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神様がいるのなら

2017年06月30日 | つれづれ

瀬戸内はひねもすのたりのたりかな

月末の繁忙期だというのに世間の騒音から逃れて
四国は観音寺というところに行ってきた

写真は予讃線、線路が渚を通せるのは荒れることのない
茅渟の海だからである

波風は立たない方がよい、海をよく知る日本人はこれを
金科玉条として大事にしてきた
父もその一人だ、争い事は何も生まない、人間は元来争わない
動物なのだと信じている

ところが世界に目を向けるとまだまだ幼い命を犠牲にしてまで
自分たちの正義を通そうとする人たちが絶えない

簡単な話だ


それぞれが信じている偉大な神様が
全知全能の神がいるのに、ほかの神様を
信じている人がいる


おかしいだろ、信じている神様は全知全能だから
神様であって、その神様が解決できないことを人間が
武器や選挙で解決しようとしているなんて

神様が本当に神様なら、人間の出る幕なんてないはずだ

ところが、敬虔に神様を信じている子供の命は簡単に
戦争の犠牲になっている

では、神に召されたとしよう
神のそばに行くことになったとしよう

その時に、なぜ人間は痛みや苦しみを抱かなければ
ならないのだろう、何が気に入らなくて全知全能の
神様は人間に痛みを与えるのだろう。

一度聞いてみたくて旅にでた

答えは風の中においてあるらしい

 

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