぐる。定食にはひじき煮物とはるさめ酢の物の小鉢が付いていていずれもおいしい。鯖は脂ののりがほどよく、丁度いい甘さで、煮加減といい赤みその香りといい、思わずうなってしまうほど旨い。ご飯、赤だしも文句ない。
「50年以上鯖味噌を食べてきましたが、今日が一番おいしかったです」
40前後の店主と70前後のおばさんの顔がほころんだ。

 「学」で食後20分ほど休憩し、自由通りを奥沢方面に向かう。通りはなだらかな登り勾配で、どことなくあか抜けた雰囲気が漂い、空は抜けるように蒼い。微風が爽やかで、かすかに植物性の芳香が感じられる。ゆったりと歩いているとほのかにリッチな趣もあり、言いようのない平和で幸せな気分に包まれる。

 5分ほど歩くと、右手に鬱蒼とした杜が現れる。奥沢神社である。境内はいちょうやけやきなどの巨木が所せましと聳え、見事な社殿が建っている。一番奥の大木の根元に置かれているベンチに腰を下ろし、やしろと緑に縁どられた五月の青空を見上げる。心が浄化されていく。温かいほうじ茶を飲み、神奈川県のホームにいる母に電話を入れる。
「今、東京の由緒ある神社にきている。母さんの健康をお願いしたよ」

 奥沢神社から歩いて2分、東急目黒線の踏切を渡るとすぐ東京明日佳病院に着く。午後2時、渡辺先生の診察を受けた。先生は2000年シドニー、2004年アテネオリンピックで、野球の日本代表チームのドクターを務められ、スポーツ整形の専門医である。先生の治療を受けている阪神タイガースの岩貞投手は今シーズン大活躍している。
「1か月、教えて頂いたリハビリ体操をやりました。ずっと変化を感じませんでしたが、ここ2、3日、ほんの僅か改善しているかなと思ったりしています」
「もうしばらく体操を続けてもらって様子をみましょう」

 2分足らずの診察後、久保理学療法科長の治療を受ける。
「2週間前、筋肉が柔軟になっていましたが、今日は更にいい状態になっています。腕の使い方に悪い癖がついていましたが、改善されています。」
テニス肘の原因の一つが筋肉の硬化だという。一筋の光明を感じる。電気治療、マッサージ、リハビリ体操などを1時間じっくり施してもらった。診療費2、230円を支払って午後3時過ぎ病院を後にした。

 玄関を出ると幅5メートルほどの道の向こうに建っている古びたビルが目に入った。様々なテナントが入居する雑居ビルだ。その案内表示の中に「奥沢区民センター」という文字があった。何をしているセンターなのだろうか?中に入って2階に上ると、会議室があり、卓球台のある部屋では子供たちが卓球に興じている。
 驚いたことに3階は世田谷区立奥沢図書館になっているではないか。図書館は大きな窓から樹木が見え、明るい雰囲気である。沢山の書棚に本が並べられている。奥に100人前後の人が座れる閲覧席が並んでいる。老若男女が思い思いに本を開いている。

 中央の空席に落ち着いてほうじ茶を飲みながら『緋色のメス』の続きを読み始める。30歳前後の外科医は美貌で看護師としての資質に優れた婦長と恋に落ちる。二人はお互いを医療人としての考え方の上でも深く尊敬しあっている。しかし彼女は既に結婚しており、子供も一人いる。大きな葛藤の末、この恋が成就することはなく、外科医は病院を去る。そして二人の間には大きな秘密が存在していた・・・。主人公、佐倉周平が若き日の大鐘さんに置き換わっているので一段とリアリティがあり、ぐいぐいと物語の世界に引き込まれていく。なんとおもしろい小説なのだろうか。

 5時過ぎ、パソコンを立ち上げ、エクセルの「経済学ノート」というファイルを開いて復習を始める。これまでいろいろな経済学の本を読んで要点を纏めているファイルであるが、読み返すことによって理解が深まりつつある。読んでいると、日本の個人金融資産の額が入力されている。2011年時点では、1、499兆円だという。大変な額だ。
(このところ経済が振るわずGDPは若干減少している。ということは金融資産も減少しているのだろうか?)
こんな疑問が頭をもたげ、ネットを調べてみた。日本銀行の資料によると、じわじわ増加し、なんと2014年時点では1、696兆円となっている。13%の増加である。富裕層の金融資産が増加しているということだろうか?これが意味することは俄かには分からないが、今後の課題としたい。

 6時半ごろ、図書館を後にして自由が丘までそぞろ歩いた。一日の活動が終わる開放感が街に漂う。お気に入りの定食屋「つばき食堂」を訪ねる。お通しとして出てきた切り干し大根、筑前煮はまさに手作りの家庭の味がする。まるまる太って、こんがり焼きあがったいわしの丸干しを肴に「松竹梅豪快」の熱燗をちびりちびりと賞味した。見知らぬ、上品な酔客に囲まれて、至福の時間が過ぎていく。
 
 快晴の春の一日、自由が丘の散策、病院通院、図書館での読書、そしてアットホームな飲み屋で憩う。私にとって最高のハイキングである。次回の通院日が待ち遠しい。
                    (2016年5月)

 
 
 
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緑萌ゆ淡路島

2016-05-09 14:20:36 | 旅行
 今年4月1日、大鐘稔彦『マックスとアドルフ‐その拳は誰が為に‐』(文芸社)という長編小説が出版された。大鐘さんとは10年前に邂逅し、交際していたので、この作品のことはその構想段階から知っていた。5年前大鐘さんが資料集めで困っていることを知り、幾つかの資料を探索して順次郵送した。執筆の際参考になるかもしれないと思い、主人公マックスの自叙伝は1年かけて英訳し、10ページ位ずつ送付した。

 出版の直前、大鐘さんのサイン入りで、上下2巻、全1、400ページの本が郵パックで送られてきた。2冊で1.5キロもあり、大変なボリュームだ。さっそくぺージを開いた。創作過程に関わりを持った小説など、もちろん初めてのことで、不思議な気持ちで読み進める。

 主人公はドイツ人で初めてヘビー級世界チャンピオンになったマックス・シュメリングとアドルフ・ヒトラーの二人である。著者は1904年から1945年に至る激動の世界を克明に辿りながら、二人の波乱万丈の生涯を描いていく。夥しい数の人物が登場し、様々な事件が起こるので、エクセルファイルを立ち上げ、人物関連図を作り、歴史年表を書きながら読み進めた。シュメリング、ゲッベルス、ゲーリングなどの写真をインターネットでコピーしファイルに取り込んだので、文字を読んでいると登場人物がイメージを伴って語り始める。

 16歳になって、初めての給料を貰ったとき、シュメリングはボクシングの映画を観た。その映画でボクシングに大いなる憧れを抱き、ボクサーの道を歩み始める。1921年のことである。1924年にプロデビューを果たし、シュメリングは着実に実績を積み重ね、1930年、遂に世界ヘビー級チャンピオンとなる。この間のトレーニング、試合、試合後の文化人・映画スターとの交際が詳細に描かれ、彼がアスリートであるだけでなく頭のよい青年であることが分かり、シュメリングのファンになった。

 同じ頃、ヒトラーは身の危険を恐れることなく、国家社会主義ドイツ労働者党 (ナチス)の党首として頭角を現し、1933年、ドイツの首相となる。ヒトラーは版図の拡大を目指す過程で、シュメリングをアーリア人の宣伝モデルと考え、シュメリング夫妻としばしば食事をし、プロパガンダに取り込んでいく。

 しかし、シュメリングはナチスへの入党を断り、ある程度以上のヒトラー政権への協力を拒否する。それに対し、ヒトラーの取り巻きは、シュメリングを徴兵した上でクレタ島への落下傘部隊に配属する。クレタ島に落下傘降下したシュメリングは英国地上軍の砲撃を受けて瀕死の重傷を負う。

 連合国との戦いに敗れたヒトラーは青酸カリを口に含んで息を引き取る。シュメリングは除隊となり、戦後はドイツ・コカコーラの営業担当役員を務め、2005年まで生きた。

 激動の20世紀前半、ヨーロッパ、アメリカ、日本の歴史がドラマ仕立てで展開する。その舞台を背景にユダヤ人に偏見を持つことなく、スポーツマンシップで明るくリングで戦うシュメリングと、ユダヤ人抹殺と世界制覇に血道を上げる陰惨なヒトラーがコントラストをなす。一ヶ月じっくりと読み進め、5月3日に読了した。興味深く記憶に残る大河小説である。

「シュメリング、ヒトラーの取り巻き達、そして著者・大鐘さんはヒトラーをどのように評価したのだろうか?ヒトラーとは一体何だったのか?」
この作品を読み始めた時に抱いた一番の関心である。しかし残念ながら最後まで読み終えて、この問いに対するはっきりした答えを見出すことはできなかった。著者は努めて客観的な事実を伝えることに徹している。私の問いは、私自身が思索し、答えを見つけるしかないようだ。

