定年退職からの楽しき日々♪♪

六十歳で定年退職し、テニス・ピアノ・料理などの趣味にいそしんでいます。折にふれてエッセイを書いています。

ツァープランニング

2016-07-04 16:47:16 | 旅行
 今年5月末、作家の大鐘稔彦さんから手紙を貰った。4月に出版した『マックスとアドルフ』の出版記念会が7月9日に洲本市で開催されることになったと記されていた。出席したいと思ったが、5月初めに淡路島の大鐘さんを訪ねたばかりであり、残念ながら今回は見送りとした。

 6月17日、誕生日を迎えた。遂に66歳となる。これまでまだまだ若いと思ってきたが、66という数字を見ると、さすがに歳を取ってきたなと思わざるを得ない。男性の平均寿命80.5歳まで14年しかない。余命は短いということだ。若々しく健康そのものの大鐘さんも今年73歳である。そう思うと、両方ともが健康な今、滅多にない出版記念会に出るべきだと考え直した。これからはすべてが一期一会である。
「村上さんは欠席ときいていましたが、えぇー、来てくれますか!」
その夜携帯に電話を入れると、大鐘さんの弾んだ声が返ってきた。

 急遽出版記念会への出席を決めてみると、横浜から新幹線で神戸に行き、そこから高速バスで淡路島に行き、一泊して帰るだけでは、費用的にちともったいない気がしてきた。さてどうしたものか。
(妻が最近、徳島県の祖谷(いや)に行きたいとしきりに言っている。徳島は淡路島の隣だから、ちょいと下見をしてくるか)
ということで、7月8日は祖谷を訪ねることにした。

 祖谷は四国の山間部地域であり、屋島の戦いで落ち延びた平家の落人が住み着いたという伝説がある。ここ数十年、過疎化が進行したが、一方で「平家の落人」伝説ゆかりの観光地として注目されるようになっているらしい。

 祖谷を下見するといっても、いったい祖谷ってどの辺にあるの?地図上の位置イメージがまったくない。インターネットを調べてみると、四国の中心部、徳島県と高知県の境界あたりにあることが分かった。早速「旅行プラン」というエクセルファイルを立ち上げ、祖谷の位置を示す地図を貼りつけた。

 翌日横浜駅に行き、旅行代理店でJTB、日本旅行など数社の四国地方パック旅行カタログを集めた。カタログをみると祖谷ツァーでは「ホテル秘境の湯」というホテルが利用されている。楽天トラベルのサイトで調べてみると、8日の夜は空きがあり、一泊二食付き15、120円で予約できた。ホテルのホームページを覗いてみると、客室は調度品もよく落ち着きがあり、夕食は竹串に刺された川魚あめご塩焼き、山菜のてんぷら、猪豚なべ、祖谷そばなど16種類のご馳走である。珍しい山村料理で地酒に酔い、静かな客室で本を読むという贅沢ができそうだ。旅行プランファイルがデータ・画像を少しずつ増やしていき、次第に旅の雰囲気に浸り始める。

 祖谷ではどこを訪ねたらいいのだろうか?ホテルのホームページに問い合わせのコラムがあったので、観光スポットの紹介と行き方を教えてくださいと打ち込み、送信ボタンをクリックした。翌日早朝、ホテル秘境の湯の中浦さんからメールが入っていた。
「8日、大歩危駅まで車でお迎えに参ります。そのまま、かずら橋までお送りします。かずら橋観光が終わったらお迎えに参ります。大歩危峡観光に行かれる際は、ホテルからタクシーで3分です。観光が終わったらお迎えに参ります」
すばらしいリアクションに感激した。祖谷での楽しみ方の大筋が決まった。

 二、三日して大鐘さんから電話が入った。
「私の友人が洲本市のエクシブ淡路島というリゾートホテルの会員権を持っています。9日の出版記念会の日は、エクシブに宿泊してください。フロントで大鐘と言ってもらえれば分かります」
記念会では簡単なスピーチをせよとのことなので、しばし思案して旅行ファイルに原稿をまとめた。記念会は老若男女の大鐘サポーターが参集し、祝辞やコーラスなど華やかでなごやかなパーティーになるだろうが、一体どんな感じなのだろうか。今から本当に楽しみなことだ。記念にラジオレコーダーで録音し、スナップ写真も撮ろう。

 エクシブ淡路島をネットで検索するとリゾート・トラスト社が経営しているホテルらしい。9日の昼食はエクシブでしたいが、さて何を食べようか。ホテルのサイトをたどると、潮音(しおね)というレストランがあり、生しらすと鰆の丼(2、160円)が旨そうだ。丼の写真をサイトから旅行ファイルにコピーしているとよだれが出てきた。屋上に海を見渡すプールがあり、ジェットバスやサウナも利用できる。時間に余裕があるので高級リゾートをじっくりエンジョイしよう。心はもう淡路に飛んでいる。

 6月下旬、川崎重工時代の友人で神戸在住の林治令さんが私のブログを読んでメールを送ってくれた。
「バイキングレストランの文章を読んで、昔村上さんと行った新神戸のバイキングの店を思い出しました」
新神戸のバイキング「豆乃畑」は豆、豆腐料理中心の店で本当においしかった。久しぶりに会いたくなり都合をきくと10日の夜は空いているという。2、3度メールのやり取りをし、神戸ポートピアホテルのバイキング「プレンデトワール」で食事をすることになった。30階のスカイラウンジで黒毛和牛のビーフシチューやカニ、お寿司などが楽しめるようだ。シニア・前売り券で飲み放題付5千円という嬉しい価格である。かって1年に300冊前後の本を読んだこともあるという読書家の林さんとは実に4、5年ぶりの再会で、どんな話ができるかなんとも待ち遠しい。ピアノ演奏をききながら神戸の夜景を楽しめるのもしゃれている。

 少しずつスケジュールがふくらみ、おおむね旅程の骨格が固まった頃、昨年春NHKラジオ深夜便で聞いた放送を思い出した。専門家の話をきくコーナーで、あるアメリカ人が祖谷に感激し、古民家の再開発に乗り出しているという話だった。祖谷、古民家というキーワードでネット検索をすると、その人はアレックス・カーという人だと知れた。『美しき日本の残像』という本を書き、新潮学芸賞を受賞しているという。早速アマゾンで注文した。

 ユーチューブで検索をかけると3本のビデオにアクセスすることができた。すべてパソコンからラジオレコーダーに録音した。たくみな日本語で祖谷との出会いを話し、失われつつある世界でもまれな日本の美しさ、古民家再生による地方の観光復興を語りかける。出版記念会参加を決めてから、その前後にツァーを組む流れのなかで、アレックス・カーというすばらしい人に再開できたようだ。

 本が届くと直ぐにページを開いてみた。
「東洋における文化と自然の破壊は、……一つの大きな歴史的現象だと思います。ヨーロッパ諸国における産業革命は、ゆっくりとした変化であり、四百年以上もかかっています。それに比べると、中国や日本ではあまりにも急速に起こったと言えるでしょう。その上、百パーセント異文化によってもたらされたものです」(p23)
なんとすばらしい著作なのだろう! 8日からのツァーは移動時間がたっぷりある。電車に揺られながらじっくりと読書の醍醐味に浸ろう。そして祖谷の真実に触れよう。

 6月中旬にインターネットを活用して旅の企画を始めてから、心は半分旅に出ている気分になっている。情報が得られ、画像がエクセルファイルに集まってくる。宿の予約も決まってくる。食事の内容すら大方想像することができる。横浜で日常生活をしながら、同時にツァーを楽しんでいる自分がいる。実際に旅に出てみれば、ハプニングがあり、想像できなかった発見があり、失望もあるだろう。8日から3泊4日の一期一会のツァーをエンジョイしたい。ボン・ボヤージュ!   (2016年7月)



  
 
 
 
 
 
 
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梅雨の朝

2016-07-01 14:47:16 | 介護
 母が2013年4月にホームに入所して、早3年の月日が流れている。わが家にとって未知の経験であり、先行きどうなるか不安があったが、母にとってよい選択だったようだ。
「このホームに入り、週3回デイサービスに行かせてくれているお陰で92歳まで生きられたよ」
この頃の母の口癖である。家族として本当にありがたい言葉だ。

 入所以来、月1回、中井内科で診察を受けて薬を処方して貰っている。ホーム周辺では評判の良い医者で、毎朝患者さんが長蛇の列を作って受付開始を待っている。今日は診察を受ける日なので、朝5時20分に起床した。炊飯器のスイッチを入れ、わかめの味噌汁を作りながら、出し巻たまごを焼き、もずく酢を添えて夫婦2人分の朝食を用意した。朝食後、プラスチックごみを出し、6時50分に家を出る。今朝は小雨が降っているがありがたいことに風はなく、しっとりと落ち着いた気分である。

