コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

「男女同量」への道

2010-04-07 10:49:49 | 
4月5日付、彦星先生のブログに、静岡県男女共同参画センター(あざれあ)が主催する、女性限定懸賞作文募集の告知が載っている。彦星先生も審査員とのこと。
あざれあは、我らが林のぶ先生が力を注がれた静岡の男女共同参画の拠点だから、きっと面白いことになるのだろうな、と。

しかし、実際に本体の告知文を見てみると

静岡県では「住んでよし・訪れてよし、生んでよし・育ててよし、学んでよし・働いてよし」の富国有徳の理想郷 ふじのくに づくりを広く県民に呼びかけています。 女性たちの目線で考える ふじのくに とはどんな国でしょうか? ふじのくにづくりへのアイデア・提案・想いを作文という形にしてみませんか。 皆様の斬新でユニークなアイデア、女性ならではの提案、大歓迎です! ふるってご応募ください。

しかも、最優秀賞は賞金5万円と富士山静岡空港航空券往復って、いかにも県庁の上の方が考えそうな“役人ならでは”の発想、まさに“上から目線”。

私は、フェミニストではない。
多分、自分の中にすり込まれた発想は、強靱な男尊女卑だと思う。
しかし、だからこそ、“学問”の力でジェンダー・バイアスに対して敏感になることを意識してきた。これも江戸を学んだことの大きな意義だったと思う。
浅田次郎を読めば涙する自分がいるのを認めた上で、「鉄道員だから」で全てを赦すことを私は断乎許さない。

“女性ならでは”って、なんだろう。
街頭インタビューか何かしたら、“しなやか”“優しい”……といった、“女らしさ”用語が大量に収集できるはずだ。
それが、女性たちを、それからもちろん、私のように“男らしくない”輩をも、どれほど苦しめてきたことか(苦しんでない人の方が多数派だ、と言われるだろうけど)。

性差は確実にある。
しかしそのことと、行政に対する“女性ならではの提案”は全く別の次元だ(と私は思う)。
そこには“男ならでは”の領域が厳然とあるぞ、と言う大前提が内包されている。
行政が硬直していたのは、男が占有していたからではない。そこで働く女も含め、男性社会の仕組みを追認してきたからだ。そこに抵抗なく(或いは利用して)生きてきた女性はやっぱり“ご婦人”発想のまま、“手弱女振り”を発揮する。

しかも、「女性たちの目線で考える」って……。
“目線”という言葉は違和感があると言って論争になったのはもう10年以上前の話で、今はすっかり定着しているようだけれど、私の使用語彙の中には今も無い。
今改めて検索してみると、かなり詳しく検証しているブログ(2006年)がある
私のこの語に対する印象もこの記事とかなり近い。つまり、「同じレベルか下のレベルに使う」(この記事には“上から目線”の用例がないが、これももちろんネガティブ)。
ついでに、このブログも興味深い。誰か用例整理しないかな。

しかし、どうして様々な類語の中から今更これが選ばれたんだろう。


私は部外者だからこうやって無責任に批判できる。
あれあれ、彦星先生、また大変なところに首突っ込んじゃって、これじゃぁホントに鞭打ち悪化するばかりですよ、と心配になってしまう。

彦星先生のブログ愛読者は、既にお気づきの筈。
これは、戦略だ。
子育てパパを大絶賛で応援している人だもの、心配ない。

私は小心者なので、行政組織の一員になってトップを説得するよりオルタナティブな何かを突きつけることで権威を相対化する事を好む。
これは私の学問の方法と全く一致する。
小ずるい“学者”のクセのような物だ。

彦星先生は実践(実戦)家だから、ことあるごとに、中に入って改善せよ、と仰っている。

たぶん、そういうことだ。
私などには想像もつかない答えが用意されているのだろう。
大変な闘いに挑んだものだと、感服するしかない。


作文(論文じゃないんだな)は5月末〆切、7月24日(土)に発表の由。
健闘を祈っております。
こういう事を書くと却って戦いにくくなるかも知れないけれど、
まずは女性の応募者が頑張ってくれないとどうしようもないので。
静岡の女性よ! 奮起せよ!!!


ついでに静岡クイーンも何とかなりませんかね。

静岡大学の“男女同量”問題については別稿用意中。




今日の記事のタイトルは、今日(4/7)の“天声人語”から。

この文章は久しぶりにヒットでした。
一週間ぐらいでリンク切れになると思いますが、権利的に疑問なので……って、新聞記事は全文引用するくせに変ですが……、引用しません。

備忘のためキーワードメモ。

沢村貞子「男女同量」
山崎直子「新宇宙家族」
ニーバー(大木英夫訳)
〈神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ〉

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (蒲菖亭)
2010-04-07 16:41:32
肉体がオトコでも、ココロがオンナな人たちがいる。その逆な人たちも。
《女性たちの目線で考える》男性はどこへ行くのか。
まあ、そんなことを思ったわけデス。
返信する
応募資格は (コニタ)
2010-04-07 16:56:03
その辺、どうなってるんでしょうね。
さすがに自己申告で“女”と名乗れば門前払いは出来ないと思いますが。
返信する
Unknown (I. M)
2010-04-07 23:03:41
私も、今朝の天声人語、特に最後の「変えるできるものについて・・・」は、うるっときました。
ただ、夫婦茶碗の話は、「紺と赤」の色にジェンダーを感じました。
が、蒲菖亭さんのおっしゃるとおり、男女がらみの二項対立も、もう意味を成さなくなっていますね。

沢村貞子さんの時代には、現実の状況が厳しかった分、「目覚める」機会もあり、かえって「進歩的」になれたのかもしれません。
今は、「生かさず殺さず」で、一見「女性に優しい社会」になったと勘違いしやすい。

男女共同参画センターの「懸賞作文」のように、「女性だからこそ」を強調するものには、胡散臭さを感じてしまいます。結局、介護やら育児やらを家庭(嫁・妻・母)に負担させたいからかと、うがってしまうので。
返信する
なるほど (小二田)
2010-04-08 00:17:26
あの文句は相当有名、と言うか、流行中みたいですね。

たしかに、貧困も同様、みんなそこそこ食えてるので敢えて戦う必要がないんですよねぇ。

主催者の狙いがどうあれ、今回そこに切り込んでいけるのは、女性だけなので、沢山の「進歩的」な応募があることを期待して已みません。
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