 5月5日、兵庫県淡路島で大鐘さんと食事をすることになった。神戸三宮駅から高速バスに乗り、明石海峡大橋を過ぎると淡路島に入る。道路の両サイドから目にまぶしいほどの新緑が歓迎してくれているではないか。首都圏で外科医をしていた大鐘さんもこの緑と瀬戸内の夕日に魅せられてこの地に来たという。三宮から一時間ほど走り、4時過ぎ、陸の港・西淡バス停で下車すると大鐘さんが待っていてくれた。相変わらず黒々とした豊かな髪で血色がよく、とても73歳には見えない。

 3年振りに瀬戸内海を見下ろす大鐘邸を訪ねた。新小説の反響を訊ねると何人かからの感想を見せてくれた。その中に、かつて俳優として活躍していた山口崇さんからのメールがあった。
「5月1日早朝、大いなる感銘と頭脳の芯までしびれるような重い疲労感のなか読了しました。久しぶりの長編です。これは現代版 平家物語 大鐘本です」
重い疲労感。確かに余りの長編で私も同じ思いをした。

 大鐘夫妻、内科医の渡辺さんと4人で淡路島西海岸の「割烹はと」まで20分余りドライブした。はとは家庭画報や翼の王国など多くの雑誌で紹介されている創業110年の老舗である。鯛の刺身、蓮根まんじゅうなどに舌鼓を打ち、地酒・都美人の芳香に気持ちよく酔いながら和やかな時が流れていく。

「全編を丁寧に読んでみて、シュメリング、ヒトラーの幼友達クビツェクなどヒトラーと深くかかわった人たちがヒトラーをどう評価していたのか、そして著者はどう思っているのかが曖昧です」
宴たけなわのころ、大鐘さんに私の疑問を投げかけた。

「キリストはユダヤの裁判にかけられた後、磔刑に処せられており、キリスト教徒はもともとユダヤ人にはよい感情をもっていません。ユダヤ人嫌いはヒトラーに始まったことではなく、宗教改革のマルチン・ルターやゲーテなどもユダヤ人を嫌悪していました。ヨーロッパでは反ユダヤの長い歴史があるのです。ヒトラーを扱った書籍や映画は、殆どすべて、ヒトラー=ホロコーストという捉え方をしていますが、いろいろな側面から再考察すべきだと思います」
大鐘さんの回答は明解だった。ホロコーストが正当化されることは決してないけれども、ヒトラー=ホロコーストの一言で片づけ、そこで思考を停止させてはならない。

 歴史教科書を読んでも事象を理解できず、65のこの歳まで歴史は苦手である。この本を読んで20世紀前半の世界の動きが実によく分かった。長らく閉ざされていた世界史への扉を開いてくれた。この小説を出発点にして歴史の世界に漕ぎ出し、混迷する現代世界を考察したい。

 淡路島の夜はゆったりとこころ温かく、大滝秀治そっくりの渡辺さん、目が吉永小百合に似ている大鐘夫人は更けるごとに話が弾み、気が付けば11時を回っていた。新刊小説の著者を訪ねる旅は楽しく充実した思い出になった。    (2016年5月)

 
 
 
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出会い

2016-04-21 22:03:17 | 日記
 あれから10年が経つ。出勤前、朝食後に日経新聞を読んでいて、紙面左隅の小さな、本の広告に目が留まった。幻冬舎文庫の『孤高のメス』という小説だった。アウトサイダーの外科医を主人公にした物語だという。

 医療小説は好きなので、午前の勤務の後、貿易センタービルの書店で買い求め、早速読み始めた。読みやすい文章で実に面白く、帰りの京浜東北線でも夢中になった。読み終えて、妻に、読んでみないかと手渡した。妻も、中々おもしろいといって文庫本を開いていた。

 二、三日経ったとき、妻は文庫本の作者の名前をどこかでみたことがあるという。暫く考えて、作者・大鐘稔彦という名前は、淡路島にいる母の短歌仲間にもいたというのだ。

 そのような縁で、半年後、義母と共に大鐘さんを訪ね、面会の機会を得た。外科医として6千件の手術を行い、その傍らベストセラー小説を書いているという常人離れした人なので、圧倒されるのではないかとどきどきしながら、クリニックの待合室で待っていた。

 診察室から現れたのは、血色がよく柔和な目をした医師だった。ベンケーシーと同じ白衣を着ている。私より8歳年長の63歳である。よく通るバリトンの声をしている。すぐに私の緊張は解けた。お互いに一人っ子でわがままという点が共通しているのか、大鐘さんとは不思議に馬が合い、それ以来10年間お付き合いが続いている。

 大鐘さんは親しい仲間と月一回程度テニスを楽しんでおり、私も三回ほど参加させてもらった。大鐘さんのショットは多少オーバーアクションであるが、なかなかの腕前で楽しくラリーさせてもらった。集まるのは内科医の渡辺先生や市会議員など6、7名である。最年少のFさんはきめ細かな肌で目が大きな美人で、往年の栗原小巻に似ている。3年ほど前、大鐘さんと淡路島の小料理屋で食事をした時は、Fさんも一緒に来られ、宿まで車で送ってもらった。

 5年前、大鐘さんが新しい小説を構想しているとき、主人公で、ヘビー級世界チャンピオンだったマックス・シュメリングの資料が手に入らないので困っているという話をきいた。私はインターネットをくまなく調査し、遂にシュメリングの自叙伝を見つけた。アメリカから2冊購入して1冊を大鐘さんに送り、私も読んでみた。予想に反し、とても面白い自叙伝だった。小説を書くときに役に立てばいいと考えて、少しずつ英語から日本語に訳して大鐘さんに送った。翻訳は初めての経験で手間取ったが、1年間かけて全体を訳した。

あれから5年、今年の4月1日にこの小説が書店に並んだ。上下2巻で1、400ページもある大著である。あとがきに私のことを詳しく書いてくれている。
「・・・驚いたことに、村上さんはご自分用にも一冊購入され、私と同時に読み始め、しかも、訳文を数章すつ送って下さったのです。・・・村上さんから送られて来る訳文は時系列を確認する上で大いに参考になりました」

 大鐘さんはこの新小説『マックスとアドフル』(文芸社、2016)を出版の2週間前に送ってくれた。さっそくお礼の電話をかけると、
「この本の新聞広告のことで出版社ともめています。昨年夏、文芸社と出版の打ち合わせをした際、村上さんにも同席して貰いましたので、できれば来週の打ち合わせの際に証人としてご出席願えませんか」
との依頼を受けた。

 スケジュールが空いていたので、東京にでかけ大鐘さんと一緒に出版社との打ち合わせに参加した。一時間あまり熱のこもった議論が続いた。大鐘さんの小説のもう一人の主人公はアドルフ・ヒトラーである。ヒトラーを扱った作品は、世界のユダヤ系団体が常にチェックしており、広告を出すとクレームを受けることがあるという。大手新聞社のなかにはクレームを受けそうな広告は自粛する方針を取っているところがあり、大鐘さんの本の広告は辞退されたという。新聞社からの回答文書を示された上で、出版社側が誠意をもって対応策を準備しており、問題はおおむね解決をみたのでほっとした。最後に私から、念のために今日の合意事項を簡単なメモにして交換したらいかがですかとコメントした。これまではそのようなメモは作っていなかったようだが、今回はメモを作成することで一同了解した。

 打ち合わせの後、神保町の学士会館のロビーで大鐘さんとお茶を飲みながら歓談した。30分ほど談笑した後、大鐘さんが神妙な顔で言った。
「今日はこれから、学士会館のレストランで二女のフィアンセと会うことになっています。ようやく片付いてほっとしています。それはさておき、実は最近、私自身も婚約しました。相手は、村上さんも参加されたテニス会のメンバーのFさんです。18歳年下です」
青天の霹靂だった。びっくりしてしばらく返事ができなかった。

 落ち着いて考えてみると、年齢差があるとはいえ、大鐘さんは実にエネルギッシュで若々しい。現役の医師で、コンスタントに小説やエッセイを書き、卓球の市民大会でも活躍している。夏になると診療の後、ひとり瀬戸内海で泳いでいる。誠実かつ明朗な性格で、料理の上手なFさんはまさにベストパートナーである。なんとめでたいことだろう。大鐘さんと会った翌日、ご婚約祝いに日比谷花壇という花屋さんからクレマチスの花鉢をお送りした。明日の土曜日に届くだろう。

 大鐘さんに出会ってから、様々な著作を読んで感動し、小説の映画化の際はエクストラ出演もさせて貰い、しばしば楽しい食事会をするなど、大鐘さんとの交流はわが後半生のハイライトになっている。朝食後の新聞から始まった予期せぬ出会いが、その後の人生を豊饒なものにしてくれている。

 ふしぎな邂逅に感謝しつつ、新作小説を読みふけっている。おそろしく長い小説も上巻を読み終えて下巻に入り、いよいよ佳境に入ってきた。あと2週間もすれば読み終えるだろう。読み終えたころ、淡路島を訪ね、お二人のご婚約をお祝いし、瀬戸内の魚に舌鼓を打ちながら小説の感動を著者と語り合うことを楽しみにしている。
(2016年4月)