 相模鉄道で終点の海老名まで行き、小田急線に乗り換える。電車は通勤通学客で一杯だ。急行で2駅目の愛甲石田に着くと時計は8時を指している。傘を広げて雨の中を歩き、5分で母のホームに着く。時には変わったこともいいかなと思い、道路端で携帯から電話を入れた。
「いま、ホームの下に来ている。窓から覗いてみなよ。今から中井医院に行って並ぶよ」
3階の部屋から母が覗き笑顔で手を振ってくれた。傘を上下して応答する。サプライズ成功だ。

 ホームから一戸建て住宅街を歩くこと10分、中井内科にたどり着いたのは8時15分。暑さ、寒さ、そして時には雨風に耐えながら毎日患者が列を作るので、最近クリニック建屋の外壁に簡易の風雨よけが作られた。かなり早く来れたと思ったが、既に7人の人が並んでおり、私は8番目だ。ベンチに腰を下ろし、ほうじ茶を飲んで心静かに本を読む。

 9時にクリニックが開き受付表に母の名前を記入する。診察は10時半前後になりそうなので、タクシー会社に電話を入れ、10時にホームに行きクリニックまで連れてきてくれるよう依頼する。やれやれ一安心とソファに凭れているといつの間にか眠りに落ちていた。

 気持ちよく眠りこけていると、とんとんと肩を叩かれて目が覚めた。
「朝早くからご苦労さん。ありがとうね」
母がタクシーでクリニックにきてくれた。最近いちだんと体全体が小さくなった気がする。しかし、プラス思考で何事にも努力する生活習慣を持っているせいか、まだ認知症の予兆がないのは本当にありがたいことだ。昨日のデイサービスのことをきくと、リハビリマッサージを受け、自転車こぎをやり、算数のドリルも満点だったと嬉しそうに話す。デジタルカメラを取り出し、ひ孫の将大・瑛大(しょうた・えいた)の写真を見せるとえびす顔になる。故郷の福井のことなど、ぼそぼそとよもやま話が続く。

 10時45分に診察室に呼ばれた。血圧を測り、簡単な問診を受けて3分で終了。タクシーを呼んで、母をホームに連れていってもらう。私はクリニック近くのアクタ薬局に行き処方箋を受付に差し出す。消化剤、骨の薬、認知症予防薬など6つの薬が出ているので、服用のタイミング毎に分包をお願いしている。このため薬を受け取るまで30分ほどかかる。

 薬を貰いホームに向かってそぞろ歩く。田植えが終わったばかりの広い田んぼが広がっている。イネの苗がまっすぐ植えられてすくすく育っている。田んぼを背にして住宅街を進むと紫陽花が雨を受けて咲いている。緑の葉と鮮やかなブルーの花に見入る。しばらく歩くと板のフェンスに葡萄を沿わせている家がある。薄緑の実をつけた房を眺め、熟したらこれを醸造すればおいしいワインになるのだなとつぶやく。小雨の散歩もいいものだ。

 ホームの近くになり高橋さんという大きな農家の前を通ると、野菜が並んでいる。一袋すべて100円だ。迷うことなくきゅうり、茄子、ミニトマトを買い、100円硬貨を3枚代金箱に投入する。すべて屋敷内の畑で収穫したばかりの新鮮野菜を格安でゲットできるとは!まさに地産地消、ありがたいことだ。

 母にビニール袋一杯の薬を届け、正午前にホームを後にした。
「今日は朝早くから長いことありがとう。英子さんにくれぐれもよろしくね」
診察と薬調達というひと月で一番重要なことが無事終わって、嬉しそうに手を振ってくれた。朝7時から5時間、長い時間であるが、雨模様のなかで自然の息づきに触れ、老親とゆっくり話ができ、思いがけず取れたて新鮮野菜も手に入れた。平穏で心ゆたかな梅雨の朝であった。             (2016年7月)


 
 

 
 
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株主総会の一日

2016-06-22 00:38:44 | 日記
 5月中旬、三井物産から定時株主総会招集通知が届いた。3月24日に526万円で4千株購入し、4月22日に536万円で売却したのだが、3月29日の権利落ち日に保有していたので、総会への出席権利があるのだという。これまで株主総会に出席した経験がないので、興味を持ち、出席してみることにした。

 6月21日、いつものように心を込めて家族の朝食を作り、火曜日なのでプラスチックごみを出して、8時半に家を出た。小雨が降っているけれども、暑くもなく寒くもなく実に気持ちがいい。横浜駅で上野東京ラインに乗る。ラッシュの時刻を過ぎているので超満員状態にはなく、走り去る窓外の風景をのんびりと楽しんでいるうちに品川駅に着いた。高輪口を出てざくろ坂をのぼって行くと、やがて人の列が出来てきた。どうやら株主総会に出席する人たちのようだ。会場のグランドプリンスホテル新高輪に入ると、更に人の数が増える。

 受付で議決権行使書を提示すると吊り紐が付いた番号札を渡される。私の番号は6、583番。一万人前後は入れそうな広いホールは既にほぼ満席である。70代の男性が圧倒的に多く女性の姿は探すのが難しい位だ。経済的にゆとりのありそうな雰囲気で、こざっぱりした身なりをしかつ健康も良好な感じの人が多い。かなり後ろの席に座り、足元にラジオレコーダーを置いて録音ボタンを押す。10時ちょうど、飯島会長が議長になって総会が始まった。あらかじめ用意されたビデオで経営環境が説明され、続いて前期の経営成績・財政状態が報告される。難しい内容もあるが、全体として実に分かりやすい。全世界市場を相手に金属資源やエネルギー資源を開発し、機械やインフラを供給し、食糧・食品などの生活産業にも取り組んでいる。2015年度で多くの損失を計上した資源・エネルギー部門については、なおしばらく市場価格の低迷が続くものの、世界的に在庫調整が進んでいるのでやがて市況は回復すると説明している。今年に入ってすでにキャッシュフローは改善しているという。重要な任務を遂行しているすばらしい会社だ。

 説明の後、株主からの質問の時間となる。たくさんの質問があり各担当役員から懇切丁寧な回答がなされた。5番目あたりで質問に立った株主はいきなり大声で叫び始めた。
「当社の当期利益は669億円の赤字になった。お前たちの頭はくさっておる!こんなに多額の赤字を出しながら、今期も取締役に選任されようとしている。お前らは全員首だ!!」
会場に緊張感が走った。これに対し、高橋副社長から苦境に陥っている南米の銅鉱山事業の現況と今後の見通しについて真摯な説明があった。最後に剰余金の配当、定款一部変更、取締役選任の3件の議案が採決された。あらかじめ書類で確認された株主の意思表示と、総会出席者の拍手により、3議案とも可決された。この時点で平成27年度下期の1株当たり配当は32円で決定した。私の配当金は12万8千円となる。

 正午少し前に閉会となり会場を出ようとすると、番号札と引き換えに紙袋を渡された。記念品だという。ホテルを後にし、品川駅前の「北前そば 高田屋」に行った。海鮮三色丼とそばセットを注文した。天然まぐろ・鮭・かんぱちは生きがよく、そばもしっかりそば粉を使っている。まずまず合格点だ。これで950円はお値打ち品だ。

 高田屋を出て空を見上げると高層ビルが林立している。私が東京で働いていた頃の品川とは様変わりだ。品川から久しぶりに山手線に乗り、新宿へ向かう。この電車には長いことお世話になった。ほんとうに懐かしく、2、30年前にタイムスリップする。新宿で小田急線の改札を通り、快速急行小田原行きに乗った。愛甲石田駅まで行き、ホームにいる母を訪ねることにした。

 平日の午後とあって電車はすいている。長椅子に腰をおろし、ほうじ茶をすすってから、記念品を開けてみた。挨拶状が入っている。三井物産は東日本大震災で被災した仙台市の復興計画に協力しており、その一環として地元の海産物を購入し、株主に配るのだという。カットわかめの袋、ぶりの缶詰、鮭の瓶詰など5点の食品が入っている。いずれもとてもおいしそうだ。

 午後3時過ぎ、愛甲石田駅に着いた。母が先日、お刺身が食べたいと言っていたことを思い出し、スーパー「よろず屋」に立ち寄る。鮮魚コーナーを覗くと、おいしそうな鯵の刺身がある。518円だった。

 92歳の母にお刺身を見せると、少し食べたいという。お皿にしょうゆとおろし生姜を入れ、盃にお酒を注いであげた。
「この鯵は新鮮だねぇ。うまいよ」
そして、慈しむようにさかずきを傾けた。よかった。

 お刺身を食べた後、今日の株主総会の話をし、ラジオレコーダーの録音を聞かせた。そして貰った記念品を母に差し出した。
「カットわかめは、朝味噌汁にいれるといいね。鮭の瓶詰はお酒のおつまみになる。でも、おいしそうだから、持って帰って英子さんと食べなさい」
置いていく、持って帰れと何度も押し問答を繰り返し、ともかく置いてきた。

