Remains of The Accidents

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夏休みだった

2017年08月24日 | つれづれ

父は、25歳で東京に移り住むまでずっと明石にいた
夏休みの思い出と云えばこの街にあふれていた

当時、大蔵海岸は護岸のためテトラポッドと呼ばれる
コンクリートの塊で覆われていたが、それはそれで
僕らのよい隠れ家となっていた
テトラポッドの影でよからぬ情報を交換し、ダイブや
釣り、タコとりなど自在に遊んでいた
無論、危険な区域であり遊泳禁止ではあったが
気にしたこともなかった

海ばかりではなかった
父たちの街に隣接する大規模団地の中にはきれいな
有料のプールもあり、そこに隣の中学校のマドンナ
が時々来ていることも知っていた

白い水着の彼女を見かけた日は、誰が声をかけるか
じゃんけんしたものだが
結局、誰も声をかけられずに変な目でみられただけ
に終わった

どこに行くのも自転車、いつもいつも汗と潮のにおいに
つつまれ、ひと夏になんども皮を剥いて、なかなか
ひと皮剥けなかったあの夏

確か、サザンがデビューした夏だったはずだ
はるか遠くの湘南に夢をはせた夏休みだった

 

 

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