 

 

 
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診察行楽

2016-04-08 18:56:11 | テニス
 テニス肘回復のためにテニスとピアノを中断してから大分経った。近所の斉藤先生は2か月ほど休ませれば自然治癒しますよと言ってくれたけれども、丸4か月経っても症状は一向に軽くならない。根明を自任するわたしでも憂鬱な気分になることが多くなってきた。

 フェリス女学院大学シニアカレッジで私の真後ろの席に座っている女性は、長年テニス肘に悩んだ挙句、昨年昭和大学病院で手術を受け、その後のリハビリを経て完治し、この春からテニスが楽しめるようになったという。その話を思い出し、錦織ファンの彼女に主治医の名前を教えてもらった。主治医は渡邊幹彦さんといい、昭和大学医学部の准教授で、東京明日佳病院の院長も兼務している。明日佳病院で診察を受けるのが近道と知り、4月7日15時の予約を取った。

 診察の日は午前10時半過ぎに家を出た。近所の公園では小雨にそぼつ桜がなかなかの風情である。
(今日の渡邊先生の診察はどんな感じなんだろう。ひょっとすると、斉藤先生の診察とだいぶ違うのかもしれない)
との期待があり、なんとなく嬉しい気分だ。

 相模鉄道に乗り、大鐘稔彦『マックスとアドルフ』を開く。ハードカバーで1、400ページもある長編小説で、ようやく500ページ辺りに差し掛かった。マックス・シュメリングはドイツからアメリカに渡り、ヘビー級世界チャンピオンになっている。もう一人の主人公、ヒトラーは選挙で勝利を続け、ドイツの首相になった。物語は導入部を過ぎ、じわじわと面白くなり、電車に乗っていることを忘れさせる。

 横浜駅に着くと、かなりお腹がすいてきた。何かかうまいものが食べたいものだ。今日は海鮮どんぶりが食べたい。駅ビルで店を物色し、「築地 すしくろ」のカウンターに座った。ばらちらしを注文すると、板前さんが鯵やいかなどの食材をショーケースから取り出して切り始める。10分余りかけて丁寧に作ってくれた。さすがに鮮度がよい。まずまずの昼食だった。これで1、080円では採算割れだろう。

 東急東横線で日吉に向かう。木曜の午後とあって座ることができた。東横線は若い人が多く、どこかしらあかぬけした雰囲気があって私の好きな路線である。車窓から所々に満開の桜が眺められこころが和む。再び小説を読む。世界チャンピオンになったシュメリングをヒトラーは広告塔に使おうとして、両者が出会うことになる。文章を読んでいくと、作家はこの場面には心血を注いだことがよく分かる。筆が熱を帯びており、これこそ読書の醍醐味だ。

 日吉で東急目黒線に乗り換え午後2時前に奥沢駅に降り立った。生まれて初めての奥沢駅周辺は落ち着いた雰囲気の街である。人通りも少なく静かだ。改札を出ると目の前に東京明日佳病院がある。5階建ての大きな病院だ。玄関に入ると直ぐ左側の壁に勤務医師9名の名前が掲示されている。一番上に「整形外科 院長 渡邊幹彦」とある。

 病院のロビーは天井が高く、広々としている。立派なソファがずらりと並んでおり、余り病院という雰囲気がしない。とりあえずカウンターで受付の手続きを済ませる。問診票を渡されたので記入する。自宅を出る前にテニス肘の病歴を詳しく書いてきたので、問診票と一緒に提出した。

 初めての病院なので、病院内をくまなく見て回った。綺麗に清掃がゆき届いており、掲示も的確かつ親切で、誠実に医療に取り組んでいるという印象を受け、とても嬉しい。安心したところでソファに腰を下ろして本の続きを読み始める。第一次世界大戦敗戦から何とか立ち上がろうともがいているドイツの状況が克明に描かれており、100年前のヨーロッパにタイムスリップしてしまう。

 本に没入していると、午後2時45分に診察室に呼ばれた。予約時間より15分速い。病院で予約時間より早く呼ばれた記憶がない。悪い気がしない。診察室の入り口にA4サイズの写真フレームが掛かっている。二人の長身の若者の間に中年男性が写っている。昨年11月に撮影されたもので、若者は阪神タイガースの岩貞投手と楽天イーグルスの西宮投手、中央の男性が渡邊先生である。「渡邊先生に感謝」と手書きされている。

 渡邊先生は健康そのものといった感じで、笑顔をたたえ、目鼻立ちがはっきりしている。普通、初診では病状の説明を求められ質疑応答があるものだけれども、予め紙に記入してきたものを提出してあったせいか、いきなり診療ステージに入る。
「前の病院ではレントゲンは撮りましたか?特に問題はなかったですか。MRIを撮ってみますか?」
「是非お願いします」
とお願いしたものの、いきなりの撮影はないだろう。病院の都合を調べて後日出直しということになろう。

 ところが渡邊先生の反応は違った。
「MRI撮れる? あ、そう」
電話で確認して
「4時からなら撮れます。時間は大丈夫ですか?」

 4時過ぎから2階の検査室に入り、検査台に横たわり、トンネルのような検査機の中に入った。MRI撮影は生まれて初めての経験だ。ゴーという音や、カタカタカタカタという音がする。少し離れた場所からポーン、ポーンという少し不気味な音も聞こえてくる。毎年人間ドックで行うCT検査でも似たようなトンネルの中に入るが、ほんの2、3分で終わる。ところが今回は10分過ぎても続いている。20分が経過し、結局30分位検査が続いた。
(斉藤整形ではレントゲン撮影しかしなかった。MRI装置もなかった。これだけの装置で長時間検査するのだから、診察レベルが違うのではないだろうか)
と、病院に対する信頼感と安心感を持った。

 5時過ぎ、再び渡邊先生の前に座った。シャウカステンに私の右腕の骨と筋肉のクリアな画像が何枚も映っている。
「MRI画像を見ると、腱や筋肉はそれほど傷んではいません。手術をするような病状ではないですね。注射も湿布も不要でしょう。」
「どうしたら肘痛が改善するでしょうか?」
「これからお教えしましょう。その方法でトレーニングをして貰って、1か月後に様子を見せてください。ピアノやパソコンは何ら差支えないですよ」

 5時半からリハビリ室で久保理学療法科長がマッサージをしてくれ、トレーニングの仕方を教えてくれた。
「問題は肘の腱と筋肉が固くなっているということです。トレーニングの目的は肘の筋肉を緩めることです。しかし、筋肉を緩めようと意識しても筋肉は緩みません。そこで、ある種の動作をすることによって、無意識に筋肉を緩めます」
久保科長は意外な運動方法を教えてくれた。仰向けに寝転び、右手を真横に広げ、その腕を更に45度頭の方に回転する。この状態を維持したまま、両足を上にたたみ、左側にゆっくり回転させるのである。これだと一見、何も痛くない足・腰の運動のように見える。しかし、この運動をすることにより、右腕は足・腰の運動に対してカウンターバランスを取ろうとして「無意識に」伸ばそうとする。この「無意識伸ばし」が筋肉の緩みをもたらすのである。
「1か月この運動を続け、次回の渡邊先生の診察時に見せてください」
こうして午後6時半に診療が終わった。

 今日までは病状の明確な理解のない「ひたすら肘を休め、自然治癒を待つ」というあやふやな対応だった。しかし、今日は4時間かけて、高度医療機器で撮影し、病状を診断した後で、改善のための明確な方法を教えられた。大きな安心感が得られ、明日からの実行計画を描くことができた。36年間のテニスで痛めたテニス肘である。そんなに簡単に治るとは思えない。しかし、希望をもって暮らしていけることは確かだ。

 楽しい気分になって病院を後にした。奥沢から日吉を経由して自由が丘に移動した。日が暮れかけた飲食街を、うまい和食を食わせてくれる店を求めてそぞろ歩く。半時間ほどかけて数十軒の店を物色した挙句「焼魚と家庭料理 つばき食堂」というレトロな作りの店を選んだ。外から覗く限り、ごく庶民的なおばさんがやっている定食屋らしい。入ってみてがっかりするリスクがあるが、えい、ままよ、と意を決した。

 店に一歩足を踏み入れて驚いた。実に小ぎれいな店内で、70過ぎのおばさんと推測した女性は2人とも20代ではないか。しかも、なかなかの美形である。
(天は、テニス肘の惨めな老人を見捨てなかった)
手作りの子芋の煮つけ、切り干し大根をつまみながらゑびす生ビールを飲み干す。喜びが喉を伝いおりていく。メニューを見れば、なんと鰯の丸干しがあるではないか。当然いの一番に注文。大好物の焼きたて丸干しで熱燗を愛でる。随喜の涙はこういうときのためにある。