 愛甲石田から小田急で海老名に着いたのは午後7時半だった。海老名駅の飲食店街をそぞろ歩き、足が止まったのは「自然食 はーべすと」である。はーべすとは池袋駅の店に何度か行ったことがあり、実に4年ぶりだ。相変わらず明るく清潔だ。バイキング形式なので、各種の料理をプレートに盛り、生ビールでファンファーレを奏でた。蓮根の磯辺揚げが実に旨い。枝豆の冷製スパゲティわさび和えを賞味しつつ赤ワインを愛でる。牛肉のしゃぶしゃぶに舌鼓を打ちキャベツ胡麻和えの旨みにおののきながら白ワインを口に含む。おいしさが2倍、3倍ではなく、2乗、3乗になる。久しぶりに至福の時を過ごした。これで3、227円! デフレとは福音という意味なのだ。

 軽い気持ちで出席した株主総会で新しい刺激的な経験をし、様々なことを学べた。思いもしなかった記念品を手にし、ホームの母を訪ねると、この高齢者にぴったりの保存食品だった。創業140年の三井物産と92歳の母が株主総会のおみやげで結びついた。偶然のはたらきに感謝しつつ、三井物産の今後の繁栄と母のおだやかな余生を祈りたい。豊饒な梅雨の一日だった。           (2016年6月)






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熊野古道

2016-06-03 21:57:49 | 旅行
 二、三年前から妻と、いつかは熊野古道を歩いてみたいと話していた。今年の4月、夫婦の気分と都合が一致し、5月31日から熊野古道を目玉にした2泊3日のツァーを申し込んだ。一人63,000円とお手頃な価格である。梅雨に入る前の時期であり、緑豊かないにしえの古道を歩けると思うとなんとも楽しみであった。

 長らく悩んでいる肘痛も、転院して2か月ほどリハビリ体操に努めた結果、回復の兆しを見せていた。ところが出発日の1週間前、ぐっすり眠って目覚めると、腰に違和感を覚えた。ベッドから下りようとすると、背骨を中心に左右直線状に強い痛みがあり、右手で体を支えて緩慢な動作をしなければ動けない。重いものを持ち上げたのではない。ゆったりと眠っていたのにどうして痛くなったのだろうか。加齢ということだろうか。一日静かにして過ごす。翌日、起きてみると一段と痛みが増している。
(これじゃあ熊野古道はとても無理だ。困ったことになった。楽しみにしていたのに何とも残念だ)
早速、東京明日佳病院に電話すると、主治医の渡邊先生の予約は一杯で、次に予約が取れるのは6月第2週だという。どうしたらいいか分からず途方に暮れた。
 
 翌日、ダメもとで朝一番に病院に向かった。受付で、予約していませんが、もし可能なら診察をお願いしますと申し出た。半日待ち、午後1時過ぎに診察して貰え、一縷の望みを託した。
「レントゲン写真を見る限り、骨に異常はありません。しばらくは安静が必要です。取りあえず消炎・鎮痛剤を出します。熊野古道は険しいので無理かもしれません。当日判断してください。6月からリハビリ体操で治療しましょう」
渡邊先生の診断だった。生まれて初めてコルセットを処方された。

 安静にしてロキソプロフェイン錠(消炎剤)を飲み続けたが腰痛は軽減しない。おっかなびっくりよたよたと歩いていた。うつ状態になり、心はよれよれだ。
「もうキャンセルできないのでツァーには行くけれど、熊野古道巡りだけは取りやめてホテルで過ごします。悪いけど一人で行ってきてください」

 2日目の古道巡りは辞退して終日ホテルで過ごすことになるので、本棚を物色して昔読んだ本を一冊バッグに入れ、ラジオレコーダーも持参して、予定通り5月31日早朝横浜を出発した。腰は依然として痛く、コルセットでしっかり固定した。

 初日は移動日で、新横浜からのぞみで名古屋まで行き、関西線に乗り換える。ディーゼル特急南紀3号はエンジン音と共に独特の揺れがあり、旅の気分を味わえるが、にわか身体障害者なので今一つ楽しめない。妻も身障者の相方を連れて、気分が乗らないようだ。特急で3時間半とは、南紀州は遠い所だ。渡良瀬温泉のホテルやまゆりでステーキ・刺身・鍋のご馳走を食べて早めに就寝した。

 よく眠って6時前に目覚めた。今日は夫婦別行動で私はホテルで音楽をきき、本を読んで過ごす予定だ。前日の夕食に勝るとも劣らない朝食をゆっくりと頂いた。柔らかいおかゆを味わっていて、ふと、腰の痛みが心なしか小さくなっている気がする。消炎剤が効いてきたのだろうか。
「腰痛が多少和らいだので、折角だから熊野古道に行ってみようかな。途中で痛くなったらよろしく頼む」
言葉少なに食後のパイナップルをもぐもぐ食べていた妻の顔がにわかにほころんだ。

 リュックの荷物を極力減らして背負い、古道の出発点、発心門王子(ほっしんもんおうじ)に移動する。王子とは昔、神社があった場所である。今日はうす曇りで風もなく、古道巡りには絶好の天候だ。10数名のツァーかと思っていたら、今日はたまたまわれわれ夫婦二人だけで、松本誠子さんという70前後の語り部さんが案内してくれるという。小柄で目のくりっとした女性である。

 幅2メートルほどの下り勾配の山道を、私の腰痛の具合を考慮しながら歩き始める。古道の両脇は朴の木(ほおのき)、やまゆり、シダ類のウラジロなどの植物が仲良く茂り、その背後で杉やぶななどの樹木が密生している。樹木から芳しい香りが漂い、気分がすっきりする。一行3名はゆっくりと歩みを進める。私の腰はなんとか持ちこたえている。騒音がまったくない空間に、時々うぐいすが鳴く。日頃気になっている色々なことを一切忘れ、自然の中に溶け込んでいくような気になってくる。
「熊野古道信仰は供養ではなく、蘇生なのです。蘇るということです。古道を歩いたことで腰痛が今後よくなるかもしれませんよ」
語り部さんの言葉が妙に納得できる。

 2キロ、3キロと進むにつれて、古道の自然・雰囲気にますます心身がなじんでくる。思い切って出かけてきて本当によかった。渡邊先生の顔が浮かぶ。感謝至極である。

 出発して3時間ほどして散策の中間点にあたる伏拝王子(ふしおがみおうじ)に辿り着いた。村の婦人会が運営している休憩所があり、昼食をとった。長時間歩いた後でもあり、山菜のおかずとおにぎりの弁当はとてもおいしい。こんにゃくと沢庵のおいしさに感じ入った。

 昼食後、語り部さんと妻の了解を得て、しばらく時間をもらった。休憩所の脇に設けられたベンチに座り、熊野古道を見下ろしながら、持参した本を開いた。『吉田秀和作曲家論集 バッハ・ハイドン』(2002年、音楽之友社)である。ハイドンの章を読み始める。弦楽四重奏曲第67番「ひばり」を取り上げ、楽譜を示しながらやや専門的な音楽用語を使って感じることを書いている。風格のある、見事な文章だ。持参したラジオレコーダーの録音ファイルを探すとこの曲が入っていた。ヘッドフォンで演奏を聴きながら評論を楽しむ。ゆったりしたテンポの明るい曲で、熊野古道の雰囲気とも調和している。
「すっきりしていて、無駄がない。どこをとってみても生き生きしている。……澄明な知性の裏付けが感じられ、……。うそがない。誇張がない。それでいて、ユーモアがある」
(P282~283)
吉田さんのひとこと、ひとことが素直に胸に落ちる。何というすごい著作なのだろう。14年前にこの本を読んだときはこれほど文章に同化できなかった。この本を読んでから4年後にピアノを始め、10年間ピアニストの指導を受け続けてきたことで音楽に対する感性が高まっているようだ。

 再び3人で古道の後半を歩き始め、祓殿王子(はらいどおうじ)などを巡り、午後2時半、古道終端の熊野本宮大社に行きついた。5時間半にわたり、語り部の松本さんがユーモアを交え、ききやすい語り口で懇切丁寧に説明してくれたことで、熊野古道のすばらしさを存分に堪能できた。腰は多少痛くなったものの、何とか持ちこたえてくれた。まるで奇跡のように感じている。6月から病院でリハビリ体操の指導を受けしっかり治したい。

 長らく望んでいた熊野古道を歩くことができ本当に満足できた。妻も腰痛の夫が全工程を歩ききれ、とても嬉しそうだ。その上、吉田さんの本を再読し始め、ツァーのその後の行程で読み続け、ハイドンの弦楽四重奏曲のすばらしさに目覚めることができた。これからは熊野古道の思い出とともに80余曲の四重奏曲をじっくり楽しもう。じつに佳い旅だった。
(2016年6月)

 
 
 
 
 
 
 
 
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自由が丘

2016-05-17 21:20:07 | 散策
 今年のゴールデンウィークは5月5日、淡路島に医師の大鐘稔彦さんを訪ね、翌日、大阪梅田で学友の金澤秀郎さんと2年振りに旧交を温めた。大鐘さんは長編小説を出版したばかりで開放感に満ち、元高校校長の金澤さんは教え子達との交友などで充実した日々を送っている。愉快で楽しい2泊3日の小旅行だった。

