一昨日(8日)NHKホールで開かれたNHK交響楽団90周年記念特別演奏会を聴いてきた。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。主な出演者は下記の通り。
【演目】
マーラー/交響曲第8番「一千人の交響曲」
ソプラノ:エリン・ウォール
アンジェラ・ミード
クラウディア・ボイル
アルト: カタリーナ・ダライマン
アンネリー・ペーボ
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バリトン:ミヒャエル・ナジ
バス: アイン・アンガー
合唱: 新国立劇場合唱団
栗友会合唱団
NHK東京児童合唱団
《19時00分開演、20時35分終演》
オケは弦が18型編成(コントラバスは9本)。管は倍管だったがホルンが何本だったかわからず。そして、合唱は大人が250人に児童は100人ぐらい。独唱は指揮台下手に女性陣、上手に男性陣が並ぶ。
私はマーラー音痴である。なかでも歌のある交響曲に関してはとても疎い。というのも、私は学生時代に語学を幾つか勉強したものの、ドイツ語をまったく囓らなかったためだろう。今思えば、なんでドイツ語と中国語を勉強しなかったのかと悔やまれてならない。ということで、オペラにしてもドイツものは不得手であるので、今回のような歌入りの交響曲にしても、うまく理解をすることができないし、自分なりの感情移入することもできない。
それゆえに、最後の神秘の合唱で字幕スーパーに「永遠に女性的なものが私たちを引き上げる」と流れると、首をかしげるというかシラけてしまう。こうなると、男性は立つ瀬がまったくない。ゲーテは本当に“女性的”と言っているのだろうか。“母性的”じゃないのかなあ、などとあらぬことを考えて音楽を聴いてしまう。やっぱりドイツ語を勉強しておくべきだった・・・。
さて、演奏は非常にシンプルで良かった。宗教色を極力省いて音楽性に特化した演奏で、キリスト教にこれまた疎い私および日本人には楽しめたのではないだろうか。指揮のパーヴォ・ヤルヴィもその点を踏まえているのだろう。それゆえに、独唱陣にしても合唱団にしても妙に天を仰ぎ見るような仕草もなく淡々としていた。その意味においては非常に日本的かつ大衆的な「一千人の交響曲」だったのではないだろうか。
【演目】
マーラー/交響曲第8番「一千人の交響曲」
ソプラノ:エリン・ウォール
アンジェラ・ミード
クラウディア・ボイル
アルト: カタリーナ・ダライマン
アンネリー・ペーボ
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バリトン:ミヒャエル・ナジ
バス: アイン・アンガー
合唱: 新国立劇場合唱団
栗友会合唱団
NHK東京児童合唱団
《19時00分開演、20時35分終演》
オケは弦が18型編成(コントラバスは9本)。管は倍管だったがホルンが何本だったかわからず。そして、合唱は大人が250人に児童は100人ぐらい。独唱は指揮台下手に女性陣、上手に男性陣が並ぶ。
私はマーラー音痴である。なかでも歌のある交響曲に関してはとても疎い。というのも、私は学生時代に語学を幾つか勉強したものの、ドイツ語をまったく囓らなかったためだろう。今思えば、なんでドイツ語と中国語を勉強しなかったのかと悔やまれてならない。ということで、オペラにしてもドイツものは不得手であるので、今回のような歌入りの交響曲にしても、うまく理解をすることができないし、自分なりの感情移入することもできない。
それゆえに、最後の神秘の合唱で字幕スーパーに「永遠に女性的なものが私たちを引き上げる」と流れると、首をかしげるというかシラけてしまう。こうなると、男性は立つ瀬がまったくない。ゲーテは本当に“女性的”と言っているのだろうか。“母性的”じゃないのかなあ、などとあらぬことを考えて音楽を聴いてしまう。やっぱりドイツ語を勉強しておくべきだった・・・。
さて、演奏は非常にシンプルで良かった。宗教色を極力省いて音楽性に特化した演奏で、キリスト教にこれまた疎い私および日本人には楽しめたのではないだろうか。指揮のパーヴォ・ヤルヴィもその点を踏まえているのだろう。それゆえに、独唱陣にしても合唱団にしても妙に天を仰ぎ見るような仕草もなく淡々としていた。その意味においては非常に日本的かつ大衆的な「一千人の交響曲」だったのではないだろうか。