「テニス肘の人でも、構わずにテニスをやり続ける内に治ってしまう人もいます。やり続けてどんどん悪化し、箸も持てなくなるケースもあります。それぞれの人の特性や環境、プレースタイルなどで千差万別です。まずはリハビリをやりましょう」
名医・渡邊幹彦先生の話を反芻しつつ、陶然としてカウンター越しの美女を眺めていると、手すきになった彼女は砥石を据え、慣れた手つきで包丁を研ぎ始めた。この風景こそ、私が求めている世界である。

 日本酒を2合飲み、最後に握りたての鮭おにぎりと味噌汁をいただいた。十分飲み食いして3,300円という申し訳ないような金額だった。

 診察のためのこの1日は終始、愉快で意義深いことが継続し、とりあえず希望の持てる毎日が始まった。リハビリのためのエクササイズを日課の中に織り込み、気長にトレーニングを続けたい。
 いつの日か、またテニスをしてみたい。
(2016年4月)






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その拳は誰が為に

2016-03-26 21:20:20 | 旅行
 3月に入ると時々温かい日が訪れるようになってきた。ぶらりとでかけたくなる季節である。インターネットで日産健保組合のページを開いてみると、次の日曜日に伊東荘でキャンセルがでましたとの掲示が出ている。妻に訊くと、僅か4日後のことなので、都合が悪いという。一人で楽しんできたらどうかと言ってくれたので申し込んだ。

 土曜日の午後、郵便小包が届いた。差出人は作家で医師の大鐘稔彦さんである。小包はずしりと重い。大鐘さんは時々、淡路島の産物を送ってくださるので、いかなごのような鮮魚かな?と思った。夕食に思いをはせてさっそく包装を解くと、なんと分厚い本が2冊出てきた。
『マックスとアドルフ ‐その拳は誰が為に‐』
大鐘さんが3年かけて書き上げた新刊小説である。ハードカバーの豪華本で、上巻が689ページ、下巻が692ページと、全体で1、381ページにも及ぶ長編だ。上巻の表紙をめくると、私宛の贈呈の署名が英語で認められている。

 まだ書店に並んでいない本を送っていただけたのは光栄の至りだけれども、これだけの長編となるとにわかには読む気になれない。心の準備をせねばならない。

 13日、日曜日の午後、キャリーバッグを従えて伊東に向かった。温かいほうじ茶を詰めたペットボトル、ノートパソコン、ラジオレコーダー持参である。今回はこの3種の神器に大鐘さんの新刊を加えた。

 相模鉄道南まきが原から快速に乗り、12分で横浜駅に着く。JR東海道線に乗り換え熱海に向かう。日曜の午後だというのに満席で座れない。吊革を握り、車輪のリズミカルな音をききながらぼんやり車窓を眺める。3つ目の藤沢駅で席が空いた。ゆっくりと腰を下ろし、ペットボトルのほうじ茶を啜る。これで完全に旅人となる。東海道線沿線は茅ヶ崎、平塚の市街地が続き、やがて林や畑が多くなり、左側に静かな海が広がり始める。何度通っても穏やかで平和な湘南の風景は見飽きることがない。

 終点熱海で5両編成の伊豆急下田行きに乗り換える。製造後40年を経た年代物の電車は緑あふれる小山を縫ってゆったりと走り、午後3時頃日産自動車伊東荘にたどり着いた。活気のないうら寂しい街並みのなかで、この山荘だけは白亜の豪壮な雰囲気をかもしている。日本の地方経済が縮小均衡していく一方で世界に展開するグローバル企業は拡大再生産を続ける。そんなコントラストを見る思いだ。

 10畳の和室に落ち着き、宿のお茶を飲んだ後、タオルを持って風呂場に向かう。4、5人入ればいっぱいになる小ぶりな浴槽に身を沈めると、湯温は高く、かすかに磯の香が漂い、口に含むと塩分を含んでいる。足元から腰、背中、肩と冷えた体が温まっていく。

 部屋に戻り、庭に面した応接スペースでソファに凭れて『マックスとアドルフ』を手に取る。庭の大きな岩とつつじの植栽は見事に調和しており、温泉のぬくもりは全身にまわっている。物語は1908年、冬のウィーンから始まる。アドルフがアウグストをウィーン西駅で歓喜の面持ちで出迎えた。アドルフは画家を目指し、アウグストは音楽家を夢見ていた。アドルフとはヒトラーであり、アウグストは後に指揮者となる彼の無二の親友である。この小説ではたくさんの登場人物が現れ、20世紀前半の複雑な欧州史が語られると予想しているので、パソコンでエクセルファイルを新設し、人物関連図と欧州史を順次入力することにした。人物関連シートに「アドルフ・ヒトラー、アウグスト・クビツェク」、欧州史シートに「1908年2月、ウィーン」と入力した。

 部屋に電話があり、6時半から夕食となった。相模灘で獲れたばかりの刺身、目鯛の煮つけ、牛肉の朴葉焼きなどたくさんのご馳走がテーブルいっぱいに並んでいる。コクのある伊豆の地ビールで喉を鳴らしていると宿の女性が朴葉焼きに火を入れてくれた。肉と味噌に朴葉の香りが移り絶品だ。辛口で香り高い熱燗が一段と旨みを増す。

 1時間半、伊東荘の夕食を堪能し部屋に戻った。掃除の行き届いた広い和室に一人。実に静かな夜である。ラジオレコーダーを取り出し、さまざまな録音ファイルを眺める。やはりハイドンの音楽がききたい。交響曲第48番「マリア・テレジア」を選んでボーズのヘッドフォンを装着する。女帝、マリア・テレジアがハイドンの雇い主、エステルハージー公爵を訪問したときに演奏された曲である。ホルンとオーボエが華やかに歌い、まさに女帝を迎えるにふさわしい音楽だ。明るく陽気な音楽に聴きほれた。

 再び『マックスとアドルフ』を読み始める。51ページから第2章となり、もう一人の主役、マックス・シュメリングが登場する。舞台は第一次大戦が終わった1918年、場所はベルリン北東の町であり、時にマックスは13歳。彼は後にドイツ人初の世界ヘビー級チャンピオンになる。小説は1章ごと交互に、ヒトラーとシュメリングの青少年時代を丁寧に描いていく。二人とも非凡な才能を感じさせるものの、普通の家庭の無名の子供である。

 50ページ、100ページと進んでもヨーロッパ政治の混乱と二人の男の生活を描くだけで今ひとつのれなかったが、200ページを越える辺りから、にわかに面白くなってきた。ヒトラーがナチスを結成して政治の舞台に登場し、シュメリングは世界チャンピオンを狙ってアメリカに乗り込んだのである。物語はこの後、二人が政治とボクシングの世界で頂点に向かって突き進み、その過程で交渉をもつことになるのだろう。そして、大鐘さんは独自のヒトラー像を描くものと思われる。この先のドラマに興味津々だ。

 気が付くと時計は12時を回っている。夜のしじまの中で1キロ近くはあるだろう分厚い本を膝に置いて、この書物との不思議な縁が思い出される。5年前、大鐘さんのブログを読んでいたとき、
「シュメリングを主人公に小説を書きたい。だが、彼にまつわる本はインターネットで検索する限り、ほとんどない。もしシュメリングに関する文献なりお持ちか心当たりがある方は、ぜひ情報をください」
というくだりがあったのである。忍耐強くインターネット検索を継続して、漸く、彼が自叙伝(英語)を書いていることを突き止めた。早速、アマゾンで二冊注文し、一冊を大鐘さんに送った。大鐘さんと並行して私も自叙伝を読み、少しずつ翻訳して大鐘さんにご参考として郵送した。A4サイズで217ページあり、相当な分量で全部を翻訳するのに丸1年かかった。ハードな作業であったけれども、今としては佳い思い出である。

 大鐘さんは『マックスとアドルフ』下巻のあとがきに私のことを書いてくださっていた。
「驚いたことに、村上さんは私と同時に読み始め、しかも、訳文を数章ずつ送って下さったのです。村上さんから送られて来る訳文は時系列を確認する上で大いに参考になりました。村上さんがそこまでの労力を惜しまなかったのは、単に私への友情によるものではなく、原著を読み始めた段階で、村上さんもまたマックス・シュメリングに心惹かれていたからです」

 5年前、大鐘さんが小説を構想・準備されていた頃にお手伝いした作業が作品の一部となり、印刷・製本されて今私の両手の上にある。感慨無量とはこういうことを言うのだろう。

『マックスとアドルフ ‐その拳は誰が為に‐』は文芸社から、来月4月1日、紀伊国屋書店などの書店で売り出される。アマゾンでは既に予約を受け付けている。多くの読書人に読まれることを祈っている。      (2016年3月)

アマゾンのページは以下をクリックしてください↓
『マックスとアドルフ ‐その拳は誰が為に‐』

 
 
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2016-02-19 16:24:07 | 日記
 今年の正月は35年にわたるテニスを起因とする老年性テニス肘のため、テニスとピアノを中断せざるを得なくなった。追い打ちをかけるようにパソコンが故障し、憂鬱なスタートとなった。