 大鐘さんとの食事会の折、ふとしたことから、2008年に幻冬舎文庫として出版され、10万部のベストセラーとなった小説『緋色のメス』が話題になった。面白い小説であったがストーリーの流れのなかに、少し現実離れしていると感じたところがあった。フィクションである以上やむをえないことだ。ところが今回、この作品は今から半世紀前、京大医学部を卒業して病院勤務を始めたばかりの大鐘さんの実体験をもとにしているときき、いささか驚いた。

 連休明けの週、テニス肘の診察とリハビリの予定が入っていた。午前11時少し前、横浜から相模鉄道と東横線を乗り継いで自由が丘に向かう。キャリーバッグには外出用の小型パソコンに加え、緋色のメスを入れてきた。電車が動き出すと本を開く。一度読んでいるのでストーリーはおおむね頭に残っている。そのため、冒頭のシーンから話がすーっと入ってくる。たちまち物語の世界にいざなわれる。

 正午過ぎ特急電車は静かに自由が丘駅に停車した。昼飯にしようと北口を出て飲食店がひしめく小路を歩く。一分ほど歩いたところで手書きの立て看板が目に入った。さば味噌定食が750円という値段に惹かれた。行きつけの「つばき食堂」だと983円なのだ。価格差につられて「学」と書かれた暖簾をくぐる。定食にはひじき煮物とはるさめ酢の物の小鉢が付いていていずれもおいしい。鯖は脂ののりがほどよく、丁度いい甘さで、煮加減といい赤みその香りといい、思わずうなってしまうほど旨い。ご飯、赤だしも文句ない。
「50年以上鯖味噌を食べてきましたが、今日が一番おいしかったです」
40前後の店主と70前後のおばさんの顔がほころんだ。

 「学」で食後20分ほど休憩し、自由通りを奥沢方面に向かう。通りはなだらかな登り勾配で、どことなくあか抜けた雰囲気が漂い、空は抜けるように蒼い。微風が爽やかで、かすかに植物性の芳香が感じられる。ゆったりと歩いているとほのかにリッチな趣もあり、言いようのない平和で幸せな気分に包まれる。

 5分ほど歩くと、右手に鬱蒼とした杜が現れる。奥沢神社である。境内はいちょうやけやきなどの巨木が所せましと聳え、見事な社殿が建っている。一番奥の大木の根元に置かれているベンチに腰を下ろし、やしろと緑に縁どられた五月の青空を見上げる。心が浄化されていく。温かいほうじ茶を飲み、神奈川県のホームにいる母に電話を入れる。
「今、東京の由緒ある神社にきている。母さんの健康をお願いしたよ」

 奥沢神社から歩いて2分、東急目黒線の踏切を渡るとすぐ東京明日佳病院に着く。午後2時、渡辺先生の診察を受けた。先生は2000年シドニー、2004年アテネオリンピックで、野球の日本代表チームのドクターを務められ、スポーツ整形の専門医である。先生の治療を受けている阪神タイガースの岩貞投手は今シーズン大活躍している。
「1か月、教えて頂いたリハビリ体操をやりました。ずっと変化を感じませんでしたが、ここ2、3日、ほんの僅か改善しているかなと思ったりしています」
「もうしばらく体操を続けてもらって様子をみましょう」

 2分足らずの診察後、久保理学療法科長の治療を受ける。
「2週間前、筋肉が柔軟になっていましたが、今日は更にいい状態になっています。腕の使い方に悪い癖がついていましたが、改善されています。」
テニス肘の原因の一つが筋肉の硬化だという。一筋の光明を感じる。電気治療、マッサージ、リハビリ体操などを1時間じっくり施してもらった。診療費2、230円を支払って午後3時過ぎ病院を後にした。

 玄関を出ると幅5メートルほどの道の向こうに建っている古びたビルが目に入った。様々なテナントが入居する雑居ビルだ。その案内表示の中に「奥沢区民センター」という文字があった。何をしているセンターなのだろうか?中に入って2階に上ると、会議室があり、卓球台のある部屋では子供たちが卓球に興じている。
 驚いたことに3階は世田谷区立奥沢図書館になっているではないか。図書館は大きな窓から樹木が見え、明るい雰囲気である。沢山の書棚に本が並べられている。奥に100人前後の人が座れる閲覧席が並んでいる。老若男女が思い思いに本を開いている。

 中央の空席に落ち着いてほうじ茶を飲みながら『緋色のメス』の続きを読み始める。30歳前後の外科医は美貌で看護師としての資質に優れた婦長と恋に落ちる。二人はお互いを医療人としての考え方の上でも深く尊敬しあっている。しかし彼女は既に結婚しており、子供も一人いる。大きな葛藤の末、この恋が成就することはなく、外科医は病院を去る。そして二人の間には大きな秘密が存在していた・・・。主人公、佐倉周平が若き日の大鐘さんに置き換わっているので一段とリアリティがあり、ぐいぐいと物語の世界に引き込まれていく。なんとおもしろい小説なのだろうか。

 5時過ぎ、パソコンを立ち上げ、エクセルの「経済学ノート」というファイルを開いて復習を始める。これまでいろいろな経済学の本を読んで要点を纏めているファイルであるが、読み返すことによって理解が深まりつつある。読んでいると、日本の個人金融資産の額が入力されている。2011年時点では、1、499兆円だという。大変な額だ。
(このところ経済が振るわずGDPは若干減少している。ということは金融資産も減少しているのだろうか?)
こんな疑問が頭をもたげ、ネットを調べてみた。日本銀行の資料によると、じわじわ増加し、なんと2014年時点では1、696兆円となっている。13%の増加である。富裕層の金融資産が増加しているということだろうか?これが意味することは俄かには分からないが、今後の課題としたい。

 6時半ごろ、図書館を後にして自由が丘までそぞろ歩いた。一日の活動が終わる開放感が街に漂う。お気に入りの定食屋「つばき食堂」を訪ねる。お通しとして出てきた切り干し大根、筑前煮はまさに手作りの家庭の味がする。まるまる太って、こんがり焼きあがったいわしの丸干しを肴に「松竹梅豪快」の熱燗をちびりちびりと賞味した。見知らぬ、上品な酔客に囲まれて、至福の時間が過ぎていく。
 
 快晴の春の一日、自由が丘の散策、病院通院、図書館での読書、そしてアットホームな飲み屋で憩う。私にとって最高のハイキングである。次回の通院日が待ち遠しい。
                    (2016年5月)

 
 
 
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緑萌ゆ淡路島

2016-05-09 14:20:36 | 旅行
 今年4月1日、大鐘稔彦『マックスとアドルフ‐その拳は誰が為に‐』(文芸社)という長編小説が出版された。大鐘さんとは10年前に邂逅し、交際していたので、この作品のことはその構想段階から知っていた。5年前大鐘さんが資料集めで困っていることを知り、幾つかの資料を探索して順次郵送した。執筆の際参考になるかもしれないと思い、主人公マックスの自叙伝は1年かけて英訳し、10ページ位ずつ送付した。

 出版の直前、大鐘さんのサイン入りで、上下2巻、全1、400ページの本が郵パックで送られてきた。2冊で1.5キロもあり、大変なボリュームだ。さっそくぺージを開いた。創作過程に関わりを持った小説など、もちろん初めてのことで、不思議な気持ちで読み進める。

 主人公はドイツ人で初めてヘビー級世界チャンピオンになったマックス・シュメリングとアドルフ・ヒトラーの二人である。著者は1904年から1945年に至る激動の世界を克明に辿りながら、二人の波乱万丈の生涯を描いていく。夥しい数の人物が登場し、様々な事件が起こるので、エクセルファイルを立ち上げ、人物関連図を作り、歴史年表を書きながら読み進めた。シュメリング、ゲッベルス、ゲーリングなどの写真をインターネットでコピーしファイルに取り込んだので、文字を読んでいると登場人物がイメージを伴って語り始める。

 16歳になって、初めての給料を貰ったとき、シュメリングはボクシングの映画を観た。その映画でボクシングに大いなる憧れを抱き、ボクサーの道を歩み始める。1921年のことである。1924年にプロデビューを果たし、シュメリングは着実に実績を積み重ね、1930年、遂に世界ヘビー級チャンピオンとなる。この間のトレーニング、試合、試合後の文化人・映画スターとの交際が詳細に描かれ、彼がアスリートであるだけでなく頭のよい青年であることが分かり、シュメリングのファンになった。

 同じ頃、ヒトラーは身の危険を恐れることなく、国家社会主義ドイツ労働者党 (ナチス)の党首として頭角を現し、1933年、ドイツの首相となる。ヒトラーは版図の拡大を目指す過程で、シュメリングをアーリア人の宣伝モデルと考え、シュメリング夫妻としばしば食事をし、プロパガンダに取り込んでいく。

