コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

“古典”の読み方

2010-02-10 19:05:06 | 
02/07、国立劇場の二月文楽公演。何年ぶりかで、一日三部制覇した。

演目は
 第一部「花競四季寿」「嬢景清八嶋日記」(花菱屋の段・日向嶋の段)
 第二部「大経師昔暦」(大経師内の段・岡崎村梅龍内の段・奥丹波隠れ家の段)
 第三部「曾根崎心中」(生玉社前の段・天満屋の段・天神森の段)

学生の頃は、二月はみんな近松だった気がするんだけれど、それは思い違いかな。
いずれにしても、二本近松の世話物、と言うのも最近では珍しいんじゃ無かろうか。
蓑助さんのおかげ?


今月の文楽公演について、ツイッターをやっている友人(ていうか、AYAMEさんですが)から、いとうせいこうがつぶやいている、と言う情報をいただく。


今日も朝から文楽。一部、二部。「大経師昔暦」、大阪で前に観た時はさほど違和感なかったが、東京の客はひき気味w。 11:10 PM Feb 5th from Echofon

文楽30年近く観てるけど、特に女性と子供を物扱いする演目は耐用年数過ぎてる。江戸の感覚だから、というのは遠近法的倒錯。ほとんどが昭和、下手すりゃ戦後の再演時に見せ場を選び直してるから。強調する段を変えて生き残るのも古典の強さではないか、と。 6:55 PM Feb 6th from Echofon

俺は特に近松好きでもないんだけど、近松の名作群には女性や子供を物扱いする場面がひとつもないんだよね。むしろ女性は強く生きてる。明治から大正昭和戦後まで、演し物を決める男たちは近松を持て余したろうと思う。江戸のリアルなジェンダー意識を。 7:35 PM Feb 6th from Echofon

最後に。明治維新後、古いとか軟弱とか言われて様々な古典芸能が絶滅しかけた。生き伸びるために「雄々しい」場面を強調せざるを得なくなった可能性を考えなければならない。我々の古典が素朴に江戸とつながっているとみなすべきではない。 8:10 PM Feb 6th from Echofon

……こうやって読める、と言うのがまず発見。

さて。
いま、上に引用した、文字通りの「つぶやき」に対して、あれこれ突っつく事に、それほど大きな意味はないだろうと思う。

ただ、その上澄みだけ、すこし掬い取って話をしよう。

近松の世話浄瑠璃を観たり読んだりすると、大抵いらつく。
複雑な背景と簡単に諦めるお人好しの男主人公、妙にアクティブで物言う女。「解り合っている」はずのコミュニケーション不全。

それはそれとして、例えばお初が最期に「われらかとヽさまかヽさまはまめて此世の人なれば、いつあふことの有べきぞ」と明言するのは男の我が儘や“家”の矛盾を正確に射抜いていると思う。

今回の三作品では(『曽根崎心中』の照明にちょっと記憶にない工夫があったような気がするのだけれど、今回はそういう話は省略)、『嬢景清』でも『大経師』でも、現代的な“常識的倫理”からは???と言う部分があるように思う。『大経師』の結び方が、上演史の中でどう展開してきたのかも知らないままなのだけれど、どうにも落ち着きが悪い。

元々近松の世話浄瑠璃は江戸時代の間、そのままでは殆ど再演されていない、ということもあるし、所謂三大浄瑠璃のようなものでも、“常識的倫理観”を推奨しているようで、実は全く逆に読めたりするところに興趣があったりもするので、なかなか簡単に物を言えない恐さがある。

さて、浄瑠璃から離れるが、いとうせいこうのつぶやきの中で重要なのは明治維新後に伝統芸能がどのように選択され、再演されてきたか、と言うことを見直す必要がある、と言う点だ。
「雄々しい」場面を強調せざるを得なくなった」というのは、上演史を浚ってみないと何とも言えないけれどその“可能性”は確かに存在する。

“伝統芸能”とか、“雄々しい”とかに限定せず、近代における日本の“古典文芸”の受容、というか、それ自体の成立について見直してみる必要が、確かにある。

もう10年も前だが、ハルオ・シラネ/鈴木登美 編『創造された古典』(新曜社)は、その辺の問題を提起したまとまった本だと思うし、同書で“俳聖芭蕉”を論じた堀切実は、前年『おくのほそ道』と古典教育』(学文社)で教科書の中の古典教材の問題を扱っていた。近年では小森陽一『大人のための国語教科書』(角川oneテーマ21)が教育現場での読みの問題をもう一度表舞台に上げようとしている。

これらを眺めて改めて気づかされるのは、我々が、あたかも先験的に存在していたかのように思わされている“古典文学”なる物が、実は時代の思潮に乗って、或いは先導する形で、意識的に作られた物でしかない、と言うことだ。

それは、“価値”を見いだされ、“評価”された古典の幸福、忘れられた作品の不幸、と言うような話ではない。

“評価の定まった”“古典”という物そのものへの疑問は、絶えずあって良い。
作り手本人が全く無自覚なところに、突然“ブンガク”が立ち上がってしまうことだってあるだろう。私は、『東山新聞』には、その一瞬が刻み込まれていると思っている。だからといって、これを“ブンガク”として認めよ、と言う話ではない。

私が、そこに何を観たか、と言うことでしかない。

カノン形成史研究は、嘗て“ブンガク”が何であったか、を識るために有効だ。あるいは、今、我々が気づかずに陥っている規範意識を照らし出してくれる助けにもなるに違いない。

その上で、今、考えるべき課題は、そうした格付けの軸に拠らない読み方であり、表現であるのだと思う。


この話、続きを書くことになりそう。

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