 パソコンを購入して3年半経過していたので今年中に買い替えようとは思っていた。マイクロソフト社から、ウィンドウズ10に切り替えないと、使っているメールソフトに問題が生じる可能性がありますというような不穏なメールを受け取っていたこともあり、1月早々、ヨドバシカメラに駆け込み、パソコンを購入した。

 テニスとピアノを中断しているので、この際じっくりとウィンドウズ10に取り組むことにした。書店に行き、読みやすそうなマニュアルを買い求めて1ページずつ丁寧に読み進めた。10日ほどかけて319ページのマニュアルを読み上げ、少しずつパソコンを使い始めた。大切なエクセルファイルが破損するという苦い経験をしたので、細心の注意を払ってパソコンを操作している。これまでキーを乱暴に叩いたり、焦って素早く操作すると問題が発生したことが多かったので、
(パソコンさん、どうかよろしくお願いします)
と、祈りを込めて、やさしく、ゆっくり、丁寧にキーを押している。ビールスに冒されないように、日を決めてビールスソフトを起動して汚染をチェックしている。ファイル破損時に出張依頼した専門家からバックアップはハードディスクがいいとのアドヴァイスを受け、1万5千円で外付けハードディスクを購入して、大切なファイルは1週間に1回バックアップを取っている。更にSDカードを2枚用意して、同じファイルのバックアップを取る。パソコン本体と合わせて4つの記憶媒体に保存しているので、ファイルの安全性は高くなったと思う。

 マニュアルを読んで、ウィンドウズ10は3種類の写真アプリ(ソフト)を標準装備していることを知った。そこでこれまでに撮影した写真をパソコンで整理することにした。先ず、旅行の写真から取り掛かった。1975年のアメリカ西海岸へのハネムーンから昨年末の鎌倉一泊までかなりの分量だ。古い写真は数年前に3百枚ほど写真屋でプリントからデジタル写真に変換してもらった。結構費用がかかった。最近、プリンターを使って自分でプリントからデジタル写真に変換できるようになったので、少しずつデジタル化してプリントは破棄する。デジタル写真には日付と内容を入力していく。「20091209@ローマ@コロッセオ@英子」というような塩梅である。一枚ずつパソコン画面に映して、旅を思い出しながら入力作業をするのは楽しいものだ。しかし、楽しいことは楽しいけれども、枚数が多いと、日付と内容を入力するのはそれなりに大変だ。一か月後、やっと全部の入力が終わった。結局全部で1、715枚だった。

 夕食後、フォトムービーというアプリを立ち上げ、写真を再生する。1枚ずつ写真を見るのではなく、スライドショーという再生方法を選択する。すると、パソコンが自動的に1枚ずつ写真を再生してくれるのだ。しかも、静止画に動きを与える機能を持っており、ムービーを見ている気分になれるのだ。同時にウィンドウズ メディア プレーヤーというアプリを起動してハイドンの交響曲を再生すると、幸福な雰囲気に満ちたみずみずしいハイドンの音楽に包まれながら、貴重な思い出写真を楽しむことができる。

 パソコンのトラブルで貴重なエクセルファイルが6本破損し、大切な情報が水泡に帰した。お金や家財ならば取り返す可能性がある。しかしファイルの情報は二度と返ってこない。エクセルファイルに絶対的な信頼を寄せていたので、強烈なダメージを受けた。そんな中で、残ったファイルに「経済学ノート」というファイルがあった。私は大学時代から経済学に惹かれていたが、とても難解で、分かった気がしなかった。社会人になってからも経済学を諦め切れず、20年前からこのファイルにいろいろな情報を入力している。災難に遭遇しながら生き残ったファイルを開いて読んでみた。

 2004年4月から慶応大学の教授面接を経て、土曜日に経済学部で講義を受けた。その時のノートも、英語で書いた7千語のレポートもこのファイルに残っている。1年間で国際経済学の4単位を取得し、成績はBだった。この経済学ノートには「経済学の地図」というシートがあり、経済原論を地図に見立てて入力している。このシートを読み返してみると、かつてどうしても理解できなかったことが分かるではないか。例えば減価償却(固定資本減耗)。以前はどうもしっくり理解できなかった。しかし、家のような固定資産は去年と同じように見えても、年々価値を減らしている。その減価が減価償却なのだ。なんだか楽しくなってきて、まだ読み切っていなかった現代経済学の本を書棚から取り出して読み、このエクセルノートに入力し始めた。若い頃よりはるかに深く理解でき、しっかり記憶することもできて驚いている。人はやる気になればいつでも学び始めることができるということだ。

 パソコンファイルでノートを作るとき、訂正や編集作業がたいへん便利な反面、絵や図を入力することが難しく、もちろん、手書きメモを書き込むこともたいへん困難である。ものごとには一長一短があるので仕方がないのだろう。

 以前のパソコンと同様にテレビ放送を受信できる機種を選択した。テレビアプリの応答性が余りよくなかったが、新しいパソコンでは機能が向上しており、格段に応答性がよくなった。ドキュメンタリー、時事解説番組、音楽、映画など17の番組を予約しており、毎週自動的に録画してくれるのは本当にありがたい。毎日録画番組をチェックして、関心のないものは即刻削除し、興味のある番組は外付けハードディスクへ移動させる。昨夜は夕食後、民放BSで放送された「釣りバカ日誌」を見た。西田敏行と三國連太郎のやりとりはとても味わいがあり、海釣りのシーンも楽しい。3年前友人が貸してくれた「超」高級ステレオから繊細でダイナミックな音が流れ、さながら映画館にいるようだ。私専用の映画館や劇場を持てるとは、何という恵まれた時代なのだろう。

 2月初め、プリントをデジタルファイルに変換していて、ファイルサイズが大きいことに気が付いた。ファイルサイズが大きいとさまざまな問題が出てくる。パソコンに詳しい東京の友人にメールで相談し、詳しい手順を教えてもらった。ペイントというアプリを立ち上げて何度も試行錯誤を繰り返し、ファイルサイズを10%程度に圧縮できるようになった。難しい手順が必要だが、パソコン能力が格段に向上した気がして嬉しかった。

 ペイントアプリを使っている内に、このアプリを使って、エクセルファイルに図や表を入力する方法を思いついた。更に、手書きのメモを書き込むこともできるようになった。これはまさに革命的だ。最大の課題の一つを解決することができたのだ。それ以来、経済学ノートには、図や写真、手書きメモが効果的に織り込まれ、理解と記憶が格段に進んでいる。本を読み、ノートを整理することが楽しくてならない。

 テニス肘にならなかったとすると、今まで通りテニスにいそしみ、ピアノにも精を出していた。愉快で楽しい毎日を過ごしていたことだろう。その反面、時間的余裕がなく、じっくりウィンドウズ10に取り組むことはできなかった筈だ。

 静かに考えてみると、テニス肘が原因で、思いがけず毎日6時間前後の自由時間を手に入れたような気がする。その6時間を散歩とパソコンに使ってきた。散歩がテニスの穴を結構埋めてくれることを知り、パソコンでは多くの人の応援を得て、この2か月で過去10年分に匹敵する進歩をすることができた。

 この貴重な自由時間は、テニス肘という神がくれた宝物だ。それとともに、肘が痛くなってから、膝や腰などそれ以外の部分で痛みがなく、すこぶる健康であることに思い当たるようになった。右肘が痛くても、快適に歩き回ることができる。何とありがたいことだろう。肘痛が和らぐことを願いつつ、体の各部分がこの先も正常に動いてくれるよう意をくだこうと思う。

 テニス肘と共生しつつ、散歩とパソコンライフが続く。
(2016年2月)

 
 
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リリーフ投手

2016-01-28 13:21:52 | 日記
 今年は新年早々しつこいテニスエルボーに取りつかれ、テニスとピアノを中断するという、ちっともめでたくない船出となった。テニスとピアノは長年、私の生き甲斐であった。テニスは35年のキャリアで技術的に最高レベルになり、ピアノもショパンやモーツァルトの作品を練習するところまでたどり着き、一段とおもしろくなってきた矢先だった。好事魔多し、とはこのことだろう。

 根明な性格でいつも機嫌がよかったが、日々の楽しみの両翼をもぎとられ、気持ちが晴れず、憂鬱な毎日を送るようになった。さらに輪をかけるように、最も大切にしてきたパソコンファイルが壊れるというアクシデントが起こり、世も末かとさえ思った。ファイル破壊は難しい問題のようで、ど素人の私にはなすすべがなく、有料で専門家に往診してもらった。専門家は2時間近くあれこれ調べてくれたが、壊れた原因も不明で、ファイルは回復せず、20年間蓄えた5本の情報ファイルは水泡に帰した。

 うつうつとした気持ちで暮らしていても、辛いだけで事態は一向に改善しない。世の中というものは誰も助けてはくれず、すべて自己責任ということだ。考えてみれば、若い若いと思っていても既に65歳で前期高齢者だし、パソコンの基本も殆ど勉強せずに、適切な使い方をしていたわけではない。すべては起こるべくして起こったのだ。