 しかし、シュメリングはナチスへの入党を断り、ある程度以上のヒトラー政権への協力を拒否する。それに対し、ヒトラーの取り巻きは、シュメリングを徴兵した上でクレタ島への落下傘部隊に配属する。クレタ島に落下傘降下したシュメリングは英国地上軍の砲撃を受けて瀕死の重傷を負う。

 連合国との戦いに敗れたヒトラーは青酸カリを口に含んで息を引き取る。シュメリングは除隊となり、戦後はドイツ・コカコーラの営業担当役員を務め、2005年まで生きた。

 激動の20世紀前半、ヨーロッパ、アメリカ、日本の歴史がドラマ仕立てで展開する。その舞台を背景にユダヤ人に偏見を持つことなく、スポーツマンシップで明るくリングで戦うシュメリングと、ユダヤ人抹殺と世界制覇に血道を上げる陰惨なヒトラーがコントラストをなす。一ヶ月じっくりと読み進め、5月3日に読了した。興味深く記憶に残る大河小説である。

「シュメリング、ヒトラーの取り巻き達、そして著者・大鐘さんはヒトラーをどのように評価したのだろうか?ヒトラーとは一体何だったのか?」
この作品を読み始めた時に抱いた一番の関心である。しかし残念ながら最後まで読み終えて、この問いに対するはっきりした答えを見出すことはできなかった。著者は努めて客観的な事実を伝えることに徹している。私の問いは、私自身が思索し、答えを見つけるしかないようだ。

 5月5日、兵庫県淡路島で大鐘さんと食事をすることになった。神戸三宮駅から高速バスに乗り、明石海峡大橋を過ぎると淡路島に入る。道路の両サイドから目にまぶしいほどの新緑が歓迎してくれているではないか。首都圏で外科医をしていた大鐘さんもこの緑と瀬戸内の夕日に魅せられてこの地に来たという。三宮から一時間ほど走り、4時過ぎ、陸の港・西淡バス停で下車すると大鐘さんが待っていてくれた。相変わらず黒々とした豊かな髪で血色がよく、とても73歳には見えない。

 3年振りに瀬戸内海を見下ろす大鐘邸を訪ねた。新小説の反響を訊ねると何人かからの感想を見せてくれた。その中に、かつて俳優として活躍していた山口崇さんからのメールがあった。
「5月1日早朝、大いなる感銘と頭脳の芯までしびれるような重い疲労感のなか読了しました。久しぶりの長編です。これは現代版 平家物語 大鐘本です」
重い疲労感。確かに余りの長編で私も同じ思いをした。

 大鐘夫妻、内科医の渡辺さんと4人で淡路島西海岸の「割烹はと」まで20分余りドライブした。はとは家庭画報や翼の王国など多くの雑誌で紹介されている創業110年の老舗である。鯛の刺身、蓮根まんじゅうなどに舌鼓を打ち、地酒・都美人の芳香に気持ちよく酔いながら和やかな時が流れていく。

「全編を丁寧に読んでみて、シュメリング、ヒトラーの幼友達クビツェクなどヒトラーと深くかかわった人たちがヒトラーをどう評価していたのか、そして著者はどう思っているのかが曖昧です」
宴たけなわのころ、大鐘さんに私の疑問を投げかけた。

「キリストはユダヤの裁判にかけられた後、磔刑に処せられており、キリスト教徒はもともとユダヤ人にはよい感情をもっていません。ユダヤ人嫌いはヒトラーに始まったことではなく、宗教改革のマルチン・ルターやゲーテなどもユダヤ人を嫌悪していました。ヨーロッパでは反ユダヤの長い歴史があるのです。ヒトラーを扱った書籍や映画は、殆どすべて、ヒトラー=ホロコーストという捉え方をしていますが、いろいろな側面から再考察すべきだと思います」
大鐘さんの回答は明解だった。ホロコーストが正当化されることは決してないけれども、ヒトラー=ホロコーストの一言で片づけ、そこで思考を停止させてはならない。

 歴史教科書を読んでも事象を理解できず、65のこの歳まで歴史は苦手である。この本を読んで20世紀前半の世界の動きが実によく分かった。長らく閉ざされていた世界史への扉を開いてくれた。この小説を出発点にして歴史の世界に漕ぎ出し、混迷する現代世界を考察したい。

 淡路島の夜はゆったりとこころ温かく、大滝秀治そっくりの渡辺さん、目が吉永小百合に似ている大鐘夫人は更けるごとに話が弾み、気が付けば11時を回っていた。新刊小説の著者を訪ねる旅は楽しく充実した思い出になった。    (2016年5月)

 
 
 
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出会い

2016-04-21 22:03:17 | 日記
 あれから10年が経つ。出勤前、朝食後に日経新聞を読んでいて、紙面左隅の小さな、本の広告に目が留まった。幻冬舎文庫の『孤高のメス』という小説だった。アウトサイダーの外科医を主人公にした物語だという。

 医療小説は好きなので、午前の勤務の後、貿易センタービルの書店で買い求め、早速読み始めた。読みやすい文章で実に面白く、帰りの京浜東北線でも夢中になった。読み終えて、妻に、読んでみないかと手渡した。妻も、中々おもしろいといって文庫本を開いていた。

 二、三日経ったとき、妻は文庫本の作者の名前をどこかでみたことがあるという。暫く考えて、作者・大鐘稔彦という名前は、淡路島にいる母の短歌仲間にもいたというのだ。

 そのような縁で、半年後、義母と共に大鐘さんを訪ね、面会の機会を得た。外科医として6千件の手術を行い、その傍らベストセラー小説を書いているという常人離れした人なので、圧倒されるのではないかとどきどきしながら、クリニックの待合室で待っていた。

 診察室から現れたのは、血色がよく柔和な目をした医師だった。ベンケーシーと同じ白衣を着ている。私より8歳年長の63歳である。よく通るバリトンの声をしている。すぐに私の緊張は解けた。お互いに一人っ子でわがままという点が共通しているのか、大鐘さんとは不思議に馬が合い、それ以来10年間お付き合いが続いている。

 大鐘さんは親しい仲間と月一回程度テニスを楽しんでおり、私も三回ほど参加させてもらった。大鐘さんのショットは多少オーバーアクションであるが、なかなかの腕前で楽しくラリーさせてもらった。集まるのは内科医の渡辺先生や市会議員など6、7名である。最年少のFさんはきめ細かな肌で目が大きな美人で、往年の栗原小巻に似ている。3年ほど前、大鐘さんと淡路島の小料理屋で食事をした時は、Fさんも一緒に来られ、宿まで車で送ってもらった。

 5年前、大鐘さんが新しい小説を構想しているとき、主人公で、ヘビー級世界チャンピオンだったマックス・シュメリングの資料が手に入らないので困っているという話をきいた。私はインターネットをくまなく調査し、遂にシュメリングの自叙伝を見つけた。アメリカから2冊購入して1冊を大鐘さんに送り、私も読んでみた。予想に反し、とても面白い自叙伝だった。小説を書くときに役に立てばいいと考えて、少しずつ英語から日本語に訳して大鐘さんに送った。翻訳は初めての経験で手間取ったが、1年間かけて全体を訳した。

あれから5年、今年の4月1日にこの小説が書店に並んだ。上下2巻で1、400ページもある大著である。あとがきに私のことを詳しく書いてくれている。
「・・・驚いたことに、村上さんはご自分用にも一冊購入され、私と同時に読み始め、しかも、訳文を数章すつ送って下さったのです。・・・村上さんから送られて来る訳文は時系列を確認する上で大いに参考になりました」

 大鐘さんはこの新小説『マックスとアドフル』(文芸社、2016)を出版の2週間前に送ってくれた。さっそくお礼の電話をかけると、
「この本の新聞広告のことで出版社ともめています。昨年夏、文芸社と出版の打ち合わせをした際、村上さんにも同席して貰いましたので、できれば来週の打ち合わせの際に証人としてご出席願えませんか」
との依頼を受けた。

 スケジュールが空いていたので、東京にでかけ大鐘さんと一緒に出版社との打ち合わせに参加した。一時間あまり熱のこもった議論が続いた。大鐘さんの小説のもう一人の主人公はアドルフ・ヒトラーである。ヒトラーを扱った作品は、世界のユダヤ系団体が常にチェックしており、広告を出すとクレームを受けることがあるという。大手新聞社のなかにはクレームを受けそうな広告は自粛する方針を取っているところがあり、大鐘さんの本の広告は辞退されたという。新聞社からの回答文書を示された上で、出版社側が誠意をもって対応策を準備しており、問題はおおむね解決をみたのでほっとした。最後に私から、念のために今日の合意事項を簡単なメモにして交換したらいかがですかとコメントした。これまではそのようなメモは作っていなかったようだが、今回はメモを作成することで一同了解した。

 打ち合わせの後、神保町の学士会館のロビーで大鐘さんとお茶を飲みながら歓談した。30分ほど談笑した後、大鐘さんが神妙な顔で言った。
「今日はこれから、学士会館のレストランで二女のフィアンセと会うことになっています。ようやく片付いてほっとしています。それはさておき、実は最近、私自身も婚約しました。相手は、村上さんも参加されたテニス会のメンバーのFさんです。18歳年下です」
青天の霹靂だった。びっくりしてしばらく返事ができなかった。

