旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

カステル・ガンドルフォ 法皇の夏の離宮は10/21から法皇の寝室まで見学できるようになった

2016-10-31 10:09:37 | イタリア

カステル・ガンドルフォの街は、周囲十キロの小さなカルデラ湖・アルバーノ湖のリムに建設されている。ここは法皇やら歴史やらに興味がなくても、訪れる価値がある。我々の泊まったホテルからの夜明け。


★⇒こちらから動画もご覧ください


周囲十キロの湖の中央は168メートルととても深い。夏によく泳ぎにきたというガイドさんは「真ん中に行くと吸い込まれるから」と子供に注意していたそうだ。



昨夜は星空が楽しめた 


朝食を終えて  八時半に歩きはじめた。 旧市街のメインストリートは、法皇の「使徒宮殿」へ向かってゆっくり上り坂になっている。そこから湖へ開けた小道を見通す。



多くの観光客はローマからやってくるから、この時間の旧市街ひっそり静か。旧市街の道にはB&Bぐらいしかない


★法皇宮殿前に到着。ベルニーニがつくったと言われる噴水が置かれている。



 


法皇宮殿は九時に開く。就任三年目となるフランシスコ(イタリアでは「フランチェスコ」)一世法皇は、贅沢と思われることはどんどん廃止している。1628年以来、ほぼ歴代の法皇が滞在してきたカステル・ガンドルフォの使徒宮殿も例外ではなく、法皇はやってこなかった。そして、10/21からは法皇の執務室や寝室・個人礼拝堂のある階まで公開されることになった。


今日は、つい十日前から見られるようになった場所へも行けるということ。


こちら、開館時間の掲示板も真新しい⇒ 入口を入ると美しい庭園がちらりと見えた。ここの庭園もかなりの見どころだそうな。入場券もこんな⇒ ローマ近郊庭園めぐりの旅の企画もおもしろそう(^^)


●法皇宮殿の中庭に面して小さなバルコニーがある。ここに法皇が登場して、中庭にぎっしり詰まった(三千人とか…とても入りそうにないけれど)人々に祝福を与えていたのだそうだ。イエズス会出身フランシスコ法皇の紋章が刻まれている↓



中庭に置かれたこの車は、ヨハネ・パウロ二世が巡幸の時につかっていた防弾ガラスがはめられたもの。ナンバープレートはSCV(State of City Vaticano)、1番が法皇の車ということ。



古い螺旋階段は馬も上がれる構造のようだ これまでも公開されてきたミュージアム。


下は、ボルゲーゼ家の家紋が入ったストラ。赤い帽子は枢機卿のものなので、法皇パウルス五世になる以前の、カミーロ・ボルゲーゼだった時代のものであろう↓



アルバーノ湖を見晴らすテラス


法皇の行列が再現されていた。先頭をゆく人物が持っている先端の丸い道具は何?↓



マッツィエーレ「Mazzaを持つ者」はこの棒で地面を叩きながら行列を先導していたのだとの説明。道ならしなのか武器なのか、いまひとつ用途が見えない。後に形式的な道具になったということなのだろうけれど。


こうした大袈裟な行列はパウスル六世(位1963-1978)が廃止した。彼は古い慣習を次々に変えていった革新的な法皇で、カトリック以外のキリスト教指導者とも積極的に会談した。ラテン語以外の言語でもミサをすることを公認し、八十才以上の枢機卿の投票権をなくし、世界五大陸を訪れたはじめての法皇になったそうだ↓



パウルス六世が亡くなったのは、ここ、カステル・ガンドルフォの使徒宮殿。10/21から公開がはじまった法皇の寝室においてだった(写真は後出)


歴代の法皇の肖像画が、いろいろなスタイルで展示されている。現フランシスコ一世法皇のポートレートが最後に登場↓



入場者も増えてきた午前十時 ここから後が、十日前から一般公開されるようになった場所。「私もはじめて訪れます」とガイドさん。真新しい英語の解説を手渡されて上の階へ


博物館から雰囲気は一変した。壁にかけられている絵もすべてホンモノ。



ここからの部屋を修復したのは、ムッソリーニと和解して半世紀ぶりにローマを出てカステル・ガンドルフォを訪れたピウス11世である。床にその名前と、「即位12年目」と書かれている↓



部屋の入口それぞれに同じように刻まれている↓こちらは「12年目」



執務室を過ぎると枢機卿の会議や任命式が行われた部屋がある。ヨハネス23世法皇はここで枢機卿に任命された↓



二面に窓がある角に、ローマ法皇の寝室があった。この部屋で、前出のパウルス6世法皇は亡くなったのである。


しかしまた、ここで生まれた命もあった↓「法皇の子供たち」と呼ばれる。それは?



「法皇の子供たち」★第二次大戦中の1944年、アメリカ軍ががイタリアに上陸し、ドイツ軍との戦いで多くの難民が出た時、この宮殿は周辺からの避難民1万2千人に解放された。なかでも「必要のある」女性と子供たちにはこの階が提供され、五人の子供たちがここで誕生したのだそうだ。


ヨハネ・パウロ二世は、暗殺未遂で銃弾をうけたあと、この部屋でリハビリ生活を送っていた。


寝室のすぐ隣には巨大なイコンが飾られた礼拝室。この黒いイコンはポーランドのチェンストホーヴァにある「ヤスナ・グラの聖母」の複製品である。第二次世界大戦直前の時期に世界平和のために奔走したピウス十一世の希望でここに置かれることになった↓



クラシックな「アレクサンドル七世のギャラリー」をぬけて↓地上階へ降り、外へ出る



地上階へ降り、外へ出る



向かって右側にある「ヴィラノーヴァの聖トマス」教会はベルニーニの設計とされている。わりにすっきりしたバロック空間。天井のドームはパンテオンを思い起こさせる


周囲の店には、フラスカティの白ワインや ペコリーノチーズなど


ローマからやってくる人でにぎやかになった午前11時過ぎの使徒宮殿前



***午後は聖ベネディクトが修行したスビアコを訪れます

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