(されば、この際だからパソコンを買い替えよう。テニスとピアノを中断し一日6時間程度の自由時間が生まれているので、この時間を利用してパソコンの使い方を丁寧に学習しよう)
そう決意した1時間後には電車に乗って横浜駅に向かっていた。駅から徒歩2分のヨドバシカメラに行く。買いたいパソコンは決まっている。
「今使っているNECの後継機でウィンドウズ10搭載のもの」
店の担当者に意向を伝え、NECのDA770/CABを買った。201,730円。安い買い物ではない。このパソコンについているポイントで2万円のパソコンセットアップ作業を依頼した。こうして1月初旬、私の書斎でウィンドウズ10が動き出した。ちょうどその頃、妻と日産鎌倉倶楽部に宿泊したので、鎌倉駅前の島森書店で『かんたんウィンドウズ10』というマニュアルを購入した。

 それからの10日間、マニュアルを1ページ、1ページ丹念に読み、パソコンでウィンドウズ10を立ち上げ、愚直に試行錯誤を繰り返した。マニュアルは懇切丁寧に書かれており、おおむね順調にページを進むことができた。しかし、なかなか理解できないところもある。そんな時は、思いつくままあれこれと操作を試み、インターネットの解説を探し、問題解決に血道を上げた。319ページのマニュアルを隅から隅までなめていく内に、テニスとピアノのことはすっかり忘れ、次第におもしろくなっていった。こうして1月末、マニュアルを最後まで読み切り、ウィンドウズ10が少しだけ身近な存在になった。

 今日は6時に起床した。半年前からこの時間には文化放送ラジオの「お早う寺ちゃん活動中」をきいている。ところが先月辺りからラジオ放送に雑音が入るようになり、困っていた。対策を考えた結果、インターネットで文化放送をきくことにした。パソコンだと雑音のない高音質の放送がきける。パソコンとラジオレコーダーをコードで繋いで録音状態にし、一階のキッチンに降りて朝食を作る。

 朝食後は二階の書斎にもどってパソコンを見る。先ずは「ニュース」というソフト(アプリケーション)を立ち上げる。このソフトは様々なニュースメディアから記事を集めて読ませてくれる。分野を選択することができ、私はビジネス、海外、国内、テニスの4分野を選んでいる。トヨタの世界販売台数が昨年度は0.8%減ったという。テニスでは錦織の記事が6本出ている。

 9時半、テニスシューズを履いて玄関を出る。テニスを休んでいるので、散歩が日課になっている。足腰、手、腕、首とゆっくりストレッチをして歩き始める。抜けるような青空が広がっている。小鳥がさえずり、新鮮な空気が気持ちいい。「四季の径」遊歩道を軽やかに歩いていると、銀色に輝く霜柱が目に入った。しゃがんでじっくり見つめる。自然が創った見事な造形美だ。一日、一日と散歩が楽しくなっていく。考えてみると、痛いのは右肘だけである。膝も腰も肩も痛くなく、自由に軽快に歩き回れる。右肘以外の健康な体を使って生活をエンジョイしよう。

 3キロほど遊歩し、10時前、フェリス女学院大学付属図書館のゲートを潜った。清潔で温かく、明るい雰囲気だ。カウンター横の書棚の横を通過すると、先週出来たばかりのエッセイ集『おぱーる11』が並べられている。フェリスのオープンカレッジ、エッセイ入門教室が年に一冊発行する100ページほどの書籍である。1号から10号までのバックナンバーも揃っている。私は講師、川西先生の依頼を受けて6号から編集を担当してきた。既に6冊のエッセイ集を編集してきたのか。バックナンバーを手に取ると結構読まれていることがわかる。

 3階の閲覧席に腰をおろし、熱めのほうじ茶を啜りながら久坂部羊『廃用身』(2005年、幻冬舎文庫)を読む。老人医療クリニックを舞台にした小説で、耐えがたいような老人医療現場の描写に驚きを感じつつ、久坂部ワールドに引き込まれていく。
「二十一世紀を迎え、日本はこれまで経験したことのない超高齢社会に直面しています。……介護は限りある資源です。有効に利用しなければ、破綻します」(P14)
日本、中国を始め世界の多くの国で老人医療が大きな課題になっていく。

 居心地のいい図書館で読書を堪能した後、CDコーナーに行き、ハイドンの交響曲CDを10枚借り出して帰途についた。日は高く、気温が上がっている。帰りの散歩はさらにいい気分だ。

 昼食後、パソコンで「メディア プレーヤー」というソフトを起動して、CDをパソコンに取り込んだ。取り込むときは音質を6段階に設定できる。最高音質レベルに指定した。2時間足らずでCD10枚、交響曲第34番から103番までの31曲を録音した。JALのファーストクラスが昨年から採用し始めたというボーズ社のヘッドフォンで再生してみると、どっしりしたあたたかい音が響いている。

 30分昼寝をし、パソコンで「スマートヴィジョン」を立ち上げる。このパソコンはテレビを受信できるようになっている。自動録画が可能で、ドキュメンタリー、映画、スポーツなど15の番組を録画予約している。全豪オープンテニスの3回戦、錦織対ロペスの試合を見ることにした。世界ランク27位のロペスとの試合は実力が接近しているので、実に興味深い。左右に打ち分けられるサーブ、長く続くラリー、そしてドロップショット。完全にテニスをしている気持ちになってしまう。それにしても、あんなに強いショットを無数に打っていたら、錦織だろうがロペスだろうが、間違いなくテニスエルボーになる。

 メルボルンのテニス大会に痺れているうちに、そろそろ夕食の支度をする時間になる。今夜は何にしようか。冷蔵庫を覗いてみると、半分に切った白菜が横たわり、豚ばら肉がある。これで何か作れないだろうか。パソコンに戻り、キッコーマンのレシピサイトを開いた。「はくさい」とキーワードを入力したら、たくさんの白菜料理が紹介されており、その中に「白菜豚バラ鍋」という料理があった。鍋に白菜をぎっしりと入れ、その間に豚バラ肉をはさんで鶏ガラ出しで煮るという料理だ。料理手順をメモにとり一階のキッチンに行った。お気に入りのピーターラビットエプロンを着け、朝録音した文化放送で経済評論家、三橋貴明さんの話をききながら、機嫌よく料理を進める。今夜は妻と温かくて舌にやさしい鍋料理を楽しめそうだ。包丁で手を切らないように注意を払いながら白菜を切る。

 マニュアルを読んでみて、自分のパソコンの扱い方がかなり進化したと感じている。パソコンの使い方は、語学に似ている。初めは面白くなく、単調な手順を覚えるだけだが、ある程度知識が増え、理解が高まると、分かる喜びが出てくると同時に、類推能力がついてくるように思う。ファイルの保存方法でどうしてもわからないことがあった。マニュアルを隅々まで読んでもやり方が書いてない。すると、ある時、こうしたらどうだろうかというアイディアが浮かんだ。おっかなびっくりでやってみたら、うまく解決できた。マニュアルを読破して本当によかった。パソコンは最新技術の粋を集めており、基本を学ばずにキーを叩いていても進歩できないということだ。

 ウィンドウズ10はこれまで使っていたウィンドウズ7に比べ格段に進化しているとは思えない。しかし随所で改善と工夫が凝らされ、反応スピードもよくなっているのは確かだ。これから使い込んでいけば、今は見えない、あっと驚く新機能に出会うかもしれない。そういう機能がありそうな予感はしている。

 テニスとピアノができないという局面で、ウィンドウズ10は私の大ピンチを救ってくれたリリーフ投手のように思える。時を同じくして久坂部羊という作家に巡り合い、遂に老いがやってきたことも自覚できた。老いを迎い入れる気になると肘以外が健康なことのありがたさを知り、散歩が十分にテニスの代わりになることもわかってきた。散歩とウィンドウズ10を新たな二本柱に据えて残りイニングを投げ続けたいと思う。
(2016年1月)

 
 
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ある訪問者

2016-01-19 11:09:05 | 日記
 昨年8月、整形外科でステロイド注射を受けるとしつこい右肘の痛みは次第に消えていった。9月からテニスを楽しめるようになった。医師のアドヴァイスに従い、テニスをするときは十分なストレッチと準備運動を行い、サポーターを肘に巻いて2試合プレーしたら切り上げ、氷嚢に氷を入れて肘のアイシングを行った。腕前も少しずつ向上し、35年間のテニス歴で最高レベルになったように思う。気候のよい秋の日々、20年来の球友たちと充実したテニスライフを送ることができた。

 12月半ば、我ながら会心のプレーができ、6‐2、6‐2で2連勝した。クラブハウスに引き上げていつものようにアイシングをしていると、右肘に少し痛みを感じるではないか。肘痛が悪化しないように早めに手を打とうと思い、その日からしばらくテニスは休むことにした。テニスをしない分、ピアノの練習を増やし、モーツァルトのピアノ協奏曲に取り組んだ。しばらく様子を見ていたが肘痛は一向に改善せず、むしろ悪化している感じがする。考えてみればピアノでも結構肘は使っている。やむなくピアノも休むことにした。1週間経っても症状が変わらないので、ステロイド注射をして貰おうと、整形外科の斉藤先生を訪ねた。
「これまで2度注射しましたね。ステロイドは何度も使うと、徐々に効かなくなり、腱が自分では炎症を回復できないようになります。将来の治療の選択肢として取っておきましょう。消炎剤を貼って2、3か月腕を休めてください」
との診断である。街で評判のよい斉藤先生の説明は実に理にかなっている。