 落ち着いて考えてみると、年齢差があるとはいえ、大鐘さんは実にエネルギッシュで若々しい。現役の医師で、コンスタントに小説やエッセイを書き、卓球の市民大会でも活躍している。夏になると診療の後、ひとり瀬戸内海で泳いでいる。誠実かつ明朗な性格で、料理の上手なFさんはまさにベストパートナーである。なんとめでたいことだろう。大鐘さんと会った翌日、ご婚約祝いに日比谷花壇という花屋さんからクレマチスの花鉢をお送りした。明日の土曜日に届くだろう。

 大鐘さんに出会ってから、様々な著作を読んで感動し、小説の映画化の際はエクストラ出演もさせて貰い、しばしば楽しい食事会をするなど、大鐘さんとの交流はわが後半生のハイライトになっている。朝食後の新聞から始まった予期せぬ出会いが、その後の人生を豊饒なものにしてくれている。

 ふしぎな邂逅に感謝しつつ、新作小説を読みふけっている。おそろしく長い小説も上巻を読み終えて下巻に入り、いよいよ佳境に入ってきた。あと2週間もすれば読み終えるだろう。読み終えたころ、淡路島を訪ね、お二人のご婚約をお祝いし、瀬戸内の魚に舌鼓を打ちながら小説の感動を著者と語り合うことを楽しみにしている。
(2016年4月)


 

 

 
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診察行楽

2016-04-08 18:56:11 | テニス
 テニス肘回復のためにテニスとピアノを中断してから大分経った。近所の斉藤先生は2か月ほど休ませれば自然治癒しますよと言ってくれたけれども、丸4か月経っても症状は一向に軽くならない。根明を自任するわたしでも憂鬱な気分になることが多くなってきた。

 フェリス女学院大学シニアカレッジで私の真後ろの席に座っている女性は、長年テニス肘に悩んだ挙句、昨年昭和大学病院で手術を受け、その後のリハビリを経て完治し、この春からテニスが楽しめるようになったという。その話を思い出し、錦織ファンの彼女に主治医の名前を教えてもらった。主治医は渡邊幹彦さんといい、昭和大学医学部の准教授で、東京明日佳病院の院長も兼務している。明日佳病院で診察を受けるのが近道と知り、4月7日15時の予約を取った。

 診察の日は午前10時半過ぎに家を出た。近所の公園では小雨にそぼつ桜がなかなかの風情である。
(今日の渡邊先生の診察はどんな感じなんだろう。ひょっとすると、斉藤先生の診察とだいぶ違うのかもしれない)
との期待があり、なんとなく嬉しい気分だ。

 相模鉄道に乗り、大鐘稔彦『マックスとアドルフ』を開く。ハードカバーで1、400ページもある長編小説で、ようやく500ページ辺りに差し掛かった。マックス・シュメリングはドイツからアメリカに渡り、ヘビー級世界チャンピオンになっている。もう一人の主人公、ヒトラーは選挙で勝利を続け、ドイツの首相になった。物語は導入部を過ぎ、じわじわと面白くなり、電車に乗っていることを忘れさせる。

 横浜駅に着くと、かなりお腹がすいてきた。何かかうまいものが食べたいものだ。今日は海鮮どんぶりが食べたい。駅ビルで店を物色し、「築地 すしくろ」のカウンターに座った。ばらちらしを注文すると、板前さんが鯵やいかなどの食材をショーケースから取り出して切り始める。10分余りかけて丁寧に作ってくれた。さすがに鮮度がよい。まずまずの昼食だった。これで1、080円では採算割れだろう。

 東急東横線で日吉に向かう。木曜の午後とあって座ることができた。東横線は若い人が多く、どこかしらあかぬけした雰囲気があって私の好きな路線である。車窓から所々に満開の桜が眺められこころが和む。再び小説を読む。世界チャンピオンになったシュメリングをヒトラーは広告塔に使おうとして、両者が出会うことになる。文章を読んでいくと、作家はこの場面には心血を注いだことがよく分かる。筆が熱を帯びており、これこそ読書の醍醐味だ。

 日吉で東急目黒線に乗り換え午後2時前に奥沢駅に降り立った。生まれて初めての奥沢駅周辺は落ち着いた雰囲気の街である。人通りも少なく静かだ。改札を出ると目の前に東京明日佳病院がある。5階建ての大きな病院だ。玄関に入ると直ぐ左側の壁に勤務医師9名の名前が掲示されている。一番上に「整形外科 院長 渡邊幹彦」とある。

 病院のロビーは天井が高く、広々としている。立派なソファがずらりと並んでおり、余り病院という雰囲気がしない。とりあえずカウンターで受付の手続きを済ませる。問診票を渡されたので記入する。自宅を出る前にテニス肘の病歴を詳しく書いてきたので、問診票と一緒に提出した。

 初めての病院なので、病院内をくまなく見て回った。綺麗に清掃がゆき届いており、掲示も的確かつ親切で、誠実に医療に取り組んでいるという印象を受け、とても嬉しい。安心したところでソファに腰を下ろして本の続きを読み始める。第一次世界大戦敗戦から何とか立ち上がろうともがいているドイツの状況が克明に描かれており、100年前のヨーロッパにタイムスリップしてしまう。

 本に没入していると、午後2時45分に診察室に呼ばれた。予約時間より15分速い。病院で予約時間より早く呼ばれた記憶がない。悪い気がしない。診察室の入り口にA4サイズの写真フレームが掛かっている。二人の長身の若者の間に中年男性が写っている。昨年11月に撮影されたもので、若者は阪神タイガースの岩貞投手と楽天イーグルスの西宮投手、中央の男性が渡邊先生である。「渡邊先生に感謝」と手書きされている。

 渡邊先生は健康そのものといった感じで、笑顔をたたえ、目鼻立ちがはっきりしている。普通、初診では病状の説明を求められ質疑応答があるものだけれども、予め紙に記入してきたものを提出してあったせいか、いきなり診療ステージに入る。
「前の病院ではレントゲンは撮りましたか?特に問題はなかったですか。MRIを撮ってみますか?」
「是非お願いします」
とお願いしたものの、いきなりの撮影はないだろう。病院の都合を調べて後日出直しということになろう。

 ところが渡邊先生の反応は違った。
「MRI撮れる? あ、そう」
電話で確認して
「4時からなら撮れます。時間は大丈夫ですか?」

 4時過ぎから2階の検査室に入り、検査台に横たわり、トンネルのような検査機の中に入った。MRI撮影は生まれて初めての経験だ。ゴーという音や、カタカタカタカタという音がする。少し離れた場所からポーン、ポーンという少し不気味な音も聞こえてくる。毎年人間ドックで行うCT検査でも似たようなトンネルの中に入るが、ほんの2、3分で終わる。ところが今回は10分過ぎても続いている。20分が経過し、結局30分位検査が続いた。
(斉藤整形ではレントゲン撮影しかしなかった。MRI装置もなかった。これだけの装置で長時間検査するのだから、診察レベルが違うのではないだろうか)
と、病院に対する信頼感と安心感を持った。

 5時過ぎ、再び渡邊先生の前に座った。シャウカステンに私の右腕の骨と筋肉のクリアな画像が何枚も映っている。
「MRI画像を見ると、腱や筋肉はそれほど傷んではいません。手術をするような病状ではないですね。注射も湿布も不要でしょう。」
「どうしたら肘痛が改善するでしょうか?」
「これからお教えしましょう。その方法でトレーニングをして貰って、1か月後に様子を見せてください。ピアノやパソコンは何ら差支えないですよ」

 5時半からリハビリ室で久保理学療法科長がマッサージをしてくれ、トレーニングの仕方を教えてくれた。
「問題は肘の腱と筋肉が固くなっているということです。トレーニングの目的は肘の筋肉を緩めることです。しかし、筋肉を緩めようと意識しても筋肉は緩みません。そこで、ある種の動作をすることによって、無意識に筋肉を緩めます」
久保科長は意外な運動方法を教えてくれた。仰向けに寝転び、右手を真横に広げ、その腕を更に45度頭の方に回転する。この状態を維持したまま、両足を上にたたみ、左側にゆっくり回転させるのである。これだと一見、何も痛くない足・腰の運動のように見える。しかし、この運動をすることにより、右腕は足・腰の運動に対してカウンターバランスを取ろうとして「無意識に」伸ばそうとする。この「無意識伸ばし」が筋肉の緩みをもたらすのである。
「1か月この運動を続け、次回の渡邊先生の診察時に見せてください」
こうして午後6時半に診療が終わった。

 今日までは病状の明確な理解のない「ひたすら肘を休め、自然治癒を待つ」というあやふやな対応だった。しかし、今日は4時間かけて、高度医療機器で撮影し、病状を診断した後で、改善のための明確な方法を教えられた。大きな安心感が得られ、明日からの実行計画を描くことができた。36年間のテニスで痛めたテニス肘である。そんなに簡単に治るとは思えない。しかし、希望をもって暮らしていけることは確かだ。

