破走庵倒勢爺(はせをあんとうせいじい)の老いの名残草

へろへろ走りの息も絶えだえ爺さんの、暇つぶしひとりごと。

68歳にして、「萩往還」250㎞初挑戦、完踏(その3)。ふたりの上野さんに感謝

2017-05-12 15:26:39 | 日記
 65歳の5月、100㎞ウルトラマラソンを走りたい思った私は、そのトレーニングのつもりで、近いからというだけで、第26回の70㌔を走った。そこで見たものは、板堂峠を向うから下りてくる白ゼッケンのランナー達、やがて青ゼッケンのランナー、ほんとうにびっくりするとともに、言い知れぬ感動を覚えて、萩の道の駅辺りまで、拍手のしばなしで、迎えすれ違った。さらに、自分たちCランナーがスタートする何時間も前にゴールしている250㎞ランナーがいるとは、後に「記憶集」が送られてくるまで、知る由もなかった。その2014年、サロマ湖ウルトラマラソンでは、熱中症で初挑戦は挫折し、秋の四万十川ウルトラマラソンで、初100km完走であった。

 こうして、「萩往還」にとりつかれた私に、「jogtrip」(当時は「駄マラニック」)での顔なじみで、萩AランナーであるОさんが、ブログ「aid station」を教えてくれた。熊本てれっとの上野敦弘さん、今回もセミナー講師をされたから、みなさんご存じでしょう。ここには、「萩」を走るためのノウハウの宝庫であったし、「橘湾岸」のそれもあった。てれっとの方々の練習風景は、クラブに所属していない私には、このくらい練習しなければいけないのか、と目標と励みになった。今回は、御孫さんおふたりが、F35㎞に出場し、往還道で爺ちゃんを迎えられたとのこと、喜ばしい記事もありました。
 もうひと方は、”破れ帽子”の上野達雄さん。2015年3月に、「萩」ホームページのBBSに書かれた「萩往還250kmのポイント」。私は、プリントして手元にあるので、何度も読み返しては、励まされてきました。「250㎞という数字に飲まれないようにしましょう。100km完走者なら十分完踏できる能力があります。、、、あきらめなければ大丈夫です。」
 BBSは、他にも役に立つ記事が多かったと思う。過去記事が、読めるようにしてもらえると、後に続く人たちの為になると思うのだが。破れ帽子さんは、故障されていたらしい、dnsだったのでしょうか。お二人とも、65歳、これからもご活躍されることでしょう。


私の走行計画と、その苦闘の跡です。私には、完踏証よりも大事なものになりました。「250km」を意識して、走ろうと決めて丸3年、私には、「今度ダメなら、来年リベンジ」なんて余裕はありません。なにせ、一年一年、基礎体力は落ちて行くし、年寄の家族、親族がいっぱいでは、いつ緊急事態が発生するか、まちがいなく出走できるなんて保障はありません。若い人のように暗闇を突っ走って、力で押し切るなんてこともできません。140㎞も、3回の試走をし、今回も、3回の試走をしました。夜間に走行するところを、昼間、のんびり走り、風景を楽しみ、温泉につかり、地元の人たちと言葉を交わすのは、実に楽しいものでした。

 いまは、来年も「萩250km」を、という気持は、不思議に湧いてきません。この三年間の毎日が、5月4日瑠璃光寺ゴールを目指して、でしたから、もう十分ではないかという想いです。ウルトラマラソンの世界に入ってなかったら、おそらくアルコール依存か、老人性鬱になっていたような気がします。それだけ、サラリーマンが引退してひとりになると、淋しいものです。若い時から、この世界の楽しさを知った人はうらやましいですね。どうか、仕事と生活に負けないで、楽しんでください。
 萩往還のスタッフ、ボランティアの方々、本当にありがとうございました。出会ったランナーの方々、またどこかでお会いしましょう!

 「萩」は、これで、おしまいにします。
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1 コメント

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Unknown (Kが)
2017-05-15 13:48:53
萩にかける思い、その深さが感じられました。
それは私に欠けていたものだと、痛感しています。
来年は抽選になりそうですが、深い思いを持ってチャレンジできるよう、持って行きたいと思いました。
ジョクトリ博多唐津でお会いするのを楽しみにしています。

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