 これまでの10年間、テニスとピアノが生き甲斐で生活の核になっていた。それが突然できなくなり、文字通り、両翼をもがれたような気持で、がっくりと落ち込んだ。テニス、ピアノとともに楽しんでいた料理、読書などにも身が入らなくなった。医学的にいうと、うつ状態になったのであろう。

 そんなとき、パソコンでエクセルファイルを開くと、突然「ファイルが壊れています」というポップアップが出てきた。20年パソコンを使っていて初めての経験だ。さてはビールスに侵されたのだろうか、と困惑し、パソコンに詳しい友人に相談したりした結果、問題が重症と判断して、有料の訪問サービスを要請した。自宅に来た専門家も問題は解決できず、要するにUSBなどの外付けメモリーの書き換え回数が限度を越したため、エクセルファイルが壊れたようだ。20年間蓄積・整理してきた貴重な情報ファイルが5本消失してしまった。テニス、ピアノに加えてパソコンでも難題に遭遇し、うつ状態は更に重くなっていった。泣きっ面に蜂とはこのことだ。

 大晦日、特に何かに意欲を持てず、落ち込んだ気持ちで近所の遊歩道をジョギングした。夕方家に帰ると、一通の手紙が届いている。誰からだろうと差出人を見ると、25年来のテニス友人、井上基さんからである。週刊ダイヤモンド最新号の、医師・作家、久坂部羊のインタビュー記事が面白いとコピーを送ってくれたのだ。

 久坂部羊という名前はこれまでに一度だけ目にしたことがある。川崎重工で6年後輩の靆湘阿気鵑3年前に出張先のバンコックから送ってくれたメールにその名があった。
「私の大阪府立三国ヶ丘高校の1年先輩で、久坂部羊という人がいます。優れた医師にして一流の作家です。高校時代から尊敬しています」
頭の回転がよく、度胸があり、やがては会社のトップになってほしいと期待していた靆召気鵑蓮▲瓠璽襪鬚れた2日後、バンコックのホテルで心臓発作を起こして他界した。

 井上さんが送ってくれたインタビュー記事は興味深いものだった。
「老いというのは、誰にとっても初体験なんです。前にも一度、70歳を体験したなんて人はいませんから。実際は、どんどん嫌なことが襲ってくるのが老後」
記事の中で久坂部さんの『日本人の死に時』(幻冬舎新書、2007年)という著書が紹介されていた。即座にアマゾンで発注した。

『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』は衝撃的な著作である。正直で、平易な語り口でとつとつと現状を描き、私の心を鷲掴みにした。
「年をとると、いろいろな不都合が出てきます。身体の機能が低下し、容色も衰え、能力も失われます。がんや心臓発作の恐怖に怯え、腰や膝の関節の痛みに泣く」(P22)
「良成さん(六六)は、前立腺がんの末期で、肋骨と骨盤、大腿骨に転移があって、ベッドから下りられない状態でした」(P155)
久坂部さんの本を読んで世界観が一変した。私が置かれた状況は、年をとり、体の機能が低下し、肘の腱が炎症を起こして痛んでいるという、きわめて自然な現象なのだ。振り返ってみれば、35年もの間、テニスコートで他の人の何倍も肘を酷使し、55歳という高年齢でピアノを始め10年間も肘に更なる重労働を課してきたのだ。この間、私の肘はよくぞ耐え抜いてくれたのだ。肘にひざまずき、その労苦に心から感謝せねばならない。

 それ以来、落ち込んでいた気持ちが徐々に晴れてきた。考えてみれば、私の問題点は、単に「右手上腕骨内側腱の炎症による痛み」である。腰が痛いわけではない。足が痛くて歩けないことはない。とりあえずは悪性腫瘍はみつかっていない。右肘を休めることのみを考え、ジョギングやストレッチで運動をし、うまいワインとおいしい食事を楽しめばいいのだ。

 エクセルファイルが破損したこともあり、3年半使ってきたパソコンを買い替えることにした。ウィンドウズ10に替えないといろいろと不都合が起こってくると感じていたこともある。今月7日、ウィンドウズ10搭載のデスクトップパソコンを導入した。
(テニスとピアノを休むことで生じた一日6時間を、ウィンドウズ10の習得にあてよう)
と決意し、書店でパソコン解説書を買った。毒を食らわば皿までの積りでウィンドウズ10に習熟することにした。

 テニスとピアノをしばし休業し、その代りとしてジョギングとウィンドウズ10に親しむことになった。長い目でみると、これもまた意義あることのように思える。既にウィンドウズの使い方が日々進歩している。ひょっとして私の肘が回復することがあるかもしれない。その時は、テニスとピアノを再開できるだろう。その日を楽しみに待つのもいいだろう。

 私はいま、65歳。自然の営みとして「老い」が静かに訪れてきたような気がする。老いに対峙し、努力してこれを押し返すのではなく、ここは素直に老いを迎え入れ、老い始めた人間として生きていこうと思う。テニス肘もまたありがたきかな。
(2016年1月)

  
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ラジオとワイン

2015-12-11 18:17:33 | グルメ
 半年ほど前から、NHK第一放送で毎朝4時に放送されるラジオ深夜便「明日への言葉」をラジオレコーダーで自動録音している。昼間録音をチェックして、関心のない番組は消去し、興味のある番組にはじっくりと耳を傾ける。先月11月22日は日本ソムリエ協会名誉顧問の熱田貴さんの対談だった。

 ワインは大好きなのでゆっくり録音を聴いた。熱田さんはテノールのききやすい声をしており、話のテンポもよく誠実そうな話しぶりだ。熱田さんは千葉県の佐原高校を卒業した後、国立海員学校で学び、日之出海運に就職する。初めての航海でチリに寄港した時、生まれて初めてワインを飲んだ。
「夕日よりもっともっと赤い色をした、名も知らぬ飲み物。一気にぐいと飲み干すと、甘いような渋いような液体が、口の中の脂を洗い流し、喉を伝わり、温かさを残しながら、胃の腑に落ち、じーんと身体中に染み込んでいきます。航海の辛さも、旅の疲れも、さっと吹き飛んでいきました」
話の面白さにぐいぐい引き込まれ、40分があっという間に過ぎていた。

 録音をきいて熱田さんに興味を覚え、インターネットで検索すると5千件近くがヒットした。記事を読んで、熱田さんは2000年8月に『真実はワインの中に』(飛鳥出版)という本を出していることを知った。早速アマゾンのページを開き注文を出した。

 4日後に届いた本のカバーには堂々たる体躯で、見事な白髪のソムリエがにっこり微笑んでいる。
「ソムリエは、そこで出される料理についても詳しい。今日のお薦めは何で、それにはどんなワインが合うか。逆にどんなワインには、どんな料理を食べると、味が引き立つか、そういうことまで考えて、ワインをコーディネイトしてくれる」(P132)
朴訥だが、こころのこもった文章に相槌を打ち、時に涙ぐみながら読み進める。

 熱田さんが修行時代に過ごしたドイツでは、土壌にめぐまれず、表面は粘板岩、その下は小石いっぱいの礫、そして粘土・・・というふうに、どこまでいっても栄養のありそうな土にいたらない。
「そこでブドウの根っこは、どんどんどんどん地中へ深く根を伸ばしていって、水や養分の脈にまで到達するわけだ。・・・一度そういう状態になれば、深々と伸びた根が、さまざまな地層から多種多様なミネラル分を汲み上げてブトウの味わいを複雑にしてくれる」(P114)
だから、そういう畑で育ったブドウの方が味に深みが増して、高級なワインになるのだ。ワインという飲み物の奥深さに触れたような気がする。

 熱田さんの本はワインの解説書ではなく、ワインにほれ込んだ若者が体当たりでオーストリア、ドイツ、フランスのワイナリーに学び、帰国して東京のホテルニユーオータニを舞台に日本にワインのよさを広めてきた履歴書である。さまざまな出会い、偶然が次々と起こり、まさに事実は小説より奇なりということだ。久しぶりに手応えのある本を読み、こころから読書を楽しむことができた。

 本の最終章、第12章では、東京麹町のレストランのことが書かれている。熱田さんはニューオータニの超一流レストラン「トゥールダルジャン東京」のエグゼクティブ・シェフ・ソムリエを辞め、1991年、ワインレストラン「東京グリンツィング」を開店したのだ。トゥールダルジャンのような一人数万円かかる店ではなく、町の人がなんとなく集まってきて、ワインが飲めて、わいわい話をする、そんな店を目指しているという。

