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【世界文化遺産・扶余定林寺址】百済歴史遺跡へのFAM⑪2017/10/27

2017年11月15日 | 2017/10百済歴史遺産へのFAM
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次にバスを走らせやって来たのは 『定林寺址』 です。

って、走るほど乗車してませんけどね。



駐車場横の看板には 『定林寺址博物館』 とあります。

しかし、この前の門は閉ざされていて入れないので、



ぐるっと 『定林寺址』 のある方向に移動します。

賑やかな声がしてくると思ったら、向には 「扶余小学校」 と 「扶余中学校」 が並んで建っていました。

どこの国でも子どもたちは元気ですね~



遠くに石塔と講堂が見えてきましたよ。

百済の仏教文化がもっとも花開いたのは、現在の扶余である泗沘に都がおかれた時代 (538年~660年) だったそうです。

その都の中心に建設されたこの定林寺は、

百済王室のもっとも重要な大寺院だったと考えられています。



百済の仏塔建築の特徴の1つに、従来の木造から石造への変化があります。

百済後期に建てられた定林寺址五層石塔 (8.33m) は、

百済石塔の中で創造的な試みが細部にいたるまで施されており、

バラバラにしたら組み立てることが不可能だそうで、韓国の石塔の元祖と言われています。

現在寺院そのものは残っていませんが、金堂址、中門址、回廊址、講堂址などが確認・保存されています。



2016年9月12日に発生した慶州地震の影響は、ここにもあり、

よく見ると、定林寺址五層石塔にも隙間ができてしまったんだとか…

でも、特に修復はされていないんだそうで、残念ですね。



次に向かった背後の講堂には、



その愛くるしいお顔が特徴的な本尊仏だったと考えられている石仏座像。

実は、百済滅亡後の高麗時代に再び繁栄した定林寺の本尊仏は、右手部分や左ひざなどの破損・摩滅がひどく

詳しい技法や様式はわかっていませんが、狭い肩幅や胸の位置にある左手などから毘盧遮那仏であると言われています。



ガイドさんに言われて横から見てみると、ぺらぺらのご仏像。

こちらが作られた時代にはお顔がなくて、頭と笠の部分は高麗時代よりずっと後世に作られたものなんだとか。

また蓮の花の形の台座や、下部分に刻まれた蓮の花の模様など、芸術性にも優れているといわれています。



※ 2015年3月12日に3号と訪れた扶余・定林寺址 → 【扶余到着!定林寺址博物館へ】韓国旅行③2015/3/12
                                     【定林寺址 微笑ましい仏像】韓国旅行④2015/3/12
                                     【定林寺址博物館】韓国旅行⑤2015/3/12

【부여 정림사지 (扶余定林寺址)】
충청남도 부여군 부여읍 동남리 254 (忠清南道 扶余郡 扶余邑 東南里 254)
営業時間 : 9:00~18:00(3~10月)、9:00~17:00(11~2月) ※入場は閉園1時間前まで)
休業日 : 年中無休
ホームページ : こちら

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