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【扶余に移動・陵山里古墳群】百済歴史遺跡へのFAM⑧2017/10/27

2017年11月12日 | 2017/10百済歴史遺産へのFAM
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公州からバスを走らせ扶余に移動してきました。

 
                          地図は観光公社さんよりお借りしました

三国時代の百済時代に一時的に都が置かれた公州と

隣町の扶余は、同様に百済時代の遺跡が市内中心部に集まっているそうです。



ここ 『陵山里古墳群』 は、扶余の中心から少し離れたところにある7つの古墳群です。

百済後期、泗沘 (サビ) 時代 (538年~660年) に作られた王陵といわれ、保存状態が良いそうです。

こちらも2015年、ユネスコ世界文化遺産の1つに選ばれました。



こちらのガイドをして下さるのは、日本人の つるもと しおり さん

九州からこの地へ嫁がれてきたそうですが、とてもお話が上手な聞き惚れてしまうボランティア解説士さんでした。



まず、パネルで 『陵山里古墳群』 の広さを学習。



小高い丘の上に並ぶ7つの古墳群です。



パネルを見ると、7基あるのが分かります。



この中でも、注目されているのが右端に切れていますが、1号墳の東下塚です。



どうして注目されているかと言えば、内壁に四神図が描かれている陵だからです。

この主でもある威徳王 (ウィドッワン、~598年) は、韓国ドラマ 「薯童謠(ソドンヨ)」 の主人公の

武王 (ムワン、~641年) の父王だそうです。



花崗岩と片麻岩を長方形に築造した横穴式石室墳で、南側には羨道 (玄室につながる通路) が設けられ、

玄室 (棺を納める部屋) は縦3.5m、横1.5m、高さ1.94mとなっているそうですが、

一般開放によって次第に壁画の色が薄れていったため、現在本物の東下塚は閉鎖中で残念でした。



そのため、パネルで写真の展示がしてありました。

石壁に四神 (青龍、白虎、朱雀、玄武) が東西南北の四方を守るように描かれているそうです。

ちなみに日本で四神を描いた古墳としては、7世紀末から8世紀初頭に築かれた高松塚古墳とキトラ古墳があり、

教科書等でご覧になった方も多いかと…



2号墳の石室の様子も



3号~7号墳の石室の様子も石板に分かりやすく描かれていました。



写真が並んだパネルだと、より分かりやすいですね。



視察中、所々で遊歩道の改良工事が進んでいる様子を見ました。

この百済歴史遺跡地区の人気が高まり、訪れる観光客が増えたからでしょうか…

早く足元がすっきりするといいですね。



この近くの松の根元には、「献樹 日本国 百済後孫 大内 公夫 孝子 2011.10.2」 と記念碑がありました。



660年まで朝鮮半島に存在した古代国家・百済。

百済滅亡時には日本へ渡った百済人も多いとされ、

日本、特に九州とも歴史的に深い関係にあり、似たような文化も存在するそうです。



文化財庁のホームページ (日本語) → こちら

【능산리 고분군 (陵山里古墳群)】
충청남도 부여군 부여읍 능산리 산16-2 (清南道 扶余郡 扶余邑 陵山里 山 16-2)
営業時間 : (3-10月)9:00-18:00 (11-2月)8:00-17:00
入場料 : 大人 1,000ウォン
交通案内 : 扶余市外バスターミナルからタクシーで約10分、バスでは約20分

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