母がダメになってしまった理由を、自分なりにいろいろ考えてみました。
虐待をされていた、とか、育児放棄だった、とか、そういうことではありません。
ネットでよく見る「毒親」というわけでもありません。
小・中学生時代は、私はいわゆる「優等生」でした。
親や先生の言うことをよく聞き、成績もよかったし、割となんでもできたので前に出ることも多かったのです。
反抗期もありませんでした。
なので母は、私たちが成人したころ
「きちんと育てれば、反抗期なんてなくて済むんだ」のようなことをよく言っていました。
まるで、自分の育て方が良かったと言わんばかりに。
私が4歳・妹1歳のころ父と母が離婚し、その後は母の実家で、祖父母とともに暮らしました。
数年間は、おば(母の妹)も一緒でした。
母は、私たちが幼いころはパートをかけもち、私が小学生になったころから、正社員で働き始めました。
祖父母は、兼業農家でした。
なので、小学生の私が帰宅するとき、家には祖母のみいたり、いなかったりという状況でした。
今でこそ、母子家庭なんて珍しくありませんが、そのころはまだ少数で、幼い私にとっては心の琴線というか、
かろうじて形を保っていたのに、ふと触れてしまったら、そのバランスを崩し、カラカラと壊れてしまう、ヒビの入ったグラスというか、
そういうものだったのだと思います。
今でも、忘れません。
小学1年生の時、「家族の家系図を書こう」のような宿題が出て、
父はいないし、おばはいるし、いわゆる「普通の家庭」からかけ離れている気がして、すごく気が重かったこと。
何気ない友だちの「コムギちゃんちは、お父さんいないよねー」という言葉に、
言い返せず、家に帰り、ひとりで泣いたこと。
幼心に、それを母に言ってはいけない、と思っていました。
だからぐっと我慢しました。ずっと。ずーっと。
家の中では、その話をすることは禁句でした。
私は幼いころ、自己主張ができない子どもでした。
誰に対しても。
風邪をひいたとき、母から「おかゆと、パンがゆ、どっちがいい?」と聞かれ、
パンがゆが食べたい。と思ったのに、言えない。
出てきた言葉は「どっちでもいい。」
結果、おかゆが出てきて、がっかり。
親戚のおばさんが、「クリスマスプレゼント、何が欲しいの。」と聞かれ、
欲しいものはちゃんとあるのに、言えない。
しばらくだまっていると、おばさんから
「そういうこと、ちゃんと言えなきゃだめよ。」と言われる。
決してマイナス的な主張ではないのに、なぜ言えなかったのか。今思うと、とても不思議です。
怖かったのかもしれません。
見捨てられ不安。
母の気に入る子にならないと、捨てられてしまうかもしれない。
小学生のころまでは、母が事故や病気で死んでしまったらどうしよう、と不安に襲われることがたびたびありました。
もしそうなってしまったら、生きていけない。自殺しよう。
とまで思っていました。
だから、なるべく自分を出さず、周りの望む子になろう。
と決めたのかもしれません。
不条理に叱られたことや、責められたこと、たくさんあります。
特に、母が正社員で働いていたころは、イライラしていたのか八つ当たりのようなことも多くありました。
でも言い返さず、反抗せず。
いい子でいすぎました。
辛い。いったんきります。
虐待をされていた、とか、育児放棄だった、とか、そういうことではありません。
ネットでよく見る「毒親」というわけでもありません。
小・中学生時代は、私はいわゆる「優等生」でした。
親や先生の言うことをよく聞き、成績もよかったし、割となんでもできたので前に出ることも多かったのです。
反抗期もありませんでした。
なので母は、私たちが成人したころ
「きちんと育てれば、反抗期なんてなくて済むんだ」のようなことをよく言っていました。
まるで、自分の育て方が良かったと言わんばかりに。
私が4歳・妹1歳のころ父と母が離婚し、その後は母の実家で、祖父母とともに暮らしました。
数年間は、おば(母の妹)も一緒でした。
母は、私たちが幼いころはパートをかけもち、私が小学生になったころから、正社員で働き始めました。
祖父母は、兼業農家でした。
なので、小学生の私が帰宅するとき、家には祖母のみいたり、いなかったりという状況でした。
今でこそ、母子家庭なんて珍しくありませんが、そのころはまだ少数で、幼い私にとっては心の琴線というか、
かろうじて形を保っていたのに、ふと触れてしまったら、そのバランスを崩し、カラカラと壊れてしまう、ヒビの入ったグラスというか、
そういうものだったのだと思います。
今でも、忘れません。
小学1年生の時、「家族の家系図を書こう」のような宿題が出て、
父はいないし、おばはいるし、いわゆる「普通の家庭」からかけ離れている気がして、すごく気が重かったこと。
何気ない友だちの「コムギちゃんちは、お父さんいないよねー」という言葉に、
言い返せず、家に帰り、ひとりで泣いたこと。
幼心に、それを母に言ってはいけない、と思っていました。
だからぐっと我慢しました。ずっと。ずーっと。
家の中では、その話をすることは禁句でした。
私は幼いころ、自己主張ができない子どもでした。
誰に対しても。
風邪をひいたとき、母から「おかゆと、パンがゆ、どっちがいい?」と聞かれ、
パンがゆが食べたい。と思ったのに、言えない。
出てきた言葉は「どっちでもいい。」
結果、おかゆが出てきて、がっかり。
親戚のおばさんが、「クリスマスプレゼント、何が欲しいの。」と聞かれ、
欲しいものはちゃんとあるのに、言えない。
しばらくだまっていると、おばさんから
「そういうこと、ちゃんと言えなきゃだめよ。」と言われる。
決してマイナス的な主張ではないのに、なぜ言えなかったのか。今思うと、とても不思議です。
怖かったのかもしれません。
見捨てられ不安。
母の気に入る子にならないと、捨てられてしまうかもしれない。
小学生のころまでは、母が事故や病気で死んでしまったらどうしよう、と不安に襲われることがたびたびありました。
もしそうなってしまったら、生きていけない。自殺しよう。
とまで思っていました。
だから、なるべく自分を出さず、周りの望む子になろう。
と決めたのかもしれません。
不条理に叱られたことや、責められたこと、たくさんあります。
特に、母が正社員で働いていたころは、イライラしていたのか八つ当たりのようなことも多くありました。
でも言い返さず、反抗せず。
いい子でいすぎました。
辛い。いったんきります。