Remains of The Accidents

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思い出の道

2016年10月03日 | 単身赴任

 

この時期、大蔵海岸にはいわしやあじがくるので
俄かに親子連れの釣り人でいっぱいになる

老若男女に海はやさしい

父が住んでいたころの海岸線はちょうど国道28号線のところにあって、
その先はテトラポットを並べて立ち入りを制限していた

それより前、28号線が通ったころは海岸沿いに石積みの通路が続いて
いてやはり大勢の釣り人で賑わっていた

親からは危険だからテトラポットに行ってはいけないときつく言われていたので
子供のころのツリはもっぱら中崎にあったマリンセンターの周辺だった



いつもいつも潮の匂いがしていたこのプールもずいぶん前にマンションになってしまった
少し深い大人用のプールだったので、いつもジャンプしながら泳いでいた
確か、一時期は夏がプールで冬は釣堀というすごい場所だった

さらに全盛期にはこのプールの内側にあった生簀(今は公園と小学校跡地)でイルカ
ショーもやっていた
その当時のゲーム機やレストランの残骸がまだ残っていて忍び込んだりしたのを覚えている

どこもかしこも父にとってはよく遊びに行った思い出の場所だ

中崎には、このほかにも明石市立水族館もあった
小さな水族館で、ペンギンや海ガメが狭い園内にいて、一番おくには蛸釣り池があり
たしか¥50で割り箸ほどの木にテグスと針がついたものを貸してくれてつり放題だった
ような記憶がある



大阪に単身赴任になって以来、母親のこともあって休日はできるだけ明石にいくように
している

と言っても、相変わらずやたら早朝から目覚めてしまうところは明石にいたころと同じ
日ごろの疲れでぐったり寝ている兄たちを起こさないために、ウォーキングにでかける
最初は近所の海岸を散歩する程度たったのだが、最近は舞子のほうから記憶をたどり
ながら明舞団地をまわったり、朝霧から太寺をまわって明石公園まで行ったりしている

だいたい2時間ほど、距離にして12-3kmといったところだ



途中、子供の頃の思い出に浸り少し涙ぐんだり、学生の頃の恥知らずな行動を反省する
いろんなことが頭の中に浮かんでは消えていく

自分の記憶など曖昧なものだが、この歳になってもう一度やり直せるなら
どの道を進んでいたのだろうかと、ふと立ち止まってしまう

でも、記憶の中の彼らはもうどこにもいない 



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