 楽しい気分になって病院を後にした。奥沢から日吉を経由して自由が丘に移動した。日が暮れかけた飲食街を、うまい和食を食わせてくれる店を求めてそぞろ歩く。半時間ほどかけて数十軒の店を物色した挙句「焼魚と家庭料理 つばき食堂」というレトロな作りの店を選んだ。外から覗く限り、ごく庶民的なおばさんがやっている定食屋らしい。入ってみてがっかりするリスクがあるが、えい、ままよ、と意を決した。

 店に一歩足を踏み入れて驚いた。実に小ぎれいな店内で、70過ぎのおばさんと推測した女性は2人とも20代ではないか。しかも、なかなかの美形である。
(天は、テニス肘の惨めな老人を見捨てなかった)
手作りの子芋の煮つけ、切り干し大根をつまみながらゑびす生ビールを飲み干す。喜びが喉を伝いおりていく。メニューを見れば、なんと鰯の丸干しがあるではないか。当然いの一番に注文。大好物の焼きたて丸干しで熱燗を愛でる。随喜の涙はこういうときのためにある。

「テニス肘の人でも、構わずにテニスをやり続ける内に治ってしまう人もいます。やり続けてどんどん悪化し、箸も持てなくなるケースもあります。それぞれの人の特性や環境、プレースタイルなどで千差万別です。まずはリハビリをやりましょう」
名医・渡邊幹彦先生の話を反芻しつつ、陶然としてカウンター越しの美女を眺めていると、手すきになった彼女は砥石を据え、慣れた手つきで包丁を研ぎ始めた。この風景こそ、私が求めている世界である。

 日本酒を2合飲み、最後に握りたての鮭おにぎりと味噌汁をいただいた。十分飲み食いして3,300円という申し訳ないような金額だった。

 診察のためのこの1日は終始、愉快で意義深いことが継続し、とりあえず希望の持てる毎日が始まった。リハビリのためのエクササイズを日課の中に織り込み、気長にトレーニングを続けたい。
 いつの日か、またテニスをしてみたい。
(2016年4月)






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その拳は誰が為に

2016-03-26 21:20:20 | 旅行
 3月に入ると時々温かい日が訪れるようになってきた。ぶらりとでかけたくなる季節である。インターネットで日産健保組合のページを開いてみると、次の日曜日に伊東荘でキャンセルがでましたとの掲示が出ている。妻に訊くと、僅か4日後のことなので、都合が悪いという。一人で楽しんできたらどうかと言ってくれたので申し込んだ。

 土曜日の午後、郵便小包が届いた。差出人は作家で医師の大鐘稔彦さんである。小包はずしりと重い。大鐘さんは時々、淡路島の産物を送ってくださるので、いかなごのような鮮魚かな?と思った。夕食に思いをはせてさっそく包装を解くと、なんと分厚い本が2冊出てきた。
『マックスとアドルフ ‐その拳は誰が為に‐』
大鐘さんが3年かけて書き上げた新刊小説である。ハードカバーの豪華本で、上巻が689ページ、下巻が692ページと、全体で1、381ページにも及ぶ長編だ。上巻の表紙をめくると、私宛の贈呈の署名が英語で認められている。

 まだ書店に並んでいない本を送っていただけたのは光栄の至りだけれども、これだけの長編となるとにわかには読む気になれない。心の準備をせねばならない。

 13日、日曜日の午後、キャリーバッグを従えて伊東に向かった。温かいほうじ茶を詰めたペットボトル、ノートパソコン、ラジオレコーダー持参である。今回はこの3種の神器に大鐘さんの新刊を加えた。

 相模鉄道南まきが原から快速に乗り、12分で横浜駅に着く。JR東海道線に乗り換え熱海に向かう。日曜の午後だというのに満席で座れない。吊革を握り、車輪のリズミカルな音をききながらぼんやり車窓を眺める。3つ目の藤沢駅で席が空いた。ゆっくりと腰を下ろし、ペットボトルのほうじ茶を啜る。これで完全に旅人となる。東海道線沿線は茅ヶ崎、平塚の市街地が続き、やがて林や畑が多くなり、左側に静かな海が広がり始める。何度通っても穏やかで平和な湘南の風景は見飽きることがない。

 終点熱海で5両編成の伊豆急下田行きに乗り換える。製造後40年を経た年代物の電車は緑あふれる小山を縫ってゆったりと走り、午後3時頃日産自動車伊東荘にたどり着いた。活気のないうら寂しい街並みのなかで、この山荘だけは白亜の豪壮な雰囲気をかもしている。日本の地方経済が縮小均衡していく一方で世界に展開するグローバル企業は拡大再生産を続ける。そんなコントラストを見る思いだ。

 10畳の和室に落ち着き、宿のお茶を飲んだ後、タオルを持って風呂場に向かう。4、5人入ればいっぱいになる小ぶりな浴槽に身を沈めると、湯温は高く、かすかに磯の香が漂い、口に含むと塩分を含んでいる。足元から腰、背中、肩と冷えた体が温まっていく。

 部屋に戻り、庭に面した応接スペースでソファに凭れて『マックスとアドルフ』を手に取る。庭の大きな岩とつつじの植栽は見事に調和しており、温泉のぬくもりは全身にまわっている。物語は1908年、冬のウィーンから始まる。アドルフがアウグストをウィーン西駅で歓喜の面持ちで出迎えた。アドルフは画家を目指し、アウグストは音楽家を夢見ていた。アドルフとはヒトラーであり、アウグストは後に指揮者となる彼の無二の親友である。この小説ではたくさんの登場人物が現れ、20世紀前半の複雑な欧州史が語られると予想しているので、パソコンでエクセルファイルを新設し、人物関連図と欧州史を順次入力することにした。人物関連シートに「アドルフ・ヒトラー、アウグスト・クビツェク」、欧州史シートに「1908年2月、ウィーン」と入力した。

 部屋に電話があり、6時半から夕食となった。相模灘で獲れたばかりの刺身、目鯛の煮つけ、牛肉の朴葉焼きなどたくさんのご馳走がテーブルいっぱいに並んでいる。コクのある伊豆の地ビールで喉を鳴らしていると宿の女性が朴葉焼きに火を入れてくれた。肉と味噌に朴葉の香りが移り絶品だ。辛口で香り高い熱燗が一段と旨みを増す。

 1時間半、伊東荘の夕食を堪能し部屋に戻った。掃除の行き届いた広い和室に一人。実に静かな夜である。ラジオレコーダーを取り出し、さまざまな録音ファイルを眺める。やはりハイドンの音楽がききたい。交響曲第48番「マリア・テレジア」を選んでボーズのヘッドフォンを装着する。女帝、マリア・テレジアがハイドンの雇い主、エステルハージー公爵を訪問したときに演奏された曲である。ホルンとオーボエが華やかに歌い、まさに女帝を迎えるにふさわしい音楽だ。明るく陽気な音楽に聴きほれた。

 再び『マックスとアドルフ』を読み始める。51ページから第2章となり、もう一人の主役、マックス・シュメリングが登場する。舞台は第一次大戦が終わった1918年、場所はベルリン北東の町であり、時にマックスは13歳。彼は後にドイツ人初の世界ヘビー級チャンピオンになる。小説は1章ごと交互に、ヒトラーとシュメリングの青少年時代を丁寧に描いていく。二人とも非凡な才能を感じさせるものの、普通の家庭の無名の子供である。

 50ページ、100ページと進んでもヨーロッパ政治の混乱と二人の男の生活を描くだけで今ひとつのれなかったが、200ページを越える辺りから、にわかに面白くなってきた。ヒトラーがナチスを結成して政治の舞台に登場し、シュメリングは世界チャンピオンを狙ってアメリカに乗り込んだのである。物語はこの後、二人が政治とボクシングの世界で頂点に向かって突き進み、その過程で交渉をもつことになるのだろう。そして、大鐘さんは独自のヒトラー像を描くものと思われる。この先のドラマに興味津々だ。

 気が付くと時計は12時を回っている。夜のしじまの中で1キロ近くはあるだろう分厚い本を膝に置いて、この書物との不思議な縁が思い出される。5年前、大鐘さんのブログを読んでいたとき、
「シュメリングを主人公に小説を書きたい。だが、彼にまつわる本はインターネットで検索する限り、ほとんどない。もしシュメリングに関する文献なりお持ちか心当たりがある方は、ぜひ情報をください」
というくだりがあったのである。忍耐強くインターネット検索を継続して、漸く、彼が自叙伝(英語)を書いていることを突き止めた。早速、アマゾンで二冊注文し、一冊を大鐘さんに送った。大鐘さんと並行して私も自叙伝を読み、少しずつ翻訳して大鐘さんにご参考として郵送した。A4サイズで217ページあり、相当な分量で全部を翻訳するのに丸1年かかった。ハードな作業であったけれども、今としては佳い思い出である。

