「忍耐させる」しごきは、教育・訓練の場には必須である

2017年06月02日 | 忍耐論1(忍耐の倫理的な位置)

1-4-3-5. 「忍耐させる」しごきは、教育・訓練の場には必須である
 教育・訓練は、ひとの能力を高めるためにする。勉強にしてもスポーツにしても、忍耐させることが必須となる。能力を高めるには、能力の限界になり傷害が発生しそうになるぐらいのところを訓練していく。筋力アップでは、筋繊維を一部壊し(筋肉痛となる)、その修復時により大きな筋肉にするというから、筋肉に若干の傷害を引き起こすような過激な訓練が必要となる。苦痛が生じ、これに耐えることがいる。苦痛の甘受、忍耐がひとの諸能力を伸ばす。
 苦痛をもたらす訓練は、苦痛一般がそうであるが、自然的には避けたいもの、逃げたいものである。訓練・練習は、いやいやになりがちであり、ぐずぐずすることになる。そとからこれを駆り立てることが必要である。教育・監督するものがこれを後ろから追い立て練習の場へと追いこむ。さらに練習中も苦痛はできれば回避したいのが自然であるから、これをさぼらせないようにと鞭うつことになる。ひとりだと苦痛・忍耐の限界を低くおこうともするので、そとから合理的に計って高めぎりぎりの限界を設定して、そこまでの苦痛を忍耐させ能力を開発していく。苦痛の忍耐は、どんな訓練にも必要なことである。「猛訓練」は、ぎりぎりまでを「しごき」「しぼる」ことである。
 ただし、しごきでは、苦痛に忍耐させ若干のダメージを心身に与えることになるのだから、指導する者は、厳格に合理的科学的になり、忍耐させるその限度をしっかりと見定めていなくはならない。思い通りにならないからといって焦ってはならない。教育・訓練の場で一番忍耐が必要なのは、もたもたするしごかれる者ではなく、イライラするしごく指導者・教育者である。
 

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