「成人」ランナー ひで会長の日記

現在、ランニング歴24年、フルマラソン完走68回。ランナーズマイスターのランニングクラブ会長マラソン日記

思い出のレース記 1995年1月 東京シティハーフマラソン編その1

2012年01月14日 | マラソン
先日の日記にて「思い出の7レース」を紹介しましたが、レース回想記として連載を行いたいと思います。今回は1995年1月に出場した東京シティハーフマラソンです。


今シーズンはほんとことごとく抽選大会には縁がなかった私にも過去には大型大会の抽選に当選したことがあった。「東京シティハーフマラソン」である。都民限定で記録資格(証明する記録証の提出まであった)もある大会とはいえ3回出場できた。その中でも初出場の95年大会は2度目の申し込みで念願の初当選であった。

この大会、現在の東京マラソンの先駆けであったがハーフとはいえ市民ランナーが参加できるレースとしてはおそらく史上初の大都市マラソンだったのではないか?  何せ箱根駅伝と東京国際マラソンでしか走れない東京の目抜通り・日比谷通りや新宿大通り、靖国通りなどを世界のトップランナーと共に走れたのである!これがなんとも気持ち良いこと。
テレビは全国生中継。95年大会ではスタート時の姿が映っていた。
また、当時の世界最高や日本最高が毎回のように出た高速コースでもあった。私も98年大会では一回も交通規制(定期的に車を通すためランナーを止める)に引っ掛からず自己ベストでゴールできた。しかしこの年、女子のトップ選手が交通規制に合い、これが問題となり結果的にこの年で大会は終わってしまったのだが・・・。

さて、本題の初出場、95年大会。当時、ハーフを中心に走っていた私にとって東京シティは最大の目標大会、憧れだった。当選通知(当時は当然、電子メールなどなく郵送で)を受け取りそれは興奮したものである。当然、練習にも熱が入り、前年12月の小川和紙マラソン(埼玉)にてハーフ1時間31分の自己ベストでゴール。東京シティに向けて勢いついたはずであったのだが・・・。

小川和紙の2日後、昼休みの練習。走り始めた途端に右膝に違和感が・・・。それが痛みに変わったのは直後だった。故障である。どうやらアップダウンコースの小川和紙で下り坂をガンガン駆け下ったため、膝を痛めてしまったのだ。
この日からは練習はおろか、まともに階段昇降もできない程の故障に苦しむこととなってしまった。

1月、東京の一週間前には前哨戦で初エントリーしていた千葉マリンマラソン・ハーフに強行出場したものの、痛みで後半歩き通しワースト記録となってしまう。(余談だが、この記録をまさか2011年、「悪夢」のタートルで更新してしまったのであるが・・・。)

楽しみにしていた東京シティが一気に恐怖と不安へ変わってしまい、当日を迎えるのであった・・・。

~その2に続く~ 
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