 本を読み終えたその日、矢も楯もたまらず東京グリンツィングに電話を入れた。
「申し訳ありません。本日は貸切となっております。明日ならば予約をお受けできます」
(む、む、む、貸し借りか)
やむなく一日待ち、翌日午後東京に向かった。

 麹町は実に10年振りだ。会社の仕事で時々訪れていた頃、どこかしら江戸情緒のある居心地のよい街だと感じていた。駅から新宿通りを皇居方面に向かい、2分ほど歩いたところで右に折れると店の看板が見えた。階段を降り、地下一階のぶ厚い一枚板の扉を開けると熱田さんがにこやかに迎えてくれた。若々しくとても77歳には見えない。初対面にもかかわらず、永年存じ上げている人のような感じがする。

 テーブルから一つの壁面全面を使って設えたワインセラーがみえる。温度管理のためにイタリアから大理石を輸入して作ったという。最大1000本位は保存できるのだが、500本から600本に抑えて通気性を確保している。樫の木で作った重厚な扉も安らぎを与えてくれる。

 初めてなので、ワイン、料理、消費税込み1万2千円のコースをお願いした。
「この水は岩手の仙人秘水というもので、鉄鉱石の鉱山跡地の地下600メートルから汲み上げており、ミネラルを適度に含んでいて、おいしいですよ」
ワインの店でまず水をすすめられ、緊張感がほぐれた。仙人秘水はかすかに香りがあり、やわらかい口当たりで、とても飲みやすい。

 最初のワインはウィーン郊外で醸造された白ワインである。とろりとした口当たりでフルーティな甘さがあり、やや酸味のある芳香がたまらない。北海道羊蹄山の玉ねぎを使ったタルト(焼き菓子)はさほど甘くなく、ワインとよく合う。きつね色の玉ねぎスープを頂いた後はコクのあるテリーヌ、歯ごたえがあってジューシーなハラミステーキと続く。赤ワインはフランス東部、ブルゴーニュの2013年産ピノ・ノワールだ。色は薄目だが、グラスを近づけると華やかな香りに圧倒される。口に含むとかすかな甘みと渋みがまじりあっている。白も赤も間違いなくこれまでに飲んだ中でもっともおいしいワインである。料理も選び抜いた食材を使って、ていねいな仕事が施されており、実においしい。

 熱田さんはちょうどいいタイミングで席に来られ、ワインのこと、料理の内容などを説明してくれる。1979年の東京サミットの際、カーター大統領など各国首脳の晩餐会でソムリエを務め、永らく日本ソムリエ協会の会長をしていたということが頷ける。もてなし、ワイン、食事、水、すべてが満足できた。

「熱田さん、今日はありがとうございました。今夜が私のワイン・ファーストデーです。これからおいしいワインの旅に出ようと思います。いろいろご指導ください」

 ラジオのお蔭で、思いがけず、すばらしいソムリエに出会い、永年探し求めていた旨いワイン鉱脈に辿り着いた気がする。このご縁を大切にして、ワインと食事を楽しんでいこう。
     (2015年12月)

 
 
 
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同窓会、また楽しからず哉

2015-11-29 22:14:50 | 大学
 春先、満開の花を楽しませてくれた桜の葉は橙色になり、次第次第に散っていく。もみじの朱は濃厚になり森の主役を演じている。既に11月下旬、間もなく駆け足で師走がやってくる。

 木曜日の午後3時半、庭の柚子を1個ちぎってバッグに忍ばせ、家を出る。駅に向かっていつもの道を歩きつつ、いちょうの黄色い葉、すずなりの柿の実、空高く咲き誇る薄紫の皇帝ダリアを眺める。癒され、心豊かになる。

 時間があるので各駅停車に乗り、のんびり横浜に向かう。ペットボトルの熱めのほうじ茶をすすり、ゆっくり本を読む。妻が何年か前に買った竹中平蔵『マトリクス勉強法』(2008年 幻冬舎)。自宅の書棚で見つけた本だ。竹中さんはおない年で、また友人の宮田安彦氏(大妻女子大学教授)のかっての上司ということもあって、昔から親近感を持っている。
「『自分は必ずできるはず』と信じること、諦めないことです。つまり、努力するにはある程度楽観的であることも大事」(P38)
まったく同感だ。この精神で私は家族から暴挙と言われるピアノに取り組んでいる。竹中さんの本は文章も明晰で味わいがあり、とてもおもしろい。

 横浜駅で京浜東北線南浦和行きに乗り、5時半頃有楽町に到着。帰宅ラッシュが始まりつつあり、駅では多くの乗客が行き交っている。5年前までは、私もこのなかの一人だった。改札を経て、久しぶりの有楽町の街を皇居方面に向かう。

 御堀端に帝劇ビルがあり、エレベーターで地下2階に降りる。ここに神戸大学東京六甲クラブがある。6時から同窓会の主催で講演会が開かれることになっている。受付で名札を貰い、会費4千円を支払う。

 今夜の演題は「ピケティ『21世紀の資本論』 宴の後での再評価」。講師は神戸大学大学院の中村保教授である。ピケティのこの本は先ごろ評判になった。私はまだ読んでいないので、同窓会で解説してくれると知り、久しぶりの同窓会参加となった。集まった同窓生は総勢20名。ほとんどが70代、80代で60代は3、4名。一人だけ、40前後の人がいる。はるばる神戸から大物教授が来てくれるのに、たった20名とは申し訳ない気がする。しっかり拝聴せねばなるまい。ラジオレコーダーを録音状態にする。

 現れた中村教授は若々しく、まだ50そこそこであろう。パワーポイントを操作しながら、テンポよく話を進める。年寄OBが相手なので、先生は極力優しい言葉を使いながら語りかけてくれるけれども、話はなかなか難解だ。

「個人の所得は、所有する資本から得られるものと、働いて得られるものに分けられる。有史以来の長期間、さらに地球上の広い地域について詳細に調べてみると、ほとんどの場合、資本から得られる所得の方が労働から得られるものより大きい。その結果、経済格差が発生し、その格差は更に大きくなりつつある。

 この傾向を止める唯一の手段は政府の介入であり、世界各国協調により富裕税を課し、累進課税を強化することなどである。しかし、この介入は現実問題として非常に難しい」

 講演をきいて、うっすらと理解できたのはこの程度である。確かに、例えばオートメーション工場という資本は日々付加価値を生み出し、その利益は工場資本を所有する人に配分される。資本を所有する人は多額の所得を得ることになるだろう。このような所得格差がますます大きくなるとは、どことなく心配だ。

 講演が終わった後、19時半頃から中村教授を囲んで立食パーティとなった。ローストビーフ、海老フライ、しゅうまい、野菜煮物などのご馳走が並び、ビール、日本酒、ウィスキーがふんだんに用意されている。教授に話をするほど理解できなかったので、コクのあるサントリーモルツを飲み、上質のローストビーフに舌鼓を打った。東京のど真ん中で、アカデミックな雰囲気を楽しみつつ、最上の料理においしいビール。充実したたのしい時間である。

 酔いが回った頃、見覚えのある人がいる。中島良能(よしただ)さんだ。中島さんは神戸大学を卒業し、日本IBMに勤務した後、50代後半桐朋音大指揮科に学び、指揮者として活躍している。聖路加病院名誉理事長の日野原重明さんを記念した管弦楽団常任指揮者である。昨年秋、中島さんの指揮でモーツァルトの交響曲40番を聴いて感銘を受けた。

「中島さん、私は今年初め、ハイドンに目覚め、CDで交響曲を聴いて感動しています。ところが、日本ではほとんど演奏会で取り上げられません。ハイドンは欧米ではどのように評価されていますか?」
と伺ってみた。

「日本では仕事をしながら聴く、イージーリスニングとしてモーツァルトの方が好まれています。日本ではハイドンは知名度が低く、演奏会で取り上げても集客力が弱いのです。演奏会の採算性からハイドンはなかなか演奏されません。音楽的にはたいへん優れており、ヨーロッパではよく演奏されています」
現役指揮者の説明をきいて納得できた。

 宴半ばで中座し、帝劇ビル地下1階の居酒屋「魚ゃ どん」に行く。湯どうふと菊正宗熱燗2合を注文する。持参したマイ箸とマイお猪口を取り出し、ゆったりと有楽町の晩酌を始める。菊正宗のふくよかな香りと典雅な甘みがたまらない。皇居の畔というロケーションにもかかわらず、客は満席の3割程度の入りである。贅沢な時間が流れていく。湯豆腐をじっくり味わいつつ、鯖の塩焼きを注文する。アツアツの鯖が出来上がったところで、持参のゆずを二つに切って貰い、さっと絞って身をむしる。これこそが至福の味なのだ。

 2合の菊正宗で快く酔い、上野東京ラインのシートに凭れて横浜に向かう。今宵は10歳、20歳、年齢の異なるOBが参加し、母校の教授の話をきき、杯を交わし合った。貴重な社交と学びの場として、今後のプログラムが楽しみだ。
                     (2015年11月)

 
 
 
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