 大鐘さんは『マックスとアドルフ』下巻のあとがきに私のことを書いてくださっていた。
「驚いたことに、村上さんは私と同時に読み始め、しかも、訳文を数章ずつ送って下さったのです。村上さんから送られて来る訳文は時系列を確認する上で大いに参考になりました。村上さんがそこまでの労力を惜しまなかったのは、単に私への友情によるものではなく、原著を読み始めた段階で、村上さんもまたマックス・シュメリングに心惹かれていたからです」

 5年前、大鐘さんが小説を構想・準備されていた頃にお手伝いした作業が作品の一部となり、印刷・製本されて今私の両手の上にある。感慨無量とはこういうことを言うのだろう。

『マックスとアドルフ ‐その拳は誰が為に‐』は文芸社から、来月4月1日、紀伊国屋書店などの書店で売り出される。アマゾンでは既に予約を受け付けている。多くの読書人に読まれることを祈っている。      (2016年3月)

アマゾンのページは以下をクリックしてください↓
『マックスとアドルフ ‐その拳は誰が為に‐』

 
 
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共生

2016-02-19 16:24:07 | 日記
 今年の正月は35年にわたるテニスを起因とする老年性テニス肘のため、テニスとピアノを中断せざるを得なくなった。追い打ちをかけるようにパソコンが故障し、憂鬱なスタートとなった。

 パソコンを購入して3年半経過していたので今年中に買い替えようとは思っていた。マイクロソフト社から、ウィンドウズ10に切り替えないと、使っているメールソフトに問題が生じる可能性がありますというような不穏なメールを受け取っていたこともあり、1月早々、ヨドバシカメラに駆け込み、パソコンを購入した。

 テニスとピアノを中断しているので、この際じっくりとウィンドウズ10に取り組むことにした。書店に行き、読みやすそうなマニュアルを買い求めて1ページずつ丁寧に読み進めた。10日ほどかけて319ページのマニュアルを読み上げ、少しずつパソコンを使い始めた。大切なエクセルファイルが破損するという苦い経験をしたので、細心の注意を払ってパソコンを操作している。これまでキーを乱暴に叩いたり、焦って素早く操作すると問題が発生したことが多かったので、
(パソコンさん、どうかよろしくお願いします)
と、祈りを込めて、やさしく、ゆっくり、丁寧にキーを押している。ビールスに冒されないように、日を決めてビールスソフトを起動して汚染をチェックしている。ファイル破損時に出張依頼した専門家からバックアップはハードディスクがいいとのアドヴァイスを受け、1万5千円で外付けハードディスクを購入して、大切なファイルは1週間に1回バックアップを取っている。更にSDカードを2枚用意して、同じファイルのバックアップを取る。パソコン本体と合わせて4つの記憶媒体に保存しているので、ファイルの安全性は高くなったと思う。

 マニュアルを読んで、ウィンドウズ10は3種類の写真アプリ(ソフト)を標準装備していることを知った。そこでこれまでに撮影した写真をパソコンで整理することにした。先ず、旅行の写真から取り掛かった。1975年のアメリカ西海岸へのハネムーンから昨年末の鎌倉一泊までかなりの分量だ。古い写真は数年前に3百枚ほど写真屋でプリントからデジタル写真に変換してもらった。結構費用がかかった。最近、プリンターを使って自分でプリントからデジタル写真に変換できるようになったので、少しずつデジタル化してプリントは破棄する。デジタル写真には日付と内容を入力していく。「20091209@ローマ@コロッセオ@英子」というような塩梅である。一枚ずつパソコン画面に映して、旅を思い出しながら入力作業をするのは楽しいものだ。しかし、楽しいことは楽しいけれども、枚数が多いと、日付と内容を入力するのはそれなりに大変だ。一か月後、やっと全部の入力が終わった。結局全部で1、715枚だった。

 夕食後、フォトムービーというアプリを立ち上げ、写真を再生する。1枚ずつ写真を見るのではなく、スライドショーという再生方法を選択する。すると、パソコンが自動的に1枚ずつ写真を再生してくれるのだ。しかも、静止画に動きを与える機能を持っており、ムービーを見ている気分になれるのだ。同時にウィンドウズ メディア プレーヤーというアプリを起動してハイドンの交響曲を再生すると、幸福な雰囲気に満ちたみずみずしいハイドンの音楽に包まれながら、貴重な思い出写真を楽しむことができる。

 パソコンのトラブルで貴重なエクセルファイルが6本破損し、大切な情報が水泡に帰した。お金や家財ならば取り返す可能性がある。しかしファイルの情報は二度と返ってこない。エクセルファイルに絶対的な信頼を寄せていたので、強烈なダメージを受けた。そんな中で、残ったファイルに「経済学ノート」というファイルがあった。私は大学時代から経済学に惹かれていたが、とても難解で、分かった気がしなかった。社会人になってからも経済学を諦め切れず、20年前からこのファイルにいろいろな情報を入力している。災難に遭遇しながら生き残ったファイルを開いて読んでみた。

 2004年4月から慶応大学の教授面接を経て、土曜日に経済学部で講義を受けた。その時のノートも、英語で書いた7千語のレポートもこのファイルに残っている。1年間で国際経済学の4単位を取得し、成績はBだった。この経済学ノートには「経済学の地図」というシートがあり、経済原論を地図に見立てて入力している。このシートを読み返してみると、かつてどうしても理解できなかったことが分かるではないか。例えば減価償却(固定資本減耗)。以前はどうもしっくり理解できなかった。しかし、家のような固定資産は去年と同じように見えても、年々価値を減らしている。その減価が減価償却なのだ。なんだか楽しくなってきて、まだ読み切っていなかった現代経済学の本を書棚から取り出して読み、このエクセルノートに入力し始めた。若い頃よりはるかに深く理解でき、しっかり記憶することもできて驚いている。人はやる気になればいつでも学び始めることができるということだ。

 パソコンファイルでノートを作るとき、訂正や編集作業がたいへん便利な反面、絵や図を入力することが難しく、もちろん、手書きメモを書き込むこともたいへん困難である。ものごとには一長一短があるので仕方がないのだろう。

 以前のパソコンと同様にテレビ放送を受信できる機種を選択した。テレビアプリの応答性が余りよくなかったが、新しいパソコンでは機能が向上しており、格段に応答性がよくなった。ドキュメンタリー、時事解説番組、音楽、映画など17の番組を予約しており、毎週自動的に録画してくれるのは本当にありがたい。毎日録画番組をチェックして、関心のないものは即刻削除し、興味のある番組は外付けハードディスクへ移動させる。昨夜は夕食後、民放BSで放送された「釣りバカ日誌」を見た。西田敏行と三國連太郎のやりとりはとても味わいがあり、海釣りのシーンも楽しい。3年前友人が貸してくれた「超」高級ステレオから繊細でダイナミックな音が流れ、さながら映画館にいるようだ。私専用の映画館や劇場を持てるとは、何という恵まれた時代なのだろう。

 2月初め、プリントをデジタルファイルに変換していて、ファイルサイズが大きいことに気が付いた。ファイルサイズが大きいとさまざまな問題が出てくる。パソコンに詳しい東京の友人にメールで相談し、詳しい手順を教えてもらった。ペイントというアプリを立ち上げて何度も試行錯誤を繰り返し、ファイルサイズを10%程度に圧縮できるようになった。難しい手順が必要だが、パソコン能力が格段に向上した気がして嬉しかった。

 ペイントアプリを使っている内に、このアプリを使って、エクセルファイルに図や表を入力する方法を思いついた。更に、手書きのメモを書き込むこともできるようになった。これはまさに革命的だ。最大の課題の一つを解決することができたのだ。それ以来、経済学ノートには、図や写真、手書きメモが効果的に織り込まれ、理解と記憶が格段に進んでいる。本を読み、ノートを整理することが楽しくてならない。

 テニス肘にならなかったとすると、今まで通りテニスにいそしみ、ピアノにも精を出していた。愉快で楽しい毎日を過ごしていたことだろう。その反面、時間的余裕がなく、じっくりウィンドウズ10に取り組むことはできなかった筈だ。

 静かに考えてみると、テニス肘が原因で、思いがけず毎日6時間前後の自由時間を手に入れたような気がする。その6時間を散歩とパソコンに使ってきた。散歩がテニスの穴を結構埋めてくれることを知り、パソコンでは多くの人の応援を得て、この2か月で過去10年分に匹敵する進歩をすることができた。

 この貴重な自由時間は、テニス肘という神がくれた宝物だ。それとともに、肘が痛くなってから、膝や腰などそれ以外の部分で痛みがなく、すこぶる健康であることに思い当たるようになった。右肘が痛くても、快適に歩き回ることができる。何とありがたいことだろう。肘痛が和らぐことを願いつつ、体の各部分がこの先も正常に動いてくれるよう意をくだこうと思う。

 テニス肘と共生しつつ、散歩とパソコンライフが続く。
(2016年2月)

 
 
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